70 ギーズゴオル殿下の黒歴史
「アクシデント?」
すると殿下がまたしても背中越しに呟く。
「………6歳の時に頭ぶつけたって言ったろう?」
「コーテリア様にぶっ叩かれて大理石にガツン?」
殿下が肯くと、それまで神妙な顔をしていたリグナスは堪えきれないとでもいうようにぷぷぷっと笑いだした。
「ギーズ君、コーデリアちゃんのせいで記憶喪失になっちゃったんだよね。悪魔としての記憶、ハノイヴァの魔神としての記憶を全て綺麗に忘却。記憶操作が得意な悪魔ギーズゴオルが記憶喪失になっちゃったんだよねぇ」
6歳以降の殿下からの連絡が途絶えた事を心配していたリグナスは、後に真相を知った時、どんなギャグだよと一昼夜笑い続けて腹筋が鍛えられた―――と当時を語る。
「その上、300年もかけて隠蔽したハノイヴァ情報を自分で暴き立て始めるしさぁ」
リグナスの哄笑を聞きながら、ああそういえばって思い出す。
思い出してしまう。
殿下は確かにハノイヴァの謎を暴こうとしていたけど、
暴いてしまった後は―――魔神に不自然に共感していたような。
すると、
「ぶははは。面白ぇだろ?」
殿下は相変わらず振り返りもせずヤケクソ気味に吐き捨てる。
ていうか、もうね。
私はギリギリまでリグナスの父親宣言なんか「リグナスは認知症かー」で押し切るつもりだったのよ。なのに殿下まで話にノッちゃったらもう現実逃避出来ないじゃん。
「殿下、ハノイヴァの魔神だったんです?」
問うと―――。
「……まあな」
ああ、お認めになっちゃった。
しかもなんだかものすごく恥ずかしそうにしている様子が可愛いというなんというか。
ああ好き。
駄目だ私、終わってる。
その後もリグナスの説明は続く。
「ギーズ君は悪魔かつ魔神としての記憶を無くしただけに留まらず、6歳という中途半端な段階から封印が綻んだせいで幽霊は白い靄にしか見えず、会話も成立しないというエラーまで発症しちゃってさ」
チラリと窺い見ると、
殿下は依然として背中を向けたままで立ち尽くしてる。
「まぁ、でもね」
リグナスは笑いを納める。
「無意識にサーレンシスの隠し部屋を探そうとしたり、僕の提案した幽霊狩りに同意したりと、潜在意識下では自分のやるべき事を把握していたのはさすがだと思ったよ」
なんか鼻高々なんだけど。
「まぁそれはそれとして。僕としては連絡の取れなくなったギーズ君が心配でさ。ギーズ君がサーレンシス城に行った時に色々と仕込みをして僕限定召喚スクロールを渡す云々の小細工をしたのはそれが理由」
「それがあなたの―――例の"真の目的"?」
リグナスが皇宮に入り込み、居坐りたがった真の理由。
「そ。記憶喪失の息子、ほっとけないじゃん? 早く記憶戻してやんないとって思ったしさ」
そう言うリグナスの顔に私はうっかり父性を見出しちゃって、あ、ホントに殿下のお父さんなんだってストンと納得してしまったわ。
「でもさー。しばらく一緒に過ごしていれば記憶戻るかなと思っていたけどぜんっぜんだし。僕なりに日記の朗読引き延ばしたりと影ながらギーズ君のバグのフォローはしてたのに、親の心子知らずでいきなり皇宮から追い出そうとするし」
ぷんすかと頬を膨らます。
「てか、あの頃、ギーズ君お得意のクソダサネーミング癖が始まってたから、少しくらいは記憶が戻り始めてて、それなのにすっトボけてると睨んでたんだけどねぇ」
しかし殿下はといえば相変わらずこちらに背中を向けて突っ立ったままで、項垂れて足元を見下ろしている。ああ鬱ってるんだなって。
だけど絞り出すように。
「……あの時点じゃまだぜんぜん思い出しちゃいなかった」
「え、そうだったの?」
その後もリグナスは色々な説明をしてくれた。
殿下が自分を皇宮から追いだそうとしている気配を察したリグナスが、いざとなった時の為にと施していた"細工"についてとか。
「日記にレーダーゼノン公用語の翻訳文が書いてあったって殿下が言ってたけど…」
「それ、意味なくない? ギーズ君が記憶を取り戻しさえすれば済む話なんだしさ」
「じゃあどんな細工を」
「幽霊狩りの時にさんざんやった手だよ。相手が正気に返りそうなキーワードを聴かせるってヤツ。
メリアザンの日記のスピンを引っこ抜くと前妻―――つまりはギーズ君の母親の名前を唱え出すよう細工しといたんだ。僕とライラちゃんがサーレンシス城の地下空間にいる間にメリアザンに抜いてもらったの」
「リグナスが前妻さんの名前を口にすれば済む話では?」
そう問うとリグナスはフッと淋しげに笑う。
