43 幽霊狩りはこれにてお終い
ところで神力も持たない私がどうやったら憶えていられるのかって話。
今すぐ殿下に嫁いで皇宮の紺碧宮住まいにでもなれば確実に憶えていられるけど、それは現実的じゃない。
貴族の結婚なんて先ず婚約から始めなくちゃ世間から白い目で見られちゃうわけで、でも婚約期間の間に忘れちゃいそうじゃない?
そうしたら殿下が仰った。
「お前の耳朶に俺の神紋を刻ませろ」
「はい?」
「俺の神紋を刻めばお前は簡易の結界に常時護られる事になる。そうすればお前の記憶も護られる」
「殿下の神紋…」
"目印"の上位版みたいな感じだろうか。
えー、格好いい。
まるで殿下の所有印みたいじゃーん。
色ボケも極まった事を考えながら、私は殿下の提案を二つ返事で受け入れた。殿下の笑顔がニコッじゃなくニヤッだった事なんか最早頭から吹っ飛んだわよ。
殿下が私の両耳朶に触れる。
一瞬、ふわっと虹色の光が閃いて、
ピリッと電気が走ったような。
「よし、完了だ」
「神紋って誰にでも見えるんですか?」
「一般人には見えねぇよ。ある程度以上の魔力や神力持ちなら見えるだろうがな。でも虹色の十文字の形だし、イヤリングに見え無くもないだろ。我慢しろよ」
いえ、どっちかというと世界中に見せびらかしたいなって思っただけなのでぜんぜんOKですが?
そんなわけで私はとてもとても浮かれ気分でいたんだけど、
「では、ライラ」
殿下は改めて私に向き直る。
そしてじっとその怜悧な目を私に向けてきた。
「今この時をもって、"300年前のあの国の事=ハノイヴァ案件"については一切を口にしない事」
「殿下と私の2人だけの会話でも?」
「お互いの間でもだ。口にしたが最後、お前の耳朶の神紋は」
「は、はい」
え? 何?
まさか爆発するとか?
「―――お前にしか聞こえないダミ声で生涯コーデリアの自作物語の最新作を自動朗読し続けるだろう…」
「え? は?」
頭が真っ白になったし、ちょっと理解が置いてけぼりだった。
「え? なんですかそれ、呪いですか?」
「お前があの件を口にしなきゃ済む事だよ―――」
「そりゃあそうですが」
殿下は血相を変えている私を楽しそうに眺めてる。
でもふいっと真顔になって、
「ライラ。お前、女友達いねぇのか?」
などと仰る。
「はい?」
なんでここで女友達?
どういう事?
女、紹介しろって事?
殿下、独身主義なのに?
「リグナスの代役だよ。お前を気軽に紺碧宮に呼ぶには少なくとももう一人くらいは"女友達"が要る」
「えっと。リグナスの代役で女友達が要るってどういう事です? あいつ男ですよね?」
「……リグナスはお前にも説明してなかったのか」
「はい?」
ポカンとする私に殿下は説明をしてくれた。
婚約前に異性とあらぬ噂が立つのは相手がたとえ皇子でも醜聞になりうるという私の立場を考慮して、なんとリグナス、皇宮内ではこっそり認識阻害の措置を執ってくれていたんですって。―――つまり、余人の目にはリグナスの姿はどこぞの貴族令嬢に見えていた模様。それ以外にもう1人か2人の複数人で殿下の元へ通っているように見せかけてくれていたんですって。
その事に殿下が気付いたのは13歳の時だったとか。
私は心の中でリグナスに謝った。
(ミンチとか生ゴミとか言ってゴメンね、リグナス…)
歯を光らせて笑うリグナスの笑顔が脳内妄想の青空に投影される。
でもそうか、そういう事だったのか。
いくらなんでも殿下との噂立たなすぎだし。てっきりアラクネイティズ公爵ご夫妻が、私の事を嫁に相応しくないと見なして、噂が立つのを抑えているのかなぁと悲観していたけど違ったのね…。
そこは良かったけど、でも。
"女友達"の座は確保してるから幽霊狩りが無くなっても今後もその気になれば遊びに来れると思ってたのに、ぜんぜん駄目じゃん…。
「あいつが居ない以上、もう認識阻害の手は使えねぇ。俺も目くらまし程度なら出来ないでもねぇが、今の俺じゃあ数分程度が限度だ。誰かお前が誘える女友達とか、心当たりはねぇのか?」
改めて問われる。
女友達、か。
海賊令嬢ベルザ様は一応友達かな。ミルクレア様はまだ知人のレベルだろうけど、お宅訪問しちゃったから世間的には一応友達の括りかな。
でも絶対誘わないわよ?
