31話 壁と谷
「今日もセリスいないの?報告書だけ?」
「そのようだな。セリスは元々ダグエル殿の首席秘書官だし、他にも多くの仕事があるだろう。しかし一週間はさすがにな…」
「だよねえ」
ここ一週間ほどセリスの姿を見ていない。
その代わり彼女は日々の進捗状況を報告書にまとめ、毎朝俺の部屋に送ってくれていた。
だから現在の状況は手に取るようにわかる。
名簿に載る下民の名前が毎日増えていることも。
最初に到着した下民達がすでに生活を始めていることも。
今この瞬間も街に向かって移動している下民たちが大勢いることも。
これらが全部わかる。
だが、何か釈然としない。
何かが、気になる。
過去の報告書も見比べると、違和感がはっきりした。
「移住希望者が、どんどん減ってる?」
もう一度見比べる。
間違いなく減っている。
最初の数日はうなぎのぼりだった移住希望者。
上昇幅は緩やかになるにしろまだまだ増えると思ったのに、一週間前から横ばい。
しかもここ数日は目に見えて減っている。
それだけではない。
「名簿から削除されてる名前もあるぞ。なんでだ?」
名簿に一度掲載されたのに、わざわざ削除されている。
エメラルドは俺に聞いてくるが、そんなことは報告書に書いていない。
理由がさっぱりわからない。
でも
「何か、嫌な予感がする…」
すごく、嫌な予感が。
「奇遇だな。私もだ。すぐ、セリスのところに行くぞ」
「ああ!」
こうして俺たちは、部屋を飛び出した。
セリスの執務室は、俺の住む屋敷とは別の建屋にある。
その建屋のどこにあるかを俺たちは知らなかった。
だが、迷うことなくたどり着いた。
なぜなら
「何か言ったらどうだ?首席秘書官様は、臣民ごときに話す口はないってか!?元下民の分際でなあ!」
そんな怒号が、ある一室から聞こえてきたから。
エメラルドは剣の柄を握りしめ、扉ごと怒号の主を切り裂こうとしていた。
彼女の気持ちはわかる。
だが、それではダメなんだ。
俺はエメラルドを静止し、一人で扉に入る。
「何かあったら、私は飛び込むからな?」
「ああ。そのときは、頼むよ」
そう、言い残して。
扉を開けると、テーブルを挟んで数名の人々がいる。
片側にはセリス一人。
縮みこみながら、小さな拳を握りしめて座っている。
「どうしてここに?」と驚愕の瞳で俺を見つめながら。
もう片側には数名の男女。
俺が入った瞬間はソファから降りて膝をつこうとした。
だが俺の顔を見て安心したように座り直した。
顔を見てわかったのだろう。
俺が、魔法使いではないことに。
「な?首席秘書官とはいえ所詮は元下民。魔法使い様が出張るわけねえって言っただろ?」
さっき叫んでいた男だろう。
突き出た腹が邪魔なように、背もたれに思い切り体重をかけている。
「そうそう。魔法使い様が我々下々の話に口を挟むわけはないの。まあ、だからこんな勝手な真似をしでかしてくれたんでしょうけど、ね?」
神経質そうな女だ。
彼女が口を開くとセリスがビクッとする。
俺がいない間、どれほどこいつの口撃で傷つけられたのだろうか。
「誰だお前?見て分かる通り、俺たちは街の代表としてこの首席秘書官様に要望を伝えてんだよ。用がないならさっさと出ていきな」
ニヤニヤ笑っている男。
こうやって笑いながらセリスを罵倒したんだろうか。
反吐が出る。
「俺は彼女の同僚だよ。彼女に言いたいことあるなら、俺も呼んでくれないと困るね」
怒りを抑え、セリスの隣に座る。
真正面から三人を見据えながら。
三人とも一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに元の表情に戻る。
「同僚ねえ。それじゃあもう一度、話をしてあげましょうか?」
嘲るような顔と口調へと。
---
三人は一応、主張を持っていた。
「街から下民を勝手に移動させるな」
下民に食い扶持を与えないのに、何かあったときのために街から減らしてはいけないらしい。
下民が街で生活できるかできないかは関係ない。
臣民の万が一のために、下民が街にいなければならない。
その間に減るのは、自然減だから問題ないという。
虫酸が走る。
お前らのもしものために、下民に街で餓死しろというのか?
