第五話 希望峰
朝倉選手は日本を離れてクラブチームの活動に戻ったが、あれからというもの頻繁に連絡をよこすようになった。
内容はほとんどサッカーのことばかりで私にはよく分からないが、担当者への橋渡しくらいはお安いご用というものだ。
朝倉との約束。
私の方は計画を推し進めなければならない。
政府は中国が沖ノ鳥島をCP指定したことでやっと危機感を覚えたようだ。
大陸棚限界委員会宛の弁解書の撤回についても、私が起案した当初は罵声を浴びせられたりもしたが、この結末には冷や汗をかいたことだろう。
政府通信端末を通じて、計画についての問合わせが目に見えて増えた。
その一方で中国当局は、領海を手に入れられなかったことについて表面上は平静を保っていた。
劉国家主席は顔に糊で張り付けたような表情で淡々と「平和のパフォーマンス」をこなしている。
ここで騒ぎ立てればCP発案自体が侵略行為を目的とするものであったとの責を受けかねない。
我が国としても、これでCPが見直しにでもなれば計画も水の泡だ。
桐原総理は一部世論の批判にも動じることなく中国のパフォーマンスに乗る。
国会では連日政府の対応が質疑されていたが、メディア対応も含めてシミュレーションどおりに運び、日中の平和的な領地割譲という方向でなんとか落ち着いてきた。
この世界初の1平方メートル割譲は、CPというものを現実として強く印象づけ、混沌とした世界情勢の好転に対する期待のアイコン的存在になりつつあった。
CPという言葉はもはや条約の名称としてだけではなく、割譲行為「CP Procedure」や、割譲した領地「CP Pixel」も含んでその意味合いを広げ、一気に深く認知されるようになった。
また我が国においては、この一件を受けて政府の反対派も結果的に私の意見を採らざるを得なくなり、結果的に計画は実行に勢いを増した。
しかし計画を妨げる障害が減ったとはいえ、残り時間に余裕はない。
各省庁に正式な協力要請通知を送り、空自経由で用意しておいたプロジェクトの進捗を確認する。
様々なケースを想定して対応を練る。
政府通信端末を繋ぐ各拠点との連携を確認する。
目がまわるような忙しい日々を過ごしているうち、2046年サッカーワールドカップ本大会の開催が近づいてきた。
この大会は当初、アフリカ複数国の共催が予定されていたが、2043年コペンハーゲン国際会議にてCPが承認されたことを受け、この大会の優勝国は開催国の領地割譲を受けられる条項を追加することとなった。
その関係もあり、共催予定国での調整を行った結果、アメリカが開催国を肩代わりすることが円満に決定し、FIFAも特別措置としてこれを承認した。
実際はベネルクス紛争による経済打撃の影響も大きく、もともとアフリカ地域での共催は非現実的であった。
サッカー日本代表チームは非常に状態が良かった。
朝倉選手のキャプテンシーがチーム全体に士気高揚をもたらしている。
団体競技とはこういうものか。
「チームがひとつになる」というワードはよく耳にするが、関係者として間近に関わるとその意味を実感する。
仲間の存在を感じるだけで高揚する感覚。
自らのなすべきことが明確になり、それに向けて突き動かされる。
やらなければならない。
その思いは今や彼らと同じである。
まるで私もサッカーチームの一員のようだ。
この私が。
まるで悪い夢でも見ているようだ。
いや、結末は良い夢にしなければならない。
ついに2046年サッカーワールドカップ代替アメリカ大会が開幕した。
CPが大きな話題を呼んだこの大会は、当然ながら世界から大きな注目を浴びた。
アメリカはこの大会を平和の祭典と位置付け、その開催国として懐の深さを示そうと、試合観戦関連の入国ビザを大幅に緩和。
出場国からはもちろん、予選敗退した国、予選に参加を見送った国からもこの祭りを体感しようと多くの人が入国した。
これまで以上に多様な人種、文化が入り混じる大国は、実際に開幕を迎える段階になると、その熱気たるや予想以上であった。
2042年はサッカーで世界恐慌が起こった。
その翌年はサッカーで持ち直した。
このサッカーという得体の知れない影響力。
今度はどう転ぶかわからない。
現実主義者、リーズ大統領は予測不能な状況を嫌う。
サッカー文化の比較的浅いアメリカは、開催国としての立ち居振る舞いに迷い、時折は困惑の表情を見せることもあったが、こうなってはもはや大会を確実に運営することに集中する以外にできることはない。
確実に行事を消化していくその姿には、「一歩間違うと大混乱が生じてもおかしくない」というような覚悟が透けて見えるようだった。
そんな心配をよそに、アメリカ国内の治安も、世界の情勢も、比較的に平穏を保っていた。
その平穏がまた、このサッカーというものの不気味な影響力を感じさせるのであった。
日本代表チームは十分な合宿を重ね、持ち前の連携とディフェンスの新システムを引っ提げてグループリーグに臨む。
サッカーは実際に試合をやってみないとどういう展開になるかわからない。
ピッチの外で見守る私は「ここで終わってしまっては打つ手がない」と心配したが、しかし試合が始まるとそれも杞憂に終わった。
日本代表は予選3戦で磐石の試合運びを見せ、過去大会で自身過去最高の成績となる2勝1分け、無失点のグループ首位で予選を突破した。
