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センチアール  作者: mckee
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第七話 人生を賭ける

 私が計画の下準備に奔走していた頃のこと。

 鹿児島県の種子島と阿久根市に新設する情報管制センターへの視察の際、休暇をいただき父の実家に立ち寄った。

 私の父は鹿児島県北西部、熊本県との県境付近の出身だ。

 祖父母が暮らす父の実家に、子供の頃家族で何度か帰省したことがある。

 祖父は寡黙な人で、私はそんな祖父が好きだった。

 甘柿を草刈り鎌で器用に剥いて食べさせてくれたり、稲の陰干し櫓を一人で黙々と組んだりする姿に、子供ながらに「生きる」ということの力強さのようなものを感じていた。

 無口な人だったが、私が何か迷ったり躊躇する時などは、よく「ハシとせんか」と声をかけられたのを覚えている。

 未だにその言葉の正確な意味は知らないが、厳しくも優しい励ましを受けているようで、不思議と心強くなったものだ。

 小学生高学年の夏休みに帰省した時に、祖父、父と私の3人で小アジ釣りに出かけた。

 米ノ津港北埠頭という釣り場は祖父の家からすぐそこ、歩いて行けるくらいだ。

 オキアミの撒き餌にサビキでバケツいっぱいの小アジを釣った。

 祖父は「釣りすぎるとばあちゃんが大変だぞ」と笑った。

 祖母には南蛮漬けを作ってもらう約束をしていた。

 3人並んで帰り道、父が北の方角、不知火海を眺めながらこんなことを言い出した。

 「高校生くらいの頃、ここから普賢岳の噴煙を見たんだよ。しかしあれは長崎だからなぁ、見間違えだったのか。でもテレビのニュースで映っていた噴煙と同じ形だった。」

 米ノ津港から雲仙普賢岳の間には天草諸島があり、直線距離は50キロメートルほどもある。

 父は口には出してみたものの

 「そんなわけはないか。雲仙は長崎県だもんな。ここから長崎が見えるわけがない。記憶違いだろうな。」

とすぐに打ち消した。

 それを聞いて祖父は立ち止まり、ゆっくりと口を開いた。


 「いや、見える。

  俺は一真くらいの歳の頃、きのこ雲を見た。」


 何秒くらいの間だったのか、3人の間に沈黙が流れた。

 父は驚きの表情を浮かべ俯いていた。

 背中越しの祖父はその表情こそ見えなかったが体が震えていたのを見て、私も立ち尽くしていた。

 恐怖や悲しみ、罪悪感。

 それらが混ざり合い、言葉にならない感情の塊になって直接伝わってくる気がした。

 それから数年後に祖父は亡くなり、葬儀の場で父にその話をした。

 父は祖父がこのことを口にしたのはこの一度きりだと言っていた。

 祖母や親戚にも聞いたが、誰も祖父がきのこ雲を見たという話は聞いたことがないと驚いていた。

 昭和12年生まれの少年は、海辺で遠くに見える不思議な形の雲に見とれ、後にその下で何万人もの人々が焼け死んだことを知る。

 そのことを年老いるまで誰にも言えず一人で抱え込んだ。

 その胸に刻まれた深い傷は、祖父の一生を貫いたのだ。

 もちろん祖父だけではない。

 我が国が受けた傷を、私たちは語り継ぐ。

 しかし、それでもあのとき祖父の胸に甦ったものを、間近に感じることはもうできなくなった。

 祖父は被爆者ではない。

 あの日を生き延びた人々や、家族を失った人々が背負った苦しみに比べれば、語るべき立場ですらないのかもしれない。

 それでも、あの日空を見上げた一人の少年の震えを。

 本人から直接感じた感情の塊を、私は忘れることができない。

 

 戦後我が国は核廃絶を訴えた。

 しかし世界は、我が国が受けたこの残忍な仕打ちを見ても、我々があげる声を聞いても、それを勝利の象徴にしたり、祈りの対象にしたり。その反応は核の廃絶とはかけ離れたままだ。

