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「ここは……?」

 目を開けると街中に立っていた。いつの間にか魔女の城から飛ばされていたようだ。このまま元の世界に飛ばされたのであればどれ程嬉しいだろうか。しかし、街には人の姿が全くないことを考えるとどうやらここは鏡の世界であることが伺える。そんな都合の良いことが起こるはずもない。現実はそんな甘くないのだ。それよりも、いつの間にか辺りが暗くなっていることに気がかりだ。正確な時間は分からないがおそらく夕方の時間帯だろうか。元の世界では明け方といったところだろうか。完全に暗くなる前にやらなければなれば行動は一つ。ドッペルゲンガーを探し出すこと。機嫌は十日間となれば早い段階でなんとかしなければ。

「そういえば」

 と、私は辺りを見渡す。バージルはどこにいるのだろうか。同じように飛ばされたのであればバージルもひょっとしたら近くにいるのかもしれない。そう思った私は辺りを探る。バージルは重傷だ。動き回れるような身体ではない。しかし、いくら探しても近くにバージルの姿は確認できない。別の場所に飛ばされたのであろうか。見つけられないのであれば無事であることを祈るしかない。ここに来て初めて一人ぼっちになってしまった。本当に誰もいない。私だけしかいない。

 私はポケットを探りバージルから貰った、対ドッペルゲンガー用の手袋を取り出す。今、私が頼りになるのはこの手袋だけ。右手にだけはめておく。

「よし。行くか」

 決意を固め、私は動き出した。安全な場所なんてどこにもない。常に危険は潜んでいる。やるかやられるかしかないこの戦いはまるで戦争そのものである。穏婆の操り人形みたいになるのは尺に触るが、今は戦うしかないのだ。逃げられないなら戦うしかない。

 鏡の世界に初めて来た時に自宅に行ったが、私はいなかった。(私という言い方はややこしいが実際そうなので仕方がない)

 と、なれば次に私が居そうな場所と言えば学校である。しかし、誰もいない学校に一人でいるとは思えないが、確認の為にも覗いておく必要がある。

 学校に向かう為、私は通学ルートを歩き出す。いつもは何かしろの雑音が聞こえるが、何も聞こえない。静まり返っている。寂しい。でも、くじけてはいられない。

 歩き続けるうちに人の声が聞こえた。ようやく人の声が聞こえて私は安心する。思わず声が聞こえる方向に向かう。公園に人がいることを確認でき、思わず声をかけそうになるが、建物の影に身を潜めた。

「殺してやる。必ず元の世界に帰るんだ!」

「かかってこいよ。オリジナル様よ」

 ガテン系の男性と同じ顔をしたもう一人が歪みあっていた。おそらく本人とドッペルゲンガーが鉢合わせしたところを私は目撃してしまったようだ。出るに出られず、私は様子を伺う。

「自分を殺すようなのが尺だが、死んでもらうぞ」

 本人の男性は懐から果物ナイフを取り出す。対してドッペルゲンガーの方は武器を持っていない。

「死ね!」

 本人の男性は果物ナイフを両手で持って力を込めた状態で突っ込んでいく。ドッペルゲンガーは避ける素振りを見せない。このまま決着が付くのかと思いきや、ドッペルゲンガーはカウンターするように本人の男性を背負投げで決めてしまう。身体を地面に叩きつけられた本人の男性は無抵抗な状態になってしまう。ドッペルゲンガーはこぼれ落ちた果物ナイフを拾い、本人の男性の喉元に突きつける。

 ガタイが良く力技が得意そうなのに使い慣れていない武器を使ったことによって本来の実力が出なかったのが今の結果と言えるだろうか。と、私は状況だけで推測する。

「ま、待ってくれ! 俺が悪かった。だから許してくれ。頼む」

 本人の男性は命乞いする。

「これは勝負だ。お前の負けだ。大人しく身体をよこせ」

 ドッペルゲンガーは躊躇うことなく喉元を切り裂いた。私はその瞬間、目を逸らした。目の前で殺人が起こったのを目の当たりにしてしまい怖かった。酷すぎる。

 すると、本人の男性は塵になって消えていく。その塵はドッペルゲンガーに吸収されたかのように取り込まれていった。

「漲る。力が漲るぞ」

 溢れかえった力が暴走したのか、ドッペルゲンガーの身体は黒いオーラで纏われ、猛獣のようなシルエットが浮かび上がった。私がここに来て初めて目撃した化物と同じ姿に変わっていく。

「こ、殺される」

 私はこの場にいることが危険であると判断し、急いで公園から離れた。

 初めてのドッペルゲンガーとの戦いを目撃した私は衝撃を受けた。負けたら本当に死ぬ。そして、自分じゃない誰かに取り込まれてしまう。死んだのに生きているかのように仮面を被った状態で生きていくのだろう。この世界は残酷だ。

 逃げるように私は走った。そういえばここ最近、ずっと走りっぱなしのような気がする。

 年頃の女子が全力で走るのはマラソン大会だけで充分だ。体力的にも辛いが走らずにはいられなかった。

 なんとか誰にも会わずに私の通う中学校に辿り着く。本当にここに私のドッペルゲンガーはいるのだろうか?

 学校に入ろうとした時、視線を感じた。私は反射的に後ろに振り返る。

 道路を挟んで向こう側に黒いシルエットの化物がそこに立っていた。白い仮面を被っている少し変わった化物である。初めて見るタイプの化物であるが、化物であることは変わらない。ドッペルゲンガーと出会う前にまさか化物から遭遇するとは思っていなかった。しかし、いずれ戦わなければならない存在なので後に越したことはないが、心の準備ができていなかった。ここは逃げるか? しかし、化物は仮面のせいで視線はどこを向いているか分からないが確実に私の姿を捉えているのは確かである。下手に動けば真っ先に捕まるかもしれない。どうしたものか。

「うっ……うっ……」

 仮面の化物はノロノロした動きで私に近づきながら何かを差し出そうとする。

「え? 何?」

 仮面の化物の手には赤く輝くクリスタルが添えられていた。

「うっ……うっ……」

 仮面の化物は受け取れと言わんばかりに手を私に向ける。

「くれるの?」

 私がそう言うと仮面の化物は大きく頷いた。

「あ、ありがとう」

 私は摘むように赤いクリスタルを受け取った。

 それを見た仮面の化物は満足したかのように私の前から立ち去った。

「これが化物を倒したら手に入るクリスタルかな? でも、なんであの仮面の化物は私にくれたんだろうか」

 疑問は残るが、貰えるに越したことはない。私はクリスタルをポケットにしまい、学校の門に身を乗り上げた。走り高跳びのように華麗にピョンとまるで泥棒のような不審者に見えるが私はここの生徒だ。私は敷地内に着地し、校舎の方へ向かう。当然ながら、学校の中は静まり返っていた。誰の声も聞こえない。鍵が締まっていないことを祈るが大抵の扉は鍵が掛かっていた。運が悪い。窓の締め忘れがないかひたすら探す。すると一箇所、窓の閉め忘れを発見する。背が低く届かない為、ジャンプをしてよじ登ることに。悪戦苦闘しながらなんとか学校の中へ侵入成功。中に入った場所は男子トイレだった。女の私が一生入ることがない場所である。よりによってというのはこういう場面のことであろう。

