56 此岸迄ハ何哩
「ライラちゃんも地獄見物する?」
「え、いえ、それはちょっと。怖いし」
「まぁまぁ、こんな機会滅多にないんだし、見ていきなよ」
強引に手を引っ張られる。
さっきよりも眠気が無くなったし、まぁいいかと歩き出す。
メリアザンさんは付いてくる気はないようで、
私に向かって小さくだけど手を振ってくれた。
リグナスが何度か指パッチンをして、
体感として4~5分ほど瞬間移動して飛んだろうか。
て言うか、4~5分かかる"瞬間"移動って。
冥府は想像以上に広大のよう。
中継地点を通る度、地獄の様子が垣間見える。
結構な数の死者や悪魔、死神っぽい人達が眼下に見える。
幾つかの洞窟を抜けた後、広大な淵に辿り着く。
淵の中は赤や紫や黒、金色、時折虹色の靄の渦が高速で回転していて、その渦の下から無数の悲鳴や叫び声が聞こえてくる。
「あ、ねぇねぇ、ライラちゃん、ほら」
リグナスが指さす方を見ると、割と近くにさっき目の前から消えたバカップルがいて、楽しそうに淵の下を見下ろしていた。
「もうすっかりバラバラになってしまったねぇ、アハハ」
「バラバラもバラバラ、バッラバラの細切れでしたわねぇ、ウフフ」
楽しそうに微笑み合う二人。
バラバラって。
それはひょっとしてエリサラウが?
「血しぶきが薔薇の花びらを散らしたようだったね」
「ええ、エリサラウ様からの私達への贈り物ですね」
うーむ、あまり聞きたくない会話だったわ。
それに、ちょっと気になる事があった。
エリサラウはメネルト様を陥れて刑死した罪で地獄落ちしたんだろうけど、ではリグナスに依頼して私を殺した―――正確には昏睡状態にしろ、悪魔と契約したメネルト様は全くの無罪なのかって辺り。
「ああ、それ」
リグナスはなんでもない事のように説明してくれた。
「だってメネルトちゃんは幽霊じゃん」
「え?」
「幽霊無罪だよ。現世に留まる幽霊は、例えばエクスノヴァ将軍みたいに理性的であってすら少し壊れていただろう? 肉体が無い以上、論理的に思考する脳味噌も失ってるからね。感情と人柄だけの思念体には何らの責任も問えないんだよ。魂が無いというのはそういう事だよ」
「なるほど…」
「そもそもメネルトちゃんを妖怪化寸前まで追い詰めたのは一体誰なのかって話だしねぇ」
納得いくようなそうでもないような。
それにしても。
私は周囲を見回す。
「冥府って朝昼夜があるの?」
「ん? なんで?」
「私、ここに来たばかりの時、冥府って薄暗いんだなぁと思ってたんだけど」
「うん」
「なんだかだんだんと明るくなってるなって。私がここに来た時は単に夜だっただけなのかしら」
すると、
「ライラちゃんさぁ…」
リグナスは眉間に皺を寄せた。
「気付かなかった僕も悪いけど… ライラちゃん、それヤヴァイ」
「え?」
「ライラちゃんの現世の身体、多分、今死にかけてる…」
「え」
死者が死後の世界に来ると元気はつらつになり、逆に生者は身体が疲れてだるくて眠たくなるわけだけど、それと同じように、死者には冥府は明るく見えて、生者には暗く感じる―――とリグナスは言う。
で、今。
私の目に冥府が明るく見えてるって事は―――。
そういえばいつの間にか元気だし、そういえば視界も明るくなってた。冥府はついさっきまで薄暗い地底都市みたいなイメージだったのに、今の私には閉塞感はあるものの、そこそこ普通に明るく見えてる。だんだん暗闇に目が慣れてきたんだとばかり思ってたのに。
リグナスはハアと溜息を吐く。
「で、でもまだ元気はつらつって程じゃないわよ?」
「はつらつになったら完全に死亡してるよ。現世でのライラちゃんの身体、多分今、9割殺し状態くらいかなぁ…」
「そんな…」
「う~ん、毒の量が多すぎたのかなぁ。ギーズ君が舌に神紋刻むなんてややこしい事しなきゃ普通の毒を減らす程度で良かったんだよねぇ。あ。これってギーズ君のせい?」
「あんたのせいよ!」
「だっよねぇ。ごっめん」
ニカッと笑われる。
その顔にグーをたたき込みたくなった。
元気はつらつ…まではまだいってないけど、限りなく元気になってきてるし、けっこう効き目のあるパンチを繰り出せそうな気がするし。
怒りでぶるぶる震えている私に、
「まぁいいじゃん。万が一本当に死んじゃったらさ。転生する時まで僕が面倒見てあげるよ」
なんて言うし。
「……一度冥府に来た死者ってもう現世には行けないの?」
「行けないねぇ。あ、でも人間を辞めて使い魔になれば行けるよ。ライラちゃんも僕の上司の使い魔になっとく? ほぼ永劫就職になるけど、時々は転生出来なくも無いよ? 有給休暇みたいなもんだし存在の本質が変質してるから、死んだらまた使い魔に戻るけど」
僕ともメリアザンとも同僚になれるよ~なんて楽しげに言う。
「嫌よ、そんなの。―――でも」
私はホロリと涙を零した。
「殿下に―――」
「ん?」
「せめて最後にもう一度ギーズゴオル殿下にお会いしたい」
そう呟いた瞬間、私の耳朶の辺りが少し虹色に光った気がしたのは気のせいだろうか。
あと、なんでだかリグナスが私の方を見て瞠目した。
「ライラちゃん、ちょっとその耳朶、見せてみて?」
「なによ」
リグナスは真剣な顔で私の耳朶をじろじろ眺め回す。
「耳朶のそれ、ギーズ君の神紋だなぁとは思ってたけど。よく見たら何か仕掛けがあるみたいだねぇ」
コーデリア様の駄物語朗読の呪いがかかってますが何か?
