水の乙女の礼拝路
青緑の薄暗い岩。
冷たい空気が向こうから吹き抜けてくる。
だがそれは外の刺す空気とは違う。
湿った重たさを持つ空気だった。
岩場は薄く濡れ、どこかで水の落ちる音がする。
「暗い……。」
ミムラスがシーナの隣で呟いた。
メフェルの光球が通路を淡く照らすものの、その灯は闇の先までは届かない。
まるで、山の中にもう一つの世界があるようだった。
「戻るのは一苦労しそうだな。」
イーヴァは穴の縁を見上げながら言う。
ラガルの瞳は通路の奥に向いていた。
どこへ続くかわからない穴に、興味が向いているようだった。
しばらく黙っていたメフェルが、水盆の方を振り返る。
「……行きましょう。」
そう言って、光球を一つ奥へ進ませる。
光が闇を押しのけるように進んだ。
岩の通路は、まだ先へ続いていた。
「ここは……なんなんでしょうね?」
シーナが壁に手をつきながら尋ねる。
山の中に掘られた通路は、手入れされている様子はなかったが、造りがしっかりしていた。
「……この土地は地下で移動する。
そのための穴だ。」
ラガルが答える。
先程から何かを警戒するように壁の紋様を辿りながら、歩いていた。
歩いていると、道が三手に別れた。
ラガルは迷うように一瞬止まる。
「別れ道か……。」
イーヴァが言った。
穴の周りには紋様が描かれており、それぞれ違う。
ラガルは通路の絵を見ると、眉を顰めた。
「……やはりこの通路を使うのは気が乗らぬ。」
「今更どうしてよ。」
メフェルがラガルに尋ねた。
ラガルは迷うようにメフェルを見ると、口を閉ざす。
「お前なぁ、言いたいことがあるなら言わなきゃわかんねぇぞ。ほら、言え。」
イーヴァが黙り込むラガルを見かねて言った。
すると、ラガルは驚いたように顔を上げ、口を動かした。
「……おそらく、この通路は我が一族が使ってたものだ。
このまま行くと故郷の近くを通ることになる。
だから、嫌だ。」
言い終えたラガルは、口に手を当てて俯く。
イーヴァとメフェルは目を丸くするが、次にメフェルがイーヴァを責める目に変わる。
イーヴァも自分がなにをしたか理解したようだった。
「……すまねぇラガル。」
「……。」
ラガルは口を結ぶと横を向く。
まるで拗ねているようだとメフェルは思う。
だがラガルが渋った理由がわかった。
「そんなこと言っても……もうミムラスが限界よ。
外を歩くには酷だわ。」
メフェルが言うと、ラガルは頷く。
「わかっておる。
……ここから銀の大地に続く道へ行くには、避けられぬ道だ。覚悟はできて、いる。」
「そう……ならいいけど。」
メフェルはそう言って壁の模様を見つめた。
何を描いているかはわからないが、見つめていると意味を持った絵に見えてくる。
中央は蛇、右は女の絵、左は複雑すぎてわからない。
「それでどっちに行けばいいの?」
ミムラスが穴を見上げる。
「……左は違う。
中央は我が故郷。
右が……水の乙女の場だ。」
ラガルはなでるように紋様をなぞった。
凹凸が指の腹に当たる。
最初から道は決まっていた。
「じゃあ右ね。」
メフェルが杖をかざす。
ラガルは小さく頷いた。
シーナとミムラスがその先を覗く。
ラガルが先に立って、その道へ進んでいった。
「……この道は古い礼拝の道だ。」
ラガルは途中そう話す。
「なんでわかるんですか?」
シーナが尋ねると、ラガルはまた少し間を置いて話した。
それは慎重に言葉を探しているようにも見える。
「代々、教わるからだ。」
ラガルの返答は短い。
まるでそれ以上は話したくないと言うようだった。
壁際には、砕けた石皿のようなものがいくつも積もっていた。
何度か分かれ道を過ぎて、薄暗い道を歩いていく。
道中、ミムラスしか入れないような小さな横穴などがあった。
何度か休みながらも、進んでいく。
昼夜が消え、時間の感覚がわからなくなったころだった。
気がつくと、空気がより一層冷えていた。
水音がより近く聞こえる。
「……ここ、寒いね。」
ミムラスが身を縮める。
水底のような寒さに、シーナも肩を振るわせた。
やがて通路の幅が広くなる。
ラガルが足を止めた。
「……着いたな。」
その先は、ぽっかりと開けた空間になっていた。
天井は高く、暗がりの奥までは見えない。
岩壁には人の手で削られた跡があり、床には浅く水が流れている。
中央には、円形の石台があった。
その背後の壁いっぱいに、一人の乙女の姿が彫られている。
長い髪を垂らし、鏡を掲げるその姿。
足元には水を模した波紋が幾重にも刻まれていた。
メフェルが息を呑む。
「ヘレー……。」
その呟きが反響する。
シーナが横を向くと、大きな石門を目にする。
それは大人の男三人が並んでも余るような、巨大な門だった。
表面には鏡と水の紋様がびっしりと彫り込まれている。
「これは……。」
シーナが一歩後ろへ下がると、他の面々も門に気がつく。
門の隙間からは白い光が漏れていた。
誰も口を開かない。
水音だけが、静かに響く。
ミムラスがそっとシーナの袖を掴む。
「ねえ、あの先、まだ続いてるの?」
答えたのはメフェルだった。
「ええ。」
彼女は門を見上げたまま、はっきりと言う。
「ここは、まだ入口よ。」
そう言う彼女の口元は、確かに笑っていた。




