41 それは酷い。いろいろな意味で
「帰るって、紺碧宮へ?」
「うん。そろそろあっちも話が終わってる頃だし」
「なんだったの、この逃走劇は」
「基本はギーズ君の頭をクールダウンさせる為、かな。後はまぁ、メリアザンがギーズ君を説得してくれたらいいなぁって期待してたというかぁ…」
「でもメリアザンさんは殿下には幽霊と色違いの靄にしか見えないのよね? どうやって会話するの?」
「そうだけどね。少し前からギーズ君の為にちょっとした細工をしておいたんだよ」
「細工?」
「それでギーズ君を説得出来るかどうかは別として。僕としてはもっとゆっくり穏やか~に事を進めるつもりだったんだよねぇ。だけどギーズ君、ぜんぜん話聞かないし。まさか今日、日記ごと焼却されかかるなんて想定してなかったから、こっちも焦ったけど」
「どんな細工だか知らないけど、殿下を騙すつもりなら看過出来ないんだけど?」
私がそう言うとリグナスは意味ありげに笑う。
「なによ」
だけどリグナスは説明する気はないようで、胡散臭い笑顔を浮かべたまま、いつもの指パッチンをする。
次の瞬間には私達はギーズゴオル殿下の見慣れた宮の中にいた。
殿下は椅子に座ってテーブルの上に頬杖をついていて、その向かいの席にはメリアザンさんが畏まった風に座っていた。
2人は私とリグナスを見るとガバッと席を立つ。
私達の帰還を待ちかねていたみたい。
殿下は血相を変えてつかつかと近寄ってくると私の腕を掴んで自身の背後に隠し、リグナスを睨めつける。
メリアザンさんは自主的にリグナスの背後に回り込み、その首根っこに抱きつく。
その様子を見て初めて気がついたんだけど。
(メリアザンさんってすごい美女なのね…)
日記だと恋心の吐露のせいか、
可愛らしい印象が強かったんだけどな。
これほどの美女が礼賛していたユンライ様って一体…。
いや、今はそんな事を考えてる場合でも無いんだけど。
殿下は少し焼けただれた日記をリグナスの胸元に投げつける。
そして、
「リグナス、"約束"は破かれた。今すぐ皇宮から出て行け」
殿下がきっぱりとそう仰ると、
リグナスは殿下を見つめ返す。
なんとも不如意な表情を浮かべた後、
「破約、承諾」
そう言うと次には指を弾く音がして、
そうしてリグナスは日記と首根っこのメリアザンと一緒に消えた。
リグナスはこちらを振り向きもせず、ずいぶんとあっさり消えてしまった。この3年間、何度となく聞いたリグナスの指パッチンの音とか、この部屋の天井の高い位置でふわふわ浮いたり旋回したりしている姿とか、ちょっと名残惜しくない事もなかった。でもまぁやっぱり悪魔だし、これで良かったのかも知れないけど。
私がそんな風に軽くノスタルジックな気分に浸っていたのとは裏腹に、
「…あいつと何を話した? ていうか、どこへ行ってた? 何かされたか?」
殿下は相変わらず剣呑としている。
これは本当にかなり、かなーり心配されていたみたい。
リグナスに対して嫉妬している感もあったり?
ひょっとして。
ひょっとしてだけど、殿下って私の事、かなり大事?
こ、ここここ、恋… されてるかどうかはともかくとして、
でも絶対大事にされてるよね!?
内心の色ボケを気合いで封じ込め、私はキリッと説明をする。
連れて行かれたのはサーレンシスの城の地下の空き空間だった事。
書庫の奥にあった隠し部屋の解錠の真の条件、
グランディルの手記の真相、
悪魔限定召喚スクロールがリグナス限定召喚スクロールだった事、
ハノイヴァの魔神がリグナスの上司であった事、
ユンライ様がハノイヴァを呪った事、
隠し部屋発見からこっち3年間、
リグナスの描いた計画が実行されていたこと等々を説明する。
「特に酷い目には遭わされてません。強いて言えばユンライ様の呪いの内容を教えてもらえなかった事がかなり意地悪だったくらいで―――」
そう言うと殿下はようやく目つきと雰囲気を和らげた。
「殿下の方はメリアザンさんとどんな会話をしたんです? て言うか、会話可能でした? 殿下の為にリグナスがある"細工"をしておいたと言ってたんですが」
「ああ、その件な。―――えっとな。お前とリグナスが消えた後、あのメリアザンの靄が――――――日記を開いて俺に見ろ見ろと迫ってきたんだよ」
「見たってハノイヴァ語、読めないじゃないですか」
「―――えっとな」
なんだか殿下らしくなく歯切れが悪いような。
「―――日記のハノイヴァ語の下にレーダーゼノンの公用語で翻訳が書き加えられてた」
「え」
それがリグナスの言ってた"細工"?
