手は止まらない
首に当たった剣の冷たさで我に帰る。
ラガルは――一瞬、名前を思い出せない。
……さっきまで何を考えていた?
あれは過去だ。
もう終わったはずの記憶。
彼は儀式の間へと連れてこられていた。
石扉を押した先に、何度も自分が目にした光景が広がる。あの石棚も、石台も全てがそのままに、形を留めていた。
冥府で感じた静けさとは違う。
ここには、死者の声が押し殺されている。
同じものを、別の形で閉じ込めているだけだ。
埃の積もった部屋にラガルは、時の流れを感じた。
「祖父はもうこの世にいない。
お前を守るものはなにもない。」
ウラガフが部屋を見つめるラガルにそう言った。
ラガルの目が揺れる。
動揺を見て、ウラガフは笑みを浮かべた。
そして石台の上に赤い宝石を置く。
「最期の様子も聞かないのがお前らしい。
さあ、コルプト。
これが何かわかるな。」
「……血の宝珠。」
赤く黒く、艶めかしいほどに美しく輝くそれは、エンルフの魂であった。
目の前にすると、ラガルの心臓がドキドキと脈打つ。
手錠を掛けられていなければ、すぐにでも手を伸ばしたかった。
「封印を解け、コルプト。
さもなくばあの世で祖父と会うのだな。」
ラガルの首に当てられた刃が、ゆらりと光る。
きっと祖父は、この刃に殺されたのだとラガルは悟った。
それでなければヴィータナグか。
「……用が済めば俺を殺すだろう。」
ラガルはウラガフを視界に捉えようと、目を動かす。
だが、その姿はわからない。
首元の刃と背後の気配だけが、彼の存在する確かな証拠だった。
「態度次第だ。お前の力は有用だ。」
ウラガフは剣にかかる力を強くする。
選べ、という選択だった。
「あの小人の子、殺しちゃうけどいいの?」
そんなとき背後で気配を殺していたティーソエルが、口を挟む。
ラガルは口を結び、しばし考えると言った。
「封印を解いて……お前はなにをする気だ、ウラガフ。」
「王になるに決まっている。
お前が投げ出した王にな。」
ラガルは首に剣を当てられているのにも関わらず、振り向いた。
突然のことに、ウラガフの動きが固まる。
慌てて剣を握り直した。
ラガルはウラガフをじっと見つめると問う。
「王になって何を為すというのだ。」
「それはもちろん、銀の目一族から我らの誇りを取り戻すのだ。私はその為に……。」
「誇りとはなんだ。」
ラガルの声は異様に低く響いた。
ウラガフは質問に答えられず、戸惑う。
幼い頃から教えられてきたことだ。
それ以外になかった。
「早く、封印を解け。」
誤魔化すようにウラガフがせっつく。
ラガルはウラガフを見つめたまま動かなかった。
「できぬ。」
ウラガフは剣の腹で、ラガルを打つ。
鈍い音が響いて、呻き声が聞こえた。
「私が王になるのが悔しいのか?
つまらない反抗のつもりか!」
もう一度、ウラガフは剣を振るった。
ラガルはそれでも首を振らなかった。
「お前では血に耐えられない。
壊れて……っしまう。」
痛みに耐えながらラガルは言った。
その言葉がウラガフの逆鱗に触れるとも知らずに。
眉間に皺を寄せ、目を吊り上げたウラガフが、斬りかかろうと剣を構える。
ラガルはその顔を見て、ヴィータナグそっくりだと思った。
迫る刃がゆっくりと自分に向かってくるのを見て、冷気が漏れでる。
氷を目の前に出そうにも、ウラガフとの距離が近すぎた。
刃が前髪に触れた。
毛が何本か切れた。
だが、そこで剣の勢いは止まって、ウラガフは感情を押し殺すように息をしていた。
「ダメだよ、お兄様。」
よく見れば、剣に黒い影が纏わりついている。
ティーソエルが止めたのだ。
そのままスルスルと影が伸びていき、ウラガフの体を縫い付ける。
「お兄ちゃんも、ね。意地悪しないの。」
ティーソエルは血の宝珠を持つと、コルプトの目の前に持ってきた。
「コルプト、本当は封印解きたくて仕方ないんでしょ。うずうずしてるの、ボクわかってるよ。」
そして、コルプトの鎖を影で断ち切ると、彼の両手を自由にする。
ウラガフは止めようと、動いたが体が微動だにしないことに気づいた。
嫌な汗がウラガフの背中を伝う。
ラガルは拒もうと思ったが、自由になった両手は意志と反して、宝珠に伸びていた。
そこだけ時間が間延びしたように、酷く遅く感じる。
宝珠に指が触れた。
触れた瞬間、胸のざわめきが静まった。
それと同時に、指を引こうともした。
だが離れない。
吸い付くように、離れない。
暖かい温もりと脈を感じる。
複雑な輝きにラガルはもう囚われていた。
「お兄ちゃん、素直になりなよ。
だってそれ、お兄ちゃんのものでしょ?」
ティーソエルの甘い囁きが聞こえた。
思考が、そこで途切れる。
それでもなお、口だけが動いた。
「やめろ……。」
それでも、手は止まらない。
どこかで、何かが砕ける音がした。
それが何かを、理解する前に。
――赤が溢れた。




