Ⅴ
「あなたが私を倒せるって本気で思っているの? 力は私たちドッペルゲンガーが遥かに優っている。勝目なんて無に等しい。あなたの考えなんてお見通しよ。ソフトテニスや鬼ごっこでそれは既に証明されたでしょ? 遠く及ばないのよ」
「確かに私は真黒に劣っている。それでも本物が偽物に負ける訳にはいかないのよ!」
私は強い決意を固めて真黒に向かって手を伸ばす。グローブの先端が真黒の首元に触れようとする。が、それは真黒の足掛けによって転ばされて掴めなかった。そのまま背中に腰掛けられて身動きが取れない状態になってしまった。
「言ったでしょ? あなたでは私には及ばないって」
「なんで! なんでこうなるのよ」
「簡単なことよ。私が全ての能力を上回っているってことよ」
「っく! うぅ……」
「安心して。私が代わりに茅ヶ崎真白としてこの先、生きていくから。身内の人間関係をグチャグチャにしてその後にこの世界に招待してあげようかしら。アハハハハ! 最高!」
真黒は甲高い声で笑い飛ばした。私の中に入るのが楽しみで仕方がない様子だ。
また負けた。私は大切な人を奪われた上に更に自分という存在をどこの誰かも分からない偽物に良いように扱われる人生。挙句の果てには身の回りの人にも危害が加わる。私の運命は残酷だ。勝つって決めたのにその結果がこれだ。もう、死ぬんだ。私。
「さよなら。そして私の心の奥底で最高の景色を眺めているといいわ」
真黒の両手が私の首を締めつけ始める。抵抗することもできない。次第に私の意識は遠のいた。
苦しい。怖い。痛い。
苦痛の刺激が全身に回る。
た、助けて……。誰でもいい。誰か私をここから救い出して。
しかし、その思いも虚しく助ける者は現れなかった。
これが死――
「嫌―!」
私はベッドから勢いよく身体を起こしていた。息が荒く、激しい呼吸困難に襲われていた。身体が燃えるように火照っている。全身汗でグッショリと濡れていた。カーテンから日差しが差し掛かっており、外から雀の鳴き声が聞こえる。周囲を確認し朝であることを知る。
「………………夢か」
寝ていたというのに疲れが残っている。自分の首を触る。あの痛い感触が残っているような気がした。本当にあれは夢だったのだろうか。まるで現実のように真黒とのやりとりが新鮮に頭に残っている。
頬を触ってみると涙で濡れている。こんな姿は誰にも見られたくない。私はベッドからトイレへと逃げ込むように駆け込んだ。トイレの水で顔をバシャバシャと洗う。冷たい水が全身に染み込むように伝わってくる。目が覚め切ったところで私は保健室に戻る。
バージルのいるベッドはカーテンが掛かったまま物音はしない。
「バージル。おはよう」
私がカーテン越しから呼びかけるも返事はなかった。まだ寝ているのだろうか。この後について色々相談したいこともあるので起こす為にカーテンを開けようとする。
「バージル? 開けるよ?」
悪いと思いつつも私はカーテンを開ける。
すると、ベッドの布団は綺麗に畳まれた状態でバージルの姿はなかった。
ベッドの上に一枚の置き手紙が置かれていた。私はその手紙を手に取り、読んでみる。
『真白さんへ
おはようございます。よく眠れましたでしょうか?
突然、このような置き手紙を出してしまい申し訳ありません。勝手なのは重々承知ですが、私はこれから魔女のところに行き、自分と真白さんのドッペルゲンガーを倒しに行きます。無茶なのは分かっていましが、できる限りのことはしておきたいと思います。真白さんの負担が少しでも減るのであれば喜んでこの身を捧げます。昨日の話を聞いていただいた内容には嘘、偽りはありません。万が一の事態が起きた場合は彼女に伝えてあげていただけませんか? 私は勇敢に戦いいつまでもあなたを愛し続けていると。そうならない為にもまず事前準備が必要になります。この手紙を読んだらジンダイさんの元に行ってください。少しの間は匿ってくれると思います。絶対に誰にも見つからないで無事でいてください。最悪の事態にならないように私なりに頑張ります。どうか、幸運を祈って下さい。では、行ってきます。必ず戻って来ます。
PS
布団の中身を捲ってみてください。あなたに役立つアイテムを残しておきました。
バージルより 』
一通り読み終えた私は手紙を持っている手が震えた。破り捨てそうな衝動に駆られたが必死に抑える。代わりに両手をベッドに叩きつける。
「何、勝手なこと言ってんのよ! そんなの許さないんだから!」
私は怒りが込み上げた。一緒に戦おうと誓い合ったのにそれを裏切られたのが大きかった。怒りというよりも悲しいという気持ちが強かった。
私は守られるような弱い存在じゃないのに惨めだ。
どうして一緒に戦ってくれないの?
どうして置いてきぼりにするの?
私では役不足なの……?
