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離れない

 誰も次の一手を打てなかった。

 その沈黙を裂くように、炎が爆ぜた。


「……嫌いだ、お前は。」


 イーヴァを見てエンルフは、呟く。

 そして炎を纏うと、拳でイーヴァに襲いかかる。

 イーヴァは避けることなく、迎え撃った。


「止まれ。」


 重い声でエンルフに命令(・・)をする。

 ぴたりと彼の体が止まった。

 その目は見開いている。


「……オレに何した?」


 炎が勢いを失って消えてゆく。

 エンルフが尋ねた。


「その体はお前のものじゃない。

 返せ。」


「……返せだと?」


 エンルフが笑う。

 が、一瞬だけ顔が歪む。


「――あ?」


 何かが邪魔をしたように、彼の表情が一瞬だけ揺らぐ。

 その奥で、別の意思がもがいた気がした。

 しかし、すぐに嗤いが塗りつぶした。


「奪われる側の言葉だな、それは。」

 

 手の届く距離まで迫っていたエンルフ。

 イーヴァは腕を伸ばし、彼の胸ぐらを掴んだ。

 一気に引き寄せる。


 どくん。


 エンルフは心臓が脈打つのを感じた。

 その胸に何かがあることを悟る。

 瞬間、言葉が脳裏に蘇る。


 ――エンルフを殺せ。


 彼の腕が震えながら首に伸びた。

 肌に触れた手に力が入る。


 エンルフの顔が歪んだ。

 手に血管が浮かび上がる。


「へぇ……面白ぇこと……してくれる。」


 口の端を持ち上げ、ニタリと笑った。

 もがくように体が仰け反り、足がピクリと動く。


「だがな、効かねぇ。」


 エンルフの瞳が見開かれる。

 胸に灯りがともる。

 その光は胸の内から膨れ上がり、次の瞬間、炎となって噴き出した。


 イーヴァはすかさず手を離す。


 やがて全身を覆う炎が立ち上る。

 エンルフは笑っていた。


 彼の胸から銀紋の光が浮かび上がる。

 けれどそれは次第に弱々しくなり、黒い灰となって崩れ落ちた。


「はは……は……は!小賢しい!ウォリケ!」


 嘲る声が響く。

 広げた両腕を天に伸ばし、彼は続ける。


「殺す。殺して……あぁ、いいな。」


 それは宣言だった。


 その場にいた全員が息を呑む。

 炎は留まることを知らない。


「手始めに……そうだな、そこの弱そうなボクちゃん。」


 エンルフがシーナに顔を向ける。

 シーナは体が固まった。

 それだけで喉の奥が渇く。


 エンルフから目を逸せない。

 耳鳴りがして、息と鼓動の音だけが浮かび上がる。


 だらだらと汗が流れた。


「それとも、そこの可愛いお嬢様さ――。」


 言い切らない内だった。

 メフェルが動き出す。

 シーナの手をすり抜けて、エンルフの方に身を投げ出した。


 シーナにはそれが酷くゆっくりとした光景に見える。


 白い服の裾が指から離れていく。

 止められない。


 メフェルは、もうどうでもよかった。

 次の瞬間、メフェルの腕はもうエンルフの背に回っていた。

 

 ――離れない。

 僅かに肌の焼けるような匂いがした。

 触れた瞬間、エンルフの中で何かが引っかかる。


 あのときは――。


 熱が、ふっと消えた。

 

 目の前の光景が切り替わる。

 眩い光。

 気づけば白い世界だった。


 *


 ラガル(・・・)は暗い空間にいた。

 音も聞こえない。

 何も見えない。


 ただ遠い所で熱がある。


 丸くなって、その熱を感じていた。

 懐かしさを覚えながら、微睡む。


 小さくなっていく意識を手放して。


 ゆっくりと沈んでいく。


 不意に世界に小さな白い点が現れた。

 それを見て急に世界がハッキリとする。

 黒と白。

 二つだけだった。

 だが、それだけで自分がいる場所が浮かび上がるような気がした。

 

 ラガルは手も足も見えない中、そこに向かおうと動く。


 向かうほどに世界は白くなっていく。

 相変わらず音はなかったが、彼は近づくほどに自分の姿が鮮明になっていくのを感じていた。


 やがて世界一面が真っ白になったとき。

 目の前によく知る人影が現れた。


 周囲に同化するような白のワンピース。

 ふわりと揺れる桃色の髪。

 こちらを捉えて離さない黄色い瞳。


 メフェルがそこにいた。


「……。」


 ラガルは無言で走り出す。

 彼女の元に行きたいと願った。


 メフェルはワンピースを翻して、先をいく。


「……メフェル!」


 ラガルは彼女の名前を呼んだ。

 初めて音が生まれた。

 鼓動が徐々に聞こえ出す。


 メフェルはこちらを見もしない。

 彼女の足は一歩ずつ進んでいった。


「メフェル!」


 次はもっと大きく呼んだ。

 あともう少しで彼女に触れられそうだ。

 指先が届いた。


 彼女の手を絡めとる。


 掴んだはずの手の感触が違う。

 そこで初めて、ラガルは目の前の顔を見た。

 気づけばいつもより目線が高くなっていた。

 目の前には知らない女がいる。


 メフェルよりも背の高い、綺麗な女。

 淡い桃色の髪に黄色い瞳。


「イリフェル。」


 口をついて出た。

 ——なぜその名を知っているのかも、わからなかった。

 けれど、それを疑問にも思わない。

 彼女が僅かに笑う。


 世界は徐々に光を増していく。

 そして光が頂点に達したとき。


 視界は燃える火の森へと変わっていた。

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