第9話 癇癪王子
朝日が差し込む部屋の中で、陽光の眩しさに眉をひそめたアリシアがゆっくりと目を覚ます。
「ん……もう朝なの?」
「ああ、そうだ。目が覚めたなら起きろ」
アリシアが目を開けると、エドガーは彼女を見守るように逆光の中でベッドに腰掛けていた。
「もう! 女性の寝顔を見つめるだなんて、少し失礼ではなくて?!」
慌ててアリシアが起き上がり、髪を整え始める。その様子を見たエドガーがフッと笑みを漏らした。
「なに、寝ていてもあんたは美人さ――今、湯をもらってくる。それで顔を洗うといい」
立ち上がったエドガーが部屋から出ていくのを見送ったアリシアが窓の外に目を向けて呟く。
「もう日が高いわ。出発は早いのではなかったのかしら……」
服を整えたアリシアがベッドから降り、荷物から手拭いを取り出した。着替えを取り出そうとした手が止まり、眉をひそめたアリシアがうなり声を上げる。
「……今着替えたら、エドガーが戻ってきて着替えを見られてしまうかしら。それはさすがに恥ずかしいわ。庶民はこういうとき、どうしてるのかな」
服を手にしたアリシアは、しばらくうんうんとうなり声を上げ悩んでいた。
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エドガーが湯桶を持って部屋に戻ってくると、服を手に悩んでいるアリシアを見て呆れたように告げる。
「慌てることはない。まずは顔を洗え。俺は部屋から出ておく。支度が終わったら部屋の外に呼びに来い。一人で顔くらいは――」
「洗えます! 子供じゃなくってよ?!」
笑いながらテーブルの上に湯桶を置いたエドガーが、自分の荷物から手拭いを取り出すと部屋の外に出ていった。アリシアは湯気が立ち上る桶を見つめながら、ポツリと呟く。
「……お湯なんて、今の私が使ってもいいのかしら? それに、エドガーも同じお湯を使えばいいのに」
小首をかしげたアリシアは、髪を結わいてからゆっくりとお湯で顔を洗っていった。
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アリシアが部屋のドアを開けて廊下を見回す――エドガーが丁度階段を上ってくるところだった。彼を見つめるアリシアの前に辿り着いたエドガーが尋ねる。
「どうした? なぜ俺を見る」
「だって、どこに行ってらしたのかと思って」
「井戸で顔を洗ってきた。飯も頼んでおいたから、支度ができたら食堂に降りるぞ」
頷くアリシアが部屋の中に戻り、荷物を手に取る。エドガーも手拭いを自分の荷物にねじ込むと大剣を背負って窓の外に目を向けた。
「予定より遅くなった。遅れを取り戻さなければな」
アリシアが小首をかしげてエドガーに尋ねる。
「なぜ、遅くなるまで待っていらしたの?」
「疲れてるあんたを叩き起こしても、足が鈍るだけでいいことはない。ならば疲れが取れるまで寝てもらって、その分を早く歩く方がマシだろう――行くぞ」
部屋の鍵を持って外に出るエドガーの背中を、アリシアは楽しげに見守っていた。
「――おい! 早く来い!」
「あ、はーい!」
慌ててアリシアも部屋の外に出て、扉がゆっくりと閉められた。
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食事を終えて宿を出たエドガーが、北に向かって歩き出す。その後ろで、今日もアリシアは距離が離れないように背中を追いかけていた。道を行き交う人々はエドガーを見ると、避けるように道を開けていく。それを見ていたアリシアが、周囲に目を配ってからエドガーに尋ねる。
「どうしてみんな、あなたを避けるのかしら」
エドガーが自嘲のような笑みを浮かべて答える。
「フードで隠そうが、この痣は目立つからな。魔力がわからん人間にも、禍々しさが伝わるのだろう」
「そう……みんな、あなたの中身まで見てはくれないのね」
「当たり前だろう。通り過ぎる人間の中身まで、いちいち見てられるか」
「でも! 安心してエドガー! 私はあなたの中身が綺麗なこと、ちゃんと知ってるんだから!」
エドガーは歩みを止めず、その言葉を受け止めていた。複雑な表情で前を向いて歩くエドガーが、ふと言葉を漏らす。
「……そんなことはない。俺の心も、薄汚れたもんさ」
アリシアは屈託のない笑顔で答える。
「あら、私の言葉が信じられなくて? ここまで何日も共に旅をしてきた、私の言葉を」
「フン! まだ一週間も経ってないだろうが。あんたに俺の何が分かる」
「妙齢の女子と一晩中同じ部屋にいても、指一本触れることがない高潔な男性、ということは分かってるわ――寝顔を見つめていたのは減点だけれどね?」
楽しげに笑うアリシアの声を聞きながら、エドガーは言い返せずに歩き続けた。
ふと通りがかる荷馬車の音を聞いて、エドガーが背後に振り返った。