次第に私の力は抜けて床に膝を付いた。無力だ。
布団を強く握り込み自分の方に寄せる。泣き顔を隠す為だ。別に誰にも見られている訳ではないけど隠したかった。情けない自分を見たくなかったからだ。
ふと、引き寄せた布団から何かが転げ落ちて私の真横を通過した。転がる音は新鮮に聞こえ、周りの音がかき消されるようによく響いた。一瞬、刻が止まったかのようである。その物体の正体に私は目を向ける。宝石のような丸い物体。私はそれを手に取ってみる。
「これってもしかしてクリスタル?」
涙が一気に引いた。青色に輝くそれは化物を倒した時に手に入るクリスタルに違いなかった。バージルの手紙を見返す。私に役立つアイテムとはこの青いクリスタルのことだったのだ。何故このようなモノをバージルが持っているのだろうか。
私はあることを思い出し、ポケットの中身を探る。取り出したのは学校の前で仮面の化物に貰った赤いクリスタルだった。片手に一つずつ持って見比べる。
バージルから貰った青いクリスタル。
仮面の化物から貰った赤いクリスタル。
形や触り心地は全く同じ。しかし、色だけが違う。他のクリスタルもこんなカラフルな色をしているのだろうか。それにこんなものが何の役に立つのだろうか。どのみち、このクリスタルは私がこの世界から出るために魔女に出された条件の物質なので必要不可欠なので持っていて損ではない。
条件の数は三つ。そして、私が今持っているのはこの二つ。残るは後一つと自身のドッペルゲンガーを倒すのみ。これで少しは私の負担が減ったと考えれば良い方である。
が、私はそれ以上にバージルが心配で仕方がない。すぐにでも駆けつけたいところだが、私に出来ることは限られている。中学生の女子一人で何ができるというのだろうか。何もできないにしても行くだけいきたいところであるが、返って足でまといに終わるのが怖かった。
バージルの思い通りになるのは尺に触るが私の行き場所は決まった。身支度をしてから私は学校を後にした。
魔女との約束の期限まで残り九日――
私は再び林の中にある小さな小屋の付近に足を踏み入れた。そして扉の前に立ち止まり、二回ノックをする。
「ジンダイさん! 真白です。居ますか?」
私が訪れたのはジンダイさんの暮らす小屋だった。私に出来ることは何かと考えた末、再びここに来てしまった。ジンダイさんならこの世界に長く暮らす分、何か攻略の糸口について教えてくれるかもしれないと考えたからだ。決してバージルに行けと書かれていたから来た訳ではない。
返事はない。また狩りにでも行っているのだろうか。
ドアノブを回す。この小屋には鍵が掛かっていないので出入りは自由なのは知っている。
予想通り、小屋の中は薄暗く人の気配は感じられない。出かけているのだろう。
小屋の周辺を見渡し、ジンダイさんを探す。
すると、小屋にゆっくりと近づいてくる影が二つ。ジンダイさんとラッキーの姿だった。
私を見つけたラッキーは全速力で私に突っ込んでくる。思わず私は後ろに倒れ込んでしまうがラッキーはそんな私に構わず頬をペロペロと舐め回してきた。
「キャッ! コラ、ラッキー。くすぐったいよ」
私の問いかけに構わずラッキーは本能のまま舐めまわすのを続ける。
「ん? おや、真白じゃないかい。どうしたこんなところに来て」
ジンダイさんは片手にカモメの首を持った状態で問いかけてくる。背中にはライフルを背負っている。狩りの帰りであることが伺えた。
「また来ちゃいました」
開き直ったように私は舌を出す。
「何かあったんじゃな。話を聞こう」
「ありがとうございます。とりあえずラッキーを止めてくれますか?」
「話は分かった。真白はバージルを助けたいのじゃな」
私はこれまでの経由を一通り話した。魔女の城のこと、真黒のこと、バージルのドッペルゲンガーのこと。そして今朝起きたら魔女のところに行くという書置きがあったことまで全てをジンダイさんに打ち明けた。
「はい。でも私には力がない。だから私に修行をつけてください。お願いします」
ファンタジーの世界では強敵が現れたら強くなる為の修行が鉄則だ。今の私には真黒や魔女を倒す手段が思いつかない。勝つためにはそれなりの努力が必要であると思っていた。その為には師匠に弟子入りする必要がある。その師匠のポジションはジンダイさんがうってつけであると感じた。
「助けてどうする?」
「え?」
「バージルを助けてお前にメリットがあるのか?」
「メリットとかそんなの求めていない。私が助けたいと思ったから助けに行きたいんです」
「ふ……。真白もお人好しじゃな」と、ジンダイさんは鼻で笑うように言った。
「お人好しで結構。ねぇ、ジンダイさん、お願い! 私に修行して」
「修行と言ってもな。わしも無力であるからこうして身を隠しているんじゃよ」
「じゃ、そのライフルの使い方を教えてよ。使いこなせば強い武器になるわ。お願い」
私は両手を合わせてお願いをする。
「ダメじゃ。これは狩りに使うための道具。ドッペルゲンガーに使うような代物ではない。それにこれを扱うのにはそれなりの経歴がいる。真白のような中学生が扱うには危険すぎる。ダメじゃ、ダメじゃ」
