第六話 ローカントリーの呪い
世界に混乱を招いたベネルクス紛争の当事国、オランダとベルギー両国の関係はあの時から凍りついたままであった。
ベルギー侵攻の主力を形成していたオランダ陸軍はデンマークにおけるサスペンデッド開催決定に伴いベルギーから撤退。
一部指揮系統に統制上の問題点が見られるとの理由で実質的にドイツ軍の統制下に置かれることとなったが、その時点ですでにルクセンブルクの財政は破綻をきたしていた。
オランダ軍はルクセンブルクまで未だ到達していなかったのに、である。
今の私の役職で入手できる情報だけでは詳細を窺い知れないが、ルクセンブルクの破綻と、それを原因とする全世界恐慌はオランダとベルギーだけの責任ではないことは明白だ。
むしろオランダもベルギーもルクセンブルクの破綻や相手国の国家機能停止などを目的とはしていないように見えた。
言うなれば、止むに止まれず侵攻し、止むを得ず反攻した。そのように見える。
オランダ、ベルギー、ルクセンブルク。歴史はこの三国を低地国「ローカントリー」と呼んだ。
海よりも低い土地を守るため、幾筋もの河川を治めるため、互いを頼らなければ生きていけない国々。
彼らは望んで運命共同体になったのではない。そうでなければ生き残れなかったのだ。
それほどまでに密接な運命共同体が崩れてしまうほど、世界のバランスはすでに限界に達していたに過ぎないのかもしれない。
オランダ、ベルギーの二国は原因当事国としての責めを受け、時には不当とも思える罰を与えられ、それでも黙って耐えていた。
その姿は、あえて濡れ衣をかぶっているかのようにも見えた。
両国は苦境を迎えてはいたが、そんな国情にもサッカーチームは奮闘を見せた。
思えばこの二つのチームはいつも真摯にサッカーに向き合っていた。
紛争が始まったあの日もそうだった。
フェアに死闘を繰り広げ、ほんの小さなチャンスを拾った方が勝った。
全力を出し合って戦うからこそ互いのことを分かり合える、勝敗を超越した瞬間。
ピッチの外からしかサッカーに関わりを持たない私ですら感じるそれを、同じ芝の上で同じボールを追い、体をぶつけ合って、彼らは実感し、理解し合い、讃えあった。
そこには「ベネルクス同盟」のような名前も外部からの評価もない無言の信頼関係が生まれていた。
しかしその直後にそれが動乱により踏み躙られる、神聖な芝が荒らされ、燃やされる、その様子を彼らは間近で見せつけられた。
辛く苦しかっただろう。心情は察するに余りある。
それでも彼らは国を背負って立ち上がり、サッカーに向き合って勝ち進んできた。
まるで呪いにかけられたかのように。
オランダとベルギーの両チームはFIFAや関係国の配慮により地区予選から対戦を避けられていた。
どちらも毎試合全力で戦うスタイルで勝ち上がり、決勝トーナメントに進出。
このまま勝ち上がると準々決勝で激突する組み合わせとなった。
ただし、ベルギーはその前の2回戦で我が国日本と当たることとなった。
日本対ベルギーの試合は、気迫と気迫がぶつかり合う展開となった。
悲壮なまでの覚悟で国を背負うベルギーではあるが、日本代表もそれに呼応するかのように気を吐いた。
特にキャプテン朝倉選手の活躍は凄まじい。
ピッチのどこにでも現れ、ボールを奪うと稲妻のように敵陣を切り裂く。
倒れても、転がっても立ち上がり、這ってでもボールに喰らいつく。
両チームの選手たちはこの朝倉の熱に焼かれるようにサッカーという競技に夢中になり、いつしか世界中の観客をのめり込ませる魅力を強烈に放った。
しかしここまでの試合で満身創痍だったベルギーはついに力尽きる。
結果は2対0で日本の勝利となった。
グラウンドで死力を尽くした両チームの選手たちが入り混じって抱き合う。
ロビーで涙を浮かべて拍手するベルギーの首相が映し出され、観客は大いに歓声を上げた。
メディアの公式インタビューに監督の次に呼ばれたこの試合のMVP、朝倉選手がマイクの前に立った。
「まず初めに、ベルギーは私にとって特別な場所です。この場を借りて、我が国はヘンクのケヘルアレナスタジアムをCPに指定します。」
