Ⅶ
魔女こと穏婆は非常に警戒心が強い人物である。その為、住処である城は崖の頂上付近に建てられており、周囲は絶壁の為、階段はない。普通に考えればよじ登ることしか方法は無いがそんな無謀なことはできない。手足を少しでも滑らせてしまえばあの世行きだ。
そこで以前、バージルが教えてくれた秘密の抜け道に向かう。地面と同化した地下への秘密の入口である。ここから城の正面に続いている。
扉を開けてみせると未来ちゃんは興味を示して言う。「秘密の通路だ。真っ暗だね。でも上に行くのになんで下に行くの?」
私も最初に来たときは同じ疑問を感じた。
「ここを通らないと上にいけないの。さぁ、暗いから気をつけて」
私は未来ちゃんの手を握りながら先頭を歩く。この先に行けば扉があるはずだ。
扉を見つけた私はドアノブを回す。確か、この先がエレベーターになって上にいけるはずだ。
「あれ? 行き止まりだよ」
「ちょっと待っていてね」
エレベーターのボタンはどこだ? そういえば以前はバージルが操作していたからどこにあるのか分からない。
「うわ、浮いた。ここもしかしてエレベーター?」
「うん。そうだけど……」
なんで勝手に動いたのだろうか。私は何も操作していない。
「うっ……」
ナナシは親指を立てた。ひょっとしたらナナシがこのエレベーターを動かしたのだろう。
「あれ。ナナシ。もしかしてあなたここに来たことあるの?」
私は質問するが反応はない。聞こえていないの? それとも聞こえていないフリ? まぁ、そんなのはどうでもいい。エレベーターという狭い空間の中、ナナシと未来ちゃんは対角の隅と隅に立つ。私は中心に立つ。やはり二人の間に距離感は続いている。
「お姉ちゃん」
「どうしたの?」
「本当に帰れるの?」
「私に任せて。絶対に帰れるから」
未来ちゃんの前では弱音なんて吐けなかった。ひょっとしたらそれは自分に言い聞かせているのかもしれない。
ポンという音と共にエレベーターの動きが止まった。
最上階についたようだ。扉が開いて一歩前に進む。
「止まって!」
私はすぐさま二人に静止させた。扉のすぐ向こうに何かいた。まるで私たちが来ることが分かっていたかのようにそこに立ち尽くしている。マントで身体を覆い隠し帽子とサングラスで顔を隠している。全体的に隠すスタイルをしている。しかし、身長は割と高めで百七十センチ以上はある。それに顎のラインを見る限り性別は男であることは間違いない。この男は何者であるのか。その正体は分からない。しかし、魔女の城の正面で私たち待ち受けていたと考えれば魔女の刺客の新手と考えるのが普通であろう。油断はできない。
パチパチパチと男は突如、拍手をする。
「おめでとう。苦難を乗り越えてよくぞここまでたどり着いた。敬意に値するよ」
「あなた、何者? 目的を言いなさい。目的を」
「茅ヶ崎真白。そして守岡未来。君たち二人は宿敵であるドッペルゲンガーを倒した。どのような形であれ倒したのには変わりない。自身のドッペルゲンガーを倒したのは君たちを合わせて五人目だ。大抵はここに連れてこられた時点で死ぬことは確定している。それを乗り越えてここまでたどり着いた。本当に素晴らしいことだ。表彰したいくらいだよ」
「そう思うんだったら早く私たちを元の世界に返してよ。それに私たちは魔女に会わなければならない。あんたには用はない。そこをどいてもらえると助かるわ」
私は強気になって言う。その言葉とは裏腹に額から汗が流れる。少し、自分でも無理して強がっていることは分かっている。
「一つ言わせてもらおう。断る」と、男は言い切った。
「残念。じゃ、どうすれば素直に通してもらえるのでしょうか。私は一刻も早くそこを通って魔女に会わなければならないんだけど」
「魔女に会いたいか。それは無理な相談だな。だって君たちはこの場でゲームオーバーなんだから」
男は右手をスッと懐に忍ばせたのを目撃した私は嫌な予感がした。抜き取った一部を見た私はそれが拳銃であることを察知した。
「伏せて!」
私は覆いかぶさるように未来ちゃんを押し倒した。次の瞬間、銃声が鳴り響いた。一瞬の判断が生死を分けることを感じた。あいつ、かなり頭逝っている。大の大人がか弱い女の子相手にいきなり拳銃をぶっぱなすか、普通。いや、ここは日本でも何でもないからルール無用のなんでもありだから納得といえば納得である。
「ちっ。外したか」
男は悔しそうに言う。
「やばい」
私は体制を立て直して未来ちゃんと共にナナシの後ろに隠れる。
「ホラ、ナナシ。あんたこういう事態の為にいるんでしょ。早くあいつをなんとかしてよ」
後ろから私はナナシに呼びかける。お前だけが頼りだと言わんばかりに。
バン!