ジンダイさんは熱く否定的に言う。これ以上お願いすれば逆鱗に触れてしまうのではないかというほど声に力がこもっていた。私は落ち込み気味になってしまい、俯きながら悲しい表情を浮かべていた。大人に本気で怒られることに慣れていないので少しびっくりしてしまった。
「わかった。ライフルは無理じゃが、別のことで少し考えがある。ついて来なさい」
「ほんとに?」
私は一瞬で生気が満ち溢れた。女の武器はやはり涙ということなのだろうか。(泣いていないけど)これで私は強くなれるのだと確信する。修行万歳である。テンションが上がりかけたその時……。
「と、その前に今日、何も食べていないじゃろ? 何か作ろう。丁度、良い獲物が取れたからな」
「え、獲物ってもしかしてさっきのカモメのことなんじゃ……」
「そうじゃよ。美味いぞ。捌いてみるか?」
「えっと、いや、その……」
ジンダイさんはカモメの死骸を見せつけてくるので私は少し引き気味だった。可哀想という気持ちが大きいからだ。その表情で察したのか、ジンダイさんは言う。
「まだ、真白には早かったかな。生きると死ぬというのはどういうことか、それが分からんうちはこの世界ではやっていけない」
期待外れとでも言われているかのように聞こえた。それが心に強く刺さった。もしかしたらこれは試されているのかもしれない。ここで断れば修行の話は無くなることもありえる。いや、むしろこれが私に与えられた最初の修行なのかもしれない。そうだ。きっとそうに決まっている。
「分かりました。私、捌きます。だから、その、初めてなので捌き方を教えていただけませんか?」
「良かろう」
ジンダイさんに指示を受けながら手探りをするように私はなんとかカモメを捌ききった。自分でも恐ろしいと思ったが、生きるということはこういうことなのだと中学生ながらに考えさせられた。
生きるためには生きているものの命を貰って次に繋げる。死ぬというのは生きているものにバトンを渡すようなもの。それを繰り返すことで生命は保たれ続けていくのだ。先へ先へと続いていく架橋のように。ただ、カモメを捌いたことで大きな経験を得ることができた。
私は学校では教えてくれない経験を学ぶことができ、これに気づけたことが今の私に必要なことであった。
捌いた後、そこから一口サイズまで切り、鍋の中に投入。野菜を多数加えてカモメの鍋が完成。
「そろそろ食べ頃じゃな。食べなさい」
「い、いただきます」
私はカモメの肉を箸で摘む。自分で捌いたカモメ。でもこのカモメは数時間前まで普通に生きていたのだと錯覚すると心が苦しい。
「どうした? 食べないのか?」
「いえ、食べます」
目を瞑って口の中に放り込む。噛んでいくうちに口の中に味が染み込んでいく。
「お、美味しい」と、私は一言素直な気持ちを漏らしていた。
「そうじゃろ、そうじゃろ。いっぱい食べなさい」
ジンダイさんは嬉しそうに言った。私は夢中になって箸を進める。今までの空腹が爆発したかのように食べ続けた。
「さて、腹も膨れたところだし行くか」
ご飯を食べ終えた私は一息付いた後、ジンダイさんは椅子から立ち上がりながら言った。
「行く? そういえば行くってどこへ?」
「なーに。ついてくればわかるよ」
ジンダイさんは何も教えてくれないまま、私はただただジンダイさんの後を追った。
小屋から歩いて十五分――
林を抜けると川があり、滝が流れていた。水の音が聞こえて清々しい。
「ジンダイさん。ここは?」
「いつも水はここでくんでくる。そして、いつも奴がこの近くにいるはずじゃ」
「奴って?」
「静かに」
そう言うとジンダイさんは真顔になり周囲に視線を送る。何かの気配に気づいたようだ。
「居た。あそこの木を見てみなさい」
ジンダイさんはある木に指を差した。私はその方向を見ると黒い影がこちらを覗いていた。するとゆっくりとその姿を晒した。
「うっ……うっ……」
それはいつかの仮面を被った化物である。動きは鈍く仮面を被っているので表情が分からない。何故か私にクリスタルを渡し、そのまま姿を消した化物で間違いなかった。
「あー! あんた、いつかの仮面の化物!」
私は仮面の化物に指を差しながら言った。大声で言ったことにより仮面の化物は驚いたように後ずさりした。その身を再び木に隠してしまった。
「なんじゃ、真白はこいつを知っているのか?」
「うん。ちょっと待って。あ、これよ。学校に入る前に貰ったの」
私はポケットを探った後に赤いクリスタルを取り出した。
「なんじゃ。ナナシ、この子のこと余程気に入ったんじゃな?」
仮面の化物は木の影から頷く。
「ナナシ?」
「こいつは名前が無いからナナシと呼んでいる。ナナシはオリジナルを取り組んだ化物であることは間違いないが、他の化物と違い誰にも危害を加えようとしない。感情があるのかないのかわしにも疑問じゃが、悪い奴ではない。会話はできないが、反応はあるから知性はあると言える」
「そうなんだ」
「ナナシは普段は非常に警戒心が強く、小鹿のようにすぐに逃げてしまうが、真白に近づいてくるということは随分気に入られとるようじゃな。イイことじゃよ」
いつの間にか私とナナシの距離は一メートルまで縮まっていた。近くから見ると私よりも大きくまるで石像と並んでいるような感覚である。こんな奴に気に入られたところで何も嬉しくない。返って迷惑である。そもそも、その仮面は何?
