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八話 神絵師降臨

前回のあらすじ・サイゼル子爵の召喚獣と、リヴィアは死力を尽くして戦う。


 短剣を握りしめ、奥歯を噛みしめたわたしの視界いっぱいに、ケルベロスの赤い口内が迫り――……


「ありがとう。間に合ったわ」


 涼やかな声が、辺りに響いた。


「来たれ『冥府の番犬』、ケルベロス召喚」


 カッと辺りに光が満ちた。

 次の瞬間、わたしの目前に迫っていたケルベロスが、横っ飛びに吹っ飛んでいった。


「……え?」


 さっき見えたのは、幾重にも重なる光輪。サイゼル子爵が歪んだケルベロスを召喚したときと、とてもよく似た――

 ぐちゃり、と、何かを踏み潰すような、噛み砕くような音がした。

 目をやれば、そこには前足を失った歪んだケルベロスを踏みつけ、押さえつけるもう一頭の――


「あれはっ! 蒼花先生の神絵!?」


 両者を、同じケルベロスという言葉で表すのは冒涜かもしれない。

 後から現れた美麗な三つ首のイヌ科の魔獣からは、神々しさすら感じる。


 人外を得意とする蒼花先生の神絵を、三次元化したらまさに……という拝み倒したいオタク心理と、死の淵から救われたパニックとで、何が何やら分からない。


「そんな……まさか、まさか……ケルベロスは幻獣だ! この世には存在しない、召喚術でしか呼び出せない特別な獣だ!」


 混乱しているのは、サイゼル子爵も同様だった。

 その間にも、歪んだケルベロスの喉笛を噛み切った美しい獣――三つ首のシェパードっぽい――は、血の付いた口元をペロリと舐めると、優雅に歩んだ。

 柔らかにしっぽを振り、その身をスルリと擦り付けるのは……ルミカーラ・フォルゲンシュタイン公爵令嬢。

 中の人は、前世の神絵師、アラフォー蒼花先生である。


「召喚術の実演、大義でしたわ。サイゼル子爵。今まで色々な文献を漁っても最後まで不明だった模様(タングル)部分が読み解けて、すっきりしました」


「なっ、なっ、なっ、な……」


「わたくしの所属ゼミをご存じ? 古代魔法陣の研究が専攻ですのよ」


「馬鹿な! 召喚用魔法陣は、幾重にも重なる真円の芸術。道具も何もないこの場で、初見の魔法陣を再現出来るはずが……!」


「あら? フリーで真円を描くのなんて、絵師の基礎の基礎でしてよ?」


 顔色を青くしたり赤くしたりするサイゼル子爵に、ルミカーラ様はフフフと微笑む。


 ――蒼花先生は、アラフォー神絵師。

 デジタル処理はおろか、スクリーントーンすらほとんどなかった時代に絵を描き始めた世代だ。コンパスなしでの真円、フラッシュや点描すらもお手の物。絵の基礎は、好きな絵師の作品――蒼花先生の場合は紅花先生の神絵――を完璧にトレースすること……と、以前におっしゃっていた。


「サイゼル子爵――いえ、以前は学園の古代魔法陣の講師でしたそうね、サイゼル教諭。召喚用魔法陣の研究に行き詰まり、秘術として召喚用魔法陣を伝える隣国に魂を売ったのでしょうけれど……基本的なことを勘違いしておられるようですわね」


「勘違いだと?」


「召喚魔法とは、この世界とは別の次元に存在するエネルギー体に、魔力で造った仮初めの肉体を与え、顕現させること。エネルギー体である彼らに、実体、つまり形はないのですわ。召喚用魔法陣の中心に描かれる召喚獣の絵は、文字の読めない獣に呼びかけるための名札代わりなどではなく、この世界で受肉する体を形作るための設計図でしてよ。抽象画より細密画、画伯の落書きより職業絵師のスケッチのほうが正確な召喚獣を呼び出せるのは自明の理」


 ……そっかぁ。子爵、画伯系だったか。

 こっちの人たちには多分通じないけど、前世日本人の記憶があるわたしには、『画伯』で充分理解出来る。なんていうか、写実的な絵がとことん苦手な人たちのことだよね。


 「おそらく、召喚用魔法陣の基本形のみを入手し、中央の召喚獣の絵は、古代魔法の文献を参考に子爵が描かれたのでしょうけれど……ふふっ、ケルベロスの後ろ足の関節の向きが逆でしてよ? 左右の前足の長さも違ったようですし……あれでは、召喚されたかたが可哀相というものですわ」