そっか、リグナスは読めるし翻訳も朗読も出来るんだから、
そりゃあ翻訳文書くのもお手の物だよね。
て事は。
「翻訳を読んだ殿下はハノイヴァ滅亡の真相をすでに?」
そう訊くとコクリと肯く。
この3年、テンション上がったり下がったりしつつ、リグナスの事を疑いつつ、怪しみつつ、それでもなんだかんだと契約… 実際には約束? を継続し続けたくらいには、殿下はずっと興味を持ち続けていたんだものね。
「良かったですね!」
それで素直にお喜びを申し上げているわけだけど、
何故だか殿下はじぃっと私の顔を見つめてくる。
「……お前も内容を知りたいか?」
「……? そりゃあまぁ」
「お前、もともとたいして興味なかったじゃん? どうしても聞きたいってこたぁねぇだろ?」
「そう言われてしまうとアレですが。でもユンライ様が処刑台上から王家を呪ったとこまで聞いたばっかりですし、聞きたいです、そりゃあ」
「……後悔するぞ?」
「はい?」
「聞かなかった方が良かったなーってな。お前はきっと後悔する。いや、ガッカリか? そうだな。後悔つぅよりも、これはガッカリってヤツだな…」
「えぇ?」
殿下はふいっと遠い目をする。
「エクスノヴァ将軍が言ってたろ? ハゲがどうのとか、人としてとか」
「はあ」
「危惧はしていたが案の定、ハノイヴァの滅亡にロマンチシズムなんざ欠片も無かったよ」
「そこまで言われるとますます聞きたくなるんですけど」
「そっか」
「はい」
「じゃあ教えてやるか」
そうして殿下は話してくれた。
「ユンライって女はな。
ハノイヴァの国民の脳内に響かせながら、先ずこう宣言したんだとよ」
『王は明日の朝、枕辺に散らばる頭髪を見る事になる。
そのあまりの数の多さに驚愕し、自らの頭部を触り、
その心地良きつるつる具合を堪能するであろう。
毛根の復活は無い。
王は慌てて寝台からまろび出て鏡の前に立とうとし、
腰がギックリしてスッ転び、180度開脚して股関節を痛めるだろう。
次には足の裏の痒みに気付く。
水虫である。
十本の足指の爪は全部爪水虫になっておるだろう。
あと各種痔も追加しておくか。
中耳炎と外耳炎、蓄膿症、全歯虫歯と歯槽膿漏もいっとくか。
いずれも魔力神力医力をもってしても治癒せぬようにしておこう。
何度入浴しても消えぬ腐臭をも全身に纏うが良い。
香水なんぞ効かぬぞ?
―――呪っといてなんだが気の毒になってきたわ。クハハハハッ』
「うわ、ヒド…」
「王だけじゃねぇ」
『王子達も王と一緒で良いな。
だが振られた腹いせに私を告発したアホ王子だけは追加の呪いが必要よな?
そうだのぅ。咄嗟には思いつかぬゆえ、後日改めて追加して進ぜよう』
「勿論王妃や王女達も呪われた。そもそも神力持ちを罪人とするよう法律を変えたのも、財産家を神力持ちに仕立て上げて財産の押収を提案したのも王妃だし、王女も賛成して、奪った財産で贅沢キメてたし、そりゃあ呪われるわな」
『王妃も王と同じで良かろうの。が、王女は―――ふむ。
そなた、まだ若いしのぅ…』
「さすがに少しは温情をかける感じですか?」
「いや、ぜんぜん容赦ねぇよ。王女は牢獄のユンライ嬢に度々会いに来てたらしいんだが、よくもお兄様を振ったわねとかなんとか責め立てて、拷問係にもっと痛めつけろと要求していたらしいしな」
「ありゃあ…」
『王女にも特別サービスをくれてやろう。
王への呪いにプラスして、どれだけ運動し、健康的な食事を心がけても、
どれだけ食事制限をしても、どう頑張ってもデブる呪いを追加する。
それでいて乳も尻も貧弱という残念な体型となるがよい。
若い身空にはさぞや酷であろうがの、これが報いというものである。
あ、そのデブは遺伝するものとする。
……うむ、少々可哀想になってきたぞ、ヨヨヨ… ブッハァ』
「途中で吹き出してますけど」
「いい性格してるよな。いろいろな意味で…」
さすがの殿下も額に汗を垂らしていた。
てか、かなりドン引きしていた。