「ナナシはこの世界のことはよく知っているが、言葉を持たないというのが欠点じゃ。こいつを味方につければバージルを助け出す大きな糧になることは間違いない。ナナシよ。真白に力を貸してやってくれんか?」
「うっ……うっ……」
分かっているのか分かっていないのか定かではないが、ナナシは大きく頷く。
「え? ちょっと待ってよ。ジンダイさん。修行って私自身を強くするんじゃなくて味方をつけさせるだけのことだったの?」
「真白を強くするなんてそんな手間の掛かることをしていたらあっという間に魔女との約束の期限が過ぎてしまうぞ? それだったら最初から強い奴を味方につけた方が効率的にもいいじゃろ?」
言われてみれば確かにそうかもしれない。強くするって言っても一日でできるようなものではない。長い時間を掛けてようやく行き着く先なのだ。納得と言えば納得なのだが、それよりも疑問点が残る。
「確かにそうですけど、それよりもジンダイさん。こいつ、強いんですか。役に立つのでしょうか?」
私はこいつ呼ばわりしながらナナシに指を差す。ナナシは石像のように立っているだけだ。
一番の問題はそこであった。見た感じ全然強そうには見えない。むしろ、弱く見える。もっともそれは見た目だけの話である。中身はどうなのだろう。
「オリジナルに打ち勝ったというだけであって弱いはずはない。此奴を味方につけるだけでも大きく変わると思うが、どうするかは真白次第じゃ」
「生前はどんな人だったのか分かりますか?」
「さぁ、それはよくわからん。わしが来たときよりも前にいたのか、最近からいたのか全く知らん。だが、ナナシはここ最近、ふとわしの前に現れるようになったのじゃ」
「あなたは何者ですか?」
私はナナシに聞くが、聞こえていないのか聞こえないふりをしているのか何も答えない。
「得体の知らない奴だが、害は無いはずじゃ。仲間にしてみるか?」
私はジッとナナシの姿を見つめた。一分くらいジッと。
「私と一緒に来る?」
私のその問いにナナシは頷いた。
「ありがとう。私と一緒にバージルを助けましょう!」
私はナナシに向かって手を差し出す。が、ナナシは手を出すがどうしたらいいのか戸惑っている様子だ。
「こうするのよ。手と手を合わせて握手!」
私は無理やりナナシと握手させた。これでナナシは私の仲間になった。ジンダイさんはその様子にイイモノを見たかのように頷く。
「ところでナナシさん。どうして赤いクリスタルを持っていたの? これって化物を倒したら貰える代物なのに。ひょっとして他の化物を倒したの?」
「うっ……うっ……」
相変わらずナナシは『うっ……』しか言ってくれないが仕草で何か伝えようとしている。両手を左右に広げて分からないといったポーズをしているのは検討が付いた。
「あなたも何か訳ありさんなのね。悩みがあるならなんでも言ってね。――って言っても言葉が話せないんじゃ言えないか」
「うっ……うっ……」
ナナシは両手いっぱいにして花を差し出す。渡す意味が分からなかったがこんなにいらないよと言いつつ持てる範囲内で花を受け取った。すると、ナナシは満足そうに身体を左右に揺れた。何? 嬉しいの? よく分からない。
「真白。魔女の城に行くのには簡単ではない。前回はバージルが傍に居たから難なく辿りつけたと思うが今回は真白自身の実力で行かなければならない。そこで良い相棒を貸してやろう」
ジンダイさんがそのように言った後、空に向かって笛を吹いた。
すると、林から一直線にこちらに向かってくる物体が一つ。馬だ。
「こいつはわしの第二の相棒のホースだ。こいつに乗っていけば早いぞ。安心して魔女の城まで行ける」
第二の相棒? てことは、第一の相棒はラッキーということなのだろうか。そこは聞き流しておく。それよりも突然、現れた馬に私は驚きながら否定する。
「え、でも私、馬なんて乗ったことないし無理ですよ」
「なに、簡単じゃ。馬に乗るんじゃなく、乗せてもらうように乗れば大丈夫」
意味が分からない。そんなので馬に乗れるのだろうか。よく分からないまま、ジンダイさんに促されて流れで馬に股がる。
「お、おぉ!」
形だけはなんとか乗れた。ここからがどうするのか自分では分からない。
「あ、そういえばナナシは? 一緒に行くのにこれじゃ一緒に行けないよ」
ナナシは私よりも数倍大きな身体をしている。そんなナリで馬に股がるなんて不可能だ。
「大丈夫。あれを使えば問題ない」
そう言ってジンダイさんが用意したのは馬車である。軽トラのような荷台の作りになっている。これに乗せていけば大丈夫ということとなのだろう。あれ? 私がせっかく馬に直接股がった意味は? と、細かいことは気にしないでおこう。とにかくこれで準備は整ったと言える。
「ちなみにナナシは元々化物だから同じ化物に襲われるようなことはない。心配なのは真白じゃ。万が一の場合はナナシを壁にして逃げるんじゃ。いいな?」
「分かった。ようするに生贄ね!」
「うーん。まぁ、そんなところじゃ」
ジンダイさんはもどかしいような言い方をする。
なんでもいい。とにかく魔女の城へ向けて出発だ。
私とナナシは荷台に乗り込みホースを走らせた。
街と言えば化物が数多く生息する危険地帯だ。どこから狙われるか予想が付かない。街を超えなければ魔女の城へはたどり着くことはできない。無事に行くためには一気に駆け抜けて魔女の城に辿り着くのがベストだ。
「ホース。全速力で行きましょう!」
私は鞭を引いて走らせる。
物音はしないが誰かに見られているような気がしてならない。これは幻想だ。
「ヒヒーン!」
突如、ホースは前足を大きく上げてその場に立ち止まる。私は馬車から振り落とされそうになるがなんとか踏み留まる。
