第二十五章 同じ屋根の下
シルヴェスト公爵邸に移ったのは翌日のことだった。
ヴィヴィアンだけを連れてきた。
最低限の荷物を持って、まるで何事もないように静かに屋敷を出た。
「お嬢様」
馬車の中で、ヴィヴィアンが言った。
「……何」
「怖くはないですか」
「……少しは」
「そうですか」
「ヴィヴィアンは?」
「私は」
ヴィヴィアンは少し間を置いた。
「怖くはないです。お嬢様の傍にいますので」
それだけだった。
でもその一言が、胸の奥に静かに落ちた。
✦ ✦ ✦
公爵邸の客室は広くて静かだった。
シャルム家の屋敷とは違う静けさがある。
重くて、落ち着いた空気。
この屋敷の主の気配がどこかに漂っているような。
荷物を解いて、ヴィヴィアンが部屋を整えてくれた。
「しばらく、ここにいることになるわね」
「はい」
「……不便をかけるわ」
「お気になさらず」
ヴィヴィアンは短く答えて、手を動かし続けた。
この人はいつも、そうだ。
余計なことを言わない。ただ、そこにいる。
✦ ✦ ✦
夕食は、三人だった。
ルシアンとテオと、私。
広い食卓に三人というのは、少し間が抜けた感じがした。
でも誰もそれを言わなかった。
テオが他愛のない話をしてくれて、ルシアンは聞いているのかいないのか表情を変えずに食事をしていた。
私はその様子を横目で見ながら少しずつ食べた。
「シャルム嬢は、好き嫌いはありますか」
「……特にないです」
「よかった。料理長が張り切っていたので」
「料理長が?」
「シルヴェスト邸に女性のお客様が来るのが珍しくて」
ルシアンが少しテオを見た。
何も言わなかったが目が「余計なことを言うな」と言っているような感じだったがテオは気づかないふりをした。
私は少し口の端が上がりそうになったが、なんとか堪えた。
「……とても、おいしいです」
「それは何よりです」
テオはにこりと笑い、ルシアンはまた視線を皿に戻した。
✦ ✦ ✦
夜、部屋に戻って、窓の外を見た。
シャルム家の屋敷とは、見える景色が違う。
木の形が違う。空の角度が違う。
同じルナールなのに少しだけ違う場所に来た気がした。
ここに、しばらくいる。
ルシアンと、同じ屋根の下に。
「……変な感じ」
思わず、声に出た。
誰もいない部屋に、独り言が落ちた。
変な感じ、というのは怖いではない。
かといって安心でもない。
ただ慣れない感じ。
すると、ノックが二度した。
「……はい」
扉が少し開いた。
入って来たのはヴィヴィアンだった。
「お嬢様、何かご入用なものはございますか」
「ないわ。ありがとう」
「……では、おやすみなさいませ」
「おやすみ」
扉が閉まった。
また、静かになった。
ベッドに腰を下ろして、天井を見た。
シルヴェスト公爵邸の天井は白い漆喰に細い装飾が走っている。
シャルム家と少し似ていた。
似ているようで、違う。
星詠みの会との決着は、ここにいる間に終わるのだろうか。
そしてルシアンが、全部話すと言った約束が果たされるのだろうか。
そんな不安を胸に仕舞いながら目を閉じると、遠くで風の音がした。
✦ ✦ ✦
翌朝、廊下でルシアンと鉢合わせた。
朝の早い時間だった。
向こうも驚いた様子だった。
いや、驚いたかどうかはわからない。
表情は動かなかった。
ただ、少し立ち止まった。
「……おはようございます」
私は言った。
「おはようございます」
ルシアンも、言った。
それだけだった。
朝の廊下で挨拶をした、ただそれだけのことが何か新しい気がした。
ルシアンが先に歩き出したので、私は少し遅れて反対の方向へ歩いた。
廊下の窓から朝の光が差し込んでいて、何かが静かに始まったと思った。