 公衆の面前で落とされて、子爵の顔が紅潮する。

 まぁ、長年研究してきた魔法陣の失敗原因が、自分の絵心のなさとは思うまい。


 子爵は懐から、もう一枚の魔法陣のスクロールを取り出した。


「出でよ『八本脚馬スレイプニル』、幻獣召喚!」


 次の瞬間、蒼花先生のスケッチブックを掲げたゼミのクマ先生が静かな声で告げた。


「現れよ神の騎獣、スレイプニル召喚!」


 二重の光が重なり、その光が収束した後に現れたのは。

 八本の触手を持つ――タコ? ウミウシ? いや歪んだ八本脚の馬……なんだろうなぁ、きっと。真剣に描いたんだろうし、真面目に召喚したんだろうけど……すぐ後から現れた、蒼花先生の神絵を元にした神々しい八本脚馬(スレイプニル)との対比が酷い。


「なっ、なぜ瞬時に同じ幻獣を召喚することがっ」


 狼狽える子爵に、もっさりとしたクマ先生がボソリと答える。


「ルミカーラ君が今まで描きためてあった全ての絵に、召喚用魔法陣を書き足しただけだ」


 つまり、クマ先生も蒼花先生と同じく、あの魔法陣展開の一瞬で召喚用魔法陣を完コピ出来ていたと。そして、蒼花先生=ルミカーラ様が子爵の気を引いている間、黙々と召喚用魔法陣を書き足していたと。


 普通に考えたら、召喚用魔法陣の中心に召喚したい幻獣の絵を描く。

 ところが発想の転換というか、蒼花先生とクマ先生は、蒼花先生が以前から持ち歩き、ことあるごとに神絵を描きためていたスケッチブックの人外のイラストを囲むように魔法陣を描いたのだ。


 この場で咄嗟に描いたとしたら物凄い出来の絵だと思ったけれど、蒼花先生が暇に飽かせて完成度を高めたイラストを元にしているなら、この幻獣たちの神々しさも納得だ。

 まさに神絵の具現化。


「というか、なぜよりにもよって三つ首の犬とか八本脚の馬とか、初心者には難易度の高い幻獣を選択するんですの? 現存の生き物と大きく骨格の異なる生き物を描くのはプロの絵師をしても試行錯誤の連続ですのに。ユニコーンやケットシー辺りならまだ……多少は可能性もなくも……ないような」 


 頭が痛い、といった風情で眉間に整った指先を当てたルミカーラ様の横で、クマ先生も頷いている。


「現実には存在しない獣だからこそ、はっきりと召喚獣だと分かるのではないか。これだから、浪漫を理解しない小娘は」


 立場を理解しない子爵の言葉に、微笑みを浮かべたままのルミカーラ様の周囲の気温が下がった。


「浪漫ですって? そんなもので呼び出される召喚獣こそいい迷惑ですわ。第一、貴方は召喚獣を描くときに、骨格や筋肉の仕組みを意識していて?」


「筋肉?」


 何を言われたのか分からない、といったふうに、子爵は眉を寄せた。多分、子爵は絵に関して専門に学んだことはない――というより、この世界に美術学校的なものはなかった気がする。今いる学園にも、芸術系の選択授業は皆無だったし。


「現実にはいない生き物だからこそ、骨格の仕組みをデザインし、それに筋肉をまとわせ、皮を被せ、実際に動いたらどのように動くのか、可動範囲に無理はないか、肉体はどのようにしなり、どのくらいの力を生み出すのか――その存在を最も美しく魅せる攻撃方法は? 光の向きは? 風の流れは? 魔法の演出は? 絵というものはひとつの世界。ひとつの創造。腹にひとつの信念もない者が、浪漫や何やとかいうふわふわとしたもので、軽々しく召喚獣を語るんじゃないっ!」


 キリリと吊り上がった目は、まさしく『レイつま』のルミカーラ様に相応しい凜々しさで。

 わたしは思わず見とれたけれど、子爵は逆上した。


「ええい、訳の分からぬことを、偉そうに小娘が! やれ、ケルベロス、スレイプニル!」


 そうは言われても、子爵が召喚したケルベロスは、ルミカーラ様のケルベロスに吹っ飛ばされ、噛み千切られても最早消滅しそうな虫の息だ。

 うぞうぞと動き出した触手ウミウシ――いやスレイプニルに、ルミカーラ様が哀れみの目を向ける。


「いにしえの契約に縛られ、召喚主に逆らうことは出来ませんものね……次に現世にいらっしゃる折りには、是非ともわたくしの陣にいらしてくださいな。歓迎致しますわ」


 その言葉が終わった瞬間。

 スパコーーン、とルミカーラ様のスレイプニルが触手ウミウシを蹴り飛ばした。

 壁に叩き付けられた触手ウミウシを、一方的にスレイプニルが八本の脚でぐしゃぐしゃに踏みつける。

 圧倒的――というより、むしろ踏んでいる方のスレイプニルの目にも哀れみがある気さえする。


「なっ、な、な、な、な」


 隣国に魂を売ってまで手に入れた召喚用魔法陣、その召喚獣達のあまりに呆気ないやられっぷりに、子爵の理解力は限界に達したのだろう。

 頭を掻きむしり、幾つものスクロールをばらまいた。


「暁の太陽よ、我に誉れを! 有翼馬(ペガサス)有翼獅子(グリフォン)合体獣(キマイラ)二頭犬(オルトロス)前人後馬(ケンタウロス)一つ目巨人(サイクロプス)有翼女怪(ハーピー)召喚!」