「ホース? どうしたの?」
私は全方に目を向ける。視線の先には一体の化物が赤い目を光らせてこちらを睨んでいた。ヤバイ。遂に鉢合わせしてしまった。ゆっくりとこちらに近づいてくる。だが、ホースの足ならいくら化物だろうと追いつかれることはない。魔女の城は化物の後方にある。引き下がる訳にはいかない。このまま突き進めれば行ける! 自己判断でそう確信した。
「ホース! 突っ込むよ」
私は鞭を引くとホースは化物に向かって走り出した。
化物までとの距離、十メートル――五メートル――二メートル――
「うわぁぁぁぁ!」
寸前のところでホースは化物の右後方へすり抜けた。
交わすことに成功――したかのように思われた。
ホースはすり抜けることには成功したが、後方にいた私はそうはいかなかった。
真横から服を掴まれた私は馬車から引き摺り下ろされてしまったのだ。
「キャッ!」
大きく尻餅を突いてしまった。お尻に激痛が走り、右手で摩る。
視線を下に向けていると日差しが遮断された。上の見ると化物が無言で私を睨んでいた。
こ、殺される……。絶体絶命だった。手が伸びたところで私は終わったかのように思われた。だが、ナナシが私の壁となって立ち塞がったのだ。
「ナナシ……?」
ナナシは化物の両手を掴んで動きを封じていた。私が固まっていると「早く行け!」と言うかのように私に首を振った。
私は我に返り、立ち上がる。
「ナナシ。ごめんね」
私はナナシが作ってくれた逃げる時間に感謝しつつ、その場から遠ざかる。
「ホース! どこ?」
私はすぐさまホースを探す。少し前方に止まっていた。
素早い動きをする為にはやはり荷台の馬車は邪魔になる。私はホースから馬車を切り離した。
次第にゾロゾロと化物は集まってくる。私は脱獄囚のように化物に追われた。
「ホース。頑張って」
私はホースを疾走させて化物たちを交わしていく。化物の数は増える一方だ。逃げているうちに私は気づいてしまった。化物はただ適当に追いかけてくるだけではない。いつの間にか四方に囲まれていたのだ。
すると、ホースは前足を大きく上げた。興奮した様子だ。私はなんとかしがみつこうとするが、力に負けて手を放してしまった。その結果、落馬した。
ホースの興奮は収まらず私を置いて走り出してしまった。
「ちょっと、待ってよ。私を置き去りにする気?」
結果、そうなってしまった。
「ははは」
棒読みで笑ってみせる。化物はジッと私を見ている。
逃げよう。
私は自分の足で逃げた。身体の細さと身軽さを利用して化物と化物の間をすり抜けて逃げた。街の中心部は危険だ。ひとまず、どこかに隠れないと。その前にホースはどこへ行った?
私を置いてそのまま走り去ってしまった。ホースがいないと私は身動きが取れない。
私は自分の身を守るために建物の中へ逃げ込んだ。ここはコンビニエンストアであった。どのみち隠れる分にはどこでも構わない。雑誌売り場のところに身を屈めて化物が通り過ぎるのを待った。自然と息を止める。気配を完全に消す為に。
通り過ぎることを確認し、顔を上げる。危機を乗り越えたようだ。危なかった。
安堵したその時、店内を見渡す。私が知っているコンビニと全く同じ。違うのは誰もいないところだけだった。
建物はいいとしてそもそも何故中身も同じなのだろうか。誰も管理する人がいないのなら食品は腐っているはずだ。でも見たところ賞味期限はどれも過ぎていない。
じっと見ているとおにぎりが一つ動いたと思ったら消えた。何故?
カーブミラーを見たとき人が写っていた。おにぎりを持った人がレジに向かっていく。
そういうことか。ここには人はいないけど、ちゃんと管理されている理由――それは現実世界と繋がっているからだ。鏡越しでしか見えないが現実世界の人が管理しているところは鏡の世界も適応されるのだ。
喉が渇いた。死ぬほど喉が渇いた。化物に追われて走り回ったせいで今の私は水分を欲していた。ポケットを探る。お金を持っていない。そういえば現実世界で家を飛び出した時は何も持たずに家を出たんだっけ。お金さえあればジュース買えたのに。当時の自分の行動を呪った。でも、ちょっと待てよ? 例えお金を持っていたとしても誰に払うのだろうか。現時点で店内には自分しかいない。これはひょっとしてひょっとするかもしれない。ジュースのペットボトルを一本持ちキョロキョロする私。万引きで周囲を警戒しているかのような素振りだ。いや、まさにその通りなんですけど。いいのか? 良いのだろうか? このまま店を出ても。いや、外に出たら危険だから一層、この場で……。今まで生きてきて万引きなんてしたことがないから出来心の感情が上昇中である。
「ごめんなさい。緊急事態なんです。元の世界に帰れたら後で必ず払いますから許してください」
誰に誤っているのか、神様に念じるかのように言ってペットボトルの蓋を開けてジュースを飲み干した。やってしまった。買ってもいない商品をその場で開けて空にしてしまうなんて私の中で信じられない行動であるが、終わってしまえば罪悪感が消えていた。
「ここは現実世界じゃないから大丈夫、大丈夫」
と、自分にそう言い聞かせた私は欲が出たのか、もう一本ジュースのペットボトルを手に取り、場所を変えてデザートコーナーへ。
「糖分も少し欲しいわね」
そう言って一番高いシュークリームを一つ手に取った。そのまま袋を裂いてシュークリームにカブリつく。中のクリームが手についてしまったが、そんなのお構いなしに食べ進めた。
「ふう」と、食べ終えてジュースで一息付いた私は冷静になる。
「お金払っていないのに飲み食いしてしまった」と、私は今更ながらに絶句していた。
お金のことは忘れよう。これは全部魔女が悪い。と、勝手に魔女のせいにする。そういうことにしておこう。私は被害者だ。