「ちょっと待ってろ、今交渉してくる――おいあんた! この馬車はどこに行くんだ?!」
馬車の主は馬を止めずに答える。
「これから北の町に向かうところだよ。なんだ、乗りたいのか?」
エドガーが頷いて懐から銀貨を取り出した。
「これで行けるところまで乗せてほしい。ヴィンタークローネに抜けたいんだ」
馬車の主が馬を止め、銀貨を受け取って数えていく。
「……ああ、いいだろう。荷物に傷はつけないでくれ。盗むのも無しだ」
頷いたエドガーがアリシアに振り返って声を上げる。
「話がついた! 馬車に乗り込め!」
戸惑うアリシアは荷馬車に近づき、なんとか一人で荷台に乗り込んでいく。その後ろからエドガーも身軽に乗り込み、馬車の主に合図を送った。走り出す馬車の荷台で、アリシアは荷物の木箱に触れないように座り込む。
「まぁ、こんな風に馬車に乗るのね!」
「運が良ければ、こういうこともある。それにこれは良い兆候かもしれん」
そばに座るエドガーに、アリシアが小首をかしげて尋ねる。
「それはどういうことかしら?」
エドガーが声を落として答える。
「商人が行き交えるということは、まだ国境付近に軍がいない可能性が高い。軍が布陣すれば、商人たちの動きも変わる。少なくとも、この辺りにはまだ、軍の動きが伝わっていないのだろう」
「……いつ頃、軍が動くのかしら」
「さぁな、そこは公爵次第だ。だがどんなに遅くとも冬になる前に開戦するんじゃないか。ヴィンタークローネの冬は厳しい。雪が降れば、進軍などできないからな」
アリシアは目を伏せて呟く。
「となると、あと一、二か月ということね……ねぇエドガー、私たち、間に合うかしら」
「わからんな。だが、どんな状況になろうとあんたをこの国から脱出させてみせる。その先がヴィンタークローネじゃなくても恨むなよ」
アリシアが不満げに頬を膨らませた。
「恨みますわ! 私はヴィンタークローネに行かなければならないのだから!」
「声が大きい。少し声を抑えろ」
ハッとしたアリシアが周囲を見回す。わずかに視線を感じたアリシアが、首をすくめるように身を縮めた。
「ごめんなさい……気を付けますわ」
「そうしておけ。今のうちに体力を回復しておけよ。馬車を降りたら、また夜通し歩くぞ」
アリシアは眩しい笑顔で頷いて答える。
「ええ! 大丈夫ですわ! もう歩くのも慣れてきましたもの!」
「……なぜ嬉しそうなんだか。変わったお嬢さんだ」
荷馬車の縁に身体を預けるエドガーと、それに寄り添うように座るアリシアを乗せ、馬車は町を抜けて北に続く街道を走り続けた。
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ローゼンガルテン公爵領に向かう馬車の中で、マティアス第二王子がほくそえんでいた。
「ついにアリシアが私の物になる。もう逃げられはしない……ククク、楽しみだ。あの顔、あの身体がついに私の物に!」
同乗していたローゼンガルテン公爵は、不快な顔を隠さずに答える。
「娘を物のように呼ぶのはやめていただきたい。せめて人として扱う良識は持ち合わせておられないのか」
マティアス第二王子の目が鋭く公爵を射抜く。
「貴様、王家に逆らうつもりか? 王家傍系の公爵家だからと、調子に乗るなよ? 諸侯の力を合わせれば、貴様の領地などひとたまりもないのだぞ」
公爵は呆れたようにため息をついた。
「何かの勘違いでは? 私に叛意などありません。それよりも、王族にふさわしい品位を身に着けられた方がよろしいかと」
「フン! 貴様は父上の言う通り、黙って娘を差し出せばいい!」
ため息をついた公爵は、窓の外に見える公爵邸を視界に納めて黙り込んだ。
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「――アリシアがいないだと?!」
公爵邸の前で公爵から告げられた事実に、マティアス第二王子が轟くような声を上げた。
「私が不在の間に、どこかへ向かったそうです。今、捜索隊を手配させています」
顔をしかめるマティアスが、震える拳を握りしめながら叫ぶ。
「そうまでして私との婚姻を嫌がるというのか!」
「さぁ、そこまでは……殿下は娘の行き先に心当たりは?」
「知ったことか! いいか公爵、必ずアリシアを連れ戻せ! この恥辱、必ず報いを与えてやる!」
マティアス王子が乱暴に馬車に乗り込むと、公爵を置き去りにして王家の馬車は王都へ引き返していった。それを遠目で見送りながら、ローゼンガルテン公爵がつぶやく。
「……行ったか。さて、どこまで時間が稼げるかな」
身体を翻した公爵は、黙って公爵邸の中へと姿を消した。
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