 とりあえず私は土足のまま中へ入り、トイレから出て校内を探索する。やはり校内でも声が聞こえないのは変わらない。夜の学校に入るのは奇妙な感覚で薄気味悪いが私は幽霊なんて信じない。いるとしたら人間、あるいはドッペルゲンガーだけであると信じている。歩いているうちに頭に引っかかるような感覚がした。視界が悪い廊下に差し掛かった時、前方に人がいることを確認する為のカーブミラーを見たときだった。先程、人が映っていた気がした。しかし、実際にいたと思われる廊下を覗いても人はいない。幽霊……? と脳内に過ぎるがその考えは打ち消した。確認の為、もう一度カーブミラーを覗くとまた人が映る。よく見ると私の知っている人だった。

「知夏?」

 カーブミラーには確かに知夏の姿が映っていた。一体どういうことだろうか。しばらくすると知夏の姿は鏡から外れてしまった。まるでモニター映像を見ているかのようである。

 他にも鏡に人が映るのか確かめる為に私は別の鏡を探す。見つけたのは手洗い場の鏡。その鏡をじっと覗くと誰かが通る。しかし、私の後ろには誰にもいない。これってもしかして……

 私は考える。実際には誰も映っていないはずなのに鏡の向こう側には誰かが映っている。と、いうことは考えられることは一つ。

「元の世界の鏡と繋がっている」

 確信ではないけど、私はそう思った。試しに鏡に手を触れてみる。が、すり抜けたりしない。普通の鏡だ。元の世界にこのまま行けないのかと私は落ち込む。

「すいません。誰か! 聞こえますか? 聞こえたら返事してください」

 今度は元の世界に向かって呼びかけてみる。人は通るが私の声に対して反応は示さない。やっぱり声は届かないのか。諦めたその時、一人の男子生徒が私のいる鏡に向かって覗き込む。

「ねぇ、そこのあんた。私の声が聞こえるの?」

 しかし、男子生徒は顔を覗き込むだけ。返事は返ってこない。そして、髪型を直し始めた。イマイチ決まらない様子だ。どうやら本来の鏡の使用をしているようだ。男子の髪型を直す絵面はあんまり見たくない。私に見られているとも知らずに上目遣いをしながら鏡に映るその姿は間抜けズラそのものだった。

 やはり、元の世界に帰るにはミラーゲートという扉を通るしか方法はないのだろうか。

「そういえばさ、今日茅ヶ崎いないわね」

 鏡の奥に私のクラスメイトの女子たちが話しているのが聞こえた。自分の名前が呼ばれたことにより私は鏡の前で釘付けになる。

「あぁ、また昨日みたいに遅刻じゃない?」

「むしろ、そのまま学校来なくてもいいけどね。私、茅ヶ崎あんま好きじゃないし」

「へーそうなの? なんで?」

「だってあいつ、なんか生意気だし。馴れ馴れしいっていうかムカつくのよね。私、ああいう人嫌いだわ」

 私のいないところで私の悪口を言われているのは心が痛い。人である以上、嫌いな人と好きな人がいるのは仕方がない。だが、本人が聞いていないであろうと悪口を言ってそれを聞くのは辛いものである。

「言いたいことがあるなら直接言えばいいじゃない」

 突如、クラスメイト女子たちの前に知夏が間に割って入った。

「鈴森。何、あんた。文句あるの?」

「あんたが文句あるんでしょ? だったら本人に言いなさい。影でこそこそ言うのはみっともないよ」

「ちっ! 何よ。あんたもムカつくわね。行くわよ」

「あ、待ってよ」

 クラスメイトの女子たちは知夏の元から離れていった。

 私は心がスッキリした。ありがとう知夏。

 パキパキと突然、鏡にヒビが入った。不審に思ったその時だった。

 鏡は爆発音と共に粉々に割れてしまった。それも私が見ていた鏡だけではない。周りにある全ての鏡のヒビが入ると同時に割れたのだ。

「キャッ!」

 突然のことに私は尻餅をついていた。

 手洗い場は鏡の破片で散乱していた。

「な、なんなんよ。一体全体どうなってんの」

 辺り一体の鏡が割れて怖くなった私はその場から急いで離れた。

 

 校内を探索し終えた私はグランドの方へ行き、テニスコートに足を踏み入れる。

 いつの間にか、辺りはすっかり暗くなっていた。時間は八時を過ぎたくらいである。テニスコートの周りの外灯を付けた。誰もいないのは相変わらずである。

私はいつもここでソフトテニスの練習をする。練習すると言ってもここではない。元の世界のテニスコートで――だ。ここは元の世界の映し絵だ。

 コート内にはソフトボールが入ったカゴが放置されていた。それと誰かのラケットも置いてある。中途半端に後片付けは施されていない様子である。それを見た私は無性にソフトテニスがやりたくなり、誰かのラケットを手に持ち、カゴの中のボールを一つ手に取る。

 ボールをバウンドさせて宙にボールを舞い上げた。そして、ラケットを振りかぶってサーブを決める。この感覚だ。私は気持ちが舞い上がった。

 こんなところで道草くって遊んでいる場合ではないが、やりたいという衝動は抑えきれない。

カゴに入っているボールがなくなるまで打ち続ける。自然と汗が吹き出ていた。私の生きがいとも言えるひと時。ソフトテニスが楽しい。

 空になったカゴを持ってコートに散らばったボールを回収しながら思う。ソフトテニスは楽しいが一人でやっていても楽しくない。本来、ソフトテニスは二人でやるもの。練習相手がいない虚しさを改めて噛み締める。

「楽しそうね。私もやらせてよ」

 私は声をかけられ振り返った。先程まで誰も居なかったはずの審判の座る椅子に誰かが座っている。その人物は私と同じ顔をしていた。

「あ、あんたは……」

「はあぁぁぁい! お初ね。オリジナルさん」

 私と同じ顔をした人物は私に向かって手を振った。どこからどう見ても私そのものだった。まるで鏡に映った姿のように。私がそこに座っていた。

「茅ヶ崎真白。平成××年八月二十四日生まれ。十三歳。O型。ここの中学の二年生。ソフトテニス部所属。家族は父と母の三人暮らし。趣味はソフトテニスと走ること。学校の成績は中の下。それから……」