安心しきっていたその時、入店の時に流れる心地良いメロディが店内に響き渡った。新たなゲストが現れたのかと、私は入口の自動扉に向かう。
と、入口付近に小柄な女の子がうつ伏せで倒れていた。腰まである長い髪で女の子と判断した。見るからに身長は私よりも低い。おそらく小学生だろうか。歳は八〜十歳くらいと推測する。
「あ、あの、あなた大丈夫……?」
私の問いかけに数秒の間があった後に女の子はか細い声でこう言った。水……と、一言だけ呟いた。
その少女は腰まである長い髪で触ったら靡く程、サラサラしていた。服装は緑のパーカーに白のショートパンツで運動靴を履いている。見た感じどこにでもいるような小学生だ。手足はかなり細く骨が見えそうなくらいだ。ここ最近何も食べていないような見た目をしている。この過酷なサバイバルで何日間逃げ回ったらこのようになるのだろうか。少女は酷く衰弱しているように見えた。当然、私はその少女を助けようと背中で担いで店内に入れる。中学生の私が担げるほどかなり楽々と運べた。相当軽い。
店内に運び込んでペットボトルの水を差し出すと少女は砂漠で水を見つけたかのようにもの凄い勢いで飲み始めた。当然、何回か蒸せながら水を飲み切った。ちなみにこの水もコンビニのモノであるので無銭飲料であるがそこは気にしない。
「あなた、名前は? どこから来たの?」
落ち着いたところで私は少女に質問する。
「みらい。今、九歳」
「未来ちゃん? 私は茅ヶ崎真白。未来ちゃんはいつからこの世界に来たの?」
「この世界? 何の話?」
未来ちゃんは首を傾げながら不思議そうにこちらを見つめた。この世界に来てからまだ間もないことを伺える。
「私、迷子なの。気がついたら知らない道に倒れていて、そしたら黒い怪獣が私を追いかけてきたの。ずっと走り続けていたら力尽きてここで倒れちゃった」
「怪獣? それって例の化物じゃない。その気が付いて目が覚めたのはいつなの?」
「うーん、分かんない。でも今日なのは間違いない」
それならこの世界について何も知らないのかもしれない。未来ちゃんはここが鏡の世界と認識出来ていないはずだ。こんな小さな女の子にも危険に晒すなんてどうかしている。新たな被害者がいることに私はどこに怒りを向けていいのか分からなかった。
ぐぅーっと腹の虫が鳴り響いた。私ではない。先程美味しく食べたばかりなのだから。
「お腹空いたな」
未来ちゃんはお腹を摩った。
この世界に来て何日も食べていないと思いきや元の世界でも食べていないのだろうか。私は未来ちゃんが可哀想に見えてきた。
「ちょっと待っていてね」
そう言って私は店内にあるサンドイッチを取ってそれを未来ちゃんに渡す。
「これ食べて」
「うん。でも良いの? お金払っていないのに」
「うっ……大丈夫よ。後で払っておくから。さ、食べて」
「じゃ、いただきます」
未来ちゃんは大人しくサンドイッチを袋から出して食べた。
久しぶりの食事なのか、可愛い見た目とは裏腹にまるで動物のように貪る。サンドイッチを食べた後に「足りない」と一言。私はパスタの弁当をレンジで温めて差し出すとそれも残すことなく綺麗に平らげてしまった。相当お腹が減っていたことを伺える。食べ終わったその姿を見て満足した後、話を切り出す。
「ねぇ、未来ちゃん。あのね、ここはね……」
と、言いかけた時、言葉に詰まった。状況を分からせるために全てを打ち明けるべきだが、こんな小さな子に現実を押し付けるのには酷な話だと思ったからだ。ここはやんわりとやり過ごせばなんとかなる。
「あのね。今はまだお家に帰ることはできないけど必ず私がお家に送ってあげるって約束する。それまでちゃんとお姉ちゃんの言うこと聞いてくれる?」
「いいよ、別に。帰れないなら帰れないで構わないし。あんな家、帰りたくない」
未来ちゃんは急に素っ気無くなり私と視線を晒した。何か訳ありなのだろうか?
「未来ちゃん? 急にどうしたの?」
私の問いかけに未来ちゃんは黙る。言いたくないなら別に言わなくても構わない。誰だって心に隠したいことの一つや二つはあるもの。
「お父さん、家を出て行っちゃったの」
未来ちゃんは寂しそうに呟いた。そして、続けた。
「仕事をクビになって引きこもるようになってから家庭は険悪になっていって遂にお父さんは逃げるようにして家を出ていったの。そしてお母さんは本格的に働くことになるんだけど、いつも『しんどい』が口癖のようになってストレスが溜まっている時は私に当たるの。酷い時は手が出ることもある。それがいつも怖いんだ。だから正直、あの家には帰りたくない」
「そう……なんだ」
なんて声をかけてあげればいいのか分からなかった。他人の家庭事情に口出しする権利はないけど、自分よりも年下の子が辛い現実を受けていると考えたら心が痛い。他人事とは思えなかった。私も離婚まではいっていないけど今後はどうなるかなんて分からない。そもそも母はもう……。とはち切れそうなくらいに胸が苦しかった。それでも現実に目を逸らしてはいけない。こんな残酷な世界に比べたら数倍マシに決まっている。
「お父さんが出ていったのは残念だけど、どこかで生きているならまたいつか会えるわよ。家庭の苦しみは自身の力で乗り越えるしかないんだから」
「お姉ちゃん、なんで泣いているの?」
「……え?」
未来ちゃんに言われて気づいた。頬に手を当ててみると涙で濡れていた。自分でもなんで泣いているのか分からなかった。
「はい。お姉ちゃん。これ使って」
未来ちゃんはハンカチを差し出す。
「ありがとう」
私はそれを受け取って涙を拭う。
情けないな。私。ここに来てからずっと泣いてばかりだ。私もまだまだ心が弱いのかな?
