四話 悪役令嬢はもっさり絵師にジョブチェンジしました?
前回のあらすじ・『レイつま』主人公のルミカーラを探していたリヴィアは、その中の人が前世の最推し神絵師だと気づく。
「そう、貴女も転生してきたのね……」
もっさりとしたレンガ色の髪を押さえながら、ルミカーラ嬢はゆったりとした動きで冷茶を口に運んだ。
ここは、フォルゲンシュタイン公爵家のタウンハウス。もう一度言う。フォルゲンシュタイン公爵家の王都邸である。庶民のわたしが、公爵邸にお呼ばれ。
ルミカーラ嬢にガシリと手を掴まれて馬車に押し込められ、気付いたら公爵邸のルミカーラ嬢の私室でお茶をしていた。
子爵家の養女に過ぎないわたしは使用人からも白い目で見られる――かと思いきや、ルミカーラ嬢が友人を連れて来たことは未だかつてなかったそうで、侍女長を始め皆さんから暖かく迎え入れられた。
「あの世界の記憶があるのはわたくしだけかと思っていたから、正直嬉しいわ」
ニコリと微笑むルミカーラ嬢の中の人、橘蒼花先生は、前世におけるわたしの最推し神絵師、この世界『レイつま』を描かれたご当人である。
世界的にも大ヒットを飛ばしたとある小説のコミックアンソロジー、つまり二次創作で名をはせ、一部コアなファンからは神と崇められた。
もちろん、わたしもそのファンの一人である。
なにせ、その小説の黎明期、前世のわたしが産まれる前の、コミカライズなんて言葉がなかった時代から、ほとんど一巻にしか登場しないあのキャラのサイドストーリーを、あの完成度で描ききった神。開拓者。あの作品の作者様を創造神とするなら、新たな分野を切り開いた地母神と言っても過言ではない。
わたしが死ぬ頃には、原作者様、原作イラストレーター様公認となっていた。
その後、絵の美麗さ故、漫画家ではなくゲームイラスト等を手がける神絵師となっていかれたが、わたしの中での蒼花先生はアンソロ作家のイメージが強い。
なぜそんな自分が生まれる前の非商業漫画をわたしが知ったかといえば、施設で育ったわたしの数少ない私物の中に、その『薄い本』が何冊もあったからだ。施設に預ける子どもの荷物にアンソロ本を仕込むあたり、わたしの産みの母という人は相当なオタクだったらしい。血は争えない。
わたしが学生になった頃には、その『薄い本』はプレミアが付いて大変な価格となっていたが、売るなんてとんでもない。部屋に神棚をしつらえて日夜拝んでいた。読むときは白手袋である。
「ねぇ、前世の記憶があって、私がアンソロ作家だと知っているのなら、当然、原作の方も読んでいるってことよね?」
「もちろんですっ、といっても、わたしの記憶にあるのは二十五巻までで、まだ完結していなくて……それが心残りで心残りで」
「まぁ、それなら私とほとんど同時期に亡くなったのね。それなら……これを見て欲しいのだけれど」
そう言ってルミカーラ嬢が見せてくれたのは、まさしくお宝だった。
「これは……っ、これは、あの話のコミカライズですかっ! あああ、原作の紅花先生のイラストも素晴らしかったけれど、あのストーリーを、蒼花先生の絵で見られるなんて……ありがたやありがたや」
まさかこの世界で、前世日本では決して漫画化されなかったあの名作を、蒼花先生の絵、それも生絵で拝めるとは思わなかった。装丁もされておらず、白い漫画用紙? にコマ割りされてペン入れされている。
デジタル処理のないこの世界、点描から集中線までが全手書きだ。それがファン心に刺さる。
「神棚っ、神棚にまつらなければっ」
「落ち着いてちょうだい。本当は、原作者の『からたち白花』先生には、ずいぶん前にコミカライズの許可をいただいていたのよ。けれど、一緒にやるはずだった子が事情があってできなくなってしまって……その子が戻ってくるまではと話を凍結していたの。でも、この世界に来た以上、わたくしは一人になってしまったから……もういい加減、描き始めても良いかと思ったのよ」
ルミカーラ嬢はふぅとため息をついた。
「いざ始めてみると、この世界には原作がないでしょう? ストーリーや主要な人物の動きは覚えていたのだけれど、兵士や街の人たちの台詞や行動、服装があやふやなところが多くて……もし花もぐら、じゃなかったリヴィアさんのほうが覚えている箇所があったら、協力してもらえないかしら」
「わたしに、蒼花先生のお手伝いが出来るんですかっ! 喜んで! ぜひやらせてくださいっ」
それからは、盛り上がりに盛り上がった。
前世で死んで以来、十数年ぶりのオタトーク、しかも蒼花先生のアンソロが大好きだったわたしと蒼花先生には解釈違いもほぼ存在しない。