男はなんの躊躇いもなくナナシに撃った。
「ナナシ!」
私は思わず、悲鳴をあげるように叫んだ。
「うっ……」
痛いの? 怒っているの? 悲しいの? 仮面のせいでどのような感情でいるのか私には分からない。
「化物! そこをどけ。化物がこの城に踏み入れていいはずはない。消えろ」
男は連続でナナシに拳銃を放った。その衝撃で後ろに倒れ込む。
「ナナシ!」
私は駆け寄る。ナナシは動かない。
「未来ちゃん、聞いて」
私は男に悟られないようにナナシの心配をしているかのように未来ちゃんに小声で言う。
「今から私が囮になるから未来ちゃんはその間にエレベーターに駆け込んで下に逃げて」
「え? でもそんなことしたら……」
「お姉ちゃんの言うことは聞くって約束したでしょ? 残念だけど、ナナシがやられた今、あいつから逃れる為には私が囮になるしかない。だから言う通りにして」
小声で手短に言うも未来ちゃんは首を横に振る。私は睨みつけた。怖く見えたのか、未来ちゃんはようやく頷いてくれた。分かればよろしい。
「まだ、生きているか? 止めを刺してやる」
男は口元が笑っていた。
私は立ち上がってナナシの壁になるように前に出た。
「なんのつもりだ? 茅ヶ崎真白」
「あなたの狙いは私でしょ? だったら私を撃ちなさいよ」
「諦めたか。お望み通り死んでもらおうか」
男は私に拳銃を向ける。
未来ちゃんはその間にエレベーターに駆け寄る。どうかバレずにたどり着いてほしい。
「ねぇ、あなたは何のために生きているの?」
「なんだと?」
「死んだら何もかも終わるのは確かだけど、生きている間に生きていたっていう証を残すことが生まれてきた者の使命だと思うのよ。あなたはその証を残せている?」
「俺が生きる意味は穏婆様に貢献すること。それがこの俺が生まれてきた意味に変わる」
「それはただ使われて捨てられる無駄死によ。何も貢献出来ていない」
「な、なんだと?」
「ちなみに私はまだ明確に分かっていないけど一つだけ確かなことがある。それはこの世界に連れてこられた人々を元の世界に返す。それが……私が生きている間に残す証」
「ぷ、ははは。その証とやらは何も達成されていない。残念だったな。だって何も成し遂げることもなくお前はここで死ぬんだから」
男は手を頭に当てながら面白おかしく笑った。
一生笑っていてほしい。未来ちゃんは逃げ切れたか。私は横目になり、様子を見る。
「痛!」
未来ちゃんは何かに躓いて転んでいた。それに気づいた男は吠える。
「オラ! クソガキ! なにしてやがる」
興奮した男は未来ちゃんに目掛けて拳銃を放った。
「危ない!」
瞬時に私は未来ちゃんに飛び込むように駆け寄る。銃弾は私の肩にかすった。
「つっ!」
痛い。血が吹き出る。
「チェックメイトだ。茅ヶ崎真白」
男は言った。
ボコッ……ボコッ……
その時だった。
突如、ナナシの身体はボコボコと蒸発し始めた。「な、なに?」と思わず私はナナシの方に視線を向ける。
「出る……」と、未来ちゃんは呟く。
「え? 何が?」
私は未来ちゃんに目を向ける。
「私を襲った姿に変わる前兆よ」
「どういう……」
すると、ナナシは先程より体格が大きくなった気がした。いや、膨張しながら身体が巨大化していた。
「グオオォォォ!」
凄まじい呻き声と共に風圧で身体が飛ばされそうになった。この姿は私が目撃した姿と同じ姿だった。
怖い。と、素直に思った。まるで理性が失っているかのように私の声は届かない。手がつけられないように何もしてあげられなかった。未来ちゃんは泣き出す始末である。私は抱き寄せながら安心させる。
「こいつは驚いた。化物の姿から更に姿を変える生命は初めて見た。こんな化物もいたとは恐れ入ったよ」
男は余裕の口調で言う。この男はナナシが怖くないのだろうか。
ナナシは闘牛のように前足で地面を蹴った。今にも突進するかのように。
