71 狸親父達をペテンにかける
「封印していた力が全て解放されたら、俺は最早人間では居られねぇ。そうなる前に死を擬態する。俺がこの世を捨てると言ったのはそういう意味だ」
ギーズゴオル殿下―――いいえ、悪魔のギーズゴオル。彼がアラクネイティズ公爵家の皇子として転生する為に自身の力を封印する際、全開放を二十歳の誕生日に設定したという。最低でも二十歳までに仕事を終えるつもりでいた為に。
「本当に死ぬわけじゃねぇ、本来の素性に戻るだけだ」
ああ、最初の話が戻って来た。殿下は私を愛してるのかもなんて夢のような話に聞き入ってる間は忘れていられたけれど。
「本来の素性―――リグナスの上司?」
「ライラちゃん、ギーズ君は僕の息子に戻るんだよ! まぁ上司だけどさぁ」
リグナスは嬉しそうに笑ってる。
まぁそれはそうなんでしょう。
晴れて息子が帰ってくるというのがリグナスの認識なわけで。
でもじゃあ私は?
ギーズゴオルという名前の皇子殿下はこの世から居なくなるという事?
アラクネイティズ公爵ご夫妻は息子を亡くし、
レジレンス殿下はイトコを亡くし、
アイリビィ様は幼馴染みを亡くし、
皇帝陛下やコーデリア様は甥っ子を亡くす。
カルケイビタンさんや紺碧宮に仕える使用人達は主人を失い、
殿下のご友人達は友人を亡くす。
私やミルクレア様は恋する男性を亡くす。
影ながら殿下を想っているだろう数多の令嬢達も。
「大丈夫だよ、ライラちゃん」
リグナスは笑う。
「ギーズ君の事はみんな忘れてしまうから」
記憶操作。
ハノイヴァ王国とは違い、殿下の痕跡ごと消えるわけじゃないと言う。ただレーダーゼノン帝国の皇子ギーズゴオルが一期を終えて、親しかった人々の意識から遠ざかるだけで。通常の数倍の速さで遠ざかるだけで。
言葉を失っている私に、
「大丈夫だ、ライラ」
今度は殿下がリグナスと同じ事を仰る。
そっと私の両耳朶に触れて。
「お前は俺を忘れない。この神紋がお前の記憶を守る」
それはそうかもしれないけど。
「えっと。私だけ殿下の記憶を保ったまま、1人でこの世を生きていけと?」
「忘れたいか?」
「忘れたくないです」
でもそれとこれとは話は別で。
「淋しいです」
会えなくなるのは殿下が大神官を目指すと思っていた頃と同じ筈なのに、これは根本的に話が違うと感じる。
そしたら、
「人間の一生なんざあっと言う間だろ。数十年くらい耐えろよ」
そんな事を言われしまった。
そりゃあ推定5万17歳の悪魔にとっては数十年なんて一瞬だろうけど。17年しか生きていない私には、今までの人生の三倍とか四倍とか、下手したら五倍なんですけどぉ?
なんで「一緒に逝くか?」って誘ってくれないんだろう。
死を擬態する以前に、殿下の人間としての殻はすでにぼろぼろで、辛うじて残滓がこびりついてるだけなんだろうなって思ったわ。
だからこの悪魔、平気で「耐えろ」だなんて。
「お前が天寿を全うした頃に迎えに来てやる」
「…寂しさのあまり他の男性と結婚しちゃうかもです。子供や孫とか出来ちゃったりして。旦那さんにも申し訳ないし、死後でももう殿下の元へは上がれなくなるかもしれません、心情的に」
「そん時はそん時だ、諦めるさ」
なにこの割り切り、ムカつくんですけど。
「不満そうな顔すんな。お前次第だと言ってんだよ。俺だってサーレンシスのお前の家族に義理は感じてる。俺はホントは悪魔で嫁にする為にお前んちの娘を殺すが許せ―――なんて言いづらいだろうが」
私の脳裏に家族の顔が浮かぶ。
私が昏睡状態から生還した時のみんなの泣き顔も。
もしも私が今度こそ逝ったら。
だけど殿下、単に判断を私に丸投げしてるだけじゃん。
私が頬を膨らませると、殿下は無言で私の頬をむにゅうと抓る。そしてそのままぷにぷにと柔く拈り続ける。
そのまま見つめ合い、膠着していると―――。
「あ、時間切れ。ただ今より外界での時間が動き出しましたー」
リグナスが呑気に呟く。
