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完成

 指先からどろりと宝珠の赤が滴る。

 ラガルは自然と封印を解いていた。

 

 妖艶、その言葉が相応しい。

 それは罪を煮詰めたような色をしている。

 ティーソエルがそばにあった皿を手に持ち、溶けた赤を受け止めた。


 皿が血で満たされていく。


 ラガルの心臓はやけに煩かった。

 濡れた手は生暖かく、またてらてらと輝いている。

 喉がゴクリと鳴った。


 ――欲している。

 自分が。

 ……飲みたい。


(違う、これは俺じゃない)


 指先は何かを求めるように、震えている。

 

「それは私のものだ!」


 ウラガフはティーソエルの拘束から逃れようと、身じろぎした。

 けれど、影は食い込むばかりで逃れられない。


「ティーソエル、離せ!」


 ウラガフはティーソエルに言ったが、拘束が解かれる様子はない。

 何かがおかしいことに気づいたウラガフは、必死に手を動かそうと試みる。


 そんな兄を見て、ティーソエルはくすりと微笑んだ。


「お兄様、大丈夫だよ。

 ボクはいつだってお兄様のことを思ってる。」


 そしてティーソエルは皿を持ったまま、動きの取れないウラガフに近づく。

 愛おしいものを見る目で、兄の顔を見た。

 ウラガフの頬に手が伸びる。


「お兄様が望むこと知ってるよ。

 ……ずっと見てたから。」


 そう囁くティーソエルに、ほっとウラガフは息を吐いた。

 頬に手が触れる寸前で、指が離れる。


「でもね、貴方は誇り高いけど、器じゃない。

 それにね……壊れるところ、見たいなぁ。

 きっとすごく綺麗。」


 ティーソエルは並々と血が注がれた皿を掲げる。

 その表面はぬらりと揺蕩い、鉄の匂いを辺りに散らした。

 ウラガフは何を言われたのか理解できずに、目を丸くしてティーソエルを見ていた。


「コルプト兄様。」


 ティーソエルがラガルの前に立って、彼の頬を掴む。

 これから一体何をされるのか、ラガルは予測できずに体を強張らせた。


「あなたが完全になるときがきた。」


 ラガルの唇に皿の縁が触れる。

 彼は口を食いしばった。

 ティーソエルは頬を掴む手に力を入れる。

 それだけでは開かなかったが、這うように影が伸びてラガルの顎頭に伸びた。


 そのまま、頭と顎を影に押さえつけられる。


 首を振ろうとラガルは力を入れたが動けない。

 顎が僅かに動き、唇に隙間ができる。

 影がその隙間に入り込み、穴を押し広げた。


「我慢はよくないよ?

 受け入れなきゃ、運命を。」


 ラガルに押し付けた皿を、ティーソエルが傾ける。

 濃い匂いがラガルの鼻をついた。

 反射的に咽返そうとしたが、押さえつけているティーソエルが許さない。

 ラガルの顔を無理矢理上に上げて飲み込ませようとした。


「なに……をしている、やめろ!

 ダメだ、ティー!」


 ウラガフがティーソエルの行動に、叫び声をあげる。

 先ほどまでの態度とは一変して、縋るような声。


 ラガルはその声を聞きながら、必死に目線を動かす。

 床を握る手に血管が浮かんだ。

 

 しかし堪えきれなくなって、喉仏が上下に動く。

 口の中に生臭い匂いが残った。

 影から解放されたのは、飲み込んですぐだった。


「っは!」


 口から血を滴らせながら、ラガルは息をする。

 喉を通った瞬間、戻れないと理解した。


 急いでラガルは吐こうとする。

 しかし、無理だ。

 それどころか、体が熱い。

 身体中の血が沸騰したように、暴れ回っていた。


「ぁ……ああ!」


 ガンガンと頭が打たれたように痛い。

 目の前がかき混ぜられたように、視界が歪む。

 心臓が張り詰めたように、脈打って胸が苦しい。


 魔が暴れているのがわかった。

 魂が引っ掻き回される痛みだ。


 涙が滲むのを、ティーソエルは見下ろしている。


 一瞬、自分が自分でないような感覚に飲まれる。

 記憶のゆらぎの向こうに、身に覚えのない名前が刻まれる。

 視界に入る、見慣れた青い髪が気持ち悪く思えた。


 ――わからない、俺は誰だ?


 胸が軋んだ。

 強く軋んだ。


 それは熱い炎だった。

 何よりも熱い灼熱の炎。

 心の底から何かが湧いてくる。


 ふっと、体が軽くなったような気がした。

 いや、鉛のように重い。

 上下がわからなくなるほどの目眩。

 思わず蹲った体から炎が吹き出た。


 側にいたティーソエルが後ずさるほどの炎。

 凍てついた炎なんかではなく、本物の熱を持った炎。


 石台が熱に触れてドロリと溶けた。


「これで完成(・・)したね、お兄ちゃん。」


 ティーソエルは満足そうな笑みを浮かべる。

 全てを燃やし尽くす炎を、ラガルは纏っていた。

 炎の中で、それは笑う。


 誰も名前を呼べなかった。

 それが誰なのか、わからなかったからだ。

 

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