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世界の綻び

「なんだ……コレ?」


 エンルフは立ち止まって呟いた。

 ラガルも違和感に気づく。

 先程から景色が変わらないと思っていたが、どうやら同じ場所をグルグルと回っているらしい。

 確かめるために目立つように石を置いて、エンルフは歩いてみた。

 だが、やはり同じ場所に戻ってきてしまう。


「つまんねぇことするもんだな。」


 頭を掻く。

 そして辺りを見渡すと揺らぐように、おかしな箇所があった。

 エンルフは火を灯して近づけてみる。

 

 じゅ、と。

 何かが焼けた。

 木でも、土でもない。

 “景色そのもの”が、焦げている。

 

 少し立ってボコリと風景が膨らんだ。


 エンルフは一歩二歩下がる。


 弾けるように世界が割れた。

 それから、静寂が辺りを包む。

 空の色も、枯れた景色も何も変わっていなかった。

 しかし空気が違う。


 ラガルはエンルフが向かおうとしてる先に、洞窟があるのを見つけた。

 エンルフもそれに気づいたようで、進んでいく。

 日はもう姿を消していた。

 夜が訪れようとしている。


 けれどもエンルフは構わずに進んだ。


 真横を美しい蝶が通り抜けていく。

 その蝶に導かれるようにして、辿る。


 洞窟は少し窮屈な穴をしていた。

 エンルフは屈んで入ると、中の寒さに身を震わせる。

 思ったより広い。

 足元は陸地と、浅い水に分かれている。


 天井から垂れ下がった鍾乳洞が、牙のように出迎える。

 まじまじとエンルフは見ると、隠れていた蝙蝠と目があった。


 ぴちゃん、ぴちゃんと音が鳴り響く。


 光景にばかり目が行って、エンルフは気づかなかったが奥に動く影があった。

 ラガルはその影から目を逸せない。

 影はエンルフに気づくと、後ずさって動きを止めた。


「……来ないで。」


 女の声がした。

 けれど、口は見えなかった。

 影だけが、揺れている。


 その影の手に蝶が止まった。


 エンルフの体が反る。

 その反応に女は意外だったのか、少しの間が空く。

 けれど、エンルフが興味を持って近づこうとしたとき。

 もう一度声がした。


「来ないで。」


 さっきよりも強い。

 エンルフが火をかざすと、女は腕を体の前にやる。

 黒いローブを着た女性だった。


「こんなところで何してるんだ?お嬢さん。」


 エンルフはニヤついた顔で近づく。

 女の腕に彼の手が触れたところで、女は強く振り払った。

 火が舞う。

 それはエンルフの火ではなかった。


「うぁ、おっかねぇ。」


 エンルフはふざけながら手を引く。

 女は口を結ぶと、深く被ったローブ越しでもわかるくらい、男をじっくりと見た。


「……あなた、この間の戦場にいた。」


 決して気を許すことのない声色で女は言う。

 それからローブの前を握りしめる。

 縮こまるように肩を身に寄せて彼女は言った。


「私を殺しに来たのね。」


 唐突な発言にエンルフは、目を丸くする。

 女は立ち直すと、距離を取ろうと下がった。

 壁際で止まる。


「タダで、殺せるなんて思わないで。」


 女の指先に火が灯った。

 エンルフは目を細める。


「……へぇ。」


 次の瞬間、腰を引き寄せた。

 

 触れた瞬間、エンルフは焼けるはずだった。

 なのに、焼けない。

 小さい悲鳴が聞こえた気がした。


 二人は密着するほどの距離になる。


「怖いこと言わないほうがいいぜ。

 殺す気なら、とっくにやってるだろ。」


 エンルフが優しくフードを捲る。

 現れたのは、綺麗な顔立ちの女だった。

 通った鼻筋に白い肌、桃色の髪がふわりと揺れる。


 思わずエンルフは息を呑む。

 彼女の黄金の瞳を前に言葉を失った。


 ラガルは思わず、目を見開く。

 身長や大人びた顔立ちこそ違うものの、彼女は良く知った女性に似ていた。


「触らないで!」


 火と共にエンルフの体が弾かれる。

 エンルフは下がった。

 

「このまま焼き殺してもいいのよ。」


 女の黄金の瞳がエンルフを貫く。

 エンルフはそれだけで、何も言えなくなった。

 こんなこと、グレイの件を除いて初めてだ。


「……名前は?」

「名前なんて捨てたわ。いいこと?

 お前なんていつでも殺せるのよ。」


 笑うのも忘れていた。

 ただもっと、彼女の声を聞いていたいとエンルフは思った。

 声が、妙に馴染む。

 ラガルの奥で、何かがざわついた。

 

「オレ、エンルフ。」


 エンルフは小さな声で言う。

 その様子に、女は少し驚いた。


「どういうつもり?」

「オレさ、アンタともう少し……話したいみたいだ。

 ……また来るよ。」


 女は険しい顔になる。


「帰れると思った?」

「うん、アンタももっとオレと話したいだろ?」


 そう言ってエンルフは片目を閉じた。

 ポカンと女は口を開ける。

 けれどすぐに正気に戻って、エンルフを睨んだ。


 どくん、とエンルフの心臓が脈打つ。


 思わず体がよろめいた。

 ラガルの喉が、引き攣った。


「エンルフ、よく聞きなさい。

 私の前で名前を言うとは馬鹿ね。」


 女の瞳が輝くのが見えた。


「一つ、お前はもうここへは来ないこと。

 二つ、今日のことを誰にも言わないこと。」


 ジリジリと心臓に言葉が刻まれていく。

 呼吸が命令に合わせて動いた。

 エンルフはあまりの痛みに、立っていられない。

 片膝をついて魔女を見上げた。


「三つ、真っ直ぐお家へ帰りなさい。」


 女の声が響く。

 洞窟に反響した音が、頭に直接かかるように。


「返事は?」


 女が首を動かす。

 ぎこちなくエンルフの唇が動いた。


 喉が閉じる。

 言いたくない。


 なのに――


「は、い。」


 言葉が、勝手に出る。

 エンルフの体がゆっくりと入り口に向く。

 その最中、女が“初めて”微笑むのが見えた。

 

 

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