 その人物は私のプロフィールを淡々と口にする。全て合っている。やはりこの人物こそが私のドッペルゲンガーなのだろうか。

「あなたが私のドッペルゲンガーってこと?」

「ご名答。私はミラーゲートから作り出されたあなたのドッペルゲンガー。真黒って呼んでね」

「ま、真黒?」

「ええ。同じ名前だと言いにくいでしょ? だから真黒。あなたが白なら私は黒よ」

 勝手に自分の名前を決めた。この真黒が私の最大の敵となる存在なのだ。この真黒と戦わなければ一生この世界から帰れない。切っても切れない関係。

「ここに来る前、お母さんが働いていた工場が爆発したってニュースあったじゃない?」

 その発言に私は眉間にシワを寄せる。お母さんの遺体は確認できなかったが、恐らく死んだ。それは今でも心に焼き付いている。禁句とも言えるその発言に次の言葉を待った。

「あれ、私がやったの」

 私がやった? その意味が一瞬理解できなかった。

「あなたのお母さん、もうこの世にいないから。ざまぁないわね」

 その言葉で私の衝動は抑えきれなかった。こいつが私のお母さんを殺した? 信じられないが事実、工場は爆発している。許せない気持ちが高まる。

 私はラケットとボールを持って真黒と向き合う。尚も真黒は椅子に座ったままだ。まるで嬢王様のように足を組んで肘置きに肘を乗せている。見た目が私なだけに随分偉そうである。私はボールを宙に舞い上げ、ラケットを振りかぶった。

「喰らえ!」

 私は暴言とも言える荒い言葉と共にボールを真黒に向かって打った。私のボールは真黒の顔面目掛けて飛んでいく。コントロールは外れていない。

 そのまま顔面に当たるかと思いきや真黒は軽く首を傾げてボールを交わした。

「オリジナルとしてはかなり乱暴な一撃ね。当たったらどうしてくれるのよ」

「ちっ! 外したか」

 私は舌打ちをする。当たらなかったことに本気で悔しかった。

「良い感じに殺意が沸いたようね。その活きよ」

 真黒は挑発する。

「本当にあんたがお母さんを殺したのならこんなもので済まされると思わないでよ。例え、殺しても許さないんだから」

「おー怖! でも、あなたに私を殺すことなんてできるのかしら?」

「どういう意味よ」

「教えてあげましょうか。私たちのようなドッペルゲンガーっていうのはね、オリジナルの内なる姿を映し出したような存在なの。要するにオリジナルの中にある邪心が表に出たと言えばわかりやすいかな。悪い感情が大きい分、力の上下関係は私たちドッペルゲンガーの方が優っているのよ。だから同じではない。多少の誤差で私たちドッペルゲンガーが強いってこと。元々、この戦いにオリジナルが勝てないように魔女が細工してあるのよ。だから真白! あんたが私を倒すなんてできないってこと」

「そんな馬鹿な……」

 初めから穏婆は勝たせる気なんてなかった。私たちオリジナルがハンデを背負っている状態で戦わされていたのだ。普通に殺りあっているだけでは勝てるはずもなかったってこと? 私は仕組まれた事実に困惑する。

「ねぇ、力の差がどれほどあるのか試してみましょうか? あなたの得意なソフトテニスで勝負しない?」

「え?」

 勝負? もしかしてこれに負けたら私は殺されるのだろうか。そんな不安から来る反応だった。

「いいじゃない。せっかくコートもあることだし、私の実力がどれほどのものか知りたいでしょ? さぁ、位置に付きなさい。サーブはあなたからでいいわよ」

 真黒は椅子から立ち上がり、その辺にあったラケットを手に持って私を誘導する。まさかこれに負けたら魂を抜かれたりするんじゃないのかと不安になる。あの時のガテン系の男性のように負けたら何もかも失い、ドッペルゲンガーと一体化となり殺されていた。私もあのようになってしまうのだろうか。

「どうしたの? 早く位置に付きなよ。真白ちゃん」

 真黒は不敵な笑みを浮かべる。これを断ったら殺られる。そう、錯覚した。

 私は言われた通り、ポジションに付く。

「ゲームは五ゲームの公式通りね」

 私は頷く。負けたら――死ぬ。その思いが私を支配する。絶対に負けられない。私は歯を噛み締めてサーブを打つ。

「遅い!」

 私のサーブは軽々と打ち返された。そして、私は反応できないままボールはコートの外へ打ち付けられた。

「ゼロワン」

 真黒は余裕の表情で得点を宣言する。

 ヤバイ。この緊張感は半端ない。手が震える。収まれ。落ち着け。私。

 サーブをするも、ボールはラケットにかすりもしなかった。

「フォルト」

 真黒は無表情で言う。緊張で空振りをしてしまった。完全に真黒のペースにのまれている。あの余裕はどこから来るのだろうか。同じ私なのにどうしてこうも違うのだろうか。私は不思議で仕方が無かった。

 負けたくない。打ち合いは続くがボールが重く感じる。負けたくないという思いがある反面、ボールは私のコートに叩きつけられる。強い。同じ私なのにこんなに差が生まれるのだろうか。私は膝をつき、絶望した。恐怖もあり、本来の実力が出せなかった。こんな死と向かい合わせのソフトテニスがあるのだろうか。そして結果は……。

「ゲームセット! 私の勝ち。残念だったわね。真白、あんたの負け」

 私はソフトテニスで敗北した。一点も取ることが出来なかった。真黒の実力は充分過ぎるほどだった。私は足元にも及ばない。

「さてと」

 真黒は私の元に歩み寄る。殺される。私はそう確信する。ショックが大きすぎて立ち上がることすら出来なかった。

 真黒は私の前に立つと手を差し出す。

「大丈夫? 立てる?」

 真黒は私を気遣う素振りを見せた。何故、敵に手を差し伸べるのだろうか。これは罠に違いない。私は真黒の手を借りずに自力で立ち上がる。

「どういうつもり?」

 私は睨めつけるように聞いた。ドッペルゲンガーの行動は謎が多い。試されているのだろうか。

「別に。ソフトテニス初めてしたけど楽しかったね。さて、次は何して遊ぶ?」

 意外な答えだった。この子は私を殺そうとする素振りを見せない。遊ばれているのだろうか。私には真黒の考えていることに理解出来なかった。

「私を殺さないの?」

 私は恐る恐る聞いた。

「なんで?」

 意外にも真黒は首を傾げた。意味が分からないといった様子である。

「なんでって、あなたは私を殺して身体を乗っ取るんでしょ? だったら堂々と戦いなさいよ」

「私は戦いたくない。そんな無駄なことをする意味なんてないじゃない」

「え?」

「私は力の差がどれほどあるのか試したかっただけ。あなたのドッペルゲンガーなのよ? そんなくだらない争いが嫌いなことはあなたが誰よりも分かっているでしょ?」

 確かにそうだ。私はこんな命を奪い合う戦いなんて反対だ。できればやりたくない。でも、戦わないと二度と元の世界に帰れない。だから私は仕方がなくこんなくだらない戦いをしている訳であってどうしようもないと思っていた。なのに、戦う気がないドッペルゲンガーがいることに私は驚かされている。