リグナスはしばらく眺め続けた後、突然悶絶するように身を震わせて、感極まったように空に飛び立ち、見上げるほどの高さ辺りでぐるぐると旋回し始める。
「リグナス?」
頭大丈夫?
そう言いそうになったところで―――気がついた。
リグナスは笑っている。
必死に笑いを押し殺しているけど、確実に笑っていた。
しかもどこかで覚えのある笑い。
そうしてハッと気がついた。
5年前。
殿下が初めて瞬間移動で私の部屋まで来てくれた時。
もう悪夢に怯えなくても良くなったあの日。
殿下がバルコニーから皇宮まで瞬間移動でご帰宅なさった直後、夕方の真っ赤な空の上から聞こえてきた笑い声。
リグナスの声に似てる気がしたあの笑い事。
うん、本当にこいつの笑い声だったんだなと悟った。
しばらくの間、宙を旋回していたリグナスは、ようやく笑いが収まったのか、何食わぬ顔で戻って来る。
「ごめん、ちょっと持病の癪が」
キリッ。
なに言ってんだこいつ。
まさかとは思うけど笑ってたのバレてないと思ってる?
でもリグナスはどこ吹く風で。
「あ、ライラちゃん、あっち見て! バカップルが!」
「え」
リグナスの視線の先を見ると、
残念先祖とメネルト様がうっすらと透けていた。
二人は互いに肩を寄せ合い、微笑んでいる。
そしてそのままふうわりと空気に溶けるように消えた。
とても幸せそうに。
リグナスは「へー」と感心したように声を上げる。
「二人揃って転生したねぇ。しかも同時に。うーん、めちゃくちゃ相性いいよ、アレ。普通はどんだけ仲良しでも数秒程度のタイムラグがあるもんなんだけど。多分だけど、あの二人、生前は一目合った瞬間に恋に落ちたパターンだねぇ」
いいな、私も殿下とそうなりたかったな。
でもさ、そもそも私にしてからが殿下に対して一目惚れしてないし、あの残念な先祖に負けた感があって悔しい。
せめてさっさと告白しとけば良かった。
そしたら殿下の青春の1頁に燦然と輝けた可能性。
ないか。
昔いたなぁ、ライラって女。
あいつ俺に惚れてたんだよなぁ―――くらいだわ。
化けて出たい。
今の私が化けて出るには使い魔になるしかないけど、化けて出たい。
『殿下ぁ、くれぐれもご結婚とかなさらぬように~
どうか独身主義を全うしてくださいませぇ~』
とか言いたい。
でも殿下、幽霊は靄にしか見えないんだった。
くっそ。
あ、でも夢枕に立つとかならワンチャン?
でもそのワンチャンスに駆ける為に使い魔になるのはリスク高いわよ。
こうなったら残念先祖を見習って、
殿下が天寿を全うして冥府に来るまで待つべきか。
なーんて事を考えていたら、
突然遠くが騒がしくなった。
それが声だと気付いたのは少ししてから。
大勢の人達の声が重なったざわざわざわ―――という声の波。
その波がだんだんと満ち潮のように近付いてくる。
ふとリグナスを見ると、少し緊張した面持ちで遠くを見つめている。
そして、
「あ。―――来た」
小さく呟く。
「え?」
リグナスの視線の先に目をやると、
大勢の死者や悪魔、死神達が群れているんだけど、
その群れのど真ん中を誰かが一直線に歩いてくるのが見えた。
その誰かが歩を進める度に群れは左右に分れ、道を譲る。
歩みを阻もうとする者はいない。
誰が来るんだろうかと目をこらして、やがて気付いた。
その"誰か"は長い黒髪を無造作に背中に垂らしていて、
遠目にも判る怜悧で整った美貌、しなやかな長身で。
「ギーズゴオル殿下!?」
私はあっけに取られてしまった。
だってここは冥府。
現世からはきっとずっと遠い場所に違いなくて、
そもそも陸続きじゃなかろうし、
それ以前に、まだまだ殿下が来るような場所ではない筈で。
だけど殿下は一歩一歩踏みしめるよう確かな足取りで近付いてきた。
だけど私は信じられなくて。
もう遠目ではなく、
ほんのすぐ近くに迄いらっしゃってさえ。
やがて殿下は、瞠目して大口を開けて呆然としている私の真ん前まで到達。
殿下の歩みはようやくそこで止まった。




