襲撃者
小さくなり、やがて点となって消えていった故郷を見送り、シーナは新たな旅立ちに心を震わせていた。
今から始まるのは間違いなく自分だけの物語であり、誰にも予想できない冒険譚だ。そんな予感が彼の中にはあった。
しかし、それは突然訪れる。天と地がひっくり返る感覚。シーナはリュートを抱き抱え、叫び声を上げた。
「うわぁあ!」
それまで順調にガタンゴトンと揺れていた馬車が勢いよく横転した。馬の嘶く声と何やらゲヒゲヒと声が聞こえてくる。
シーナには何が起きたかわからなかった。見れば他の乗客たちもそうだ。横転する前、一瞬小さな子どもの背丈の何かが見えた気がしたがそれはシーナの気のせいだろうか。
衝撃に混乱している脳内に一瞬祖母の姿が映し出された。それは出発直後『生きて帰ってくるように』と言っていた祖母の姿だった。
乗客たちが状況を理解していない中でただ1人、馬車の護衛として雇われた魔獣狩りだけが襲撃者の正体を言い当てる。
「ゴブリンの襲撃だ!」
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ラガルとメフェルは変わらず街道沿いを歩いていた。道中何度か馬車が彼らを追い抜いて行き、3日は歩き続けた。しかしそれももう終わり、あと少しでナザレムに着くはずだ。
「匂うな。」
「仕方ないでしょ、湯浴みできてないんだから。」
「違う、小鬼臭い。」
「え?ゴブリン?」
「街道沿いに巣でも作ってるんだろう。追い抜いてった馬車どもが転がってるかもな。」
そうニヤリと笑うラガル、メフェルは『縁起の悪い事を言わないでよ』と肩を窄めた。しかし実際に魔獣に襲われる馬車というのは多い。その為に護衛として魔獣狩りが雇われ、魔獣狩りも依頼料を稼げて移動手段が得られる馬車護衛の仕事を喜んで引き受ける。
「馬車の護衛ができれば移動が楽だったのにね。」
「全くだ。」
そう言いながらも2人は街道を進んでいく。徒歩で移動といっても森の中を歩いて魔獣の痕跡を探す仕事よりは断然こちらの方が楽だった。
馬車が通りやすく整備された道は歩きやすく迷う心配もない。ただひたすらに移動が続くので暇ではあったが。
「暇ねぇ、何かお喋りしましょうよ。ラガル。」
無言が続く、ラガルはメフェルを無視したまま移動を続けていた。
「無視しないでちょうだいよ。」
「黙って歩け薄鈍。」
ラガルの歩幅はメフェルよりも大きく、普通に歩けばその距離はだんだん離れていく。だからメフェルは置いていかれないようにラガルに合わせるのに必死だった。
「もう少し調子を合わせてくれたっていいじゃない。」
「お前に合わせてたら日が暮れる。」
そうラガルが返す。実際メフェルの歩みに合わせていたら到着が大幅に遅れるのも事実であった。
「お前、お前ってあなたって本当に私のこと名前で呼ばないわよね。メフェルって名前があるのよ。」
「知らん。」
ラガルからしてみれば険悪な雰囲気の言い合いだがメフェルからすれば楽しい話し合いのようで、彼女は終始ニコニコとしている。
それがまたラガルからすれば気に入らず、ちっと小さく舌打ちが響いた。
そのときだった。轟音が聞こえて馬の嘶く声が聞こえる。何かあったのだと2人は瞬時に悟った。
「これはいい、金の匂いがするぞ。」
「大変、本当に馬車が襲われたのかも!助けなきゃ。」
メフェルはすぐさま走り出した。
後を追うようにラガルもついてくる。
やがて彼女の目に映ったのは無惨な姿になった馬車と、馬車に集る小鬼の群れ――ゴブリンだった。
1人の護衛と思わしき男が剣を振り回している。
しかし多勢に無勢で小鬼の群れには敵わず、その距離を縮められていた。
まだ荷馬車の中には積荷と乗客たちが残っていた。
中へ入ろうとするゴブリンを蹴りや荷物やらで防ぎ皮必死に抵抗している。
ラガルは彼らの服装と積荷を一瞥して本日2度目の舌打ちをした。
「しけてやがる......おい、行くぞ助けても価値がない。あいつらが狙われてるうちに通り抜けるぞ。」
「そんなことできないわよ。土よ、起き上がれ!」
メフェルの声と共に小鬼の真下の土が隆起し、勢いよく小鬼を吹き飛ばす。突然舞い上がった仲間を見て小鬼たちはどよめいた。
「魔術師!?た、助かった...。」
男の言葉を皮切りに小鬼たちはメフェルを襲おうと駆け出した。
「魔術師を舐めないでちょうだい!」
杖が地を打つ。
棘のような岩柱が護衛の周囲から飛び出した。飛びかかってきた小鬼は串刺しになり、その命を散らす。
しかし勢いは殺せず、一匹のゴブリンの爪がメフェルへと襲いかかった。
瞬間――刃が煌めく。
すんでのところでラガルが剣を抜き小鬼の斬撃を防いだ。甲高い音を立てて剣が爪を弾く。
「他人頼みのくせに何が“舐めるな”だ。」
「あなたならこうするってわかってたわ。」
にこりとメフェルはラガルに微笑む。そしてすぐさま馬車の方を向くと駆け出した。大方の注意は引けていたがまだ1匹乗客への攻撃に夢中な小鬼がいた。
「わ!ぁあ!」
