第8話 共に過ごす夜
朝もやが煙る中、アリシアとエドガーは北に向かって歩き続けていた。三日目ともなるとアリシアの顔には疲労の色が見える。それでもエドガーに遅れることがないように、アリシアは必死に足を動かし続けていた。エドガーがアリシアに振り向いて尋ねる。
「大丈夫か、もう少し歩けば宿場町に着く。それまで頑張れるか」
アリシアはニコリと微笑んで頷いた。
「まだ大丈夫よ。心配してくださってありがとう――ラインハルト殿下は、もっと過酷な旅をしてらしたんだもの。このくらいでへこたれてはいられないわ」
エドガーはわずかに沈黙したあと、再び前を向いて歩き出す。
「そんなに過酷な旅をしていた男なのか、ラインハルト王子は」
「私も詳しいことはわからないわ。でもハルフター山脈の奥にある魔王城、そこに辿り着くまで、多くの魔物たちと戦っておられたはず。それに比べたら、今の旅路なんて散歩みたいなものよ。エドガーはどんな旅をしてこられたの?」
「……俺の旅など聞いて、なんになる」
「だって、あなたもその年で旅の剣士をしてらしたのでしょう? 伺ってみたいわ」
「俺の旅はただの腕試しだ。剣術には自信があるんでな」
「そう……立派な腕をしてらっしゃるわね。どこで剣術を覚えたのかしら」
「……家が武術を教える家系でな。代々伝わる剣術を修めている。それがどうした」
「いつか、あなたが戦う姿も見られるのかしら」
エドガーが鼻を鳴らして答える。
「そんなもの、見る機会がない方がいい――見えたぞ。宿場町だ」
アリシアが慌てて自分たちが進む方向に目を凝らした。だが朝もやの中、アリシアにはその姿を見つけることができなかった。
「……何も見えないわ」
エドガーが含み笑いを浮かべてアリシアに答える。
「ククク……あんた、あまり目が良くないんだな」
「そうかしら? 目が悪いと思ったことはないんだけれど。エドガーは目がいいのね」
「戦いの旅に身を晒していると、わずかな気配も見逃すわけにはいかんからな。少しペースを上げる。頑張ってついてこいよ」
歩く速度を増したエドガーに、アリシアが背後で頷いた。二人の人影は朝もやの中に向かって消えていった。
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小さな宿場町、その中の小さな宿に入ったエドガーが宿の主人に告げる。
「親父、一人部屋を二つだ」
恰幅のいい宿の主人が笑顔で答える。
「へい、まいどあり」
アリシアがエドガーの背後から顔を出し、宿の主人に告げる。
「いいえ、二人部屋を一つよ」
きょとんとする宿の親父がアリシアを見つめた。エドガーも慌てた様子で振り返り、アリシアに尋ねる。
「あんた、何を考えてる?! 男と一緒に寝泊まりする気か?!」
アリシアは可憐な笑みでエドガーに答える。
「今まで一緒に寝泊まりしてたのよ? 今さら遠慮することなんてないわ。路銀がもったいないのだし、一部屋でいいじゃない」
「だがおまえ、婚姻前の淑女だろうが!」
アリシアが微笑みながら首を横に振った。
「今はただの平民、アリシアよ。淑女のアリシアなんて、もうどこにもいないわ」
宿の主人がおそるおそるアリシアたちに尋ねる。
「あー、どっちも空いてますから、うちは構いませんが……それで、どちらにするんで?」
「一人部屋を二つだ」
「いいえ、二人部屋を一つよ」
笑顔のアリシアと苦虫を噛み潰したような顔のエドガーが同時に答えていた。宿の主人は苦笑いを浮かべながら、頭を掻いた。
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宿の二人部屋に通されたアリシアたちは、部屋の中に荷物を置き、木椅子に腰を下ろして一息ついていた。アリシアがテーブルに顔を伏せながら呟く。
「疲れたわ……徒歩の旅って、疲れるのね」
エドガーは水筒の水を口に含んだあと、乱暴に机に水筒を叩きつけた。
「あんた、何を考えてるんだ? これで嫁入りに支障が出たらどうするつもりだ?」
「あら、平民の女子が男性と一つの部屋で寝ていても、大した問題ではないわ。それに問題になったら、その時はエドガーが責任を取ってくださればいいのではなくて?」
笑顔でウィンクをするアリシアに、エドガーが疲れたように息をついた。
「あんたな……そんだけ綺麗なんだから、望めば下位貴族や裕福な商人に嫁ぐくらいはできるんだぞ? それを今からふいにしてどうするんだ」
「綺麗と言ってくださるの? ありがとう、エドガー。三年間、頑張って美貌を磨いてきた甲斐があるわね」
エドガーがフードの奥からアリシアの顔を見つめた。
「……あんたは、あの国で王族に嫁いだ方がよかったんじゃないか?」
「今さらそれを仰るの? あんな誠意の欠片もない人たちの一員になるくらいなら、エドガーに嫁ぐ方を選ぶわ。あなたはとても誠実な人だもの。夫として欠けているものなんて、見当たらないくらいよ」
エドガーはくしゃくしゃと前髪を掻きむしりながら、吐き捨てるように答える。
「意味が分からん。俺は見ての通り、魔物に呪われた醜い男だ。あんたなんかとは釣り合わん」
アリシアは優しい微笑みをエドガーに向けて告げる。
「それを決めるのは私の心よ。あなたは間違いなく、クラウス殿下たちよりもきれいな心を持っている。こうして何日も共に過ごしていて、あなたは私に指一本触れようとしてこなかった。それだけでも充分に過ぎる証よ」
「……俺が触れると、呪いが移るかもしれん。あんたみたいなきれいな女を、俺と同じ目に遭わせるわけにはいかん」
――そういうところなんだけど、ご自分で気が付いてないのかしら?