「真黒……」

「私を殺して。真白、あなたは元の世界に帰るべきよ。さぁ、決着を付けましょう」

 真黒は無抵抗のまま、私に身体を差し出した。話が分かるドッペルゲンガーで助かった。これで私は一歩全身することができる。手袋を付けた手で真黒に触れようとする。

「ありがとう。真黒。そしてさようなら」

 その時だった。

 真黒はいきなり私を押し倒して両手を使い、首を絞めにかかる。

「ガハッ!」

 声が出せなかった。苦しい。手で振り払おうとするが、力が強すぎて意味がなかった。真黒の握力は段々と強まっていく。

「あはははは! まんまと騙されたわね。死になさい。真白! あなたを殺して大事な人を片端に殺してあげるわ。いいざまね。これであなたの人生終了! はい、お疲れ様でした。私の中で永遠に生きるのよ」

 真黒は嬉しそうに私の首を絞めながら言った。全ては演技だったのだ。油断した。息ができない。私はこのまま殺されるのだろうか。悔しい。悔しい。悔しい。このまま何もできないまま死ぬのが悔しかった。

 私は涙で溢れかえっていた。このまま、こいつの言うように私は何もできないまま死んで大事な人を殺されてしまうのだろうか。意識が遠のいてきた。なんとか脱出しようと私は右足を真黒の腹に回して勢いよく蹴り飛ばした。

「キャッ!」

 私の首から真黒の両手が外れて脱出に成功する。その間、私は激しく蒸せる。危ないところだった。呼吸を整えて真黒を睨む。

「本性を現したわね。何が戦いたくないよ。ずっと私の隙を狙っていたってこと?」

「あーあ。バレちゃったか、残念」

 私に蹴り飛ばされた真黒は俯きながらゾンビのように立ち上がる。遂に本性を現したといった感じだ。

「さぁ、ゲームを始めましょうか」

「ゲーム?」

 私は真黒の発言に聞き耳を立てる。

「ええ。私とあなたのどちらかが生き残るかのゲームよ」

「殺し合いをするってことよね?」

 念の為に私は聞いておく。

「最終的にはそうなるわね。だけど、ゲームをするということは必ずルールが存在する。そのルールに則って殺し合いをしてもらうわ」

「聞こうじゃないの」

「ルールは簡単。私とあなたで鬼ごっこをしてもらう。私が鬼、あなたが逃げる。場所はこの学校全体。時間は一時間にしましょうか。もしも学校の外に出たら失格。その場合は無条件で死んでもらうわ」

「それであなたに捕まったら死ぬってこと?」

「ええ。どうする? 逃げ道なんてどこにもないけどね」

「やるしかないんだったらやってやるわよ。いいわ。ゲームを始めましょう」

「随分、威勢だけはいいのね。いいわ。じゃ、始めましょう。スタート地点はここから。五分後に探しに行くから好きなところにでも隠れてちょうだい」

「望むところよ」

 五分後にゲームは始まる。鬼ごっこはそもそも捕まるまでが勝負。だったら時間までどこかで隠れていればそれでいい。見つかりにくいところで、例え見つかったとしてもすぐに逃げ出せる場所となれば――体育館だ。

 定番のロッカーに隠れるのもありだけど、これは鬼ごっこ。かくれんぼじゃない。見つかれば逃げる場所がないのが落とし穴である。

 体育館ならいくらでも隠れるところはあるし、見つかったとしても出口はあるから保険がきく。私はステージの上にあるカーテンの後ろに身を潜める。ここなら三十分くらいは隠れ切れるだろう。我ながら完璧な作戦である。

 そして五分後――

 私と真黒の命懸けの鬼ごっこが始まる。

 真黒はそろそろ動き始めた頃だろうか。時間いっぱいまでここで隠れ続けられるとは思わないけど、せめて少しの間でも時間を稼いでおきたい。

 面と向かって自分のドッペルゲンガーに会うのは不思議な感覚である。同じ顔で身体も同じ。まるで双子のような感覚に近い。でも私は一人っ子。双子なんていない。いてはならないんだ。あの存在は偽りだ。私は絶対に認めない。


 ガラララと、体育館の扉が開く音がした。

(……え?)

 と、心の中で呟いた。開始から五分も経たずにいきなり私のいる体育館に入ってきたのだ。こんなにも早い段階でここに来るとは予想外である。何故、学校の中ではなくいきなり体育館に来たのだろうか。いや、そんなことよりも隙を見て早くここから脱出することが先決である。カーテンの隙間から外の様子を伺う。真黒はキョロキョロと周囲を見渡す。夜なので体育館の中は真っ暗にも関わらず、真黒は電気を付けようとしない。すると、そのまま私が隠れているステージの方に歩いてきた。その足取りは段々と私の方に向かって近づいて来る。向こうに行けと念じるが、私の思いも虚しく真黒はこちらに向かってきた。

 すると、真黒は左端から順番にカーテンを捲り始めた。次々と掻き毟るように捲り私の隠れている場所まで辿り着く。

「みーつけた!」

 真黒と目と目が合った。私は恐怖に狩られた。

 

 あ! 私……死んだわ。


「からの捕ーかまえ……」

 真黒は手を差し伸ばした。終わった。

 

――いや、まだだ!

 私はすり抜けるように真黒の股から脱出する。

 寸前のところで私は真黒の手から逃れた。ホント、ギリギリのところで交わしたのだ。

「あ、コラ! 待て」

 鬼ごっこに待てと言われて待つ馬鹿はいない。私は体育館から脱出する。

 それにしても、何故こんなにも早く見つかったのだろうか。真黒は他に探すことなくピンポイントで私の隠れている場所を当てた。まるで私の考えていることがわかるように。

……あれ?

