第二十三章 選択
リュセルヌから手紙が来た。
差出人の名前はなかったけれど筆跡でわかった。
あの穏やかな笑顔の、あの人の字だと。
——お返事を、待っています。時間がありません。
それだけだった。
私は手紙を折りたたんで机の上に置いて目線を窓の外へ向けた。
窓の外に広がるルナールの空が曇っていた。
✦ ✦ ✦
翌日、学院への道すがらヴィヴィアンが口を開いた。
「お嬢様」
「何」
「最近、お手紙が届いているようですが」
さすがだと思った。
何も言っていないのに、気づいている。
「……ええ」
「差出人は」
「知り合いよ」
ヴィヴィアンは少し黙った。
「……シルヴェスト公爵には、お話しになりましたか」
「まだ」
「お話しになった方がいいかと存じます」
まさかヴィヴィアンの方から公爵の名前を出すのは珍しかった
「……なぜ」
「お嬢様がひとりで抱えていらっしゃるのが、見えるので」
私は少し、ヴィヴィアンを見た。
あの目だ。諦めていない正直な目。
「……考えておくわ」
✦ ✦ ✦
その日の放課後だった。
学院の廊下を歩いていると前方から人が来た。
リュセルヌだった。
今日は穏やかな笑顔ではなかった。
真剣な、少し急いているような顔だった。
「シャルム嬢」
「……はい」
「時間がありません。今すぐ、お返事をいただけますか」
廊下の真ん中で人の目がある。
でもリュセルヌは構わない様子だった。
「星詠みの会に来ていただけますか。あなたを守れるのは私たちだけです」
穏やかだった声が、今日は少し切迫していた。
私は彼を見た。
最初から、あの棘がずっとある。
でも、この人の言葉が嘘だとも言い切れない。
本当に守りたいと思っているかもしれない。
でも父が言っていた。
星詠みの会は私を利用しようとしていると。
ルシアンが言っていた。
気をつけてくださいと。
でもルシアンは理由を教えてくれない。
すべて終わったら、と言うだけだ。
「……少し、待ってください」
「しかし、時間が」
「少しだけ」
リュセルヌは私を見た。
それから小さく頷いた。
「……わかりました。でも、今日中に」
そう言って行ってしまった。
私は廊下に立ったまま、息を整えた。
今日中に、答えを出さなければならない。
✦ ✦ ✦
中庭に向かうとルシアンがいた。
たまたまではなく、今日は意図的に来ていた気がした。
私が来ることをわかっていたような。
「アリス嬢」
「……来ると、わかっていたのですか」
ルシアンは少し間を置いた。
「ヴィヴィアンさんから」
さすがはヴィヴィアン
あなたの観察力は侮れない。
「……公爵」
「はい」
「リュセルヌから返事を求められています。今日中にと」
ルシアンの表情は動かなかった。
でも目が、少し鋭くなった。
「……そうですか」
「どうすればいいですか」
言ってから、気づいた。
この人に聞くのは初めてだ。
いつも自分で考えて自分で動いてきた。
でも今日は聞いていた。
ルシアンは少しの間、私を見た。
「断ってください」
「理由は」
「今は言えません」
「……またですか」
「でも」
ルシアンが、続けた。
「信じてもらえますか」
静かな声だったがいつもの壁とは少し違った。
壁の向こうから真剣に問いかけているような声だった。
私はルシアンを見た。
端正な顔。冷たい目。
でもその目が今この瞬間、少しだけ違った。
何かを、懸けているような目だった。
「……約束は、覚えていますか」
「覚えています」
「すべて終わったら、全部話すと」
「はい」
「それは、本当ですか」
「本当です」
迷いはなかった。
私は少しの間、ルシアンを見た。
この人が嘘をついているかどうかわからないけれど、リュセルヌへの棘がまだある。
幼い頃からずっと知っていたと言ったのはルシアンだ。
頭を下げてオズワルドに頼んだのもルシアンだ。
盾になったのもルシアンだ。
「……わかりました」
私は言った。
「断ります」
ルシアンは何も言わなかった。
でも表情が、ほんの少しだけ変わった気がした。
ほっとしたというより、何かを堪えているような。
「ありがとうございます」
「……お礼を言われることじゃないです」
「いいえ」
ルシアンは静かに言った。
「あなたが信じてくれたことに、礼を言っています」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
「……公爵」
「はい」
「早く、終わらせてください」
「……はい」
「全部聞かせてもらいます。約束ですから」
ルシアンは少しの間、私を見た。
それからほんのわずかに、口の端が動いた。
笑顔ではない。
でも笑顔の手前、くらいの何かだった。
「……はい。必ず」
風が、中庭を通り抜けた。
選んだ、と思った。
理由は、まだうまく言葉にできないけど。




