42 ニコッじゃなくてニヤッ
ユンライ様はなおも言った。
『ここで終わりにしようかと思ったが…
なにやら忘れているような……』
しばし考えた後、
『目―――を忘れていたな』
『うむ、では王家の者共は皆、生涯結膜炎に苦しむがよい』
そう言ってから、
『だがな。この私とて慈悲心はあるのだ―――』
ユンライ様はそう優しげに語りかけたという。
『最後に―――王家の者どもに慈悲をくれてやろうとぞ思う。
感謝せよ、ハノイヴァ王家の者達よ。
そなたらには長寿を授ける。
先ほど述べた疾患以外は超絶健康体にしてやろうの。
ついでに自殺も他殺も出来ぬようにしてやろう。
そなた等の死因はただひとつ、
人類の限界年齢に達してからの老衰のみだ。頑張れぇ』
そうしてユンライ様の呪いの言葉は終了。
私と殿下はしばらくお互いを見つめ合った後、気まずくなってスッと目を逸らした。
「…それって慈悲なんですかね?」
「俺には生き地獄にしか思えねぇ」
「ですよね」
だけどまだ疑問が残る。
「呪いの内容はわかりました。―――でもユンライ様が呪ったのはハノイヴァ王家であって、ハノイヴァという国家そのものではないんですよね? 国民だって呪われてない。なのになんで滅亡しちゃったんだろう」
すると殿下は「自明だろ」と仰る。
「毛根死亡、ギックリ腰、水虫、各種痔、中耳炎と外耳炎、蓄膿症、全歯虫歯、歯槽膿漏、結膜炎、腐臭漂う体臭の国王一家。治癒の可能性ゼロ。加えて王女は遺伝が約束された残念体型のデブ。こんな王家、どこの国の王女も嫁いで来ねぇし、どこの国の王子にも嫁げねぇよ。王家断絶待ったなしだろ?
王家が断絶しても国民がいる限りは国は続くってか? だがなお前、考えてもみろよ。自分の国の王家がこんなダッセェ呪いを受けたら、俺なら恥ずかしすぎて国外逃亡するわ」
想像してみる。
「……そうですね。確かに自分がハノイヴァの国民だったら、ちょっと。いや、かなりイヤかも」
「"恥"はそれだけじゃねぇよ。崇めていた筈の魔神は呪いを受けた王家の為に何かしてくれる様子も無いんだぞ? 魔神の力はあのユンライなる伯爵家の孫娘にすら及ばぬのかと、所詮は"神力>魔力"なのかと。ハノイヴァ国民は魔神信仰は無意味だったと痛感したろうな」
「な、なるほど…」
「致命的なのは大衆の愚かさだ」
「愚かさ?」
「庭師のルーキットの台詞を覚えているか。あいつは脚立から落ちて死んだ筈なのに、原因はハノイヴァにあると言い張っていただろ?」
「ああ、はい。言ってましたね」
ルーキットさんの鬼気迫る様子が脳裏を過ぎる。
「これは想像なんだが、あいつがうっかり脚立から落ちたのは―――足が痒かったからじゃねぇかな」
「はい?」
「あいつ、水虫だったんだよ、きっと」
「で、でもルーキットさんはハノイヴァの王族じゃないから呪いの対象外ですよ。ルーキットさんが本当に水虫だったとしても、それは呪いではなく…」
「大衆ってなぁ、けっこうなアホなんだよ」
殿下は人差し指を掲げ、ご自身の頭部の辺りでくるくると廻してみせる。
「呪いの噂が外国に知れ渡る頃にはな。呪われたのは王家だけではなく王国全体って話に変質しててもおかしくねぇ。しまいにゃ王国内に足を踏み入れただけでアウトってトコまで変質する。噂にはとかく尾ひれがつくもんなんだよ。
しかもそれで終わりじゃねぇ。
時系列なんざ平気で無視すんのが大衆だからな。
ルーキットが実際に水虫を患ったのがいつ頃かは問題じゃねぇ。ヤツはハノイヴァへ旅行へ行った事が事実としてあった。―――そのせいでヤツはいつしか水虫になった原因はハノイヴァ旅行だと思い込んだに違いねぇ。
ンなアホなと思うかもしれねぇが、実際大衆はそんくらいアホだ」
「な、なななるほ、ど?」
「過去にハノイヴァへ旅行した事のある女どもは、ダイエットしても痩せない理由をハノイヴァの呪いのせいだと決めつけたろう。旅行に行ってなくても近所にハノイヴァ帰りのヤツでもいればそいつに呪いを伝染されたせいだと恨む輩もいたろうよ。―――な?」
「どういう"な?"です」
「大衆ってアホだよな?」
「……まぁ、そういうとこ、あるかもデスけど」
ふと見ると殿下は無言になっていて、高い天井を見上げてる。
「……そういえば殿下はハノイヴァの魔神が故伯爵ではないかと疑ってましたがその辺りは?」
「ああ―――そういえばそんな疑惑を抱いていたな…」