今大会は、決勝トーナメント進出を決めた国の選手やスタッフのために、国際交流専用のロビーが設置されていた。
決勝トーナメントに進出した国は、その時点でCPに関係することが確定する。
進出32カ国に対し、事前に交流しておくことでCPを円滑に行い、その後の世界の安定にそれぞれが責任を果たす共通認識を促すためである。
とは言えこの後対戦の可能性がある国同士である。
ロビーには和やかな中にもピリッとした緊張感が漂っている。
私は日本のスタッフとして早くからこのロビーに出入りしていた。
日を追うごとに決勝トーナメント進出国が次々と決まり、ロビーに出入りする人が増えてきた。
私は政府通信端末で別働班と連絡をとりながらヒューマンウォッチングよろしく各国の動きを観察する。
このような場所では国柄が出る。
ブラジルは陽気に各国に握手やハグを求める。
アメリカは胸を張り大会の盛況にご満悦の様子だ。
ふとロビーの隅を見ると、ノートパソコンを広げて床に座り込む男がいる。
ヨレたスーツで一心不乱に画面を見つめ、何かを入力する男は、私が近づくと画面から目を逸らさないまま「ハロー、ジャパン。あなたは何を考えている?」
と尋ねた。
「ああ、どうも。私は日本のスタッフで有働と申します。」
日本式のお辞儀はこういう場では概ね好評だが、その男は私の挨拶に目もくれず、
「ミスターウドー、すまない。少し時間をくれ。」
そう言うと黙り込んでまたキーボードを叩いた。
「忙しそうですね。このロビーにいればまた会うことになるでしょう。また。」
そう告げてその場を離れようとしたところに、その男はパタンとパソコンの画面を閉じて立ち上がった。
「ミスターウドー、挨拶を。私はモロッコ王国の国王直属 安全保障高等評議会事務総長 タリクと申す者だ。」
モロッコの国王直属事務総長。国の大物だ。
「タリク事務総長。我が国が何を望むかお尋ねでしたね。ここにいる国で平和以外を望む者がおりましょうか。」
「国王は平和を望んでおられる。国王が望むものを手に入れて献上することは私の務めだ。」
タリク事務総長は表情を変えない。
「なるほど。しかしロビーでまでお仕事とは。お忙しいのですね。」
「国王は私がロビーに行くことを望まれた。私は国王の望み通りロビーにいるまでのことだ。」
モロッコでは政府より力を持つという国王直属事務総長に名前を覚えてもらえたのだ。
大きな成果と言っていい。
「またお会いしましょう。」
丁寧に挨拶をしてその場を去ろうとすると、タリク事務総長は私を引き止めるように
「それで、ジャパンは何を望んでいる?」
と声をかけた。
その問いには今しがた回答したはず、私がそう戸惑っていると彼はこう続けた。
「中国のCPのことだ。何も目的がないのに日本があんなことを平気でやる訳はない。あれはウドー、君が仕組んだことか?」
タリク事務総長。
この男の表情は固く、真の意図を読み取れない。
私が答えあぐねていると、突然大騒ぎをして入室する一団が現れた。
「ハロー、エブリワン、私たちも仲間に入れてくれ!」
南アフリカのジャージを着ている。総勢30人ほど。
「やったぞ!予選通過だ!私たちもロビーに仲間入りだぞ!」
南アフリカの選手たちは喜びの舞を見せ、周りの国々も拍手で迎える。
決勝トーナメント最後のひと枠が決まったことで会場には和やかなムードが漂う。
「オー、ジャパン!初戦で対戦するが負けないぞ!」
周りからも囃し立てられ、この時決勝トーナメント初戦の相手が南アフリカに決定したことを知る。
私は答えた。
「南アフリカの皆さん、予選突破おめでとうございます。対戦よろしくお願いします。」
日本式のお辞儀にロビー全体から喝采が起こる。
ふと振り返るとタリク事務総長の姿は見えなくなっていた。
決勝トーナメント一回戦。
南アフリカの戦術は肉弾戦だ。
体をぶつけて体力で突破を図る。
それに輪をかけて、熱い闘志をむき出しにした戦いぶりを見せる。
ルクセンブルク関連の経済打撃をまともに受けた経験。サッカーで国民を奮い立たせようとする、選手たちの真っ直ぐな思いがプレーに表れる。
その熱意が空回りしたこともあるだろう、攻撃においてはオフサイドを重ねて日本ゴールに迫れない。
逆に日本の組織的な攻撃に攻め立てられ、終わってみれば3対0のスコアで日本が勝利を手にした。
南アフリカの選手達は人目もはばからずに泣き崩れた。
南アフリカの国民は分かってくれるだろう。
選手達は国を背負い、全力で戦った。
スタジアムの観客もそれがよく分かっていて両チームに惜しみない喝采を与えた。
試合終了から1時間後、日本の官邸から桐原首相が会見でCPを宣言する。
「両チームの全力を尽くした試合に敬意を示し、日本国は両国の友好と世界平和の証として南緯34度21分、東経18度28分、希望峰先端の割譲を求める。」
各メディアは速報を打つ。
BREAKING: Japan Designates Cape of Good Hope as CP.
日本が南アフリカとの試合で勝利し、それから時間を置くことなく希望峰の割譲を求めた。
この字面に世界は、日本が平和への希望を示す行動を起こしたと賛辞を送る。
世界が賞賛の意見多数であることを受け南アフリカ側も気を良くしたようだ。
希望峰先端の日本領への割譲が正式に決定した。




