06 メリアザンの日記
私と殿下の二人で紺碧宮に着くと、ギーズゴオル殿下は私に椅子を勧めてきた。えらく親切でえらく愛想がいいんだけど、でもやっぱりなんとなく含みを感じるんだけど。
(なんだろう、このヤな予感…)
ちょっとビクビクしながら椅子に腰掛けつつ身構えていたら、殿下はお茶の用意を済ませた使用人に人払いを言い含めて下がらせる。
そして、
「これなんだがな、ライラ」
テーブルに我が家から持ち帰った本を置き、ずずいっと私の方に押し出してきた。
「実はな。本文は読めないが、どういった内容なのかは判ってるんだよ」
「どんな内容なんです?」
「これはメリアザンという名前の人物が書いた日記なんだとよ。だからまぁ、言うなれば本というよりは"メリアザンの日記"だな」
「日記なんですか」
「ちなみにメリアザンの職業は死刑執行人だそうだ」
「し、死刑執行人?」
私は今まさに手で触れようとしていた本からさり気なく手を引っ込めてしまった。
「メ、メリアザンって聞き慣れない名前ですよね。外国人の名前なのかな」
「……ライラはハノイヴァ王国って知ってるか?」
「ハノイヴァ。……知らないです。不勉強で面目ありません」
「いや俺だって知らねぇし」
ギーズゴオル殿下曰く、ハノイヴァ王国は建国千年を超えていた実在の王国だったが、300年ほど前に滅亡したのだという。
「千年近くも続いていて、滅んだのはたった300年前なのに聞き覚えもないなんて。よほどの小国だったんでしょうか。あ、でも、小国が千年も続くなんて事あります?」
訝しむと、殿下は目をつむり、少し顎を上げ、すうっと息を吸い込む。
そうして語り出す。
「ハノイヴァは大国という程ではなかったが
小国という程でもなかった。
宗教や文字の文化は異なるものの、
周辺国とは普通に付き合いがあった。
我がレーダーゼノン帝国とも。
それなのに滅亡以降、
各所に存在した筈のハノイヴァの痕跡は次第に失われ、
今や人々の記憶から消えつつある。
あの傷ましき滅亡の理由もだ。
最近ではかの国は存在した事すら疑われ始めている。
滅亡から30年ほどしか経っていないというのに、
不自然な程に。
―――――――――って事らしいぞ?
お前んトコの先祖の手記によると」
「手記? うちのご先祖の?」
「グランディル・サーレンシス―――お前んトコの300年前のご先祖がこの本の中に手記を挟み込んでたんだよ」
「それは…」
「な? 興味深いだろ?」
「えっと、ぜんぜん興味無いかと言われるとそんな事もないですけど」
"傷ましき"滅亡の理由ってなんだろう。
誰かが教えてくれるってんなら、
そりゃあ聞き耳立てなくも無いかな。
チラッと殿下を見ると殿下はニッと笑う。
「そうか、お前も興味津々か。良かったよ」
いえ、興味津々て程では…まあいいか。
「このメリアザンの日記はな。ハノイヴァ語で書かれているわけだ」
「まぁ、お話の流れ的にそうなんだろうとは思いましたが…」
となると隠し部屋から出てきたアレらも全部ハノイヴァ語?
