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アラウム

186:アラウム

 暗い、視界が黒に染まっている。

 頭に響く痛みだけが重い。

 訳もわからないまま、頬に押し付けられた感触と共に目が覚める。


 エンルフは床に顔を押し付けられていた。

 硬い靴裏の感触が頭にある。

 固定された視界が見つめるのは、ウォリケの王の間だ。

 ウォリケが王座の前に立っていて、そこに女の姿が見える。

 手足を縛られて泣き崩れるイリフェルの姿だ。


 今すぐにエンルフは駆け寄ろうとした。

 けれど、自身も手足を拘束されていて立ち上がることさえできない。


「うぇえええん!」


 遅れて赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。

 ムルトが桃色の髪の赤子を抱えている、アグロムだ。

 エンルフは心がざわつく。


 ふと視界に赤が映った。

 見ればウォリケが何かを手に持っている。

 ポタポタと滴る何か。


 エンルフの脳はそれを理解することを拒んだ。

 けれど、それが何か嫌でもわかってしまう。


 アラウムの首。


 ウォリケが持っていたのは、まだ幼い息子の首だった。

 切り落とされた断面からは血が滴っていた。

 イリフェルは嗚咽をあげながらアラウムの名を何度も呼んでいる。

 

「っ……!」


 全身の毛が逆立つ。

 エンルフは襲い掛かろうとしたが、立てない。


「ウォリケェエエエエ!」


 気がつけば叫んでいた。

 ありったけの憎しみを込めて。

 なぜ殺されなければならなかったのか。

 それすらわからないまま。


 涙が止まらない、頬を濡らしてぐちゃぐちゃになった。

 アグロムの火のついたような鳴き声が耳に残る。


 兵士の姿に混じってグロードがいた。

 赤子の亡骸を見て呆然と立ち尽くす彼は、動きを止めたように振り返る。

 エンルフの姿を見ると、今にも崩れそうな顔で彼を見ていた。

 目を逸らすと彼は拳を握りしめる。


 笑い声が頭上から聞こえてきた。


「はははは!いい気味だ、エンルフ。」


 他でもないフリードの声だった。

 頭を押さえる力が強くなる。

 頭上を見ようとエンルフは睨んだ。

 そこには嬉しそうに笑うフリードの姿があった。


 エンルフの両の目から流れる涙を見て、フリードは嫌な笑みを浮かべる。


「テメェっ……!」

「裏切り者が逆恨みか?怖い怖い!」


 フリードを燃やそうとしたが魔法が使えない。

 目を見開くエンルフに、フリードは笑いながら言った。


「その首輪がある限り、お前は敵ではない!

 はははは!我らの奴隷と同じだ!」


 そう言われて首に違和を感じる。

 冷たい銀の首輪が輝いていた。


「その女を連れて行け。」


 ウォリケの声が聞こえた。

 無理矢理立たされたイリフェルはよろめきながら連れていかれる。


 その首にはエンルフと同じく銀の首輪があった。


「イリフェル!」


 エンルフが呼ぶと、彼女は力無くこちらを見た。

 今にも壊れてしまいそうな彼女は、エンルフに助けを求めるような目をしていた。


 しかし、兵士に突かれてよろよろと歩き出す。


「どこに……連れて行く!何をするつもりだ!」


 叫ぶエンルフをウォリケは、底冷えする眼差しで見つめていた。

 持っていた赤子の首を兵士に渡すと、エンルフの方に近づいてくる。

 静寂が辺りを包んだ。

 コツコツと足音が響くのがやけに遅く感じる。

 エンルフの眼は先ほどの光景が焼き付いていた。


 首だけになった息子の姿。

 もう会えないという事実がエンルフの心を蝕む。


 アラウムはもう泣かない。

 もう笑わない、「ばぶ」とも言わない。


「何を……か。お前には感謝しているぞエンルフ。」


 ウォリケの重い声が響く。

 エンルフは頭に響くその声が、酷く吐き気を催してしかたなかった。

 

「長年見つからなかった泉の魔女。

 それをこうも簡単に見つけ、オマケにその力を継ぐ子どもまでこさえてくれた。」


 ウォリケはしゃがむとエンルフの顔をあげる。

 エンルフは、ウォリケを睨んだ。

 しかしウォリケはその睨みをものともせず話し続ける。


「これでより泉の力を効率的に引き出せる。

 あとは……血が絶えぬように魔女とその子を孕ませ続けるだけだ。」


「ふざけんな‼︎」


「お前の処遇は追って伝える。

 それまでフリード、この男の扱いはお前に任せる。」


 そう言うとウォリケは去っていった。

 エンルフは首輪に鎖をつけられる。

 その鎖を持ってフリードは、エンルフを引っ張った。


「よし、それじゃあ犬!行くぞ。」


 フリードの軽快な声が響く。

 鎖に繋がれたエンルフはどこにも行けなかった。

 最後のイリフェルの瞳だけが瞼の裏に残っていた。

 

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