 あの夏から100年が経った。

 我が国の、国民が唇を噛む思いで貫く非武装は、他国から見れば「2発で100年間、軍事国家を無力化できる」核兵器の効力と受け止められても不思議ではない。

 保有国がこの魅力的な兵器を自ら手放そうと考えるだろうか。

 本当に、実現するものとして核廃絶を目指すなら、ただ丸腰で訴えるだけではだめだ。

 何かを賭けなければならない。

 それが私の人生で済むならば、安いものだ。

 私はその思いに駆られている。今もそうだ。

 私はずっと、この人生を賭けて、核廃絶を成し遂げる機会を狙っている。

 米ノ津港北埠頭に立って遠く不知火海を望み、あの日と同じ景色を見る。

 …今だ。

 私がこの役職に着いたのが宿命なら、人生を賭けるのは今なのだ。

 その思いが改めて強くなる。

 思えば、私はずっとこの駆られる思いに突き動かされていた。

 桐原総理に計画を進言した時もそうだった。


 桐原泰人日本国総理大臣は温厚なイメージの人物だ。

 「国は人である」を政治の信条とし、多くを語らず周りを動かす手法が国民の支持を受けている。

 そんな桐原総理に初めてお会いした時、私は鋭い目つきで睨みつけられた。

 起案した計画について直接質疑を行いたいとの要請を受け、私は総理執務室に出向いた。 

 入室を促す呼びかけに応じて、執務室に入った私がお辞儀を終え頭をあげるタイミングに合わせ、低い声で桐原総理はこう言った。

 「君は事を軽くみてはいないか?」

 執務机には私が作成した起案書が置かれている。

 「君が軽々しく変えてしまおうとしているものは、我が国の先人諸先輩から現在に至るまで、国民が、人間が必死に守ってきたものだ。人なのだよ。そのことが見えていないのなら話すことはない。」

 メディアで見せる温厚なそれとは全く違う表情に意表を突かれる。

 「いいえ、総理。私は我が国の、ひいては全世界の人々を思えばこそ、この計画を起案いたしました。そしてこれは我が国にしか、桐原総理にしか成し得ない計画なのです。」

 総理は未だ厳しい視線で私を睨み、これに次ぐ私の言葉を待つ。

 私は続けた。

 「世界は新しい秩序を欲しています。その渇望が表面化したものこそがベネルクス紛争です。

 第二次世界大戦の終戦から百年。

 次の百年の秩序を最も平和なものへと形成し得るのは我が国しかあり得ません。

 そのことは先人が築いた、我が国の奇跡のような平和が証明しています。」

 桐原総理が小さくうなづいた。

 「先人の、不断の努力を活かさずしてどう彼らに申し開きなどできましょうか。

 人は活きてこそ人です。」

 祖父もそうだ。

 誰もがそうだ。

 我が国は傷つき、それでも恨まず、発展を遂げ、平和を築いた。

 その尊い魂をこのまま朽ちさせてなるものか。

 「人は活きてこそ人、か。なるほどな、それで君は我が国のこの百年をどう活かそうと言うのだ?」

 少し上半身を前に傾け、それからまた桐原総理は違う表情を見せる。

 まるで飢えを満たそうとするような貪欲さで質問責めにする。

 面食らったが、私としてはこうなるとありがたい。

 話を聞いてくれさえすれば相手を納得させる自信はある。

 長時間に及んだレクは熱を帯びた。

 疑問点に対し全て答えを得た桐原総理は満足したように見え、また未だ何かに飢えているようにも見えた。

 大きく息を吐いて

 「問題は利権だが…」

そう言葉を漏らしたあと一呼吸置いてあの穏やかな表情に戻った。

 「有働くん、進みたまえ。後のことは私に任せなさい。」

 私は直立でその言葉を聞き、深く頭を下げた。

 そうして、私の計画は動き始めたのである。

 