「ねぇエドガー、その呪いはどうやったら解呪できるのか、ご存じ?」
エドガーが天井を見上げ、ポツリと答える。
「……聖女が命を懸けた祈り、そんなものがあれば、この呪いは解けるらしい。だが失敗すれば聖女に呪いが伝染し、共に身を滅ぼしてしまう。厄介な呪いだよ」
「それなら聖女アネットにお願いしてみたらよかったのに。あの方に頼もうとは思わなかったの?」
エドガーがニヤリと口角を上げて笑った。
「あいつじゃ無理さ。我が身可愛さで、命懸けで他人を救おうなどとは考えられない人種だ。クラウス王子に近づいたのも、ただ王族になりたかったからだ。王族となって贅の限りを尽くしたい――あいつの願いは、とてもシンプルだ。相手を愛する心など、あいつにはないのさ。性根の腐った女だよ、あれは」
珍しく饒舌なエドガーを、アリシアは見つめていた。
「随分とお詳しいのね」
「……一年前に、旅するあいつらに出会った。その時に奴らの性根を知ることがあっただけだ」
「その時、ラインハルト殿下はどうされていたか、ご存じ?」
エドガーは黙って立ち上がり、荷物の中から財布を取り出して答える。
「知らん。そんなことより買い物に行ってくる。消耗した物資を補充せねばならん。あんたはここに残っていろ。決して部屋から出るなよ」
足早に部屋から出ていったエドガーを見送ったアリシアが小さく笑みをこぼした。
「ついてこい、とは言わないのね。優しい人」
アリシアも椅子から立ち上がり、疲れた体をベッドに沈め、目をつぶった。
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宿の食堂で四人席に座るアリシアとエドガーが、夕食を前にしていた。エドガーは慣れた手つきでテーブルの上の料理をとりわけ、アリシアの前に小皿を置いていく。アリシアはテーブルを見回してエドガーに尋ねる。
「ねぇ、カトラリーが足りないみたいだけど、どう食べたらいいのかしら」
「ククク……フォークが一本あれば、それで十分だろう。久しぶりの温かい飯だ。味わって食べておけ」
エドガーが鶏肉にフォークを刺して口に運んでいく様子を見て、アリシアも真似をするように鶏肉を口にしていく。パンを手でちぎり、スープに浸してから味わうように噛みしめる。
「――やっぱり、パンは柔らかいほうがいいわね!」
「どうした、もう降参か? 道中はまだまだ保存食が続くぞ」
「ええ、わかってるわ。でもだからこそ、食べられるときに美味しいものを食べておかないとね」
「……あんた、こんな粗末な食事を『美味い』と言えるのか」
アリシアはパンを食べる手を止めずに微笑んで答える。
「きっと身体が疲れてるからじゃないかしら? とっても美味しく感じるわ! エドガーはお酒を飲まないの? 周りはお酒を飲んでる人が多いのに」
「酒など飲めるか。酔ってあんたを守り切れなかったら、一生後悔する」
――本当にご自覚がおありでないのね。
優しい笑みをこぼしながら食事を続けるアリシアを、エドガーは複雑な表情で見つめながら夕食を済ませていった。
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明かりが落ちた宿の一室で、アリシアとエドガーは別々のベッドに体を埋めていた。エドガーが天井を見つめ、不機嫌そうに告げる。
「本当に一緒に寝やがって……どうなっても知らんぞ」
「あら、共寝をしてるわけではないわ。平民ならこれぐらい、なんてことないわよ」
ため息をついたエドガーがアリシアに背を向けるように寝返りを打った。
「早く寝ておけ。明日も出発は早いぞ。だがここからは街道を北に上る。少しは歩きやすくなるはずだ」
「ほんとに? それはとっても助かるわね!」
アリシアの弾んだ声を聞きながら、エドガーは黙りこんでいた。やがてアリシアの寝息が聞こえてくると、エドガーが振り向いてアリシアを見つめる。
「……どこまで無防備なんだ、この人は。まったく、なぜ私なんかをそうも信用する。危なっかしいにも程がある」
ため息をついたエドガーは、アリシアの寝顔を見守るようにしばらく見つめていた。