殿下とリグナスと私の3人は当初の予定どおり本題に入った。
入らざるを得なかった。
それから数時間後の昼下がり。
私と殿下は皇宮の瑪瑙宮に居た。
アラクネイティズ公爵殿下、アーティボート侯爵様のお2人はギーズゴオル殿下に伴われて入室した私をチラ見。
「おや見ない顔だな、ギーズ。新しく雇った私人魔術師かい」
今の私は殿下の神力で私人魔術師に擬態している。
[よし、ライラ。香炉を掲げろ]
殿下が私の耳朶の神紋に新たに付与した能力―――ミラクル通信ウィスパー―――が、私にだけ聞こえる声で指示を与えてくる。
私は右手に持ってた香炉をえいっと掲げる。
虹色の煙が室内に漂い始める。
かなり目立つように掲げているんだけど、
公爵殿下も侯爵様もその事には気付かない。
「皇子殿下、婚約の件で私をお喚びくださったとの事ですが。はてさてどういったご用件でしたか?」
侯爵様は殿下に対して過剰に恭しい所作で挨拶しながら、だけど表情は不敵だ。
婚約についての抗議で喚び出されたと思っているんだろう。だけど殿下が今更何を言おうが必ずや成婚まで漕ぎ着けるゾという気迫のようなものが感じられる。
そんな侯爵様を殿下は見つめる。
「侯爵」
「はい、殿下。なんでございましょう?」
「俺はお前の娘ミルクレア嬢を―――愛している」
侯爵様は目をぱちくりさせる。
公爵殿下も。
あ、やっぱりこのお2人、
殿下がミルクレア様を好きだなんて毛ほど思ってなかったんだぁ。
大人って汚なぁい。
「ミミミミミルクレアを? 殿下が?」
いや、そこで驚いたら駄目でしょう、侯爵様。
ご自分が捏造した設定ド忘れですかぁ?
「そ、そうでごさいますか、殿下。まままさか、いやその、わが娘をああああ愛して下さっていたとは」
驚きつつも嬉しそうな辺り、普通にミルクレア様を溺愛してらっしゃるのは間違いなさそう。皇宮への借りをレジレンス殿下との件で使わなかったのも、割と本気で野心よりも娘への愛を採った結果だったのかな。
それならば―――殿下の立てた計画はうまくいく気がしてきたわ。
殿下の口がミルクレア様への愛を―――たとえ嘘でも―――語るのを聞くのはかなり辛い。だけどミルクレア様へのフォローの為にも仕方ない。
そう、今回の婚約騒動、リグナスの調査によると、意外にもミルクレア様は荷担していなかったのよね。
今回の件はアーティボート侯爵様の暴走でしかなくて、婚約発表を事後に聞かされたのはミルクレア様も同様だったの。
だから殿下は極力傷付けたくないと仰ったし、
そこは勿論私も同意で。
娘への愛を語られて、
嬉しそうにほくほくしている侯爵様。
「我が娘は果報者ですな、こんなに美しく聡明な皇子殿下の愛を得られるなど。いやはや」
だけど殿下は非常に、それはもう非常に哀しそうな顔を作り、呟く。
「だがな。愛と結婚はまた別だ」
「…と申しますと?」
「ミルクレア嬢との婚約は破棄せざるを得ない」
「どういう料簡―――いえ、どんなお考えからの発言でありましょう?」
娘の沽券に関わる問題なだけに、
侯爵様は一瞬で真顔になる。
「殿下と娘との婚約はすでに皇宮によって発表がなされております。破棄ともなればミルクレアは社会的に恥を搔く。こうは言いたくないが、お忘れでありましょうか。ただでもミルクレアは以前、皇宮の落ち度で賊の人質に…」
しかし殿下は物憂げな目で侯爵様を見る。
「侯爵、とりあえずコレを見ろ」
そう言ってテーブルに短冊状の紙片を13枚並べた。
侯爵様は訝しげに紙片を一瞥したけど、
書かれてある文字を一読するなり顔を青ざめさせた。
「なな、なんですかな、これは」
13数の紙片には全て同じ一行が並んでいる。
"ギーズごオル に 嫁 す 女 ハ 呪われ ル ダろう"
「これは一体…」
「俺の5歳の誕生日以降、毎年一通づつ届いていた呪言だよ」
殿下は思い詰めた風に呟く―――。
ちなみにこの呪言の短冊、ついさっきリグナスが適当に5分で書いたものだったりする。