「え…?」
インタビュアーは絶句し、私は苦笑を浮かべた。
日本政府はこれを聞いて今頃大慌てなのだろう、ポケットの政府通信端末がブルブルと震えている。
朝倉は続ける。
「試合をご覧になればお分かりでしょう。ベルギーのサッカーは素晴らしい。尊敬されるべきです。国もそうです。あの美しいケヘルアレナをあのままにしていては、私は自分を許せない。私たちに、我が国にあの場所を少し分けてください。一緒にまたあの美しいスタジアムを取り戻しましょう。」
この様子が会場のモニターに映し出され、割れんばかりの歓声に包まれる。
これはもう取り消せないな、朝倉のやつ、勝手なことをする。
しかし、朝倉はまた分かっている。
ケヘルアレナスタジアムのCPは、座標的に計画を妨げる場所ではない。
私は目頭を拭ってからポケットの政府通信端末を取り出し、少しだけ計画を修正し、その変更点を入力して数ヶ所に送信した。
日本がベスト8に入ったということで、桐原総理も現地入りして、ロビーでの活動を中心に精力的に国際交流活動を展開した。
その中でいつも聞かれるのはベルギー戦後朝倉選手がインタビューの席で発言したCP宣言を、その直後に桐原総理が認めたことだ。
特にベルギー首相との会談では互いに涙を流して語り合い、まるで古い付き合いの友人同士のような温かな関係を構築した。
この会談で桐原総理はベルギー首相を日本の次の試合を一緒に観戦するよう誘う。
終始穏やかな表情で、ベルギー首相にこの誘いを断ることをさせなかった。
その場に付き添っていた私は、そのまま総理控室に連れられた。
「さすがです、桐原総理。感服いたしました。」
桐原総理はスーツを脱ぎ、自分でそれをハンガーに掛けながら呟く。
「うん、有働君や朝倉君がこんなにもやってくれているからね。良い人が形作る国は良い国だ。私もその一員に加われるよう頑張るよ。」
そう言うと桐原総理はまたあくまでも穏やかな笑顔を浮かべて私を見た。
準々決勝はオランダ対日本の対戦だ。
日本の新しいディフェンスシステムは、これまで大会を通じて無失点の防御力を誇っていた。
まさかここまでとは、というのが率直な感想だ。
オランダも死力を尽くすが、この新システムを破ることはできない。
日本は前半に取った先制点を最後まで死守し、1対0で勝利した。
引き締まった試合内容に観客は惜しみない歓声を送る。
ロビーが大画面に映し出されると、穏やかな笑顔を浮かべる桐原総理に向け、オランダ首相が握手を求める。
会場は歓声に包まれる。
桐原総理は一旦その手を取り、オランダ首相の上腕を撫でるようにして「少し待て」とジェスチャーをした。
くるりと後ろを振り返ると、その先にはベルギー首相がいる。
桐原総理はとことこと近づくと、その手を取ってまたくるりと振り返った。
客席は固唾を飲む。
あのベルギーの首相の手を引いて、待たせているオランダの首相に近づく。
「ぅぉぉおおっ!」地鳴りのような声が徐々にボリュームを上げる。
世界を混乱に陥れた紛争の当事者である。
桐原総理の穏やかな笑顔の、その両手に対立する両国の手が繋がれている。
あの時のケヘルアレナを超える歓声がロビーを揺らす。
周りの人々は皆、何かを叫んでいるが誰の声もかき消されて何を言っているのか分からない。
桐原総理は力ずくで、それでも笑顔のままで、両者を繋げた。まるで電線の両端を繋げてショートさせるように。
火花のようにフラッシュが乱れ飛ぶ。
オランダ首相もベルギー首相も涙で顔をくしゃくしゃにして握手し、そのまま抱き合った。
世界の混乱の責任を一手に背負う、その葛藤はいかほどのものだったのか。
世界は初めてこの両者の心情に寄り添う。
いま、ローカントリーの呪いは解かれたのである。
桐原総理はあくまで穏やかな笑顔でこの歴史的な場面の中心人物として世界の人々の記憶に焼きついた。
この後、桐原首相が北緯 12度23分、西経 69度9分、オランダ領キュラソー島ノールトプントをCP指定したことに異を唱える者は一人として現れなかった。