 そういえば、真黒は私のドッペルゲンガーということは私の考えていることはお見通しってことなんじゃ? そうだ。同じ人間なら考えていることも同じはず。私の考えなんて筒抜けなんだ。これじゃ逃げ切れるはずないじゃない。

「もう、逃げられないわよ。真白!」

「いやー! 来ないで!」

 私の後方には鬼の形相で真黒が追ってくる。追われているこの現状では捕まるのも時間の問題。二人だけの鬼ごっこでは誰かを囮にしたりできない。見つかれば捕まるまで追いかけられる。

「キャッ!」

 私は段差に躓いて転んだ。痛い。後ろを振り向くと真黒が立ち尽くしていた。これで私の負けは確定した。起き上がれない。

「タッチ!」

 真黒は私の背中に手を触れた。

――ゲーム開始から十分。またしても私の負けで決着がついてしまった。

「私の勝ちね。これが私たちドッペルゲンガーの実力ってこと」

 真黒は不敵な笑みを浮かべた。完全に見下されている。偽物に負けるこの屈辱は計り知れなかった。

「私はどうなるの?」

 俯きながら私は聞いた。

「安心して。死ぬとはまた違うから。ただ、あなたの身体は私が貰って私があなたとして生きる。あなたは私の行動を心の底からただ眺めているだけ。私が理想の生活を送ってあげる」

「私の身体を使って何をするつもり?」

「そうね……まだ具体的なことは考えていないけど、まずはあなたの大事なお友達である鈴森知夏に良からぬことをしようかしら」

 真黒は人差し指を唇に当てながら考える素振りをした後、両手を合わせて思いついたかのように言い放った。

「知夏に何するつもりよ!」

「そんな怒らないでよ。安心して。殺したりしないから。ただ、今度はあの子をこの世界に招待しよかと思ってね」

 知夏にこんな残酷な世界にこさせるなんてダメだ。そんなことさせるわけにはいかない。

「そんなこと、私が許す訳ないでしょ」

「あなたが許そうが許さまいが身体を乗っ取られたらあなたの感情は無に等しい。よって止める手段はない」

「…………」

 こんなの死んだ方がマシだ。身体を乗っ取られた上で生かされているなんて死ぬよりも辛い。私は絶望した。

 こうなったら――自殺してやる!

 自らの命を捨てることによって周りに危害が及ばないのであれば私は喜んでこの身を捨ててやる。

「自殺してやる」

 ここは幸いにも三階。窓から飛び降りれば楽に死ねるかもしれない。そう思った私は窓ガラスに向かって走った。

「だから逃げられないんだってば!」

 素早い反射神経により真黒は私の頭を廊下に叩きつけた。止められた。

「こ、こうなったら舌を噛み切って……がはっ!」

 舌を噛み切って自殺を図ろうとしたが頬を強く握られてそれすらも阻止されてしまう。私の行動を全て止められた。もう、何も抵抗することができなかった。このまま身体を差し出すことしか私には残されていないのだろう。私の人生――あっけなかったな。まだ十三年しか生きていないのにもう終わりを迎えてしまった。まだやりたいこともできていないのに。そもそも私ってやりたいことあっただろうか。もう、どうでもいいや。だってもう、私は死ぬんだから。

「観念したようね。さようなら、茅ヶ崎真白。そして、新たな茅ヶ崎真白に祝福を」

 真黒は私に向けて手を当てた。

「な、何?」

「時期に姿が消えて楽になれるわ」

 すると、私の身体は塵となって輝き始めた。塵はみるみると真黒に吸収されていくように集まっていく。私はこのまま消えていくのだろうか。

 私は自分の両手を掲げる。徐々に薄くなっていることが分かる。私の身体は透けている。

「いや……いや、いやだ!」

 その時だった。

 廊下の壁が爆風と共に吹っ飛ばされ、誰かが私たちの前に吹き飛ばされてきたのだ。それと同時に真黒は何者かと巻き添えとなって教室まで飛ばされた。

「え?」

 私は状況を把握するのに十秒かかった。

 どうやら他者のドッペルゲンガーとの戦いに巻き添えをくらったという訳だ。それは私にとっては好都合。真黒が弾き飛ばされたことにより私の消えかけた塵はなくなった。身体が透けることなく元の状態に戻っていた。

「誰だか分からないけど、助かった」

 命拾いした。このような時、私は運が良いのだろうか。ともあれ、拾った命だ。

 私はその場を離れた。急いで校内から避難する。

 校内から出ると正門付近に後ろを向いて立っている人物がいた。暗くてその人物が誰なのか特定できない。私は様子を伺いながら近づく。すると、その人物は私の方に正面を向いた。その人物の顔を見た瞬間、私は安心感が生まれた。思わずその人物の名前を呼んでいた。

「バージル! 私よ、真白よ」

 私はバージルに向かって手を振って近づいた。突然の再開に私は嬉しくなった。

 バージルは私の存在に気づいたのか、こちらに手を振り返しして微笑んだ。穏婆との一見で傷ついていたのでずっと心配であった。しかし、バージルには目立った外傷はなくピンピンしていた。ひとまず問題はなさそうである。

「バージル、やっと会えたわね。ここで何をしていたの?」

「真白さんをずっと探していたのです。おそらくここにいるだろうと予測してここに来たという訳です」

「そうなんだ。ねぇ、聞いてよ。私、自分のドッペルゲンガーと会っちゃった。寸前のところで逃げ切れたけどまだ近くにいるかも」

「それはいけませんね。早く逃げましょう。さぁ、こちらへ」

 バージルは手を指し伸ばした。私はその手を取ろうとする。 

「真白さん、そいつに近づいてはいけません!」

 背後で私の名を呼ぶ声がして振り向く。そこにはバージルが立っていた。私は目の前のバージルにまた目線を向ける。

――バージルが二人……?

 いや、これはドッペルゲンガーだ。どちらかが本物でどいらかが偽物である。

「真白さん、あいつは偽物です。さぁ、早く私と共に逃げましょう」

 最初に見つけた方のバージルは言う。

「真白さん! 騙されてはいけません。そいつは私の偽物です」

 後から現れたバージルは言う。

 私は混乱する。一体どちらが本物であるのか、私には判断がつかなかった。どちらも同じ姿、形をしている。見分けなんて全く付かない。どちらを信じれば良いのだろうか。

 ん? 私は一部、違うところを見つけた。後から現れたバージルの頭には包帯が巻かれている。その箇所は血を流していた場所に違いなかった。と、いうことは本物のバージルは……。

「さぁ、行きましょう。ここは危険です」

 包帯がない方のバージルに腕を掴まれた。こっちがドッペルゲンガー……?

