第一話 完璧な妹は、私よりずっと性格が悪い
全四話で完結します。
私の妹、セシリア・アシュフォードは、完璧な令嬢だ。
美しい。
頭もいい。
礼儀作法に一分の隙もなく、困っている人がいれば迷わず手を差し伸べる。
社交界では誰からも愛されていて、王都の令嬢たちからは「天使のような方」とまで言われている。
姉である私とは、何もかもが正反対だった。
私は平凡だ。
容姿も、成績も、社交性も、それなり。
父からは「お前は堅実だから安心できる」と言われるけれど、社交界で話題になるようなものは何も持っていない。
そんな私には、幼い頃から決められた婚約者がいる。
侯爵令息、レイモンド・グレイアム。
家格も申し分なく、将来は父親の跡を継いで侯爵になる。
――ただし。
最近の彼は、私ではなく妹を見ることが多くなった。
「セシリアは本当に素晴らしいな」
夕食の席で、彼はそう言った。
「そうね」
「君も妹を見習ったらどうだ?」
「努力してみるわ」
私は笑って答える。
レイモンドは満足そうだった。
向かいに座っていたセシリアは、黙ってスープを飲んでいる。
「セシリア」
「はい?」
「今度の王宮舞踏会には出るのだろう?」
「お父様から許可をいただいております」
「そうか。なら、私と踊ってくれないか?」
私は手を止めた。
婚約者である私には、一言もない。
けれど、今さら驚きもしなかった。
「お姉様の婚約者ですから、私は遠慮いたします
わ」
セシリアが微笑む。
レイモンドは残念そうな顔をした。
「君は真面目すぎるな」
「そうでしょうか?」
「姉妹なのだから、少しくらい融通を利かせてもいいだろう」
セシリアは私を見た。
そして、ふっと笑う。
「では、お姉様がよろしいのでしたら」
私は笑って頷いた。
「私は構わないわ」
「お姉様」
「何?」
「本当に?」
「ええ」
嘘ではなかった。
もう、慣れていたから。
婚約者が妹を見ることにも。
妹が私より美しいことにも。
妹が私より愛されることにも。
私は姉なのだから。
妹が幸せなら、それでいい。
そう思っていた。
――少なくとも、あの夜までは。
*
「お姉様」
夜。
私の部屋にセシリアがやってきた。
侍女も連れず、一人だった。
「どうしたの?」
「少し、お話が」
「ええ。座って」
セシリアは向かいの椅子に腰を下ろした。
しばらく黙っていたが、やがて言った。
「お姉様は、レイモンド様のことをお好きですか?」
私は少し考えた。
「……婚約者として、大切には思っているわ」
「愛してはいない?」
「分からないわ」
幼い頃から婚約していた。
好きか嫌いかと聞かれれば、嫌いではない。
けれど、恋をしているのかと聞かれたら、自信がなかった。
「そうですか」
セシリアは小さく頷いた。
「では、もし私がレイモンド様を好きになったら?」
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
「……あなたは、彼を好きなの?」
「まだ分かりません」
「そう」
「でも、レイモンド様は私を気に入ってくださっているようです」
「そうね」
「お姉様より、私のほうが彼を理解しているとも仰いました」
私は黙った。
妹は美しい。
聡明で、話も上手い。
彼女と一緒にいるほうが楽しいと思うのは、仕方がないのかもしれない。
「お姉様」
「なに?」
「もし、私がレイモンド様に求められたら……どうしましょう?」
セシリアは笑っていた。
その笑顔は、いつもの完璧なものだった。
私は少しだけ目を伏せる。
「そのときは……あなたが幸せになれる道を選びなさい」
「まあ」
「私は大丈夫だから」
「お姉様は、本当にお優しいのですね」
「そんなことないわ」
「いいえ」
セシリアは立ち上がった。
「私は、お姉様のそういうところが嫌いです」
「……え?」
聞き返したときには、もう妹は笑っていた。
「おやすみなさいませ」
「セシリア?」
扉が閉まる。
私は一人、取り残された。
妹が私を嫌いだという意味なのか。
それとも、私のような性格が嫌いという意味なのか。
よく分からなかった。
ただ。