ああ、お前らはそう言うのだろうさ。
「せっかくの新都市候補の土地を、下民如きのために使うな」
あそこは新しい街の候補だった。
実現可能性なんてほぼなかろうと、候補は候補。
そんな場所を下民のために使うなんて犯罪に等しいらしい。
意味がわからない。
だったらこの世界のどこにも下民の街を作ることはできないとでも言うのか?
いや、きっと言うのだろうな。
「下民ごときに新しい街を与えるなんて、許せない」
この臣民達の街は建設されて月日が経ち、経年劣化も進んでいる。
大規模修繕などは下民を使って行っているが、やはり最新の街に比べれば見劣りする。
その最新の街を、よりにもよって下民ごときに与えるとは、いったい何事だ。
そう言っていた。
ふざけるな。
これが本音か。
前二つは後付の理由。
結局の所こいつらは、自分達より劣った存在である下民が、自分達より優れたものを手にすることが、許せないのだ。
だから、文句を言いに来た。
反論できないであろう、元下民のセリスを狙って。
「ここ一週間、毎日朝から晩までこうやって説明してやってるのに、この首席秘書官様はちーっとも理解してくださらなくてねえ?あんたも同僚なら少しはなんとか言ってくれないかい?」
一週間
それはセリスが俺の前から姿を消した時期と一致する。
こいつらの相手をしていたから、セリスは俺のところに来れなかった。
いや、そんなことよりも
セリスは朝から晩までこいつらの相手をしていたのに
なのに、報告書は毎日つくられていた。
移住計画は毎日進捗していた。
何故だ?
考えなくてもわかる。
セリスはこいつらがいなくなった後の時間を
夜の時間を全て、それらに費やしていたから。
だから移住計画は滞ることはなかった。
報告者も毎日届けられていた。
この三人の難癖の罵倒を聞いて、日々の職務をこなし、移住計画を進め、報告書にまとめ
朝が来たら再びこいつらの罵倒を聞く。
そんな日々を、セリスは過ごしていたのだ。
だがさすがに体力の限界が来た。
最近進捗が衰えてきたのはそのせいだ。
希望者のキャンセルも、こいつらの圧力なのだろう。
たった一人で、セリスは戦ってくれていたのだ。
抵抗してくれていたのだ。
俺に一言でも相談してくれたら良かったのに。
「なんで!?」と隣のセリスに問いかけたかった。
でも問い詰めても彼女を困らせるだけ。
だからその思いだけ込めてセリスを見つめると、彼女も視線だけで答えてくれた。
「ご心配させたく、なかったので…」
そんなふうに、いつものような控えな表情で、答えてくれたんだ。
そして、俺の怒りは爆発した。
「エメラルド!ダグエルを呼べ!」
俺の怒号が部屋に響く。
部屋の外のエメラルドに向かって、腹の底から声を出す。
それに臣民達は怯えるどころか笑い出した。
「お前、代官様を呼び捨てにしたな!?」
「不敬罪だ不敬罪!市民様どころか貴族様への不敬罪なんて、一族郎党死罪だぞ!」
「強がりもそこまでいけばたいしたものねえ?三人も証人がいるのだから、逃げることができるなんて思わないことねえ?」
立ち上がって勝利宣言
勝ち誇った顔
高笑い
しかし次の瞬間、それらは反転する。
土下座して額を床に擦り付ける
見えなくてもわかる、絶望の表情
一言も発さず、ひたすら絶句
理由は簡単だ。
「不肖ダグエル・ダリントン、お召しにより参上仕りました。殿下」
俺に跪く代官の姿を見て、やつらは理解したから。
自分たちがさっきまで話しをしていた者が何者かを、理解したのだ。
そして自分たちの運命も、悟ったのだ。
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「あれでいいのか?」
エメラルドの問いに、俺は黙って首を縦に振る。
「そうか。ソラがいいなら、私は何も言わないよ」
あの三人の罪は不敬罪。
貴族に対する不敬罪は、やつら自身が言ったように一族郎党全員死刑。
ましてやそれが皇帝の兄に対するものならば、大逆罪として街ごと罪を被ることすらあり得る。
だがそれはやめさせた。
あの三人への刑罰は臣民の名簿からの名前の削除。
つまりは下民にし、そして下民の街へと移住させた。
臣民と下民は生まれてから死ぬまで、一生をその階級で過ごす。
セリスのような例外は、本当に稀なのだ。
だがその流動性を高めたら?
