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断崖の朝

 山へ行くことを決めてから一週間。

 一同は東へ移動しながら、なんとか登山の道具と荷を集めた。


 まだ空が白ばんでいる頃。

 メフェルたちは切り立った崖を見上げる。

 それは世界を塞ぐような大きな壁だった。


 乾いた風が吹き下ろし、砂を巻き上げる。


「これ……登れるんですか?」


 シーナがごくりと喉を鳴らす。

 少年は圧倒されていた。

 ミムラスは最早、魂が抜けたように口を開けて立ち尽くしている。


「登れぬなら山とは呼ばぬ。」


 ラガルが返す。

 その視線はすでに上へ向いていた。


 イーヴァは岩肌に手を当て、足場を確かめる。

 そして低く言った。


「行くぞ。落ちたら死ぬ。」


 その言葉を合図に、一行はガラン山脈へ足をかけた。




 最初の一歩は思ったよりも簡単だった。

 岩肌には所々、足をかけられる窪みがあり、手を伸ばせば掴める割れ目もある。


 だがそれは“道“ではない。


 掌に乾いた岩が食い込む。

 足を置けば砂が滑り、体重をかけると嫌な感触がする。


 まだ耐えられないほどではなかった。

 

 だが同じ動作を何十回と繰り返すうちに、次第に体は火照り、息が乱れていく。砂の照り返しと耳鳴りだけが、やけにうるさかった。

 

 シーナは多少、旅慣れてきていたはずだ。

 だが山登りを初めてすぐに、この時間が永遠だと錯覚する。


 背中の荷の重さよりも、背の間に籠った熱が鬱陶しい。


「はぁ……もう、疲れてきた。」


 ミムラスが愚痴をこぼす。


「まだ始まったばかりだよミムラス。」


 シーナはそう言うものの、同じ気持ちだった。

 腕が少し気怠い。


 足元を見れば、すでに地面はかなり遠い。


 イーヴァが先頭で足場を探しながら言う。


「足場をよく見ろ。

 砂の乗ってる岩は使うな。崩れる。」


 短く指示を出しながら、彼は迷いなく登っていく。

 慣れているのか、度胸があるだけなのか、シーナにはわからなかった。


 ラガルはその後ろを静かについていく。

 呼吸は乱れず、手足の動きも滑らかだった。


「……慣れてるんですか?」


 シーナが思わず聞いた。


「山など、珍しくもなかろう。」


 ラガルは簡潔に答える。


 それが答えになっているのかどうか、シーナにはよくわからなかった。


 しばらく登ると風が強くなってきた。

 乾いた熱風が崖から吹き下ろし、砂を巻き上げる。


 メフェルは目を細めながら、黙々と登った。

 休む気配は一向にない。


「ちょ、ちょっと待って!」


 後ろからミムラスの声がする。

 振り返ると、彼女の足が岩の端で止まっていた。

 

「足場、ないんだけど!」


 見れば、次に踏み出す場所が遠い。

 シーナたちの足では届くが、ミムラスの足では届かない位置にあった。


「右だ。」


 ラガルが言う。


「……え?」


「右の割れ目。」


 ミムラスが言われた方向を見る。

 確かに細い裂け目があるが、そこに足を入れるのは少し怖い。


「無理!」

「行け。」


 ラガルは短く言った。

 半ばやけになってミムラスが足を突っ込む。


 その瞬間。


 ザッ、と砂が崩れた。


「きゃっ――!」


 体が大きく傾く。


 落ちる。


 そう思った瞬間、腕が引かれた。

 ラガルの手がミムラスの腕を掴んでいた。


 無言で引き上げると、何事もなかったかのように手を離す。


「……。」


 ミムラスはしばらく口を開けたまま固まっていた。


「落ちたら死ぬぞ。」


 イーヴァが振り返らずに言う。


「言っただろ。」


「今のは落ちかけただけでしょ!」


「次は死ぬ。」


 淡々とした声だった。


 ミムラスは文句を飲み込む。

 そのまま、また登り始める。


 それでも崖は、少しも近づいたようには見えなかった。

 

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