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ひび割れた世界

 塔の匂いは、まだ鼻に残っていた。

 雨の匂いも、土の匂いも……炎の匂いも。

 目が覚めてもまだラガルは、エンルフの中にいた。


「あのジジイ、俺のこと気に入ったろ?」


 虚な声でラガルは言う。

 ティーソエルが焚き火の向こうから、ラガルを見た。

 その視線は測るようだ。


「……どっち?」


 小さな声が落ちる。

 ラガルは答えられない。

 焚き火の炎がパチパチと揺れる。

 木の影が伸びた。


 ラガルは頭が割れるようだった。

 白い塔が見たい。

 壊したい。

 メフェルに会いたい。

 

 ぐちゃぐちゃになっていく。

 境界が淡く、薄く、脆い一本の線になる。

 その線にゆっくりと爪を立てる。

 ジリジリと自分が削られていく感覚。

 背筋が粟立つ。


「お兄ちゃん。」


 ティーソエルの声がした。

 背中に温かい重みがかかる。


「大丈夫だよ……ボクがいるからね。」


 ラガルはゆっくりと目を閉じた。


「壊れても、ちゃんと見ててあげる。」


 その言葉に少しだけの安堵を覚えて。


 *

 

 メフェルたちは進んでいた。

 あの輝く銀の塔を目指して。


「急がなきゃ。」


 シーナはメフェルの焦る様子を見て、やはり怖くなる。

 どこか違和感があるのだ。

 助けに行く顔でもない。

 追いかける顔でもない。

 合流しに行く顔をしていた。


 シーナは思う。


 (メフェルさんは、止めるつもりじゃない。)


 その考えに至った瞬間、足が一瞬だけ止まりかけた。


 ――じゃあ、何をするつもりだ。


 そんな不安に呼応するように、草むらが揺れる。

 魔獣が現れた。

 歪な生き物の姿をしたソレは、まだ一同に気づいていない。


 シーナが短剣に手をかける。


 メフェルがそれを見て言った。


「無視をしていいわ、急ぐの。」


 そんなこと……メフェルが言うだろうか。

 いつもなら、メフェルが先に動くはずだった。

 イーヴァもチラリとメフェルを見た。

 妙な空気が流れて、ウラガフは視線を彷徨かせる。


「メフェルさん、あなた本当に――。」


 シーナの口が開いた。

 言うかは一瞬迷った。

 けれど一度、口をついて出た言葉は戻らない。


「ラガルさんを止める気あるんですか?」


 ミムラスが戸惑うような目線を向けてくる。

 もう、言ってしまった。

 メフェルは止まった。

 つられて仲間たちの足も止まる。


「私は……。」


 メフェルの口が開かれる。

 全員の視線が向いていた。

 これから何を言うか、その動作の一つに至るまで見られている。


「私は果たすのよ。」


 杖を握る手に力が入る。


「あの人との――約束を。」


 答えたメフェルの瞳は、強い意志で輝いていた。

 それを見てシーナは思う。

 この人は……違う。

 ……違うはずだ。

 そう思いたかった。

 でも……きっと、ラガルを止める気はない。


 喉が震える。


 やはり、自分がやらなければ。

 ――ラガルを。


 シーナは目を伏せる。


 遠くの空が歪んだ気がした。

 ウラガフが顔を上げる。

 メフェルは睨むように見上げた。


「……来たわ。」


 空が、歪む。

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