「いや!」

 私は反射的に突き飛ばした。

「真白さん?」

「あなた、本当にバージル?」

「何を言っているのです。どこからどう見てもバージルじゃないですか」

 私は怪しんだ。直感で身体が違うと言っている。

「ちっ! 勘付かれたか。来い」

 本性を表したのか、ドッペルゲンガーのバージル――すなわち偽バージルは強引に私の手を引く。

「や! 放して!」

 振り払おうとするが、大人の男性の力は想像以上に強い。

「真白さん。今、行きます」

 本物のバージルは私に向かって走り出す。が、直後にバージルはその場に倒れ込んだ。

「よくも私の邪魔してくれたわね。おかげで魂、奪いそこねたじゃない」

 真黒はテニスラケットでバージルの頭部に一撃をくらわせたのだ。おそらく、私がピンチの時に現れたのはバージルだったのだ。それなのに今は私のせいで倒れている。

「茅ヶ崎真白のドッペルゲンガーよ。よくやった。そいつは私の獲物だ。さぁ、そいつを渡せ」

 偽バージルは手を差し伸ばす。

「あなたこそ。私の獲物をこっちに渡しなさい」

 何? この威圧。私は二人のドッペルゲンガーに挟まれていた。どっちに行っても無事では済まないのは明白だ。

「ならば、せーのっ、せ! で、交換しましょうか。お互いにオリジナルを投げる――でどうですか?」

「わかった」

 まるで私たちがモノのように扱われる。お互いのドッペルゲンガーは私たちを抱えるように持つ。

「せーのっ」と掛け声が掛かった瞬間、私は隙を付いて偽バージルの腕に噛み付く。

「痛い!」

 手が解けたことによって私は逃げる。

「あ、逃げるな。私の馬鹿」

 真黒は人質であるバージルを放して追いかけてくる。

 このままではまた捕まってしまう。何か、何かこの場をくぐり抜ける術はないのだろうか。


――手袋を引っくり返して付けてドッペルゲンガーに手を掲げるのです。


「え?」

 今、バージルの声が聞こえた気がした。しかし、バージルは倒れ込んだままである。

 次第に真黒の距離は詰め寄られる。考えている時間は無さそうである。私は言われたように手袋を引っくり返して手にはめる。

「捕まえた!」

 真黒の手が伸びたところで私は手を真黒に向けた。

 すると、真黒は一時停止したように動かなくなる。次の瞬間、真黒の背後に見覚えのある鏡、ミラーゲートが姿を現す。真黒はミラーゲートに吸い寄せられるように鏡の中に引き込まれた。同時にミラーゲートはバージルのドッペルゲンガーも真黒と同様にミラーゲートに吸い込まれてしまった。

 吸い込んだ後、ミラーゲートは役目を果たしたかのように消えてしまった。

「な、何?」

 私は状況が掴めずにその場に尻餅をつく。

 突然の出来事に私は固まった。さっきまでいた天敵の姿はもういない。これは一体……?

「そうだ! バージル」

 私はバージルの存在を思い出し、立ち上がってバージルの元に駆け寄る。

「バージル、大丈夫?」

 発見した時にはうつ伏せで倒れていた。私の呼びかけによって意識を取り戻した。

 バージルは頭を強く打ったのか、頭を抑えながら身体を起こす。

「真白さん。怪我はありませんか?」

「いや、それこっちのセリフ! あなた、頭から血が出ているわよ? 急いで手当をしなきゃ!」

「いえ、これくらい大丈……」

「ダメ! 私が手当します!」

 バージルが言い切る前に私は遮った。

立ち上がることは出来そうであったので、私はバージルを支えながら保健室に向かった。


「痛!」

「我慢して。もうすぐ終わるから」

「真白さん、手当の仕方が上手いですね。意外です」

「意外って何よ。私、これでも保健委員しているんだから」

「そうなんですか。良いお嫁さんになれますね」

「な、何言っているのよ。はい、これで終わり。あくまでも応急処置レベルだから派手に動いたら悪化するから気をつけてね」

 私は話を逸らすように注意を促した。

「ありがとうございます。わざわざすいません」

「いいのよ。これくらい。ところでさっきの事なんだけど……」

 私は先程の出来事について話を持ち出す。バージルからの言葉を待った。

「ドッペルゲンガーは消滅した訳ではありません。一時的に魔女のところに行ってもらったに過ぎません。その手袋はドッペルゲンガーを消滅させられる代物ですが、同時に弾き飛ばす能力もあります」

「弾き飛ばす?」

「はい。消滅させることはできませんが、手袋をひっくり返して使用すると周囲にいるドッペルゲンガーたちを魔女のところへ送り返すことが可能です。だから真白さんのドッペルゲンガーだけではなく私のドッペルゲンガーも送り返されたという訳です。ただ、これは非常ボタンと同じで一度だけしか使用できません。これを使えば本来の使用のみしか使えず、今後同じような使い方はできなくなります」

「なるほど。でも、なんでそんな使い方が出来るのに教えてくれなかったのよ」

「非常用ということもありますが、これを使えば大きなリスクを背負うことになります」

「どういうこと?」

「ミラーゲートを使うことになるのですが、ミラーゲートというのは穏婆の所有物というのはお話しましたね? これは無断で使用し、送り出したドッペルゲンガーを再び戻されたということになります。この状況を見た穏婆はどう思うでしょうか?」

 バージルはまるでクイズのような問いかけをする。私は考えて答える。

「怒る?」

 余りにも簡単な返しに自分でやらかしたと後で感じる。

「そうですね。人のモノを勝手に使って勝手な押しつけをしたら誰だって怒ります。では次に考えてみてください。真白さんは怒ったらどうしますか?」

 今度は真剣に考えてみた。私が怒るというよりも普通の人が怒ったら取るべき行動は……。

「相手に同じ目に合わせるかそれ以上の目に合わせる……かな?」

「真白さん、それですよ。正解です」

 バージルは私に指を差しながら言う。

「ん? てことは……」

「はい。穏婆の怒りの矛先は間違いなく私と真白さんになります。穏婆自ら私たちに攻撃を仕掛けてくる可能性は0ではありません。何かしらの施しはしてくると考えていいでしょう」

「何かしらの施しって例えば?」

「そうですね、牢獄するために一斉に襲いかかってくるとかですかね」

「やばいじゃない。早く逃げなきゃ!」

 私は慌てた様子で取り乱す。

「逃げるってどこに? ここの世界は穏婆の敷地内も同然です。逃げる場所なんてどこにもありません」

「そうだった。じゃ、どのみち私たち捕まるの? 嫌だ! 何も悪いことしてないのに牢屋行きなんて! しかも中学生で! ありえないんですけど!」

 私はこの世の終わりとも言えるくらい絶望的な表情と共に頭を抱えてしゃがみこんだ。一時的に最悪な危機を乗り越えたとはいえ、この後に更なる最悪な事態が襲いかかってくるなんて冗談じゃない。

