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ヘレーの冥府

「行くな!」


 ラガルが叫ぶ。

 だが手は空を掴み、メフェルの姿は水鏡の奥へと消えていった。


 ラガルは目を見開く。


 躊躇う暇などなかった。


 次の瞬間、後を追うように水の中へと飛び込んだ。


 冷たい水が全身を包む。

 息が詰まり、視界が白く弾けた。


 そして意識が途切れる。

 

 

 *



 ぽちゃん


 水音が響く。

 

 気がつけばメフェルは、青白い光が揺らめく洞窟で横たわっていた。

 水晶が至る所から生えており、空気は冷たい。


 背後には小さな湖が広がっており、メフェルの姿を映し出した。


 彼女は、辺りを見渡す。


 どこにも先程の人影はない。

 ひとまず移動しようと、立ち上がる。


 そびえたつ透明な青い石たちの中には、光が宿っていた。

 耳を澄ませば死者たちの嘆きの声が聞こえてくる。


【助けてくれ……。】


 メフェルはその声を無視して進む。


 進んでいくと一際大きな水晶がある。

 その中に、女が閉じ込められていた。

 それはメフェルとよく似た顔だ。


「見つけた。

 ……まだ残してくれていたのね。」


 メフェルは笑う。

 ここまで来るのにだいぶ掛かってしまった。

 水晶に手を重ねる。


銀の目(グロード)は相変わらず鈍感ね……。



 そのおかげで助かったわ。」


 その笑みには安堵が見えた。


「……ヘレーどこにいるの?」


 メフェルの声が響く。

 いつもの柔らかな声は失せ、冷ややかな声が響いた。

 

 背後から足音がする。

 

 振り返ると、青白い肌をした女がいた。

 薄氷のような髪。

 夜のような紫の差し込むその色は、ラガルと同じだ。


 白い礼服に身を包んだ女性は、メフェルを真っ直ぐに見つめると微笑む。


「グルム。」


 メフェルの肩が跳ねる。

 聞き覚えのない声に、懐かしいと感じてしまう。

 見覚えのない顔に、安堵を覚える。


「……ヘレー?」


 恐る恐るメフェルは尋ねた。

 ヘレーと呼ばれた女は、その様子に悲しそうな表情をする。


「そう、まずそこからなのね。」


 彼女はメフェルの前に立つ。


「わたしはシェラの娘、ヘレー……。」


 ヘレーは腕を上げると、メフェルに告げる。


「ここは……魔の者の冥府。

 罪人の魂を集める場所。


 わたしは……番人。」


 一拍間を置いて彼女は続ける。

 

「銀の目にも魔族にも与しない。

 ただ中立を求めるシェラの乙女。」


 そしてヘレーは表情を綻ばせた。


「あなたを逃す……悪い人。」



 

 

「はっ!」


 ラガルは目を開く。

 彼もまた気がつけば、洞窟の中にいた。


 飛び上がり、辺りを見渡す。

 遠くの方から女の声が聞こえた。


 駆け出す。


 もしも自分が戻れなくても、メフェルだけでも返すという決意があった。

 額から汗が落ちる。

 なぜ、自分がこんなにも急いているのかわからない。


 だが、わからないまま足を動かしていた。


 桃色の後ろ姿が目に映る。



「……ル!……メフェル!」


 無我夢中で腕を引いた。

 メフェルの顔が驚きに包まれる。


 側にいた女も、僅かに目を開いた。


「ら、ラガル?」

「戻れ。」


 それしか言えなかった。

 顔が熱い。

 最悪を考えて、今にも胸が張り裂けそうだった。


「待って……もうちょっと。」


「……時間切れ。わたしにできることはした。」

 

「ヘレー、待って!

 私だけじゃなく、この人も!」


 メフェルがラガルの手を引く。


 ゆっくりとヘレーは首を振る。


「残念。」


 そしてメフェルを見た。


「この冥府に縁があるのは――グルム。あなただけ。」


 最後にラガルを見る。


「おまえの魂は、ここにはない。」

 

「そんな……。」


 メフェルの表情が曇った。

 そしてヘレーは告げる。


「さあ、早く帰れ。

 ここは生者のくる場所でない。


 さもなくば……。」


 辺りの温度が下がり始めた。

 ラガルは異変を察知して、走り出す。


 メフェルも後ろ髪を引かれるように、ヘレーを見つめていたが、ラガルに導かれるまま走り出した。


「それでいい……。

 またね……。」


 最後にヘレーが何かを呟く。

 その声を背に、二人は泉へ飛び込んだ。

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