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完璧な悪女が、ひとりだけ騙せない  作者: 宵待 桜


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終章 これから


あの頃の私は、この人が怖かった。


冷たい目。表情のない顔。


何を考えているのかわからない漆黒の髪の婚約者。


原作でアリスを殺した人間。


それが、この人への最初の認識だった。


なぜ殺したのか、わからなかった。


わからないまま、怖かった。


でも今は、わかる。



✦ ✦ ✦



ルシアンが、また来た。


今度は手紙があった。


『明後日、伺ってもよいですか』と書いてあり短い文章だった。


でも前回より、少し長かった。


返事を書くときに『どうぞ』とだけ書いて、少し考えて『お待ちしています』と書き直した。


ヴィヴィアンに渡すとき何も言われなかったけれど受け取る手が少し丁寧だった気がした。



✦ ✦ ✦



ルシアンが来た日は、よく晴れていた。


だから応接室ではなく庭に出た。


ルシアンが「外でもいいですか」と珍しく聞いたからでもある。


そういうことを聞く人だと思っていなかった。


「……公爵は、庭が好きなのですか」


「嫌いではない」


「そうですか」


「部屋より、話しやすい気がして」


それだけ言ってルシアンは少し視線を外した。


言いすぎた、と思っているのかもしれない。


「……私も、そう思います」


「そうですか」


「はい」


庭の木が、風に揺れた。


しばらく並んで歩いた。


どこへ向かうでもなく、ただ歩いた。


「……言葉を、少し考えました」


ルシアンが、唐突に言った。


「言葉」


「先日の理由が変わった、と言ったことの」


胸の奥が、静かに動いた。


「……聞いてもいいですか」


「まだ、うまくないですが」


「うまくなくていいです」


風が吹き、木の葉がまた揺れた。


「……傍にいたいと思っています。守るためではなく。ただ傍にいたい」


とても優しい言葉だった。


この人にとって、この言葉を口にするのがどれだけのことか。


私は少し、前を向いたまま言った。


「……私も」


「はい」


「傍に、いてほしいと思っています」


「……」


「言葉にするのが慣れていないのは、私も同じなので」


ルシアンは少し黙って、それから小さく息を吐いた。


困っているような。


でも違った。


肩が少し下がっていた。


今まで見たことがなかった。


あの、何でも一人で抱えてきた人の肩が少し軽くなったような。


「……ありがとうございます」


「お礼はまだ早いです」


ルシアンが、少し私を見た。


「まだ?」


「これからのことは、まだわからないので」


「……そうですね」


「でも」


私は少し、前を向いたまま続けた。


「わからなくてもいい気がしています」


「なぜ」


「隣にいる人が、わかっているので」


庭が静かになり、風がまた吹いた。


ルシアンは何も言わなかった。


でも隣にいるだけで十分だった。



✦ ✦ ✦



その夜、部屋の窓から空を見た。


綺麗な星が出ていた。


あの頃の私は、この先が怖かった。


原作通りに死ぬことが怖かった。


この力が怖くて、この婚約者が怖かった。


でも今は怖いより先に別のものがある。


まだ言葉にできない部分もある。


でもルシアンも、まだ途中だと言っていた。


だから、同じだ。


二人とも、まだ途中だ。


それでいい。


目を閉じた。


悪女アリス・シャルムはもうひとりではなかった。


そしてこれは、終わりではなかった。


これから、始まる


アリスとルシアンの関係が未来が。


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