 バージルの方に振り向くとどこから持ってきたのか、カップを片手に呑気にティータイムを楽しんでいる。その余裕はどこから来るのだろうか。

「って、おーい! 何、呑気にティータイムを楽しんでいるんだ!」と、私は芸人並のツッコミを入れる。

「ん? あぁ、真白さんも紅茶要りますか?」

「要る! って、そうじゃなくてその余裕は何かって聞いているの。あんたも私と同じように捕まるかもしれないのよ。それなのになんでそんな平然としていられる訳?」

「穏婆の怒りを買っているとしてもそんなすぐに来る訳ではありません。言ったでしょ? 穏婆は警戒心が非常に強いお方だって。何も考えずに本能のままで来ることなんてまずないのですよ」

 バージルは私の分の紅茶を入れてカップを差し出す。それを受け取り一口飲んだところでバージルは更に続けて言う。

「つまり、私たちを追い詰める為の準備期間があると言える。今夜は何も仕掛けてこないはずです」

「なるほどね。それでその余裕って訳だ」

「そういうことです」

 紅茶を少しずつ飲みながら私は質問する。

「ところで魔女の城で別れてからどういう状況だったのか聞かせて」

「いいですよ。真白さんに隠すことは何もありません。空間を飛ばされた私は山の奥に飛ばされていました。最初は場所が掴めませんでしたが、どうやら魔女の城付近だったことが分かりました。すぐに真白さんの元に駆けつけたかったのですが、ある人物の邪魔が入りました」

「バージルのドッペルゲンガーね」

「そうです。おそらく穏婆の腹いせに私のドッペルゲンガーと対面させたのでしょう。それから悲惨でしたね。一対一での戦いは勝ち目がない。私は場所を変えながら逃げ切ることに専念しました。しかし、なかなか振り切ることが難しかった。遂に私は追い詰められてドッペルゲンガーからの一撃をくらってしまった。そんな時に真白さんのドッペルゲンガーが巻き添えをくらった。良い意味で良かったですね。おかげでこうしてまた再開できた」

「うん!」

 私は大きく頷いた。本当に会えて良かったと心から思った。怪我はしたけど大きな外傷はなく無事に生きていてくれた。それで充分だ。

「私のドッペルゲンガーは他のドッペルゲンガーとは違い、少し特殊なのです。本人の邪の心から生み出されるのがドッペルゲンガーですが、私のドッペルゲンガーはずっと私と共に生きてきた運命共同体。切っても切れない存在です。穏婆が暴露した私の過去は事実です。悪意剥き出しである私のもう一つの人格は力が強く、自分が良ければそれでいいといった殿様のような奴です。そいつを倒す手段は私にはない。とにかく強いのです。恋人の敵でもあるがどんなに頑張っても報われないこともあると私は思い知らされました。正直、あいつを見るとどうしようもなく怖いのです」

 バージルの手は微かに震えていた。

「バージル……」

「でも、いつか倒せると信じています。背負っている人がいるんです。簡単に死ぬことなんてできません」

「あの、バージル。とっても言いにくい事なんだけど……」

 私は言うべきか言わないべきか迷っていた。

 穏婆は恋人を助けるつもりもこの世界から出すつもりも一切ないということを。

 だが、これを言ってしまえばバージルはどんな思いをするだろうか。それを考えると私はなかなか言い出せなった。しかし、このまま言わないわけにもいかない。

「実は……」

 私は自然と言っていた。バージルは誰も助けられないままこの世界で死んでいく。

 泣き出すかと思ったが、バージルは「そうですか」と、小さく腰を落としていた。

「薄々感じていました。このまま穏婆に従っていても何も取り戻せないんじゃないかって。でも、ハッキリできて心がスッとしました」

「それは諦めたってこと?」

「いえ。戦う決心がついたということです。勝目がないことくらいわかっています。ただ、このまま都合の良いように死んでいくのであれば、最後まで戦って死んだ方が数倍マシです。百合亜には悪いけど、一足先に去っていつか死んで再開できれば満足です」

「違うよ。そんなの絶対に間違っている」

「真白さん、どうしました?」

「戦うイコール死ぬ覚悟じゃない。勝って幸せなイメージを描いてこそ戦う意味がある。初めから死ぬとかマイナスなイメージで戦わないで」

「勝って幸せなイメージを描いてこそ戦う意味がある?」

「そうよ。穏婆に勝って恋人を取り戻そうよ。その為に今まで生きてきたんでしょ?」

「そうですね。自分が間違っていました。真白さんの言うとおりです。勝って幸せを掴みましょう」

「その活きよ。私も協力するからさ。一緒に頑張ろうよ」

「ありがとうございます。中学生に正されるようでは自分もまだまだです」

 私とバージルの決心は固まった。勝って必ず幸せになろう。マイナスなイメージは持たない。バージルは先程まで死んだ魚の目をしていたが、今は生気が漲っているかのように活気に溢れた表情になっていた。私も同じ気持ちになった。負ける気がしないような自信に満ちていうような感覚だ。

「今日はとりあえずここで一晩明かしましょう」

 バージルは保健室にあるベッドを二つ見ながら言った。

「え? 二人で一晩、ここで寝るの?」

「ええ。今から外を出歩けばドッペルゲンガーに遭遇するかもしれません。視界が暗いと不意打ちの可能性がありますからね。危険がいっぱい潜んでいます。丁度、ここにベッドがあるので好都合じゃありませんか」

「それもそうだけど……」

 言いながら焦った。私は男子と……いや、男性と同じ部屋で寝るなんてことは今までに経験していない。十三歳で私の初をこの男に捧げても良いのだろうか。しかも彼女持ちの人と。いくらなんでもそんなことをしたら私は尻が軽い女としてレッテルを貼られてしまう。ダメだ。いくら状況が状況だからと言ってあってはならないことだ。それをしたら私は穏婆と戦う以前にここで死ぬことになる。そうなったら一貫の終わりだ。

「真白さん。もしかして変なことを考えていませんか?」

 バージルに言われてドキリとした。気持ちを悟られないように私は言い返す。

「そ、そ、それはあんたでしょ? わ、私に変な事したらロ、ロリコンだからね。警察行きよ? 分かっているの?」

「あぁ、そうだ。勘違いされると困りますので予めに言っときますけど、私は年上のお姉さんがタイプです。あなたのようなお子様を相手には興味が……痛い!」

 私は全力でバージルに蹴りを入れた。

 お子様で悪かったわね。どうせまだ胸も発達していなくて魅力はありませんよ。でも、言い方ってものがあるでしょ! 言い方が! 私は抑えられない気持ちの中、ベッドの周りを囲うカーテンを閉めた。

