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子守唄は止んだ

 幼い頃の思い出。

 それはラガルの古い記憶だった。


炎の大地を癒す水(コルプト)、私の可愛いコルプト。」


 そう囁くと、熱のこもっていた部屋の空気がふっと和らいだ。

 

 女が子どもを腕に抱いて、子守唄を歌っている。

 暖かな声、腕の熱、鼓動の音。

 全てに包まれて子どもは眠っていた。


「ハルパ!」


 ――男が部屋に入ってくるまでは。


 後ろに撫で付けた、黒髪が光る。

 鋭い黒の瞳が女を捉えた。


「いけません、ヴィータナグ様!

 お待ちに!」


 下女の声が聞こえる。

 しかしヴィータナグは無視をすると、(ハルパ)に詰め寄った。


「その……子どもは、どういうことだ!」


 ハルパの腕から子どもが乱暴に奪われた。

 子を失ったハルパの指が空を掴む。

 次の瞬間、子は宙を舞い――廊下の壁に叩きつけられた。


 すぐに寝息は鳴き声に変わる。


 ヴィータナグが剣を抜く音が聞こえた。

 すぐ側に剣が突きつけられた。


 ――母様が打たれる音が聞こえる。


 祖父が騒ぎを聞いて駆けつけるまで、音が止むことはなかった。



 


 気がつけばラガルは牢にいた。

 冷たい床に寝かされて、体の節が痛む。


「やっと起きたか、呑気なやつめ。」


 鋭い声が響く。

 ウラガフが鉄格子の隙間から、こちらを見ていた。


「……ここは。」


 ラガルは辺りを見渡す。

 青い石壁に囲まれた牢獄に閉じ込められているようだった。


 ぼんやりとした頭で考える。

 どれくらい経っただろうか。

 一晩の気もするし、もっとのような気もした。


「久しいな、兄上。」


 ウラガフは暗い瞳でラガルを見下ろしていた。

 しばらく、誰も何も言わない。

 先に視線を逸らした方が負けだとでも言うように。

 

「……弟面をするな。」


 ウラガフはふっと笑って返す。


「父が違っても、母上は同じだろう?」


「また、始まったよ。」


 その様子を見てどこからか、ティーソエルの声が聞こえる。

 ラガルがウラガフの足元を見ると、いつの間にかティーソエルが座り込んでいた。


「やっほー、お兄ちゃん。

 気分はどぉ?」


「……。」


「返事しなくていいのかなぁ?

 あのチビちゃんがどうなってもいいの?」


 そう言ってティーソエルは、腰にぶら下げた小さな鈴を揺らした。

 遠く、どこか下の方から、しゃくり上げるような泣き声が微かに響く。

 

 膝がわずかに浮く。

 

 だが手首の腕輪が、それ以上を拒んだ。


 ラガルの眉がわずかに寄る。


「……放せ。」


「嫌だよ。」


 ティーソエルが舌を出す。

 ウラガフは牢の扉を開けると、ラガルの手錠はそのままに繋がれた鎖を外した。


「立て。」


 低い声だった。

 昔から、この声音だけは体が先に強張る。

 

 剣先をラガルの首に押し当て、ウラガフは命令した。


 ラガルは、ウラガフを見つめたまま立ち上がると、切先に押されるように歩き出す。


 牢を出て、青い石の階段を登る。


 足音が三人分。

 バラバラに響く。


 やがて大きな扉を開けると地上に出た。

 継ぎ目のない石の廊下が真っ直ぐ続く。

 ラガルはその光景に喉を鳴らす。


 それは見慣れた故郷の姿だ。


 気がつけば息が浅くなっていた。

 何度も歩いたはずの廊下なのに、足がわずかに止まる。

 

 吹き抜けになった廊下には雪が舞い込む。

 寒さに思わず肩を震わせると、後ろから剣で小突かれた。


「進め。」


 ラガルは言われるまま歩く。

 その間に、色々な事を思い出していた。


 石に返る足音のたび、胸の奥で何かが軋んだ。

 ラガルとして過ごした時間が、故郷の冷たさに押されて薄れていく。

 それでも足は前に出た。


 冷たい風が吹いて、ラガルの頬を撫でていく。

 そして意識は過去に戻っていった。

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