ベルザ様は下手したら殿下と趣味の方向で意気投合しちゃうかもだし、ミルクレア様は殿下に惚れてるし、殿下はミルクレア様の事、"ああいう性格嫌いじゃねぇ"とか言ってたし、誘うわけないよね。
ふっ。
殿下会いたさに恋敵を作りかねない状況を招くほど脳味噌お花畑じゃないでス。
「私、友達いません」
キリッと大真面目に答えると、
「マジか。哀れなヤツだな…」
可哀想な人を見る目で見られたけどキニシナイ。
「……殿下の女友達を誘うのはどうですか」
私以外にも女友達がどのくらいいるのかなぁ…と、ちょっと探りを入れてみたりして。
「女か。男友達ならそこそこいるんだが、女だとすぐ婚約がどうのって発展しちまうからなぁ」
少なくともアイリビィ様の名前はすぐに出てくると思ってたんだけど、出てこないのはなんで? ひょっとして殿下にとってアイリビィ様は恋愛対象であって"友達"ではないとか、そういう?
ドキドキしながら訊いてみると、
「アイリビィ? ああ、あいつは今忙しいから無理だな」
との事。
そうして溜息をひとつ吐くと、
「お前とは当分は皇宮のお茶会くらいでしか会えそうにねぇな…」
あっさり諦めてしまわれた。
ちょっと淋しかったけど、
私と今後も会おうと一応は考えてくれた事実は嬉しかった。
「ライラ」
殿下は私の頭を軽く撫でる。
「3年もの間、俺の好奇心に付き合ってくれた事、大儀だった。今更だが礼を言う」
「め、滅相もありません」
「そんでな―――幽霊狩りはこれにてお終いだ」
「……はい」
リグナスがお役御免となったのと同じで、私もお役御免。
いつかはそうなると判っていたけど、いよいよ本当にその日が来た。
でも耳朶の神紋が殿下と私の絆だし。
しょんぼりしながらも殿下の続きの言葉を待つ。
だけれど殿下は何も仰らない。
もう帰れって事なのだろうか。
確かにご用も無くいつまでも居坐るのもおかしな話で。
仕方なく私は椅子から腰を浮かしかけ―――それとほとんど同時に殿下は私の頬をぷにっと抓み、私の気のせいでなければだけど、名残惜しそうに。
「元気でな」
そう仰る。
ふと窓の外を見ると陽がかなり傾いている。
今度こそ私は椅子から腰を上げ、お暇を告げた。
紺碧宮を出た後、表門までの長い道のりにちょっとクラッとする。
もうリグナスが指パッチンで表門まで送ってくれる事はないんだなと思うとちょっとばかり淋しかった。
あの豪華な黄金の髪、
スカイブルーの瞳、
そして、殿下と張る程の美貌。
観賞価値は高かったから、あいつが皇宮の空の上を気持ち良さそうにぷかぷか浮いてる姿を見る事はもう二度とないんだなと思うと、それなりに名残惜しい気はした。
(…そういえばリグナスは私達に合わせた年齢に擬態していただけだから、今はもうメリアザンさんに合わせた外見年齢になっているのかな)
メリアザンさんは3年前に日記に取り憑いてるのを霊視した時は膝を抱えてうずくまっていたし、日記の中の王子への恋心の吐露の印象のせいもあってか、なんとなく可愛い感じの女性をイメージしていたんだけど、ご本人の姿は割と真逆の印象だったなと思う。実際はかなりアダルティな美女で、スタイルがめちゃくちゃ良かったような。腰の位置が高くて、お尻と脚のラインに自信が無いととても手が出ないようなタイトなパンツを穿きこなしていたわね。そしてあの赤紫の髪の派手な事。
あの容姿で生前、鞭とか振るっていたわけか。
(ちょっと格好いいかもしんない)
そしてそのメリアザンさんの横に大人バージョンのリグナス―――か。ちょっと見たかったかも。
でも最早ご縁も切れたわけだし、考えても無駄ね。
もうリグナスの事もハノイヴァの事も想い出になるんだから。
(あ、でも、そういえば)
私はふと足を止めた。
うちの隠し部屋にあるハノイヴァ語の本や書類ってどうすべき?
処分すべき?
殿下はリグナスの翻訳を元にハノイヴァ語の解析をして、うちの隠し部屋の本や書類を自力で読むご予定だったわけだけど、殿下の知りたい事は全て日記に書かれていたみたいだから、そんな手間は必要無かった訳で。
だけど一応殿下にご相談をすべき?
ああでもハノイヴァに関する話はもうしちゃいけないんだった。
(うーん。どうしよう?)
そんな事を考えていて、ふと脳裏を違和感が過ぎる。
(…そういえば。あの日記って、ハノイヴァの滅亡理由はヒント程度しか書かれていないのではなかった?)
だけど殿下はユンライ様の呪いの内容まで細かく教えて下さったわけで。