「べー! バージルのバカ」

 カーテンから顔を覗かせるように舌を出して小馬鹿にする仕草はまるで小学生並であるが、やらずにはいられなかった。

 私はそのまま布団の中に潜り込んだ。

「おやすみなさい」

 バージルがそのように言った瞬間、部屋の明かりが消えた。

 隣のベッドでゴソゴソと音が聞こえる。どうやらバージルも眠りの体勢に入ろうとしているのであろう。

 寝たい気持ちはあるが、私は興奮が収まらない。別に変な意味ではない。現実ではまずありえない自分との対面やこの世界を支配する魔女の思惑といった出来事について頭に強く残った状態だ。まるで修学旅行で寝るのが惜しいようなもどかしい感覚である。

「バージル……寝た?」

 沈黙から数分後、私は思わず声をかけた。目を瞑ってもなかなか眠れないのだ。

「起きていますけど?」

 カーテン越しからバージルの声が聞こえた。安心感が芽生えた。

「それなら私が寝るまで何か話でもしましょうよ」

「私の都合は? まぁ、構いませんけど。そういうところ百合亜に似ていますね」

「え? 私、バージルの彼女と似ているの?」

「見た目は似ても似つきませんが、そうやって自分の都合を押し付けてくるとことは似ていますかね」

 私はもう一度蹴りを入れてやろうかと思ったが、流石にベッドから出て行く手間をかけてまでする気にはならない。聞き流すように私は質問をしてみる。

「その彼女さんについて聞きたいな。どうやって知り合ったの?」

「そうですね。少しお恥ずかしい内容もありますが、話しましょう。彼女と知り合ったのは――」

 バージルは語り始めた。私はそれを黙って聞く。

 彼女と知り合ったのは今から五年前――。バージルは当時二三歳の頃の話。バージルはフランス人と日本人のハーフらしい。生まれは日本であるが、育ちはフランスで生活をしていた。幼い頃は二重人格で生活に支障があった為、仲の良い友人は少なかった。悪の感情を持った性格のおかげで周囲から煙たがれる存在となっていたバージルは自分が嫌いになり、心を閉ざすようになったという。一人で行動するようになった時、バージルの中で興味を引かれるモノが写った。

 大道芸人である。人間業ではない数々のショーにバージルは目を奪われるようになる。当時、高校生だったバージルは駅の付近で行われていたショーに釘付けとなった。自分もあのようなことをしてみたいと強く思う。将来は人々を楽しませるような大道芸人になりたいと心に決めたのだ。大学を出た後、バージルは生まれ故郷である日本で大道芸人として活動していくようになる。夢を見たのは良いが、現実はそんなに甘くはない。バージルは駆け出しということもあり、路上で芸を披露する生活を続けていた。観客の足取りは掴めないがそれでもバージルは賢明に呼びかけた。

 そんな時、一人の観客と運命的な出会いをする。それが彼女になる宮下百合亜である。通りすがりがたまたま見かけて足を止める程度の芸だったが、彼女はバージル目当てで芸を見に来るほど毎回のように現れていたのだ。芸が終わった後に観客が立ち去っても最後の最後まで見守っていた。

「いつも楽しみに見に来ます。これからも頑張ってください」と一言かけてくるほどだ。その言葉がバージルには希望を感じられた。

 やがて自分を支えてくれるファンということで連絡先を交換し、やりとりが続くようになった。そして二人の交際は始まる。バージルは次第に好意が募り、交際から四年後にプロポーズする。彼女もバージルからのプロポーズを受け入れ、結婚の約束をする。

 約束を取り入れたのは良いがバージルには誰にも言えない秘密がある。二重人格について。隠すことはできないと思い、バージルは彼女に打ち明けた。すると、百合亜の答えは

「バージルはバージルだよ。それ以外は何者でもない。だから二人で乗り越えよう」

 その言葉がバージルに強く突き刺さった。一生、この人と歩んでいこうと心に決めた。

 しかし、今まで封印してきた人格が暴走してしまい、彼女を植物状態に追いやってしまったのだ。その一連の流れを私は最後まで聞くことができた。

「良い彼女さんね」

 と、私は素直な感想を言う。

「ええ、自慢の彼女です」と、バージルは誇らしげに言う。

「女の子を待たせたらダメなんだからね。早く迎えにいってあげないと」

「……そうですね」

 バージルは呟くように言う。

「私、バージルに謝らないといけないことがあるの」

「ほう、なんでしょう」

「私、何も知らずにバージルに対して最低とか人でなしって言っちゃった。こんな事情を抱えていると知らずに失礼な発言をしてごめんなさい」

「いえ、真白さんは普通の反応をしたまでです。何も悪いことなんてありませんよ。お気になさらず」

「なら良かった。あなたって紳士なのね」

「ありがとうございます。真白さん、この世界から出たら初めに何をしたいですか?」

「それは勿論、家に帰ってお母……」

 言いかけたところで私は黙ってしまった。お母さんにただいまと言いたいところだが、母はもうこの世にはいないのであると錯覚したのだ。

「真白さん……?」

「んーん。何でもない。私の目的はこの世界から出ることじゃない。この世界と向き合うことなのよ」

「それはどういう……」

「気にしないで。私には私の都合がある」

「そうですか」

「バージル。私ね、思うことがあるの。真黒……いや、私のドッペルゲンガーって本当は良い子なんじゃないかと思うの」

「ドッペルゲンガーは本人の身体を狙う恐ろしい存在でしかありません。どうしてそのように思うんですか?」

「絶対とは言えないけど、穏婆に支配されているだけであって本当は自由に生きたいのかなって。いい子なのに操られているだけで苦しい感じが一瞬見えたんだよね」

 私は少し声を低くして思うように言った。

「そうだといいですね」

「ねぇ、バージル。オリジナルとドッペルゲンガーは仲良く共存することってできないのかな?」

「さて、どうでしょう。私が思うにはやはり難しいと思います。どちらかが死なないと自由になれない。だから戦うしかない。それが現実だと言えるでしょう」

「そっか。やっぱりそうだよね」

「でも、できるといいですよね。真白さんの思うように共存できたら何より恵まれます。何も争わなくてもいいのですから」

「……うん」

「真白さん。そろそろ眠くなったのではないですか? 声に力がないですよ」

「うん。ちょっと眠くなっちゃった」

「そろそろ寝ましょうか。明日も体力勝負ですので休める時に休めた方がいい」

「そうだね。そうするよ」

「真白さん。おやすみなさい」

「ええ。おやすみなさい」

 私は急に眠気に襲われ、気絶するかのように深い眠りに入った。

しかし、次に目を覚ました時、バージルは姿を消していた。


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