子守唄は止んだ
幼い頃の思い出。
それはラガルの古い記憶だった。
「炎の大地を癒す水、私の可愛いコルプト。」
そう囁くと、熱のこもっていた部屋の空気がふっと和らいだ。
女が子どもを腕に抱いて、子守唄を歌っている。
暖かな声、腕の熱、鼓動の音。
全てに包まれて子どもは眠っていた。
「ハルパ!」
――男が部屋に入ってくるまでは。
後ろに撫で付けた、黒髪が光る。
鋭い黒の瞳が女を捉えた。
「いけません、ヴィータナグ様!
お待ちに!」
下女の声が聞こえる。
しかしヴィータナグは無視をすると、女に詰め寄った。
「その……子どもは、どういうことだ!」
ハルパの腕から子どもが乱暴に奪われた。
子を失ったハルパの指が空を掴む。
次の瞬間、子は宙を舞い――廊下の壁に叩きつけられた。
すぐに寝息は鳴き声に変わる。
ヴィータナグが剣を抜く音が聞こえた。
すぐ側に剣が突きつけられた。
――母様が打たれる音が聞こえる。
祖父が騒ぎを聞いて駆けつけるまで、音が止むことはなかった。
*
気がつけばラガルは牢にいた。
冷たい床に寝かされて、体の節が痛む。
「やっと起きたか、呑気なやつめ。」
鋭い声が響く。
ウラガフが鉄格子の隙間から、こちらを見ていた。
「……ここは。」
ラガルは辺りを見渡す。
青い石壁に囲まれた牢獄に閉じ込められているようだった。
ぼんやりとした頭で考える。
どれくらい経っただろうか。
一晩の気もするし、もっとのような気もした。
「久しいな、兄上。」
ウラガフは暗い瞳でラガルを見下ろしていた。
しばらく、誰も何も言わない。
先に視線を逸らした方が負けだとでも言うように。
「……弟面をするな。」
ウラガフはふっと笑って返す。
「父が違っても、母上は同じだろう?」
「また、始まったよ。」
その様子を見てどこからか、ティーソエルの声が聞こえる。
ラガルがウラガフの足元を見ると、いつの間にかティーソエルが座り込んでいた。
「やっほー、お兄ちゃん。
気分はどぉ?」
「……。」
「返事しなくていいのかなぁ?
あのチビちゃんがどうなってもいいの?」
そう言ってティーソエルは、腰にぶら下げた小さな鈴を揺らした。
遠く、どこか下の方から、しゃくり上げるような泣き声が微かに響く。
膝がわずかに浮く。
だが手首の腕輪が、それ以上を拒んだ。
ラガルの眉がわずかに寄る。
「……放せ。」
「嫌だよ。」
ティーソエルが舌を出す。
ウラガフは牢の扉を開けると、ラガルの手錠はそのままに繋がれた鎖を外した。
「立て。」
低い声だった。
昔から、この声音だけは体が先に強張る。
剣先をラガルの首に押し当て、ウラガフは命令した。
ラガルは、ウラガフを見つめたまま立ち上がると、切先に押されるように歩き出す。
牢を出て、青い石の階段を登る。
足音が三人分。
バラバラに響く。
やがて大きな扉を開けると地上に出た。
継ぎ目のない石の廊下が真っ直ぐ続く。
ラガルはその光景に喉を鳴らす。
それは見慣れた故郷の姿だ。
気がつけば息が浅くなっていた。
何度も歩いたはずの廊下なのに、足がわずかに止まる。
吹き抜けになった廊下には雪が舞い込む。
寒さに思わず肩を震わせると、後ろから剣で小突かれた。
「進め。」
ラガルは言われるまま歩く。
その間に、色々な事を思い出していた。
石に返る足音のたび、胸の奥で何かが軋んだ。
ラガルとして過ごした時間が、故郷の冷たさに押されて薄れていく。
それでも足は前に出た。
冷たい風が吹いて、ラガルの頬を撫でていく。
そして意識は過去に戻っていった。