 2046年サッカーワールドカップ代替アメリカ大会は、事前から予測されていたとおりに、歴史的出来事が立て続けに起きることとなった。

 極め付けはオランダとベルギーの講和再開である。

 今後何年も写真や映像で目にすることになるであろう、この歴史的場面に桐原総理大臣はベストポジションで加わった。

 これで本件については後世に渡って日本の功績が語られることになる。

 悔やんだのはアメリカである。

 せっかく費用と労力を消費して会場を運営しているのに、手柄を桐原総理ひとりに持って行かれた格好だ。

 トーナメントにベスト4が出揃い、各国の要人の出入りが多くなってきたこの時点になって、ロビーには急あつらえの記者会見ブースが設けられた。

 そこかしこに星条旗柄があしらわれた派手なそのブース付近にはメディアゾーンが設定され、パスを所持するカメラマンや記者が常駐し被写体を探す。

 私は相変わらず精力的に挨拶をして回る桐原総理のあとを追いながら、初めて会った時に見た苛烈な内面を思い返す。

 「まるで好々爺の着ぐるみを着た狼だな。その中ではあの飢えた精神が燃えているのだろう。」そんな事を考えていると、背後から肩を叩かれた。

 「ウドー、教えてくれ。」

 タリク事務総長である。

 あの初対面のあとロビーには姿を見せなかった彼であるが、相変わらずヨレたスーツにノート型パソコンを抱えている。

 「これはタリク事務総長。本日もモロッコ国王のご指示でしたか?」

 「いいや、今日はわからないことを確認しに来た。」

 私の顔を覗き込む。

 「そうなのですね。ご不明なことが解決すれば良いですね。」

 「それならば答えてくれ。私はジャパンの試合を分析した。

 ベルギー戦を27回見て気づいたのだが、ジャパンの目標は勝利ではないな?

 あれはもはやサッカーではない。外交だ。」

 タリク事務総長。この男は底が知れない。

 「あぁ、もしかしてディフェンスシステムのことですか?それでしたら私でなくテクニカルコーチに…」

 タリク事務総長は私の言葉を遮る。

 「あのシステムのことなら南アフリカ戦の6回目で副審の動きを見て理解した。分析も終わり対策も講じてあるから問題はない。あれもおおかたウドー、君が作ったのだろう。」

 部外者が知るはずもないことを暴かれ、私は虚を突かれた。

 まっすぐに見つめるこの瞳。

 思えば初めて会った時から、私は直感的に見透かされているような感覚を覚えていた。

 この男の前で適当な返答をしても無駄だ。

 「タリク事務総長のおっしゃる通りです。それは私が発案したシステムです。

 しかしそのことはこれ以上お話しすることができません。」

 タリク事務総長は、なおも私をじっと見つめる。

 「何だ、君は正直な人物なのだな、ウドー。嘘つきを相手にするのは簡単だが、正直者から情報を聞き出すのは骨が折れる。」

 そう言うとがっかりしたように鼻から息を漏らした。

 「今日は他に知りたいことがあってここに来たのだが、まあよい。

 君が信頼に足る人物だと分かっただけでもここに出向いた価値はあった。」

 そう言うと、タリク事務総長は少し表情を緩めた。

 「ウドー、誠実であることは良いことだ。

 私の国の諺には正しい行いをする者は蛇と寝ても無事でいられると言われる。きっと君は守られるよ。」

 私は黙ったまま微笑んで見せた。

 しばしの沈黙が流れる。

 「さて、次の試合は厄介な相手だ。その前に少し横になることにしよう。こちらに来てからあまり寝ていないからな。」

 「おやすみなさい、タリク事務総長。

 蛇にはお気をつけください。」

 私はそう言って丁寧にお辞儀をした。

 「ああ、それなら私も大丈夫だよ。ウドー。」

 タリク事務総長はそう言い残してロビーから立ち去った。


 準決勝、日本対モロッコの試合が近づいている。

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