オタトークで盛り上がりつつも、様々な『解釈』を産むためには『公式』が完璧でなければならない、という意見で一致する。この世界にこの名作を布教し、ファンを増やし、裾野を広げなければ。
「この話のヒロインの服装は、乗馬服だったかしら? 帽子はかぶっていたと思う? 髪型の記載はあったかしら?」
「直前に帽子脱ぐ描写があったはずです、髪型は……金髪の三つ編みで……確か牧場の見回りから戻って、ニードルガンを壁に立てかけて……そうだ、サロペットでした!」
「そう言われればそうだったわ! よく覚えているわね。何度も原作を読んだはすずなのに……若いっていいわ。それと、弟の年は覚えていて?」
「あー、お姉ちゃん思いのいい弟でしたね。主人公を怪しんでにらみつけて」
「そうそう、生意気で、綿菓子をカチコチにつぶして食べるのよ。それで肝心な、吸血貴族が現れるところなのだけれど……」
結局、わたしはフォルゲンシュタイン公爵家に泊まった。
親切な侍女さんたちに勧められるまま、夕食を一緒にご馳走になり、お風呂も用意してくれて、髪や爪の手入れをされて、蒼花先生の部屋にベッドまで運び込んでくれて、憧れの人と女子トークならぬオタトークでキャッキャウフフと盛り上がり――わたしはすっかり失念した。わたしは、今、前世の萌花ではなく、リヴィア・サイゼルだということを。
ルミカーラ嬢の中の人が蒼花先生だと分かったところで、問題はちっとも解決していないということを。
いや、認めよう。わたしはずっと失念なんてしていなった。けれど、逃げたかったのだ。八方ふさがりの、リヴィアとしての現実から。『レイつま』からずれてしまった、先のわからない未来から。母さんを助けられないかもしれないという、絶望から。
でも、目をそらすわけにはいかない。
なんとしても、母さんを助ける。
そのためには、憧れの――蒼花先生すら利用し、巻き込まなくては。生まれ変わってまで、あの名作のコミカライズを成し遂げようと燃えている蒼花先生に、「貴女は悪役令嬢です」なんて言うのは本当に心苦しいのだけれど。
「蒼花先生、『レイつま』――『玲瓏たる悪役令嬢は月夜につまびく』の内容を覚えていますか?」
「レイツマ? どこかで聞いたことあったかしら?」
「先生と紅花先生がイラストを手掛けておられたライトノベルですよ! 十数年ぶりの共作で話題になって、絵画展も開かれていたじゃないですか! ここは、その『レイつま』の世界なんです!」
「『玲瓏たる悪役令嬢は月夜につまびく』? そうね、確かにイラストを手掛けたはず……なのだけれど、なぜかしら、ストーリーが思い出せないの」
蒼花先生――ルミカーラ嬢はおっとりと首をかしげる。
自分がイラストを手掛けた作品の内容を、覚えていないなんてことがあるのだろうか。とにもかくにも、覚えていないなら知ってもらわなければならない。
わたしは、『レイつま』のストーリーと、わたしリヴィア・サイゼルが置かれている現状を怒濤の勢いで語った。
うなずきながら聞いてくれたルミカーラ嬢は、わたしが語り終えて息を切らせていると、背中をなでてくれた。
「なるほど、私がその『レイつま』の主役の悪役令嬢で、貴女がその悪役令嬢を罠にはめる敵役ヒロイン、でもそのヒロインは母親を質に取られている被害者でもある、そういうことね? 貴女も大変な立場に転生したものねぇ」
「そうです、蒼花先生――ルミカーラ様が王太子殿下の婚約者でいてくださらないと、母がっ」
「ちょっと待ってちょうだい。要は、サイゼル子爵の罪を暴き、貴女のお母さまを救出すれば良いのでしょう? 私が王太子殿下の婚約者かどうかは関係ないのではなくて? それに、困っている花もぐら――リヴィアさんには言いづらいのだけれど……」
ルミカーラ嬢は頭痛をこらえるようにもっさりした髪に手を当てた。
「リヴィアさんなら知っているかもしれないけれど、私、前世で事故死したときには、四十過ぎで、夫もいたのよ。そう、『吸血狩人』の本家イラストレーター、柑子紅花先生よ。私が絵に惚れ込んで、口説きに口説いて一緒になってもらって、日に五回は愛を囁くくらい大好きだったのよ。生まれ変わって別の体になったとはいえ、私は夫以外愛せないから、今世は誰とも結婚するつもりはないの。……それに、アラフォーの目線から言わせてもらうと、十代後半のキラキラした男の子って……二次元化するのにはちょうど良いけど、色恋って観点からすると親目線になっちゃってとても無理なのよ」
少し言いづらそうに、でもはっきりと告げるルミカーラ嬢に、わたしは泣きそうになった。ルミカーラ嬢の言うことも分からなくはない。王太子殿下たちの顔は整っていて格好良いが、二次元ぽくて現実の結婚相手にはし辛いのかもしれない。
でも、それなら、母さんはどうなるの?