「ちなみにメリアザンって名前はハノイヴァではよくある名前なんだとよ」
「ご先祖の手記にはそんな情報も?」
問うと殿下は首を振る。
「いや、手記にはその辺、なーんも書かれちゃいねぇ。さっき朗読したのが全てだ。本の概要くらい書いといて欲しかったよな? だが色々と教えてくれる"ヤツ"がいるんだよ。さっきも言ったが、メリアザンは死刑執行人だ。それもハノイヴァ王国最後のな。それも"ヤツ"が教えてくれたんだが…」
"ヤツ"って。
「それは一体どこのどちら…」
「なあ、ライラ」
殿下は私の問いかけを遮り、ことさら優しく私の名を呼ぶ。
確実に何かを企んでる声音で。
「この本を開いてみてくれないか。お前の手で」
「え。えっと、でもコレ、死刑執行人の日記、なんですよね?」
殿下は笑顔をはりつけたままコクリと肯く。
「ちょっと… いえ、だいぶ縁起悪いかなーって… だからあんまり触りたくないかなぁ… なんて思うんですが」
「何言ってんだ。死刑執行人なんて実に立派な職業だろうが。犯罪者の成敗を国家の代理人として請け負ってんだぞ?」
「はぁまぁ確かにそうなんですが、覚悟の決まっていない小娘の身には些かレベル高すぎな価値観と申しますか」
どう回避したものかと試行錯誤しながら答弁していると、殿下は突然笑顔を引っ込め、凄んだ。
「つべこべ言ってねぇで開けろ」
「は、はいっ」
怒鳴ってるわけでもないのになんなのこの威圧。
仕方が無い。
私は反射的に本―――日記を手に取り、適当なページを開いた。
「……?」
日記の中から得体の知れない"気配"を感じ、私はまじまじと見入った。つなぎ合わされた紙の束全体からふわりと立ち上る何かを感じる。
(なんだろう、この感じ。ひょっとして…)
「ひょっとして何か憑いてるか?」
殿下がまるで私の心を読むように仰るので、私は顔を上げる。
"憑いてる"なんて、まず普通は人の口には上らない筈だ。
まじまじと殿下を見つめていると、
「お前、幽霊が見える体質だろ?」
そんな事を仰るので私はビクゥッとして固まってしまった。
「な、何故それを」
「茶会の帰りに送ってやった時、お前、薔薇園ですげぇヤヴェのを凝視してたろう」
「あ、はい」
「あん時、ああこいつ、すんげぇくっきり見えてんだなって思ったぜ」
あの時に気付かれたのか。
て言うか、それって、つまり。
「殿下も見えるんですね?」
殿下は「まあな」と肯く。
マジですか。
お仲間が出来て嬉しいかも。
しかも他ならぬ殿下が。
「だがな。俺はお前ほどはしっかり見えてねぇ」
「でも薔薇園の女官の霊は判ったんですよね?」
「女官? あれ、女の霊なのか。えらく強烈な女幽霊だな…」
「あ、ホントに細かくはわかんないんですね」
「俺は残念ながら白い靄っぽいのが居るなぁと感じる程度だよ」
「それでも薔薇園の女官がヤヴァイってのは感じるんですね」
「あれはな。なんかこう、近くを通る度にハンパ無くゾクッと来るからな。背中に氷柱を挿し込まれた気分になる。靄っぽいものしか見えないなりにマジでこえぇよ?」
かなり俺様な感じの殿下が恐怖心を素直に漏らすなんてちょっと可愛い。
好き度が上がっちゃう。
「てな訳で遺憾なく見えたままを言え。その日記には何が憑いてる?」
そう言って促してくる。
私は日記に意識を集中する。
「なんだか… 女の人?」
「…もっとよく見てみろ」
「はい…」
私はより強く集中してみた。
「くるくる巻き毛の赤紫色の髪とアップルグリーンの瞳……あと、でっかい大鎌を持ってる女性の幽霊が憑いてる気がします」
「男じゃなくてか? メリアザンって名前はあんまり女っぽくねぇと思うが」
「私もそう思いますけど。でも、メリアザンの日記だからって執筆者本人のメリアザンさんが憑いてるとは限らないですし。とりあえず間違いなく、憑いてるのは女性の霊だと思います」
「お前、霊と会話は出来るのか? 出来るならちょっと話しかけてみろ」
「幽霊によりますが…。ちょっと待ってて下さいね」
私は日記に向かって念を送ってみたけれど、女性の霊は膝を抱えてうずくまり、頑なに身を縮こまらせているだけだった。
「無理っぽいですね。幽霊性引き籠もり状態になってるように思われます」
そう言うと、
「なるほどなるほど」
突然殿下の背後から声が上がった。
「ライラちゃんの霊力、なかなか高レベルだねぇ」
声のする方向を見ると、いつの間にかさっきの金髪少年がいる。
「ええ!?」
思わず声を上げてしまった。
(この子、ついさっきまで絶対ここに居なかったよね!?)
私は驚いたまま目を見開いているんだけど、殿下は少年を振り返り、全く動ずる様子もない。
少年も慣れた風というか。
「ギーズくぅん、だから言ったでしょ。メリアザンは女だってね」
「しょうがねぇだろう、おっさんみてぇな名前だなって思っちまったんだし」
「まあ、男女兼用ネームではあったけどさぁ」
「紛らわしい」
「とにかく、僕はギーズ君に嘘なんかついてないって事、これで判ってもらえたよねぇ?」
なんだか親しげに会話してらっしゃる。
「あの、殿下。その方は…」
問うと、二人は同時にこちらを振り向いた。
殿下は無表情、金髪少年はニコッと笑う。
ひょっとしてカルケイビタンさんみたいに殿下が個人的に召し抱えている魔術師の一人? にしては態度が使用人感なさすぎよねぇ?