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三話 悪役令嬢がいない?

前回のあらすじ・池に落とされたリヴィアは前世の記憶を思い出した。

「どうしてこんなことに……」


 わたしは焦りと共に親指の爪を噛んだ。

 前世を思い出したせいか、前世の癖が復活してしまった。

 前世の記憶――この世界が『玲瓏たる悪役令嬢は月夜につまびく』という悪役令嬢モノのライトノベルであり、わたし、リヴィアは敵役ヒロインポジだということ。物語をなぞるように、今のわたしも母さんを悪徳貴族・サイゼル子爵に人質にとられて、王太子殿下を篭絡しようと動いている。

 前世、家族との縁が薄く施設で育ったわたしにとって、惜しみなく愛情をそそいでくれた現世の母さんは何者にも代えがたい存在だった。

 そんなわたしの窮状を救ってくれるはずなのが――『レイつま』の主人公で悪役令嬢、ルミカーラ・フォルゲンシュタイン公爵令嬢だ。


「それなのに、なんで悪役令嬢がいないの!?」


 フォルゲンシュタイン公爵家の令嬢は、学園にいることはいる。けれど……


「なにあのもっさりした公爵令嬢……公爵家のメイドは何をしてるのよ……」


 学食の太い柱にへばりつき、こっそりとフォルゲンシュタイン公爵令嬢をうかがうわたしを、通り過ぎる学生達が奇異の者を見る目で見ているけれど、それどころではない。

 王太子殿下にそれとなく悪役令嬢――婚約者の存在に関して尋ねたわたしは、思いもしなかった事実に愕然とした。

 『レイつま』の悪役令嬢ルミカーラは王太子殿下の婚約者だった。

 それなのに、わたしに大型犬のようにニコニコと話しかけてくる現実の王太子殿下には、婚約者がいないと。フォルゲンシュタイン公爵令嬢とは何回か会ったことはあるものの、顔見知り程度の関係で、学園で個人的に話したことも接触したこともない、と。


 わたしは白目をむきそうになった。

 確かに『レイつま』において敵役ヒロイン、リヴィア・サイゼルは断罪される。

 けれど、同時に悪役令嬢ルミカーラの活躍によって、リヴィアはサイゼル子爵に利用されていた被害者であることも明らかにされ、かなり衰弱はしていたものの母さんは救出される。

 だから、わたしは『レイつま』の敵役ヒロインを演じぬき、『ざまあ』されようと思っていた。王太子殿下が死ぬ結末だけは何としても改変しなければと思っていたけれど、それ以外は忠実に『レイつま』をなぞるつもりでいた。


 現状は泥沼の中を這いずっているかのようだったが、ストーリーさえ進めば必ず母さんは救われる。それは闇夜のひとつ星のような希望だった。


 良くも悪くも、『レイつま』の物語では、勇者や聖女が現れたり魔王が人間を滅ぼしたりはしない。人間同士の悲哀こもごも。それが『レイつま』である。『レイつま』通りにストーリーが進まなかったからといって、世界が滅びたりはしない。


 悪役令嬢がカッコイイ剣姫ではなくもっさり令嬢で、王太子の婚約者ですらなく、王太子に婚約破棄されたり断罪返ししたりする必要もなく、サイゼル子爵が失脚しなかったとしても――多くの国民に影響はない。

 だが、そうなったら。

 世界が困らなくても、母さんは死ぬ。わたしの心も死ぬ。


 どうすればいい? この現状から、どうやって母さんを助ける? 王太子殿下に懺悔して、協力をあおぐ? それとも、ルミカーラ嬢はもっさりだけど、剣姫設定は生きていたりする?

 柱にへばりついて沈思したまま、もっさりしたルミカーラ嬢が一人テラス席に座り何かノートにペンを走らせては物思いにふけっているのを観察していると、騒々しい集団が学食へとやって来た。


「今日も王太子殿下は一番にミューリア様にお声をかけてくださいましたわね!」

「さすがは婚約者候補の一翼ですわ」

「ミューリア様は侯爵家のご令嬢ですもの、殿下も真剣に考えてくださっているに違いありませんわ!」

「本日の王太子殿下もまこと麗しくあらせられて……」

「ミューリア様を置いて、あの秀麗な殿下の隣におられて見劣りしない令嬢など存在しませんわ」


 普段はわたしのことを目の敵にしている王太子殿下の古参ファングループ、侯爵令嬢の一団だったから、わたしはさりげに移動して身を隠した。

 とはいっても、わたしのピンク色の髪は遠目にもかなり目立つのだけれど。


「あら、ごめんあそばせ」


 侯爵令嬢の機嫌を取るのに忙しく、前を良く見ていなかった取り巻きが、ルミカーラ嬢のテーブルにぶつかった。テーブルの上からこぼれ落ちた教科書やノートが床に散らばり、風に遊ばれてパラパラとめくれた。


(あれは!)


