門は二度と開かない
翌朝、イルネスは最悪の目覚めをした。
寝台ではなく。
工房の隅、煤の匂いが染みた毛布の上だ。
頭が痛い。口が乾いていた。
酒が抜けたのではなく恐怖が残っている。
戸を叩く音がした。
短い。遠慮がない。
「起きてるか、イルネス。」
声でわかる。
逃げ道が、塞がった。
「クソ!」
「起きて早々クソとは汚い奴だな。」
イーヴァが扉を開く。
イルネスは頭を抱えた。
「違うんだ、イーヴァ!行こうとはしたんだ。」
「なんの話してるの?」
ミムラスがひょっこりと顔を出す。
イルネスは笑えない。
「あぁ?結局、目前で帰ってきたぁ?」
「お願いだからそんな目で見ないでくれ!」
イルネスは一同の冷たい視線を受けて弱っていた。
彼は昨夜の門を思い出して、喉の奥が痛くなる。
視線だけが下がる。
――戻った。それだけで十分だった。
「場所だけは教えるからよ。」
「とりあえず槌をよこせ!」
イーヴァはぶんどるように武器を受け取ると、背に担ぐ。
それは大剣よりも、彼の背中にしっくりと映えていた。
「案内しろ、お前も行くぞ!」
「はぁ?こ、断っ……いててて!」
イーヴァに引き摺られてイルネスが工房の外に出される。
無理矢理立たせられると、先頭に押し出され道の案内をさせられた。
工房の外に出た瞬間、朝の熱が肺に刺さる。
イルネスは一歩目で躓きそうになり、舌打ちを飲み込んだ。
街の喧騒が背後に遠のく。
砂の道はいつしか整えられ、足音が軽くなる。
イルネスの歩幅だけがひとつ遅れた。
そして目の前に砂岩の屋敷が現れる。
「ここかしら?立派な建物ね。」
メフェルが呟く。
街中にあった建物とは作りからして違う、頑丈そうな建物。
門の金具が日光を照り返して輝いた。
「……本当に行くのか?」
「行かなきゃ、どうにもなんないでしょ!」
イルネスが後ろを振り返ったとき、ミムラスの小さなキックが脛に刺さった。
「痛ぇ!」
そのとき後ろから、街の住民が食べ物の入った籠を持って、こちらへやって来る。
騒ぐイルネスたちの横を通り抜けて、門の前に籠を置くと、地面に倒れるようにひれ伏す。
すると門がひとりでに開き。
奥から、白い薄衣に身を包んだ、一人の背の高い男が現れた。
しなり、しなりと音を立てて、男は民草の前に立つ。
「アルダルエデナグ!」
町人は男を目の前にしてそう言った。
その肌は火の民よりも明るく――髪と瞳は淡い金に輝いている。
「アヅゥレ。」
男がそう発すると町人たちは、有難いものでも見るようにして元来た道を戻っていく。
そして金の瞳がイルネスを捉え。
次にイーヴァ。
メフェル。
シーナ。
ミムラス。
最後にラガルの方に顔を向けた。
きゅ、とラガルの胸元が締め付けられる。
痛みではない。
だが、確かに銀の紋が呼吸をした。
「久方ぶりだな、イルネス。
お前はもうここに立ち入れないはずだが。」
男がイルネスの名を呼ぶ。
責めるような物言いだったが、その声に感情はなく。
ただ鍵を差し込むような声だった。
「……アルダに合わせろって言われてな。」
男の視線がイーヴァに移る。
イーヴァは口元を引き締めた。
「頼みたいことがある。」
男は頷きもしない。
代わりに言った。
「ここは願いを通す場所ではない。」
空気が冷えたように感じた。
圧がかかる。
ミムラスが口を開きかけた瞬間、シーナが服の端を掴んで止めた。
彼は何かを感じ取っていた。
男は静かに歩き出す。
少し、体を傾けると手を門の奥へと向ける。
「来なさい。」
それだけ。
イルネスが動けないでいると、男は振り返らずに付け足した。
「逃げても、門は二度と開かない。」
イルネスの肩が、ほんの僅かに沈んだ。
昨日、門前まで来たときと同じ顔だった。