「祖父は悪魔レベルの魔力持ちで、その孫は聖女も鼻息で飛ぶレベルの神力持ち。一体どういう血統だったんでしょうねぇ」
私が首を傾げると、殿下は「ハハハ」と力なく笑う。
「どうあれ―――所詮は300年前に終わった事だ」
そう仰ったきりまた無言。
何をお考えなのかなぁとか、
それにしても美しい横顔だなぁとか、
睫なっがいなぁとか、
額と鼻と唇と顎のラインが完璧だよなぁとか、
割と無関係な事を考えていたら、
「なぁ、ライラ」
殿下は天井を見上げたままで問いかけてきた。
「なんでしょう」
「俺、ハノイヴァの魔神の気持ち、100%理解したわ」
そう仰る。
とても真剣な声音だった。
「魔神はハノイヴァなんてみっともねぇ国に千年もの間拝まれてた自分を恥じたんだよ。こんなド恥ずかしい国家の痕跡、そりゃあこの世の歴史の地層から根こそぎ隠蔽したくもなるよな。ああ、完全に理解した。理解し過ぎてむせかえりそうだよ」
「まぁ… そうですね。私もアレの件があるので理解は出来ます」
アレ。
アレとは勿論、コーデリア様の駄物語の件。
殿下は見上げていた天井から目を離し、私を見る。
「魔神が可哀想で俺とした事がもらい泣きした。気の毒すぎてハンカチがびしょ濡れだ」
「涙とか特に出てるように見えませんが」
そもそもハンカチも手に持ってない。
「俺の心の目が泣いてんだよ」
「左様でございますか」
「そんなわけで俺は今後ハノイヴァについて言及しない。滅亡理由についても俺の胸に秘め、けして口外しない―――そう心に決めた」
「……左様でございますか」
なんだろう。
なんだか妙な違和感を覚えるんだけど。
殿下らしくないというか。
「ライラ、お前はどうする?」
「どうとは? 殿下が生涯口外するなと仰るならば、勿論そのように致します」
「それは当然だ。俺が言いてぇのはソコじゃねぇ。憶えていたいかどうかって事だよ」
「それは一体どういう… あ、そっか」
ハノイヴァの事、
その滅亡理由の事。
私はきっといつしか忘れてしまう。
300年前、ハノイヴァの事を当然のように知っていた世界中の人達が魔神の企てによってゆっくりゆっくり少しづつ忘れていったように。ハノイヴァの魔神は私の記憶の事だって見逃したりしないだろう。
私が殿下を見ると、殿下はコクリと肯く。
「俺は神力持ちだし結界の張られた皇宮ん中に住んでるだろ? だからまぁ、恐らく忘れない。だがお前は普通に生活を送る内、ゆっくりゆっくり忘れちまうだろう」
「そうですね。きっとそうなるんでしょう」
ハノイヴァについて忘れてしまったところで私の生活には特段の支障はない。
だけど…。
「憶えていたいか?」
「…出来れば憶えていたいです」
「なんでだ?」
なんでって。
だって殿下との3年間は、ハノイヴァの滅亡理由を識る為に費やした日々なんだもの。根幹であるハノイヴァの記憶を無くしてしまったら、私の中の殿下との日々はひどく薄っぺらい記憶として上書きされてしまうんじゃないのかな。殿下への想いや培った絆も。
ちょっとゾッとした。
…でもそれを言うと告白みたい?
躊躇っていたら、
「俺は秘密を共有する相手が欲しい」
殿下が仰る。
「3年もの間ひとつの謎とその真相を求めて熱中した日々の記憶は俺にとっちゃあ宝物だよ。リグナスはもういねぇがお前はいる。お前には憶えていて欲しいんだよな…」
「で、殿下…」
なんか胸がキュンと来たぁ。
「今後の人生、ハノイヴァについてお互いにけして口にする事はねぇとしても、それでもお前には憶えていて欲しい。俺の大切な青春の1頁をよ…」
フッと笑う。
「あいつ――― リグナスにとってのメリアザンの日記の1頁1頁は、俺の1頁と同等の重みがあったのかもしんねぇよな。それを焼き棄てようとするなんざ、俺も罪なことをしたもんだぜ…」
時々リグナス以上の悪魔に見えない事もなかった殿下が反省している…だと? これが"人の成長"というものなのかもしれない。今、私は猛烈に感動している。
「で、殿下のお望みのままに!」
そう言うと殿下は嬉しそうに金色の目を細めて笑った―――んだけどさ。
ニヤッて。
ニヤッ。
ニコッじゃなくてニヤッ。
あれ? 私、なんか判断見誤った?
なんか、殿下の思惑通りになってる感じ?
いやいや、そんな事ない。
殿下って間違いなく美貌だけど、どちらかというと人相は悪い方だし、だからそう思っちゃうだけ……だよね、うん、きっと。