 ミューリア侯爵令嬢達は、落ちたノートを拾うルミカーラ嬢に手を貸すでもなく口先だけで詫びるとそのまま通り過ぎた。

 公爵令嬢に対してやっていい言動では決してないが、この世界でルミカーラ嬢はフォルゲンシュタイン公爵令嬢だとほとんど知られていない。わたしも、王太子殿下から話を聞いて、探しに探してようやくたどり着いたのだ。


 貴族令嬢の見た目を整えるにはそれなりの財力が必要となる。今のルミカーラ嬢の外見は、服こそ制服でミューリア嬢と同じものの、もっさりとした長い前髪に黒縁眼鏡、後ろに長く垂らしたレンガ色の髪に艶はなく、艶のない爪も短く切りそろえ、指先はどこか黒ずんで、男爵か騎士爵、平民、良くて子爵の妾腹といったところ。公爵家の人間にはとても見えない。ミューリア嬢たちもまた、格下の身分の女生徒だと認識したのだろう。


 けれど、そんなことはどうでも良かった。


「大丈夫ですかっ!?」


 わたしは思わず隠れていた柱の陰から飛び出し、ルミカーラ嬢へと駆け寄った。

打算ではない。本能だ。影ながら観察していたことなど、すっかり遙か彼方へと吹っ飛んでいた。

 何故なら。


「……橘 蒼花先生ですよねっ、生まれる前からファンでしたっ」


 ルミカーラ・フォルゲンシュタイン公爵令嬢が落としたノート。それは講義のノートなどではなく、美麗な神絵が描かれた、スケッチブックだったのだ。

 わたしが見間違うはずがない。

 前世のわたしが、小さなころから推しに推していた神絵師。

 なんなら死ぬ瞬間までその絵画展に向かっていたし、イラストを手掛けたライトノベル――『レイつま』を手にしていた。


 最☆推し。


 今まで考えていた、もろもろ全てが瞬間的にふっとんだ。

 ガシッとルミカーラ嬢の手を握り、ギラギラした目で見つめるわたしに、ルミカーラ嬢は引いたように一歩下がった。


「なんの、こと、かしら」

「わたしが先生の神絵を見間違うはずがありませんっ。確かに拝見したことのないキャラ、おそらく今世における先生のオリジナルキャラクターなのでしょう、前世、わたしが死ぬまでには発表されたことのない人外ですが、先生の特徴的で緻密な線使い、体毛の一本一本にまで魂の宿った神々しいまでの幻獣は蒼花先生にしか描き得ない傑作です。幻獣の体を彩る装飾品のデザインも……ああ、私の語彙能力が今試されている……精緻で幻想的でリアルで……私も蒼花先生のイラスト集を参考に学びましたが、蒼花先生の足下にも及ばない……ああ、もちろん保存用のイラスト集は未開封のまま神棚に祀ってます。イベントでは先生がブースを出すと聞く度に毎回徹夜で並んで、先生に一番に名前入りでイラストを描いて頂いていたんですよ……っていうか、あのイラスト集にスケッチブック、わたしのお宝はわたしの死後どうなったんだろう? ひょっとして、価値を理解していない人間に棄てられていたりとか……? ああ、すみませんっ蒼花先生っ、先生の貴重な神龍オーキス様の生絵をなんてことっ」 


 興奮のあまり、怒濤の勢いでしゃべり倒したわたしに、ルミカーラ嬢は戸惑った顔をしつつも、確かに言った。


「……そのテンション、押しキャラ、まさか『花もぐら』さん?」

「やっぱり蒼花先生だ! 覚えててくださったんですね!」


 『花もぐら』はわたしの前世のハンドルネームだ。前世のわたしの名、萌花からとっている。

 喜びに思わず握った手をブンブン振るわたしに、ルミカーラ嬢――蒼花先生がためらいがちに口を開く。


「その、とにかく、場所を移しませんこと……?」

「先生の描かれる人外も素敵ですが、わたしが先生を知ったきっかけは『吸血狩人』でっ、わたしが産まれるより前からあんな美麗な神絵を……っ」


 爆上がりしたテンションのまま、蒼花先生の作品の素晴らしさを垂れ流していたわたしは、蒼花先生――ルミカーラ嬢に、バシッと両手で口を塞がれた。


「場所を、移し、ません、か?」


 眼鏡越しにも怒りを浮かべるレンガ色の目に押され、わたしはコクコクと頷いた。



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