未来ちゃん心配されているようじゃ自分もまだまだ子供だな。
ともあれ、この後どうしようか。
魔女の城に行くのは山々なのだが、状況を理解していない未来ちゃんと一緒に行くのは危険すぎる。かと言って、ここにいるのも危険すぎる。いつどこで化物に狙われるか分からない状況に小さな子を一人で置いていくのもどうかと思う。一層、ジンダイさんのところに戻ってこの子を預けようか? いや、足枷を付けられたこの状態で移動するだけでも大きなリスクを背負ってしまう。それ以前に私自身も身動きが取れない。せめて、ホースがいれば状況は変わっていたのかもしれない。
「お姉ちゃんってヒーローはいると思う?」
「え? ヒーロー?」
突然の質問に私は困惑する。子供の言い出すことはよくわからない。
「怪獣に襲われた時にね、ヒーローが現れたの。ピンチの時に助けてくれるヒーローが」
そっか。おかしいと思った。こんな化物がウロウロいる中、この子一人で無事なはずがない。一人だったら今頃殺されているはずだ。でも、こうして無事であるということは誰かがここまで逃がしてくれたのだろう。自分のことで精一杯のはずなのに他人を助けてくれるなんてヒーローそのものだ。優しい人もいるものだ。
「そうなんだ。で? そのヒーローはどんな人だったの?」
「んーとね。よくわからなかった。シルエットしか映らなかったから。でも、一つだけ分かることがある。若い男の人。少し乱暴だったけど、『早く逃げろ!』って身を呈して守ってくれたの。まるで私の王子様のような感じ。お花畑がより引き立てるかのように」
未来ちゃんは頬を赤くして両手を当てる。頭の中はまるでシンデレラになっている様子だ。子供の頭は単純で羨ましい限りだ。
ん? ちょっと待てよ? お花畑?
「ね、ねぇ。未来ちゃん、一つ聞いていいかな?」
「ん? 何?」
「助けられた時にお花畑が咲いたってこと?」
「助けられた時って言うか目が覚めたら咲いていたの。見とれていたら怪獣に襲われて、そこからその人が現れたの。いつ思い出してもあのビジョンは素敵ね」
特定は出来ないけど、ほぼほぼその人物に心当たりがあった。おそらく未来ちゃんをここまで逃がした人物はバージルに違いなかった。まさかこの子の身の回りにバージルが絡んでいるなんて予想外だ。魔女の城に行く途中に不幸にもこの子のピンチに出会してしまったのだろう。そのようなことであったら色々と辻褄が合ってくる。
バージルは一体、今どこにいるのだろうか。そもそも生きているのか。心配が積もりに積もる。
「行かなきゃ!」
「どこに行くの? 私を置いていかないでよ」
外に出ようとしたその時、未来ちゃんは私の腕を掴んで止めた。
「私の大切な人が危ないの。だから、私が助けに行かなくちゃ」
「私を家まで送ってくれるって約束してくれるんだよね?」
「ええ。勿論よ。でも、私も行かないといけないところがあるの。それまでここで身を潜めて待っていてくれる? ここなら生活する分には困らないと思うし……」
「待つってどれくらい? 一時間? 半日? 明日? 一週間? もっと?」
「うっ……」
言葉に詰まった。正確に戻る時間は私自身分からない。最悪の場合、戻らないことだって考えられるなんて言えなかった。
「分かった。じゃ、お姉ちゃんと一緒に行こう。その代わり、絶対に私の言うことは聞いてね」
「うん、お姉ちゃんありがとう」
眩しいくらいに未来ちゃんは満面の笑みであった。この笑顔を見るとどうも調子が狂う。
それにしても、先のことなんて全く考えていない。未来ちゃんを守りながら進むことは簡単ではない。当日にたどり着ける保証もないのでひとまず、ありったけの食料と飲料を袋に詰める。しばらくの間はなんとかなるだろう。未来ちゃんにも手伝わせて必要なモノを集めさせた。
「行こう!」
準備が整い、私は未来ちゃんの手を握った。
コンビニを出て周囲を警戒しながら歩く。傍から見ればストーカーのような動きである。
私は注意深く目を凝らす。これでも視力は一・五である。遠方に化物がいるとしたらすぐに察知できる。
「ねぇ、お姉ちゃん、何して……」
「シッ! 伏せて!」
未来ちゃんが喋りかけるのを阻止した私は壁ドンをするかのようにしゃがませた。
そのまま手で口を塞いで声を発せさせないようにする。
遠方で黒い影を察知したからだ。こちらに来ないことを祈りながら自分の存在を消すのに精一杯だった。緊張がピークに達する。冷や汗が止まらない。
化物はギリギリのところで左の道に逸れた。なんとか助かったようだ。
「ふぅ……」
気が抜けた。崩れ落ちそうになるが踏み留まった。この先、ずっとこのようなことが続くとなれば緊張で倒れそうである。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
未来ちゃんは私を心配して声をかけてきた。
「うん。大丈夫。さぁ、行こうか」
私は未来ちゃんの手を引いて歩き出した。
街中を抜け、森に入った。
この奥に魔女の城があるのでもうひと踏ん張りである。
と、言っても魔女の城は一番高い崖の上にあり、見えているがなかなか近づかない。歩くたびに遠ざかっていくような感覚である。
「未来ちゃん。まだ歩ける?」
私は一緒に歩く未来ちゃんを気にかける。ここまでかなりの長距離を歩いてきたので疲れも見え始める頃だと思ったのだ。
「うん。大丈夫」
発言とは裏腹に表情はキツそうだった。気を使っているのだろうか。
「少し休憩しましょうか」