『レイつま』のストーリーからそこまで逸脱して、母さんは助け出せる?
「もちろん、公爵家に生まれて領民の血税で生きてきた以上、政略結婚は義務なのだけれど……私を公爵家に留めることが、政略結婚以上の価値があると認められれば、叶う目もないではないわ。学園には、各々の専門に特化したゼミがあってね、私はそこに所属して古代魔法の研究をしているの」
「それで普段、一般の講義でお見かけしたことがなかったんですね」
「そうなの。とりあえず、サイゼル子爵家はうちの影に探らせるわ。神聖国が関与していることに関しては……ちょっとわたくしの手には余るわね。でも、そういうのに詳しい人に当てがあるの。少し私に預けてくれないかしら」
「……蒼花先生がそうおっしゃるのでしたら」
わたしは微笑んでうなずきながら、口の中を嚙んだ。
じわり、と血の味が広がる。
いくら蒼花先生でも、母さんの命に関わることを、人任せにしたままでなんていられるわけがない。
私は、丸一日滞在したフォルゲンシュタイン公爵家を辞去した。
蒼花先生は、『リーシャさんは私の大切な同士ですもの、悪いようにはしないわ』と請け負ってくれたけれど、わたしは黙っておとなしくしているつもりはなかった。
蒼花先生は『レイつま』の記憶がないせいか、事態を軽く考えている気がする。
『レイつま』の剣姫ルミカーラと、現実の中の人、蒼花先生のルミカーラ嬢のズレは、かなり致命的だ。
『レイつま』のルミカーラ嬢は、剣姫。
フォルゲンシュタイン公爵家は、王家の盾とも呼ばれる武門の家柄で、ルミカーラ嬢は幼い頃から武術を叩き込まれて育つ。天賦の才能をさらに磨き上げて育てられた彼女を圧倒出来るのは、彼女を育てた師でもあり、剣鬼の二つ名を持つベアトルト王弟のみ。
今から半年後。王太子殿下の卒業パーティで敵役ヒロイン・リヴィアに冤罪を着せられ、断罪されそうになったルミカーラ嬢は、公爵家の『影』を使って揃えた証拠を次々と開示していく。そして、敵役ヒロインを操っていた黒幕であり、売国奴でもあるサイゼル子爵を逆告発するのだ。しかし、そこで黙って恐れ入るような子爵ではなかった。サイゼル子爵は、隣国の秘術、召喚術のスクロールを持ち出し会場に何体もの魔獣を召喚し、剣ひとつ持っていないパーティ仕様の学生や保護者達を阿鼻叫喚の地獄絵図へと突き落とす。
その召喚獣たちを、ドレスに仕込んだ剣を取り出し、バッタバッタと切り伏せていくのが、剣姫ルミカーラ嬢。加えて、警備の騎士の剣を奪い取った来賓のベアトルト王弟だ。
その場面こそ、『レイつま』の最大の見せ場であり、主人公のルミカーラ嬢が最高にカッコイイ場面なのだが……
今の、蒼花先生、ルミカーラ嬢が脳裏をよぎる。
無理だ。
どんなバグがあったかは知らないが、今のルミカーラ嬢は剣姫のけの字もない。
武門の名家、フォルゲンシュタイン公爵家で育ちながら、ペンより重いものは持ったことがない深窓のご令嬢だ。
ルミカーラ嬢がさっき提案してくれたように、フォルゲンシュタイン公爵家の力で、サイゼル子爵の罪を暴き、母さんを救い出すところまでは問題なく出来るだろう。けれど、その後の追い詰められた子爵の魔獣召喚イベントを無事に生き残れる気がしない。
『レイつま』では、剣姫ルミカーラ嬢と剣鬼ベアトルト王弟が魔獣達を殲滅し、パーティ参加者に死傷者が出ることはなかった。
けれど、ルミカーラ嬢は言うに及ばず、ベアトルト王弟が剣の達人だという話も今世では聞いたことがない。むしろいるのかいないのかわからないほど、めっちゃ影が薄い。
つまり『レイつま』の最大のピンチの場面で、主戦力であった二人が存在しないことになる。
召喚獣というのは、普通の魔獣とは一線を画す強さで、この国の最高戦力ともいえる二人がそろったからこそ、殲滅出来た。学生の卒業パーティの警備ごときがどうにか出来るような強さではなかった。
このままでは、王太子殿下を死なせないどころか、計り知れないほどの無関係な人が死ぬ。学園内で収められればまだいいほうで、もし召喚獣が街に出たら。
サイゼル子爵の今世の本当の目的は分からないけれど、『レイつま』のようにこの国に混乱をもたらし、聖教による支配を目論んでいるのだとしたら。無差別な殺戮に走る可能性は大きいだろう。
「そんなことにはさせないわ。わたしが」
わたしは血の味の唾を吐き捨てると、口元を袖でぬぐった。白い制服の袖に、赤い色がにじんだ。
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