死の頂へ
閉ざされた部屋の中。
メフェルは空を見つめる。
そこにはいつだって星が見えた。
あなたの場所が。
でも今は雲に覆われて見えない。
「……無理だってわかってた。」
全部をいっぺんに掬いあげることなんか、誰にもできやしない。
ましてや、欠けた自分に何ができようか。
死の乙女に合わなくてはならない。
なんとしても。
ラガルのことも……呪紋はどうにかならなくても、魂くらいはどうにかできるだろう。
だが、その魂を戻すことは……きっと。
メフェルは窓に積もった砂を、指の腹で撫でる。
そしてフッと息を吹きかけた。
砂はサラサラと光を纏いながら宙へ消える。
あの人を愛している。
愛しているからこそ、私は非情になれる。
「最初から道なんてなかった。
そんなこと知ってた。」
――何かを得るには何かを失う必要がある。
それはかつて私があの人に言った言葉だった。
あの人に言った言葉さえ、いつしか朧げになっていた。
私が忘れてしまってどうするのだろう。
今の彼を好きなのか、昔の彼を好きなのか。
もはやグチャグチャだ。
答えは選べない。
今の彼も好きだが、求めてしまうのはあの声だ。
「せめて取り戻すなら……。」
私の手で。
──彼の“今”が潰れても。
名を呟いて、扉の向こうへ踏み出した。
*
「山を越えるわよ。」
ラガルたちのいる部屋に入ったメフェルが、最初に言った一言はそれだった。
いつもよりも鋭いメフェルの表情に、シーナは少し驚く。
イーヴァは瞬きをした。
彼女がなにを言ってるのか彼は理解ができない。
イーヴァが考えてる間に、ミムラスが質問をした。
「来て早々どうしたのメフェル。」
「これからの旅の行き先に迷ってたんでしょう?」
「まあ、そうだけど……山を越えるって?」
ミムラスは外を見る。
大きな岩たちは沢山あったが、山のようなものはどこにも見えない。
メフェルは戸惑う一同の前に座ると、絵を描くように空中に指を伸ばした。
「話は聞こえていたわ。
サンオドアルから直接戻れないのなら。
このままノクオドアルまで行って、陸路で戻りましょう。」
指先をイーヴァが追う。
そこまで聞いて、彼はようやくメフェルの言ってることを理解した。
「……まさか、ガラン山脈を越える気か?」
聞きなれない言葉にミムラスとシーナが首を傾げる。
ラガルは「そうか」と呟いた。
それきり何も言わず、ただ視線だけを伏せた。
イーヴァは首を振ると口を開く。
「馬鹿を言え、あれは山とは言うが断崖だぞ。
人間の体力で登れるわけ。」
「いいえ、登るの。」
キッパリとメフェルは言い切る。
「登れないなら死ぬだけよ。
でも、ここで止まる気はないわ。」
その声音には、一切の揺らぎがなかった。
ただ一人、イーヴァは頭を抑える。
そして何もわかってないミムラスとシーナに語りかけた。
「ガラン山脈はサンオドアルとノクオドアルを隔てる壁だ。
足場はある。だが魔族でも登頂は難しい。ノクオドアル側じゃ“死の頂”なんて呼ばれてる。」
その説明を聞いて、ミムラスの顔が引き攣った。
「正気……?」
「正気じゃなきゃ、こんなこと言わないわ。」
メフェルは即答した。
その目には迷いがない。
「無茶だ。」
イーヴァはきっぱりと言った。
「登る前に水が尽きる。落石もある。俺たちは登山家じゃない。」
「それでも行くのよ。」
その返答が一拍も置かれなかったので、イーヴァは黙った。
メフェルはラガルを見た。
ほんの一瞬だけ、その視線に熱が宿る。
「回り道をしてる時間はないわ。」
言い切った声は強かったが、膝の上の指先だけが白くなるほど握られていた。
部屋の空気が張りつめる。
シーナは唇を噛んだ。
ミムラスも流石に茶化さない。
イーヴァはしばらく黙り込んでいたが、やがて深く息を吐いた。
「……食料と水を買う。縄も要るな。
あとは冬服……売ってるか?」
「賛成ってことでいいのかしら?」
「お前一人で行かせたら、確実に死ぬ。」
メフェルは少しだけ目を細めた。
笑ったようにも見えたが、すぐに真顔に戻る。
「じゃあ決まりね。」
その瞬間、引き返す道だけが静かに閉じた。




