あの日のまま
189:あの日のまま
ラガルは今日もソラスの部屋を探すために歩いていた。
最初は不審な目で見てた兵士も、壊れたエンルフの様子に段々と憐憫の眼差しを向けるようになっていた。
「だから……だって……あは……だろ。」
目だけがギョロギョロと周囲を伺うが、どこも見ていない。
意外にも冷静な頭は、ずっとソラスの影を探し続けていた。
そうしていると背後に忍び寄る何者かの気配があった。
振り返る間もなく、肩に手が置かれる。
「うわああああああ!」
エンルフは突然叫び出した。
すぐに手を払うと、床の隅に丸くなる。
ガタガタと震えて腕の隙間から、その人物を見た。
赤い髪に黄金の瞳、グロードが困惑した目でこちらを見ている。
「やだ、いやだ、ああ、そうだ。」
グロードの大きな手が、フリードのものと重なる。
顔を青くして、しきりに頭を振るエンルフ。
グロードはバツが悪そうに声を掛けた。
「エンルフ……お前。」
「フリード様、お日柄もよく。私は何もしてません。」
早口で捲し立てるように言葉が出る。
ラガルも止めようとしたが止められなかった。
口が勝手に回る。
目の前にいるのがグロードなのかフリードなのかわからなかった。
「魚の匂いがします。魚は好きです。」
急に話が飛ぶ。
エンルフも自身で気がついていなかった。
グロードが変な顔をする理由がわからない。
なんとか次の言葉を捻り出すのに時間がかかった。
「イリフェルが好きです。イリフェルに合わせてください。」
「落ち着け、エンルフ。」
「落ち着け、落ち着け、落ち着け。」
エンルフは自分の頬を引っ掻くと、しきりに何かを呟く。必死に頭を働かせて、目の前の男と会話をしようとする。
グロードはエンルフを大声で呼んだ。
「エンルフ!」
エンルフは思わず体を震わせる。
震える声で何かを言った。
グロードが耳を寄せる。
「違う。そうじゃない。違う。」
その続きを聞いて、グロードは胸が冷えた。
「アラウムはどこだ。」
グロードの顔が固まる。
アラウムはもう死んだ。
けれども、エンルフの時間はあの日から進んでいなかった。
王の間にいるウォリケ。
アグロムを持ったムルト。
泣き崩れるイリフェル。
動けないグロード。
落ちた赤子の首。
「見てない、ない、ない。聞いてない。」
エンルフは何度も爪を齧る。
しきりに瞬きをして、必死に記憶を辿った。
アラウムもアグロムも、あの日からずっとわからない。
赤子のまま自分を呼び続けている。
違うと認めてしまえば、エンルフは本当に戻れなくなりそうだった。
「返して、返してくださいグロード様。」
ガチガチと歯が鳴る。
「なんでもします、なんでも。」
縋り付くようにグロードの足元に寄るエンルフ。
グロードを見上げると懇願しながら、涙を流した。
「だから返せ、返して。
オレが悪かったから、全部。」
ラガルは自分が悪いと思い込もうとしているエンルフに、胸が締め付けられる。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。
グロードは言葉を失った。
「グロード様。」
低い声が落ちた。
様子の変わったエンルフにグロードが息を呑む。
ラガルは聞いてみることにした。
「ソラスはどこだ。」
いきなりの質問にグロードは、間を置く。
それからエンルフをもう一度見て尋ね返した。
「ソラスに会ってどうするつもりだ?」
「会わなきゃいけない。」
「なぜだ。」
その問いにエンルフは首を傾げた。
なぜだか自分でもわからない。
しかし次の瞬間。
「ソラスなら助けてくれる。」
ぽつりと呟く。
その声はエンルフのものではなく、ラガルのものだった。




