愛と呪い
「ミア、だめぇ!」
魔獣を止めようとした少女をすり抜けて、周囲にいた村人へ飛び掛かる。深く牙が刺さったところで魔獣は一度口を離すが、その口からは涎が滴っていた。
すぐさまラガルは腰につけていた剣を抜いて、魔獣に飛び掛かる。魔獣は迫る剣を避けるために後ろへ飛んだ。開いた間合いはラガルの一歩で詰められた。
食いかかろうと魔獣が牙を剥く、ラガルは大きく右脚を振りかぶって魔獣を蹴り上げた。
息を吐いたような獣の悲鳴、同時にごぎゃりと嫌な音がして、どさりと体が落ちる。見れば魔獣の体は変な方向に折れ曲がっていた。血があたりに広がる。
「ミア!ミア!いやあああ!」
まだ温い魔獣の体に少女が重なる。
その体が赤く染まろうとも離れなかった。
ただその場に立ち尽くすメフェル。ラガルは何事もないように少女を見下ろしていた。
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「俺の言ったとおり最初に殺しておけば、あのガキは怪我をしなくてすんだ。」
「そうね。」
「優しさは傷を生む、あのガキも学んだだろう。」
目線の先には小さな墓の前でうずくまる少女がいた。
「余計な情けを掛けなければあの魔獣は少なくとも今死ぬことはなかった。あのガキもこれから村で制裁を喰らう。」
「全部あなたが正しいわ。助けなければ良かった話ね、でもあの子にとっては違うのよ。」
「なにがだ?」
「正しいことをしたのよ。優しい気持ちが間違ってることなんてないわ。」
そう述べるメフェルにラガルはわからないという顔をして答える。
「お前は何を言ってるんだ?どう考えても間違ってただろう。」
「そうね、間違ったわ。私もあの子も正しいことをして間違ったのだわ。」
「お前は頭が悪い。もうこの話は終わりでいい。そろそろ行くぞ。」
話していても埒が開かないと判断したラガルが切り上げようとしたとき、後ろから声がかかった。そこにいたのはボロの女だ。
「待ってください魔術師様!」
「え?」
「どうか私の息子を助けてください!」
困惑したのも束の間、話を聞くと病の息子を抱えた母親は隣村から魔術師の噂を聞きつけはるばるやって来たらしい。
「隣の村?ナザレムから逆方向だ。無視するぞ。」
「そんなことはできないわ。助けないと。」
「はぁ?つくづくお前といると苛つかせられる。今日の一件で学んだばかりだろう余計な情けは......。」
「損や良くない結果になってもあとで後悔するのなんて嫌よ。」
「お前勝手だな、要は誰かの恨みや悲しみなんかを背負いたくないだけだ。」
「そういう解釈でもいいわ。今この人を助けないときっと私は後悔するし、この人は一生悔やんでも悔やみきれないかもしれない。だから行くわよ、ラガル。」
そう言ってメフェルは歩き始めた。ラガルは苛だった表情を隠そうともしていなかった、それでもメフェルの決定に従うほかないのか後を付いていく。
女の先導によって隣村に着いたのは夜のことであった。
「戻ったよ、ぼうや。」
「お母さん、ごほ...ごほ!」
「坊やって年齢なのかこの人間は。」
「熱が下がらないんです!この子は昔から病弱で!」
「だとよ、魔女。どうにかしてやれよ。」
「魔女じゃないわ、魔術師よ。薬も多少なら知識があるわ、熱覚ましを作りましょう。ラガルお湯を準備してそれから......。」
「待った、なんで俺が手を貸さなければならない?」
「じゃああなた達の誰でもいいわ。今から言うものを用意して。」
メフェルは周囲にいた村人に的確に指示を出すと鞄の中から薬草を取り出し準備を進める。ラガルは端に追いやられ、ただ作業を眺めてるだけとなった。やがて湯の準備も整い、薬が煎じられる。
「さぁ、これを飲ませてみて。次第に楽になるはずよ。」
そして一刻が経つころには男の寝息が静かになっていた。母親はメフェルに感謝をし、母親の代わりに息子の面倒をみていた村人たちは帰っていく。
「この子をどうにか普通の体にできないでしょうか。」
「普通の体っていうのは?」
「普通に走ったり笑ったり、他の子らと変わらないような体にしてやりたいんです。」
「残念ながらそんな魔術は存在しないわ。」
メフェルの言葉に母親は涙を滲ませる。一縷の希望だった魔術師もダメだと言えば、もう頼れるものはなかった。
「もしもそんな奇跡を起こせるとすれば神様くらいなものよ。」
「エイシュ様にはもう何度も祈っております。それでもこの子は変わらない。神よ、どうしてこの子に過酷な運命をお与えになったのですか。」
「ふん、恨むならそういう風に産んだお前を恨め。」
「ラガル!」
「息子にも同じことを言われました。私は...私はどうすればこの罪を償えるのでしょうか。」
「罪なんてそんなことないわ。」
「教えてください魔術師様!」
「そうね、どうにかできないかよく調べてみましょう。原因が魔術的なものであれば私がなんとかできるわ。」