「僕さぁ、逃げた前妻の愚痴をギーズ君相手に千年ほど飽きもせずに繰り返しネチネチ聞かせ続けてたんだよね。そしたらギーズ君がある日いきなりうるせぇなって切れちゃって。僕の声で母親の名前を聞いても認識しないように聴覚の設定しちゃったんだよね。だから僕の声じゃダメでさ。スピンに仕掛けといたのは魔力で合成した声だよ。
真面目な話、前妻の名前は禁じ手でね。出来ればこの手は使いたくなかったんだけど」
「禁じ手…」
「実母の名前で記憶戻ったらギーズ君がマザ○ンみたいじゃん? 後で不機嫌になるだろうなぁと怖くって」
チラリと殿下を窺い見ると―――なんか背中から禍々しい陽炎的なものが立ち上ってた。
「…そういえばメリアザンさんの日記の中身は無事だったの?」
ちょっと気になってたから訊いたみたら、
リグナスはにんまりと笑う。
「勿論。ギーズ君、日記の中のハノイヴァやそれに関連する単語だけ消して返してくれたからねぇ。お陰で日記はギーズ君の忘却の呪いから省かれた。今も大事に保管してるよ」
そうして改めてリグナスは殿下を見る。
「日記の保存処置までして返してくれたし、ギーズ君、あの時には完全に記憶戻ってた筈なんだよね。
あの場ではライラちゃんがいるからすっとぼけてるだけで、しばらくしたら連絡寄越すかと思ってたらぜんぜんでそのまま二年も経過。
仕方なくメネルトちゃんを依り代にして皇宮に戻ってみたら、ハノイヴァの事を記憶している幽霊達は全員すでに成仏済みだったよ」
「え」
「ライラちゃんの助けも必要とせず、ギーズ君が一人で全部終わらせてた。つまり、幽霊が靄にしか見えないバグも治ってた。
晴れてハノイヴァの記憶はこの世から完全に消え去り、つまりギーズ君はもういつでも"人間"を止めてよかったんだ。
なのにギーズ君、記憶は完全には戻ってないってあくまで言い張るじゃん?
どうして"人間"続けたいのか説明してくれれば僕だって配慮するのにあくまで事情説明しようとしない。
さすがのお父さんも怒りました。
そっちがその気ならちょっと荒療治しちゃおうかなって。ライラちゃんに毒を盛ったのは、ライラちゃん以外じゃ荒療治になりそうもなかったからで。ごめんね?」
「それで私をメネルト様の依頼に託けて殺したと」
「殺してないし。50%殺しのつもりだったし、どうせギーズ君が迎えに来るのは判っていたし」
「わかってたの?」
「ライラちゃんの両耳朶のそれ、ただのギーズ君印の神紋じゃないよ。ギーズ君の所有印だよ。悪魔の世界だとほぼ婚約」
え? 婚約?
今なんか、リグナスの口からとてもステキな単語が。
「しかもよく見たらギーズゴオル限定召喚式までこっそり仕込まれてる特別仕様と来てるし」
「召喚式?」
「そ。ギーズ君、冥府までライラちゃんを迎えに来ただろう? ライラちゃんがギーズ君の名前を呼んだ事で召喚式が無事発動したってわけ」
リグナスは殿下がすぐにでも人間の皮を脱ぎ捨てて悪魔として冥府に迎えに来る事を想定していたらしい。一方の殿下は私の体力維持を優先した。相手がリグナスなだけに、私の命を本気で奪う事はしないだろうと見越し、召喚式で喚ばれるまではと。
「ついでに言うとさ。ほら、君らが冥府を去る時、ドッカンドッカン、なんか爆発してたの覚えてる?」
「あ、そういえば。あれ何だったのよ」
「ギーズゴオル所有の魂が爆発してた」
「はい?」
「あの時、ライラちゃんは一時的にギーズ君の召喚主で、ギーズ君は召喚された…まぁモドキだけど一応悪魔って図式にはなってたんだよね。だからあの場ではギーズ君はライラちゃんに嘘がつけなくなってたんだ。でも正体バレしたくないギーズ君は、ライラちゃんの質問に何回か嘘で答えちゃってた。だから魂がその都度消耗品よろしくドッカーンしてたんだよー。いやあ、破格の厚遇ぶりだよね」
あ、あのう。
ひょっとして私、殿下にかなり好かれてる?
て言うか、あ、あい、愛され…。
え、うっそ。
超絶期待しながらチラチラ背後の殿下を窺い見るんだけど、殿下はこちらを見ようともしない。なんで私、お舅さん経由で殿下の想い的な物を聞かされてるんだろう。まぁどう考えてもリグナスにデリカシーがないからだけど。
すると殿下はいきなりしゃがみこんで頭をかきむしりだす。
美しい黒髪が痛むので止めてほしい。
しばらく眺めていると殿下は立ち上がり、ようやくくるりと振り向く。なにやら色々と葛藤があったご様子だけど、今はもうすでに―――開き直っておいでのようだ。
ツカツカと淀みのない足取りで私の傍まで歩いてきて―――。
「ライラ」
私を見下ろした。