「自分もいつか下民になるかも?」という思いが臣民にあれば?
どうなるか、試してみる。
もしかしたらこれはあの三人にとって死よりもつらい刑罰かもしれないが
「やつらはそれだけのことをした。だから、因果応報だ」
セリスはエメラルドの回復魔法で治療を受け、体力は回復した。
ただまだ心配だからと、当分は休ませることにした。
ベッドで気持ちよさそうに寝るセリスを見て、彼女の母親は「ありがとうございました」と涙を流して感謝をしてくれた。
俺のことをただの同僚だと思ったのだろう。
俺の手を取り、何度も何度も頭を下げてくれた。
あれが母親の温かさかと、握られた手を見つめる。
俺には、縁のなかったものだ。
セリスの本当の同僚たち。
そのうち何名かは彼女が毎日臣民達に詰められているのを知っていた。
なのにそれをダグエルに報告することもなかった。
市民の秘書官は言う。
「私には関係ないことですから」と。
だから、放置した。
臣民の秘書官は言う。
「あいつだけダグエル様に贔屓されていから」と。
だから、あえて隠した。
放置も隠すことも罪だと、知っていた者達には等しく罰を与えた。
ダグエルには今後セリスに対して注意を払うよう厳重に注意した。
ダグエル自身も深く反省すると同時に、ショックを受けていた。
自分の部下達の中でそんなことが起きていたなど、想像もしていなかったようだ。
性善説の信望者だから、ではない。
市民達が無視したことは理解できても、臣民達の考えは本気で理解できていなかったのだ。
「同じ臣民なのに、何故仲違いを?」と。
臣民の、元下民の臣民への嫉妬が、彼には理解できていなかったのだ。
天空から見下ろせば、人なんてどれも豆粒だろう。
だがその豆粒のような人々も、実際は誰一人同じ者はいない。
一人ひとりがそれぞれの考えを、意志を持っている。
それが臣民だろうと、下民だろうと、皆持っているのだ。
それがダグエルにはわからなかったのだろう。
臣民も下民も、彼には等しく「魔法使いでない者達」なのだから。
ノヴァ風に言えば、「等しく価値がない者達」なのだから。
魔法使いと臣民下民の間にそびえる壁は、天を貫くほどに高い。
壁の向こうは手も声も届かず、見ることすらかなわない。
同じ大地に立っているのかすらわからない、別世界の住人たち。
彼らは壁の存在なんて気にもせず、空の上から俺たちを見下ろしているのかもしれない。
臣民と下民の間を切り裂く谷は、底が見えないほどに深い。
お互い見ることもできるし、声も届く。
同じ大地に立ち、同じ世界に住む者同士なことは明白だ。
だが、その手は届かない。
呼びかけても、その声は谷に吸い込まれるかのように届きはしない。
最も近く、最も遠い、隣人達。
考えれば考えるほど絶望的な現状だ。
それでも
「最初の一歩は踏み出した。だったらあとは、突き進んでやる」
諦めて、たまるもんか。
体調がよくなく、本日更新できるかわからないため更新いたします。
熱があって寝付けず、そのまま書いてしまいました。
重い内容で申し訳ありません。
次回は少し緩くなります。
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