あのときの妹の笑顔が、なぜか頭から離れなかった。
*
それから、レイモンドはますますセシリアに近づくようになった。
花を贈る。
菓子を贈る。
本を贈る。
王都で評判の宝石店から、髪飾りまで届ける。
私は何も言わなかった。
セシリアも、何も言わなかった。
ただ、贈り物だけは受け取った。
「セシリア」
「はい、お姉様」
「レイモンド様からでしょう?」
「ええ」
「どうするの?」
「使いますわ」
「……そう」
「せっかくいただいたものですもの」
私は少し驚いた。
以前のセシリアなら、婚約者のいる姉の恋人から贈り物を受け取るなど、絶対にしなかった。
けれど今は違う。
届いた宝石を首にかけ、鏡の前で微笑んでいる。
「よく似合うでしょう?」
「ええ」
「レイモンド様も、きっと喜んでくださいますわ」
その言葉に、胸が痛んだ。
私は姉なのに。
妹に何も言えない。
婚約者にも何も言えない。
こんなことなら、最初からもっと強く拒めばよかったのだろうか。
でも、今さら遅い。
そんな私の気持ちなど知らないように、セシリアは言った。
「お姉様」
「何?」
「私、レイモンド様にとても気に入られているみたいです」
「……そうね」
「どうしましょう?」
「あなたが決めることよ」
「では」
妹は鏡越しに私を見た。
「私、もう少しだけ近づいてみますわ」
「……そう」
それ以上、私は何も言えなかった。
*
数週間後。
王宮で夜会が開かれた。
私はレイモンドの隣に立っていた。
けれど彼は、私の隣にいることよりも、会場の入口を気にしている。
「まだ来ないのか」
「誰が?」
「セシリアだ」
私は笑った。
「妹なら、もうすぐ来るでしょう」
その瞬間。
会場の空気が変わった。
振り返る。
そこにはセシリアがいた。
淡い金色のドレス。
髪には小さな真珠。
誰もが彼女を見ていた。
レイモンドも同じだった。
「……綺麗だ」
思わず漏れた声に、私は笑った。
「でしょう?」
「シャーロット」
「何?」
「悪い」
レイモンドは私の返事を待たなかった。
セシリアのところへ歩いていく。
私は一人、取り残された。
しばらくして、妹がこちらへ戻ってきた。
「お姉様」
「楽しそうだったわね」
「ええ」
「レイモンド様と踊ったの?」
「はい」
「そう」
「……怒らないのですか?」
「どうして?」
「私の婚約者でしょう?」
私は少しだけ笑った。
「そうね」
「それなのに?」
「セシリア」
「はい」
「あなたが悪いわけではないでしょう?」
妹は黙った。
やがて、微笑む。
「そうですね」
その笑顔を見て、私は思った。
やっぱり、この子は私よりずっと強い。
そして。
きっと、私よりずっと欲深い。
*
夜会から帰った翌朝。
私のもとに、一通の手紙が届いた。
差出人はレイモンド。
内容は短かった。
『君と話がしたい』
指定された場所は、王都にあるグレイアム侯爵家の別邸。
私は手紙を握りしめた。
嫌な予感がした。
そして、その予感は当たった。
「シャーロット」
別邸の応接室で、レイモンドは私を見つめていた。
「僕は、君に謝らなければならない」
「……何でしょう?」
「僕はセシリアを愛している」
やっぱり。
胸の奥が冷たくなる。
「そうですか」
「だから」
彼は言った。
「君には、婚約を解消してほしい」
私は黙った。
「セシリアも、僕を想っている」
「……妹がそう言ったのですか?」
「いや」
レイモンドは少しだけ笑った。
「言葉にしなくても分かる」
私はそれを聞いて、なぜか妹の顔を思い出した。
――私、もう少しだけ近づいてみますわ。
あれは、こういう意味だったのだろうか。
私は膝の上で手を握った。
「分かりました」
「本当か?」
「ええ」
「話が早くて助かる」
レイモンドは安堵したように息を吐いた。
私はその顔を見て、思った。
私が泣くことを期待していたのだろう。
けれど、涙は出なかった。
ただ一つ。
妹に会って話をしたい。
そう思った。
私はまだ知らなかった。
この婚約破棄を、妹が誰よりも待ち望んでいたことを。
そして。
その理由を知るのは、もう少し先のことになる。