 幾つもの光が重なり、ルミカーラ様の怒りの声が響いた。


「だから! なんでよりによってそのチョイスですのぉぉぉっ!」


 結論からいって、まるで勝負にならなかった。


 憤るルミカーラ様に代わって、クマ先生が小型の龍を召喚したのだ。

 ドラゴンタイプではなく、いわゆる七つの玉を集めると顕現して願いを叶えてくれる神龍タイプの龍で、尻尾まで合わせても二メートルくらいの、白銀で細身の龍だった。

 その強さは圧倒的で、あるものは爪で引き裂き、あるものは吐息で凍らせて、あっという間に召喚獣達を制圧していく。


 その後クマ先生の肩にとまり、長身に長いしっぽを絡めるようにしている姿は、まるで一幅の絵のようであった。まあ、クマ先生はもっさりだけど。

 『レイつま』原作よりもはるかに圧倒的な展開。


「そんな、そんな、あり得ないあり得ないあり得ない! 貴族の矜持を、国を、娘を売って手に入れた力だ! こんな……こんな失態が……あの男に知られたら……神獣が喚べない……神獣の血がなければ、クレアは……」


 心を折られ、ガクリと膝をついた子爵を、遠巻きにしていた騎士が慌てて駆けつけ拘束した。


 よかった、母さんは助け出されたし、王太子殿下も死んでいない。

 これでめでたしめでたし……

 って、ちょっと待って。

 さっき、この男、なんて言った?


『あの男に知られたら、神獣が喚べない』? 『神獣の血がなければ、クレアは』?

――まさか。まさか、まさか、まさか。

 わたしは力なく項垂れるサイゼル子爵へと駆け寄ると、両肩をつかみ揺さぶった。


「アンタが、アンタが母さんに毒を盛っていたんじゃないの!? アンタから取り戻したら、母さんは助かるんでしょ!? ねえ!」


 わたしが初めて会ったときより、ずいぶんと顔色が悪くなり、頬の痩けた子爵は、生ゴミでも見るようにわたしを見た。


「いったい誰にそんな嘘を吹き込まれたんだ? クレアは、魔力枯渇症だと診断されただろう? クレアを診察したのは、医学院の御典医だ、間違いはない。これまで私の術で何とか命をつないできたが……私の側を離れ、神獣の血も飲ませられなければ、もう、三日と保たないだろう」


「……うそ。うそ、うそ、うそ……」


「嘘なものか。さっきも言っただろう? お前は、実の母の命より自分の保身をとるのかと。……はは、私は何のために、自国とクレアの娘であるお前を売ったのか……」


 力なく笑う子爵の顔に、目が覚めない母さんの顔が重なって見える。

 人工心肺も胃瘻もないこの世界で、意識がない母さんが半年以上も生きていられたのは、この男が命を削って生かしていたからなのか。


 わたしは、わたしは……

 呆然と見開いた目から、ボタボタと涙があふれ始める。

 

「母……さ、ん……」


 子爵の肩をつかんでいた手が、パタリと落ちた。

 にじんだ視界の中で、顔色の悪い子爵が、目を見開き――……


 わたしは突き飛ばされて、地面に転がった。


「はははっ、さすがはこの国での僕の師だね! その状態で、僕の魔法の発動に気づくなんて。『僕に知られたら、クレアは助からない』? 残念、とっくに知ってるよ。むしろ最初から見物させてもらってたんだ。だって僕、リヴィアの先生だしね」


 振り返った先、倒れた子爵の背中が、黒く焦げていた。


 子爵に攻撃魔法からかばわれたんだと理解したのは、数秒後。

 魔法の残滓と楽しげな声をたどり――渇いた目で見つめた先にいたのは。


「やあリヴィア。ずいぶんと面白い茶番だったね。治癒魔法の反転だなんて、さっすが僕の弟子。実に興味深いなぁ!」


 講堂を見下ろす階段に座り、足を組んで、片手にお菓子、片手に論文。白衣をなびかせ楽しそうに笑う、わたしの担当教師、ルヴァン先生だった。


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