第二十九章 終わらせる者
アダムが動いてから、三日が経った。
星詠みの会に連なる貴族たちが次々と王命によって召喚された。
組織の資金源が断たれて学院への出入りが禁じられた。
それでもリュセルヌは動じなかった。
ルシアンはそれを予想していた。
あの男は最後まで自分の足で立つだろうと思っていた。
だから連絡が来るのを待っていた。
予想通り連絡が来たのは夕暮れ時だった。
「シルヴェスト公爵と、話がしたい」
使いの者が、そう伝えた。
場所は学院近くの古い教会だった。
✦ ✦ ✦
教会の中は薄暗かった。
ステンドグラスから沈みかけた光が差し込んでいた。
長椅子が並んで誰もいない。
ただ、祭壇の前にリュセルヌが立っていた。
いつもの穏やかな笑顔だった。
追い詰められているはずなのに少しも揺らいでいなかった。
「来てくれましたね」
「…用があると聞いた」
ルシアンは距離を詰めすぎず、でも声が届く場所まで歩いた。
「随分と上手く動かれた。王命まで動かすとは」
「……用件を言え」
「アリス・シャルム嬢のことです」
「彼女がなんだ?」
「あなたは彼女を守ろうとしている。でも本当に守れると思いますか」
「思っている」
「星詠みの会がなくなっても声織りの存在は消えない。次の組織が現れる。次の誰かが狙う。あなたが一人で、いつまで防げますか」
「……その度に、防ぐ」
「一生、ですか」
「ああ」
リュセルヌは目を細めた。
「あなたは、彼女を愛しているのですか」
教会の中での時間が静かに進んでいく
ルシアンは答えなかった。
「答えなくていい。顔を見ればわかります」
リュセルヌが、一歩近づいた。
「愛しているから弱い。それがあなたの限界だ」
「……」
「愛していなければ、もっと合理的に動けた。でもあなたはそれをしなかった。できなかった。それは愛ではなく執着です。判断を歪める、ただの執着だ」
「……そうかもしれない」
「そうかもしれない、と言えるのですか」
「執着でも、あの人を手放す理由にはならない」
「でも、あなたは知っていますか。声織りの力は、制御を学べば学ぶほど、使い手の感情と深く結びつく。喜びも、悲しみも、怒りも、全部が力になる。正しく管理されなければ」
「管理などしない」
「……なぜ」
「あの人の力は、あの人のものだからだ」
リュセルヌは少し、目を細めた。
「美しい言葉ですね。でも、愛する者がいれば失う恐怖も生まれる。その恐怖が昂ったとき、力は溢れる。制御できなくなる」
ルシアンは黙って聞いていた。
「あなたが愛するほど、あの力はあなたを壊す。それでも傍にいると言えますか」
それは静かな問いで、答えられない部分を正確に突いていた。
ルシアンは少し、間を置いた。
「……言える」
「なぜ」
「あの人が制御を学んでいるからだ」
「完璧にはならない」
「完璧でなくていい」
「溢れたとき、あなたは傷つく」
「それでも、傍にいる」
リュセルヌは少しの間、ルシアンを見た。
「……執着ですね」
「そうかもしれない」
「判断が歪んでいる」
「歪んでいるかもしれない」
「それでも守るのですか」
「それでも、私が守る」
ルシアンの決意は揺るがなかった。
「あなたに、聞きたいことがある」
「……何ですか、公爵」
「あなたは声織りを守りたいと言った。でも、あの人があなたの傍で苦しんでいたとして、それでも守ると言えるか」
「………」
「あなたは声織りという力を守りたいのであって、あの人を守りたいわけではない。それが私との違いだ」
「……違います」
リュセルヌが、静かに言った。
「私は、声織りを守りたかった。その気持ちは本物です。あなたに何と言われようと、それは変わらない」
「……ああ」
「今回は退く。でも声織りを狙う者は、また現れる。私でなくても別の誰かが。あなたが一生守ると言うなら、その一生を証明してみせてください」
挑発ではなく、本気の言葉だった。
「……証明する」
ルシアンは言った。
「あなたに見せるためではない。あの人のために」
リュセルヌはルシアンを見た。
それから初めて、笑顔が消えた。
笑顔でも冷たい目でもない。
ただの疲れた顔だった。
「……あなたのせいで、あの方は変わった。それだけは、本当のことです」
リュセルヌは振り返って、歩き出した。
祭壇の横の扉へ向かって。
「声織りを守るという目的は正しかった。方法が間違っていたとしても、それだけは譲りません」
扉に手をかけた。
「次に現れる者が私より賢ければ、あなたでも止められないかもしれない。覚えておいてください」
それだけ言って、出ていった。
扉が、静かに閉まった。
✦ ✦ ✦
教会に、ルシアンだけが残った。
ステンドグラスの光が床に落ちていた。
赤と青と、金色の光が。
やっと終わったと思った。
でもリュセルヌの言葉が頭の中に残っていた。
『あなたが愛するほど、あの力はあなたを壊す』
そうかもしれないとルシアンは思った。
でもそれでも、傍にいる。
その答えは、もう変わらなかった。
そして、もう一つ残っている。
彼女との約束がまだある
ルシアンは踵を返して歩き出した。