「なんだ。やるのか?」
次の瞬間、ナナシは男に向かって走り出した。
「逃げて!」
何故か私は敵である男に注意を呼びかけた。
「クソが!」
男は拳銃をナナシに向けて撃った。だが、まるで歯が立たない。続けて撃つもナナシには通じなかった。次第に男との距離が縮まる。
「う、うわぁぁぁ」
男は悲鳴と共にナナシに食べられた。その捕食のシーンは後ろ姿であったので確認はできなかった。どのように捕食しているのか興味はあるがどちらかといえばあまり見たくないものである。ひょっとしたら未来ちゃんやホースはあのようにして食べられて吐き出されたのかもしれない。そう考えると気味が悪い。
「グオオォォォ!」
勢いが乗ったのか、ナナシは雄叫びをあげた。
「お姉ちゃん。早く逃げよう」
「そんなこと言ったって」
このままナナシをほって行くわけにはいかない。かといってどうすればいいのかもわからない。
私たちの存在を見つけたナナシは向かってくる体勢に入る。本当に私たちのことを忘れてしまったのだろうか。だったらもう――どうにでもなれ。
「お姉ちゃん。ホラ、向かってくるよ。早く逃げようよ」
未来ちゃんは慌てた様子で私の袖を引っ張る。私はそれには動じない。
ナナシとの距離は次第に詰め寄ってくる。
「お姉ちゃんってば」
未来ちゃんは必死に叫ぶ。
「離れて」
私は未来ちゃんを突き放した。そして、仮面からはみ出た大きな口を開けながら突っ込むナナシに対し、私はそっと胸に飛び込ませて、左肩を噛ませた。
「お姉ちゃん!」
未来ちゃんの不安がピークに達していた。
私は噛まれながらも両手でナナシを抱き寄せた。
「怖くない。怖くないから。私はあなたの味方よ」
ギュッと抱きしめる。すると、次第にナナシの噛む力が弱まった。
「よしよし。もう大丈夫。怖くないから」
私は優しくナナシの頭の裏を撫でる。そう、包み込むように。
その感触は冷たくて硬かった。ひんやりと肌で感じた。
ナナシ。それは仮面を付けて言葉を話せないドッペルゲンガーのこと。その正体は誰も知らない。全身が黒くてまるで影のような存在だ。立っているだけで威圧感がある。そして何かをきっかけに姿を変えて巨大化し、完全に理性を失う。まるでいつ爆発するか分からない爆弾のようなものだ。
肌と肌を触れた瞬間、ひんやり冷たい感触ともう一つ懐かしい感じがしたのだ。心が温かく安心出来るようなそんな感じだ。
ナナシの身体は殻が破れるようにパキパキとヒビが入る。そしてそのヒビは仮面にまで達する。次第に殻が破れ、一部が地面に落ちる。
ナナシの正体が今、分かった。仮面が割れ、地面に落ちた瞬間に私は強く抱き寄せた。
「バージル! なんで。なんであなたがここにいるのよ」
そう、ナナシの正体はバージルだった。その証拠に正体が顕になった時、周辺に花が咲いた。綺麗で鮮やかな花が私たちを囲っていた。バージルは全裸の状態で意識がなかった。ずっと洗脳されていたかのようにぐっすりと眠っていた。何故ナナシの正体がバージルだったなんて今はどうでも良かった。こうしてまた巡り会えただけでも嬉しかった。どんなに心配したことかまた泣きそうになった。
「お姉ちゃん。その人は……?」
未来ちゃんは不安そうに訪ねてくる。
「バージル。私の探していた人よ。この人に見覚えない?」
「……知らない。誰?」
未来ちゃんは初めて見たように首を傾げた。
どうやら未来ちゃんを助けたのはバージルではなかったようだ。いや、ただ単に記憶があやふやで覚えていないだけなのだろうか。どのみち、今の未来ちゃんからしたら初対面の男性という位置づけだ。
バージルは未だに自身のドッペルゲンガーを倒していない。それなのに化物の本来の姿を身にまとっていた。どのような経緯でここにいるのか私には分からない。全ての疑問は魔女が握っている。