男が寝る寝台へと手を伸ばすメフェル。その衣服をめくったところで手が止まる。
「これは。」
男の体は薄紫色の結晶で覆われていた。呼吸を繰り返す体に合わせて皮膚に這った結晶が上下する。
試しにメフェルが爪で引っ掻くとそれは皮膚から簡単に剥がれ落ちた。
「魔石か。」
結晶を見て、そう呟いたのはラガルだった。本来魔石というのは魔の者しか持たない、魔獣の核たる部分だ。それが全身に広がっている、通常ではあり得ない光景だった。
「私たち人間は魔石を持たないから魔力を持たないわ。だから代わりに自然にある魔素を杖に集めて魔術を使うの、でも時折こうやって体の一部が魔石になってしまう人間がいるの。」
「治せないのでしょうか。」
「魔術的なことじゃなくてこれは魔法的なこと。詳しい原因はわかってないわ。でも最期は全て同じ、魔獣になって死んでしまうのよ。」
「そんな!嘘でしょう、魔獣になるなんて。」
「いずれ魔に魅入られて狂ってしまうわ。そうなる前に殺さないと。」
メフェルがゆっくりと告げる。母親は今にも泣き崩れてしまいそうだった。
「情は見せないんだな。」
「人間の尊厳を保ったまま死ぬ、それがせめてもの情けよ。最期に2人きりの時間があったほうがいいわね。席を外すわよラガル。」
メフェルとラガルが小屋から出て2人きりになる親子、メフェルとラガルにも同じように2人きりの時間が流れる。
「嫌なことって続くのね。」
「さっさと終わらせてさっさと行くぞ。」
「あなたには悲しむって感情がないの?」
「ない。」
キッパリと言い切ったラガルをメフェルは見つめる。満月のような大きな瞳がラガルをまっすぐ捉えた。
「いいえ、違うわ。忘れてるだけなのよ。きっと。愛も優しさも。ぜんぶ思い出せる日が来るはずよ。」
空に浮かぶ満月が2人を照らす。風の音も聞こえないくらい静かな夜に、静寂が広がった。なぜだかラガルはメフェルから視線を外せずにいた。
目の前の少女は幼さの残る顔をしているはずなのにずっと大人びて見える。
「あなたの記憶もきっと、いつか取り戻せるわ。そのときには知るのよ、愛を。」
「何を馬鹿な。」
そうラガルが答えたときだった。小屋から呻くような声と獣のような声が聞こえた。勢いよく2人がドアを開けるとそこには1匹の魔獣と倒れた母親がいた。
「いいタイミングだな!」
「嘘でしょう!」
2人が声を上げると横たわっていた母親が小さく呻く、息はあるようだが混乱のまま動けずにいるようだ。
男であった魔獣は醜い化け物に変貌していく、ボロボロの毛皮、露出した皮膚は木のように枯れ、大きく口の裂けた、鱗のある、悍ましいキメラに。
自分の息子が目の前で変貌していく様を見て母親は震えが止まらない。
そして変形が終わったころ、目の前にいた彼の母親目掛けて鋭い鉤爪を振り下ろした。
「こっちだ化け物。」
ラガルがすかさず剣を差し込む、鉤爪が弾かれ火花を散らした。そのまま刃を上へと振り上げ、追撃するラガル。この攻撃で魔獣の注意はラガルに注がれた。
魔獣の突きを後ろへの飛びで交わすとラガルはそのまま小屋をでて広い野外へと誘い出す。
何事かと村人たちが出てきて、悲鳴があたりに響き渡る。
「燃え散れ!」
メフェルの声と共に勢いよく炎の玉が発せられ、魔獣を捉える。命中すると共に焦げた匂いが広がった。魔獣は腕で庇い体への直撃を避けたのだろうが、明らかに動きが鈍っていた。
そこへラガルの体重の乗った回し蹴りが入り、吹っ飛ぶ魔獣。倒れ込んだまま動かなくなった。
歓声などない、そこにあるのは終わったのかという安全を確認しようとする空気だった。それを破ったのは魔獣の母親だ。息子の名前を叫びながら駆け寄っていく。
「まだ近づかないで!」
メフェルの静止の声も届かない。
ゆらりと魔獣の腕が持ち上がり母親へと伸びていく、誰もが母親の死を覚悟した。
しかしそのときは訪れない。
「かあさん......産んでくれて......ありがとう......ごめ......。」
掠れるような声が聞こえた。同時に腕が下がる。
事切れたのだ。この瞬間、長い間母親を苦しめてきた呪いが途切れた。
荷が降りたように肩を下げ、ただしくしくとなく姿を見たメフェルは声をかけるのをやめラガルと共に立ち去った。
「最後の最後で理性を取り戻したか。」
「そっとしておきましょう。ラガル。」
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夜が明けて出発の時間になったとき、母親は見送りに来た。泣き腫らしたであろう赤い目をして。しかしその顔はどこかスッキリとしていた。
「ありがとうございました。」
「そんな、何もできなかったわ。」
「息子の最後の言葉を聞けただけでも十分です。」
「愛が呪いを生むけれど、呪いを解くのもまた愛よ。きっと息子さんは後悔していたのでしょうね。」
村人たちの見送りで2人は去っていく。