「うん。実はさっきから休憩したかったりして」
と、いう訳で座れそうな岩を見つけて腰を降ろす。
「ねぇ、お姉ちゃんはさっきから見えている『魔女の城』に行くのは分かるけど何しに行くの?」
水分を補給している時に未来ちゃんは聞いた。そういえば具体的な理由は話していない。さて、なんて説明してあげたら納得してくれるだろうか。私は少し考えて答えた。
「そこに住む魔女に帰れるようにお願いしに行くの。もしも希望とは沿わない形になれば戦うことになるかもしれない。これは最悪の場合ね。未来ちゃんは気にしなくていいから。全部お姉ちゃんに任せて」
勿論、希望とは沿わない形になるのは行く前から確定している。いわば、これから戦いに行くというのはまだ未来ちゃんは知らない。
「じゃ、私が交渉してあげる。お姉ちゃんより私みたいなちっちゃい子のお願いの方が聞いてくれるかもしれないし」
「え……?」
今、私がおばさんのような言い方された? いやいや、私もまだ泣き落しをすれば聞き入れてくれるような年頃の女の子だから大丈夫――じゃなくて相手は美人で性格の悪い魔女だから女の色気は一切通じないので意味がない。どのみち、未来ちゃんの出る幕はないのだ。
「未来ちゃんは何もしなくて大丈夫。私の横で大人しくしていれば充分だから。ははは」
作り笑いをしながらなんとかごまかす。お願いだから余計なことはしないでほしい。
「お姉ちゃん。暑いの? 凄い汗だね」
「そ、そうかな? そういえば暑いな。いっぱい歩いたからかな?」
「お姉ちゃん。滅茶苦茶動揺している。目が泳いでいるもん。私に何か隠していない?」
「そ、そんなことないよ」
「本当?」
「ホント、ホント」
ガサガサ、ガサガサ
前方の茂みに何かの気配が感じられた。あの茂みの奥にいる生物はなんだろうか。ひょっとして化物? 緊張で動けなかった。それは未来ちゃんも同じであった。その正体とは如何に……。
「ヒヒーン」
出てきたのはホースだった。緊張が解き放たれてホースに抱きつく。
「ホース! どこ行っていたのよ。心配したじゃないのよ」
「ヒーン」
「お姉ちゃん。その馬は?」
「ホース。この子に乗って魔女の城に行く予定だったけど途中ではぐれちゃったのよ。まさかこんなところにいるなんて思わなかったわ」
ホースとの合流で救われた気がした。これで歩く負担も減る。
「ホース。また乗せてね」
私はホースを撫でて上に股がる。
「さぁ、未来ちゃんもおいで」
そう言って私は手を差し伸べるが未来ちゃんは手を取ろうとしない。浮かない表情をしている。
「ん? どうしたの?」
「私、馬嫌い」
「え? なんで?」
「お父さんがよく馬で賭け事していたから。お父さんに関わることは全部嫌い」
賭け事? あぁ、競馬のことか。未来ちゃんのお父さんは趣味として競馬をしていたのだろう。競馬はよく分からないけど、ホースは嫌いになる対象にならないでほしい。
「大丈夫だよ。ホースは私の友達だから何も危害はないよ。ホラ、撫でてみて」
未来ちゃんは躊躇した様子だったが恐る恐ると手を近づける。
「ね? 怖くないでしょ?」
「うん。フサフサしていて暖かい」
「可愛いでしょ? さ、乗ってみて」
手こずりながらもなんとか私の前に座らせた。
「高い。これが馬から見た景色なの? こんなの初めて」
「ふふ。さぁ、出発よ」
ホースを走らせ、再び魔女の城へと向かうのであった。
ホースに乗ってからの道のりは先程の徒歩と比べて早かった。動物の力に感激した瞬間であった。
「お姉ちゃん、気持ちいいね」
「しっかり捕まっていてね。飛ばすわよ!」
馬の扱いにも慣れて私は速度を上げるのに試みる。
ヒヒーン!
ホースも勢いに乗ったのか、速度を上げてくれた。
「速い、速い! もっと!」
未来ちゃんはまるで遊園地のアトラクションのようにはしゃいでいる。新鮮味があるのだろう。このまま目的地まで突っ切る!
と、思った時だった。魔女の城の前方付近に何者かが立ち塞がっていたのだ。
「クッ! ホース、ストップ!」
ロープを引いて無理矢理止めさせる。ホースは前足を大きく上げて静止した。その反動で私と未来ちゃんは落馬して尻餅を付いた。
「痛! 未来ちゃん、大丈夫? 怪我していない?」
自分にもダメージを負ったが、自分よりも一回り身体の小さい未来ちゃんの状態を優先した。
「っつ! 大丈夫です」
そのように言いつつ、未来ちゃんは右手で左肘を抑えていた。
「ちょっと見せて」
私は無理矢理右手を退けて状態確認をした。すると、肘から血が流れていた。
「怪我しているじゃない!」
「大丈夫だよ。痛くないから」
「触っちゃダメ。手当してあげる」
私はコンビニで拝借したガーゼと包帯を取り出し、素早く手当を施した。擦り傷だけだったのでひとまずこれでなんとかなりそうだ。
「ありがとう。お姉ちゃん」
「あんまり動かしちゃダメよ」
それよりも……と、手当したところで私は前方に視線を向けた。
「あら、あんたそんな可愛い子分ができたのね。私も仲間に入れてよ」
その姿といい、その喋り方といい、何もかもが許せない存在だった。自然と顔も強張る。
「お姉ちゃん。あの人誰? ひょっとして双子の姉妹?」
「いいえ。あれは地上で最悪の人物……いや、悪魔。そして悪の元凶よ!」
「あれとか悪魔とか悪の元凶とか色々失礼ね。私とあなたの仲じゃない。仲良くしましょうよ。ねぇ、ま・し・ろ」
「…………真黒」
私は拳を強く握り締めながら言った。




