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クレイン・クレイドル  作者: 倉利来
第1部第4章:命の価値
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第16話 命の価値

カイが生きた生物の肉を貫いたのは初めてだ。


反対に死んだ生物の肉を断ち切った経験はある。

母に料理の手伝いを頼まれ、鶏肉を切った程度だが。


人間の衣服を破り、肉体を貫く初めての感触は、所詮こんなものかと呆れてしまった。

料理の時と大して差が無かったからだ。

もちろん生きている分、若干の刃の通りにくさはあったが。


カイはそのままつまらなさそうにナイフを抜いた───

少なくとも自分では、この瞬間はつまらないと思っていた。


男の腹部から鮮血がこぼれ落ちる。


だが、男は痛みも、自分が刺した少年がなぜ生きているのかも度外視してカイに罵声を浴びせた。


「こ、このクソガキィィッッッッ!!!」


自分にとってはその罵声は戯言だ。

心底どうでもいい。


続けざまにナイフを、今度は男の───

人体の表から胸部へ刺し込む。


次は、腹部。また、胸部。

それを何度か繰り返す。


男は呻き声を上げるが構わず続ける。

自分にとっては虫の鳴き声と同じ程度の鬱陶しさだった。


気付いた頃には男は完全に絶命していた。


(ドリィを殺そうとしたんだ。死んで当然だよな。)


自分の胸の中に"何か"がざわつき始める。


だが、自分は冷静だ。

少なくともそう自認していた。


その後、迷わずドリィの方へ視線を送る。

ドリィは首を絞められていたが、完全に復活したのだろうか。


驚愕と悲哀が混じった眼差しでこちらを見ている。

それを感じ取り、思わず視線を落とす。

やはり目を合わせるのは苦手だ。


永遠にも思える沈黙が過ぎる───


しかしドリィの震える声でその沈黙は終わった。


「あ、あんた、架魂者ポネラーだったのね」


彼女のこんな声を聞くのは初めてだった。


「うん。こんな気持ち悪い架魂カコンだけど。驚かせてごめん。」


俯いたままボソッと言った。


それを聞いたドリィがこちらへゆっくりと歩み寄る。


(あぁ、これから暴言を吐かれるんだろうな。)


当然だ。

死んだ人間が生き返るなんてありえない。

気持ち悪いだの、人じゃないだの、そういったたぐいの暴言は覚悟せねば。


そう思っていた矢先、顎を掴まれ顔を無理矢理上げられた。


「……?」


状況が理解できない。


眼前には泣いているのか、驚いているのか、怒っているのか定かではないドリィがいる。

呼吸はままならなく、酷く震えているようだ。


その漆黒の瞳からは逃れられない。

決して視線を動かすことはできなかった。


そのまま数秒の膠着。

彼女の瞳が思いっきり揺れたのが見えた。


その直後───


パァン!!!


乾いた音が静かな市街地に鳴り響いた。


カイは思わず左頬を抑える。

熱を持ち、腫れているのが分かった。


状況を、整理する。


母が父にした行為と同じだ。


そう、自分は生まれて初めてビンタを喰らったのだ。

母親はおろか、親父にもぶたれたことが無かった。

人生初めての経験に呆気に取られる。


だが、そんな暇もなく───


「な、なんで笑ってるのよ……あなた、刺されたのよ……痛かったでしょ!そ、それに、人を……人を殺したのよ!なんで笑っていられるの!」


ドリィの赤髪は逆立ち、息は酷く乱れていた。


今日二度目の、初めて聞く彼女の声。

その声は怒りとも悲しみとも形容し難い心からの叫びだった。


彼女の顔は涙で歪み、美しい造形は崩れ果てていた。

カイは一言、「ごめん」とだけ呟いた。


(僕は笑っていたのか。)


その事実を認識した瞬間、心の奥底で"何か"が疼いた気がした。

その"何か"も同時に笑っているような気がした。


人が"生きる意味"を見つける瞬間はいつだろうか。

美味しいものを食べた瞬間?


誰かに褒められた瞬間?


欲しいものが手に入った瞬間?


大切な人と過ごしている瞬間?

その人を───心から愛せた瞬間?