私は城の隅にある小さな倉庫にバージルを運び寝かせた。不便な場所だと思うが少しの間、ここにいてほしい。本当はこのまま連れて行きたいけどここまで運ぶだけでも重労働である。自分よりも重い人を運ぶのには流石に応えた。ここなら周囲にいるカラスや外敵から身を守れる。
「ふぅ」
意識のない男性を運び、一汗掻いて気持ちを落ち着かせる。
「この人、どうするの?」と、未来ちゃんは聞く。
「少し雑だけど、担ぎながら進むことは難しいから一旦ここに寝かせておく。悪いけど、未来ちゃんはバージルの傍にいてあげて」
「嫌。私もお姉ちゃんと一緒に行く!」
言うと思った。一緒に行くというのは目に見えていた。未来ちゃんは私に懐いている。
「分かりました。じゃ、一緒に行こう」
そのようにいうと未来ちゃんは目を輝かせた。
「バージル。ごめんね。すぐ戻るからそこで待っていて」
私は眠っているバージルに向かって囁いた。
遂に魔女の城の正面扉の前に立つことが出来た。この中に魔女がいる。
いろんな思いを胸に扉に手を当てる。少し押してみると動いた。このまま開けることは可能だ。一歩を踏み出そうとしたその時、未来ちゃんが先に前に出て扉を開けた。
「たのもー!」
未来ちゃんはまるで道場破りのように勢いよく扉を開けた。
「ちょっと未来ちゃん、な、何してんの?」
私はオドオドするように止めに入る。もしも魔女に見つかったらどうするつもりだ。いや、魔女に会いに来たのだから隠れるような動作をしなくてもいいのか。それでも隠れるような動作をしたくなるのは本能的である。が、扉を開けたら誰もいなかった。一安心? と、いったところだろうか。
「誰もいないね。魔女はどこかな?」
未来ちゃんは嬉しそうに辺りを探す。未来ちゃんは私と対照的に方向が間違っている様子だ。そろそろ勘違いに気づかせるべきであろうか? 本当は魔女が恐ろしい人であるということに。正論を言ったり気に食わないことがあればすぐに処罰される危ない人だ。できれば未来ちゃんには魔女に会わせたくないがそういうわけにもいかないだろう。私は悩んだ。そして、忠告をすることを決心する。
「あのね。未来ちゃん。実は魔女っていうのは……」
「何あれ面白そう!」
「って聞いてないし」
未来ちゃんは何かに興味を持ったのか、急に走り出した。
と、まぁ、正面扉を開けてすぐに魔女が待ち受けているとは考えにくい。魔女は城の最上階で偉そうにしていることは知っている。本番はこの最上階である。
「ハシゴだ。この上に何があるのかな? 昇ってみるね」
最上階に向かう為のハシゴを見つけた未来ちゃんは私を置いてさっさと昇っていってしまう。このような時、子供は好奇心旺盛なのだから困る。何も危険という認識がないのだから。
「コラ! 未来ちゃん。お姉ちゃんの傍から離れたらダメだってば!」
私は注意を呼びかけるも未来ちゃんは聞く耳を持たない。と、言うか聞こえていない。少し凹みながら私はハシゴに手をかけて上に昇る。すると、突如「キャ!」と未来ちゃんの叫び声が聞こえたのだ。嫌な予感がした私は慌ててハシゴを登りきる。
「未来ちゃん! どうしたの?」
私が目にしたのは元の世界と鏡の世界を繋ぐミラーゲートだった。未来ちゃんの姿はそこにはなかった。考えられるとしたら目の前にあるミラーゲートの他ない。
「おいで。小娘を返して欲しければ最上階に来な」
淵の中心にある髑髏が喋った。いや、この声には聞き覚えがある。これは魔女である穏婆の声だ。すると、ミラーゲートは靄が掛かりながら姿を消していく。その消えざまに穏婆は言う。「待っているよ」と。
私は奥歯を噛み締めた。またしても私の大切な人を連れ去る魔女のやり方に怒りがこみ上げる。待っているというのであれば行ってやろうではないか。今の私ならなんだって出来る。例え、どんな強敵だろうと私には守らないとならない人たちがいる。私がやらないで誰がやるというのだ。強い決意が固まった。私は今、最上階に向けて歩き出した。