1人の少年が荷馬車の外へと放り出される。小鬼が放り出した少年の命を奪おうと腕を振り下ろしたところで、メフェルの杖のフルスイングが小鬼の顔面に当たる。
杖の赤水晶と頭蓋骨が当たる鈍い音がして、小鬼は絶命した。
「大丈夫?」
大事そうにリュートを抱える少年にメフェルが問いを投げかける。少年は何度も頷いて自らの無事を証明した。
いつの間にか数匹となっていた小鬼たちは自分たちの不利を悟って一目散に逃げ出していった。
「魔術師が前に出るな。」
ラガルがそう言いつつ近寄ってくる。剣についた血を振り払うと鞘にしまった。
「私が前に出なきゃ間に合わなかったじゃない。」
そう言って目の前にいる少年を見ると、少年は涙と埃に塗れた顔でメフェルへ感謝の言葉を述べた。
「あ、ありがとうございます。なんと言ったらいいか...。」
「いいのよ、立てる?」
メフェルが優しく問いかけて手を差し出すと少年は顔を赤らめつつもその手を取って立ち上がった。
護衛の男も乗客の様子を見に3人の側に寄ってくる。
「これはひどい...御者は無事だが馬がやられてしまった。ここから先は歩きになる。荷も捨てなきゃならねぇ。」
乗客たちはひとまず命があることに安堵して自分の荷を背負い歩き出した。
「ありがとうな、嬢ちゃん。すまないがナザレムまで一緒に来てくれないか。」
「もちろん私たちは最初からナザレムに向かってたし、ついでの護衛なら任せてちょうだい。」
用心棒の男の願いにメフェルは軽く応える。一方のラガルは不満そうだった。苛立ちをそのままにメフェルに問いかける。
「いくらだ?命を救ったんだぞ、金が必要だ。」
「お礼を言われたでしょ、対価ならそれで十分よ。」
「そんなもの腹の足しにもならない。」
「ラガル、彼らを見てよボロボロじゃない。これ以上何を取るっていうの?」
乗客たちはみな怪我をしていた。腕が折れた者、足を引きずってる者までいる。それを見てラガルは『だからなんだ』と言い捨てた。
「奪うことに慣れきってはダメよ。与えることも覚えなくちゃ。」
頑として意見を変えないメフェルにラガルは諦めて元乗客たちのあとをついていく。怪我人を抱えた旅程が伸びることは想像に難くない、そのことについても文句を言っていたがメフェルに注意されると押し黙った。
「さあ、行きましょう。ナザレムまであと少しよ、夕暮れまでには着くでしょう。」
――――――――――――――――――――
(すごかった……魔術師の子、僕と同じくらいなのにあんなに強いなんて……あの剣士さんも凄かったな。)
ナザレムへの道中、シーナは先程の戦闘を思い出していた。死の恐怖など感じないくらいの興奮、それは今まさに見た救世主たちによってもたらされていた。
(僕もあんなふうになれたら……僕には無理だけどあの人たちみたいにカッコいい英雄を僕は謳うんだ。)
ふんすとシーナは息をする、熱の籠った視線で2人を見ているとラガルが彼に気づいた。
「何か用か、ジロジロ見やがって。」
自分の身長の2倍ほどある相手が凄んでくる。シーナはその迫力に負けてしどろもどろになってしまった。ラガルは少年を上から下まで見回したあと『吟遊詩人は街の酒場にでも籠ってろ』と悪態をついてそっぽを向く。
やりとりを見ていたメフェルがシーナへと話しかけた。
「ごめんなさいね、彼あまり注目されるのが好きじゃないのよ。私メフェル、あなたは?」
「え、は、はい、シーナです。」
急に話しかけられて驚いたのもあるがシーナはいつものように、吃ってメフェルの問に答えた。緊張で瞬きの回数が多くなり、顔が赤らんでいる。
「シーナ、いい名前ね。格好からして吟遊詩人かしら?ところであなたの持ってるリュートちょっと変わってるのね。」
「リ、リュートですか?」
「そうよ、それ魔術がかけられてるでしょ。不思議な楽器ね。」
「そうなんですか?こ、これは祖父から貰ったもので僕にはよくわかりません。」
シーナは手元にある楽器をまじまじと見る。頑丈だと言われて渡されたリュートは確かに丈夫で、普通は繊細な楽器のはずなのに小鬼の攻撃さえ受け付けなかった。
それが魔術のおかげだというのであればシーナは納得であった。しかしそんな品を祖父はどうやって手に入れたのか疑問に思う。
「それに楽器としてもきっと良いものなのね。大事にするのよ。」
「は、はい……一生の宝物です。」
その話を聞いてたラガルが顔だけ後ろにやって楽器を確認する。確かに良い音の出そうなリュートは売れば高値のつきそうな逸品であった。
「お前、そこの女に助けてもらっただろ。例としてそれ寄越せ。」
「え!?む、無理です!」
「ラガル、冗談でも言っていいことと悪いことがあるのよ。」
そのメフェルの言葉にフンと鼻を鳴らす。その目はまっすぐシーナのリュートを見ている。どうやら本気のようだった。
「できないです!で、でもそうだ……それ以外のことならなんでもしますよ。」
なんでもという言葉にラガルが反応する。そして意地の悪い笑みを浮かべるのだった。