そんな瞬間は知らない。

僕の場合はこれしか無かった。


「"命の価値"を感じた瞬間」


カイはドリィにぶたれた後はあまり覚えていなかった。

その後も結局地雷は一つも見つからなかった。


血で汚れた軍服を予備の衣類に着替えながら呟く。


「何のための地雷訓練だったのだろう。まぁ、僕にとっては悲劇でしかなかったからどうでもいいか。」


"悲劇でしかなかった"とカイは言うが、実のところは喜劇だったのだろう。


光のない目で笑っている。

平時なら薄紫であるその瞳には、代わりに深い紫の闇が宿っていた。

果たして、これは笑顔と呼べるのだろうか……


■■■

カイが着替えている間にドリィは既に集合場所へ向かったようだ。


カイは一人で集合場所へ向かう。


男の死体は置いてきた。

こんな出来事の後だ。

平時なら動揺し、今後どうするべきか迷っていたであろう。

だが───


(後でモルト教官に報告しなきゃな。さすがに僕が殺したとは言わないけど。)


カイの心は踊っていた。

それに足取りも軽い。


その弾む足取りであっという間に集合場所に到着した。

ふと周りを見ると、それぞれのペアが徐々に集まってきている。

お互い何個地雷を除去できたか競っているようだ。


ドリィは既に到着していた。

一瞬、彼女の方を振り向く。


向こうもこちらの視線を感じ取ったのだろうか。

自分の方を見るが、もちろん目を合わせてくれるわけがない。

すぐに明後日の方向を向く。


だが、不思議と落ち込まなかった。

普段なら相応の傷を負うはずなのに。


更に数分後、カナタのペアが帰ってきた。

それを見るや否や、体が勝手に獲物を見つけた肉食獣のように動作する。

理由は分からない。


脇目も振らずそのままカナタの元へ駆け寄る。

そしてその肩を揺さぶり、振り向かせた。


「なぁ、話があるんだけど」


カナタは驚きつつ目を伏せながら自分に応じる。


「お、おう」


当然の反応だ。

全く口を聞いていなかった親友が急に話しかけてくるのだから。

だが、カナタの反応などどうでも良かった。


早く告げなければ。

脳の奥底の、魂規模の"何か"がそう訴えている。

しかし、理性でなんとかそれを抑え込み冷静な判断をする。


「少し場所を変えてもいいか?」


強引にカナタの腕を引き、集合場所を後にし、裏路地へ移動する。

その心にカナタへの憎悪は"一寸"も残っていなかった。


■■■

カイは酷く慎重であった。


何故ならば、これから自分にとって人生が変わる

"価値"を他人に告げるからである。


改めて周りに人がいない事を確認する。

次いでカナタの不安げな顔を見る───


その瞬間、今まで抑えていた"何か"が暴発する。

閃光が弾けるように。

硝煙が舞うように。


本当の自分が遠くなり、死んでしまう。

そんな気がした。

だがそんなことはどうでもいい。


次の瞬間、"オレ"は興奮した口調と不気味な笑みで切り出した。


「オレは今日!ついに!"命の価値"を見つけたんだよ!」


カナタは一瞬目を見開くも、すぐに納得した表情で「そうか」と一言だけ発した。


阿吽の呼吸というやつだろうか。


"オレ"はまくし立てるように続ける。


「オレはここに来て、人に騙され、利用され、そのまま何も成す事なく朽ちていくと思っていた。だが、今日……それは変わった!」


カナタは決して目を離さない。


「悪人は容赦なく殺す!ヤツらが人を殺す前にオレの命で殺す!そしてオレは───」


"オレ"の笑みが最高潮になる。


「"命の価値"を証明する!」


カナタは瞬き一つしない。

だが、その眼差しは無意味だ。


"オレ"は焦点が合わない目で続ける。


「だから、お前の力をオレに貸せ!」


二人以外、誰もいない薄暗い狭い部屋だ。

明かりは蝋燭ろうそくのような淡い電球一つのみ。


彼は中々話さない目の前にいる男を見つめる。

いつも通り見た目は気だるそうだ。

こちらが口を開こうとした瞬間、男は唐突に話題を切り出した。


「あー、あの方の"宝"を俺らがまもれなかった事に関しては、後でお叱りを受けるだろうな。まぁ、アイツが代わりに護ってくれたが。ハッハッハ」


その笑い声に対し、彼は"よく通る声"で返した。


「一体誰が襲わせたのか見当もつかないですけどね。ですが、アイツが護ってくれたのは運が良かったです。それにあの方の怒りを沈める交渉は考えてあります」


男は感心したように頷く。


「んー、そうなのか。それはお前に任せる。あー、そんなことよりお前は俺がいない時、しっかりとあの方の"宝"を守るんだぞ」


「はい。死んでも護ります。あの方の信頼のために」


だが、彼はよく通る声とは裏腹に内心で別の決意を固めていた。

ひょっとしたら、その瞬間の顔はアイツに似た不気味な笑みだったのかもしれない。


(アイツの魂を"完全に"変えるためだったら、俺はなんだってやってやる……!)


彼の両手の拳は興奮から出る汗と、震えで握りしめられていた。

次回から第五章です。

カイはこのままどうなってしまうのか。

今後の展開にご期待いただければ幸いです。

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