第10話 裏切りの記憶
かがり火が並ぶ魔王城の薄暗い謁見の間――そこに、二人の人影が舞うように剣戟を重ね続けていた。一人はプラチナブロンドの青年――ヴィンタークローネの第一王子ラインハルト。もう一人は異形の魔王。魔王が持つ禍々しく赤い大剣を、ラインハルト王子は紙一重で捌き、自分の剣を叩き込んでいく。そんな一時間以上に及ぶ剣舞が、ついに幕を下ろした。ラインハルト王子の剣が魔王の心臓を貫き、魔王が断末魔の叫び声を上げる。やがて魔王の胸から濃厚な闇の塊が噴出し、ラインハルト王子を襲った。咄嗟に飛び退こうとしたラインハルト王子を闇のような霧が包み込み、彼の心身に激痛を与えていく。ラインハルト王子の絶叫が闇の塊の中で木霊する中、それまで戦いを観戦していたクラウス王子たちが立ち上がった。
「やれやれ、ようやく決着か。無能め、時間をかけやがって」
クラウス王子にしなだれかかる聖女アネットが、クスクスと妖艶な笑みをこぼして答える。
「もう飽きて退屈だったところよ。これで終わりなのかしら?」
宮廷魔導士ルーカスは笑みを浮かべて告げる。
「まだまだ、ラインハルト殿下の死を確認するまでは帰れませんぞ」
「えー、面倒よ! そんなの! あんな強烈な瘴気の中で生き延びられる人間なんて、存在しないわ!」
「そう言わず、近づいて様子を確認しましょう」
ラインハルト王子の声が弱まっていく中、クラウス王子たち三人が濃い闇の霧に近づいていく。徐々に霧が晴れていくと、そこには床に倒れ伏したラインハルト王子の姿があった。首筋に浮かぶ紫色の痣を見て、ルーカスが頷く。
「魔王の呪い、確かに確認しました」
薄く目を開けたラインハルト王子が、弱々しい声で告げる。
「……アネット、解呪、を」
聖女アネットはニヤリと笑うと、ラインハルト王子に顔を近づけて告げる。
「呪いを解いてほしいの? 代わりにどんな報酬をくれるのかしら? こんな呪いの解呪なんて、私にはできないわ――命を賭ければ別でしょうけど、あなたなんかに命を賭ける気は私にはないの。そうね、ヴィンタークローネの王位をくれるなら考えてあげてもいいわ」
ラインハルト王子の目が聖女アネットを睨み付けた。
「何を……世迷言……を。それより、早く……」
聖女アネットは高笑いしながらクラウス王子の元に戻り、その腕にしなだれかかる。
「報酬がないんじゃ、私に動く理由はないわね」
クラウス王子が死に体のラインハルト王子に蹴りを入れる。無防備に横腹を蹴られたラインハルト王子の身体が、魔王城の床を転がっていった。
「……抵抗する力もない、か。おいルーカス、あいつにとどめを刺せ」
ルーカスは目を細めてラインハルト王子を見つめた。
「いえ、彼の身体には魔王の呪いが強くまとわりついています。今彼を殺せば、それが我らに襲い掛かるかもしれません。これほど強烈な呪いを受ければ、生きながらえるのは無理でしょう。今も意識があるのが不思議なくらいです」
クラウス王子がため息をついてラインハルト王子を見下ろした。
「では、これで死亡確認ということでいいだろう。筋書きは『ラインハルト王子は魔王と相打ちになった』――いや、『魔王の手にかかって殺された』でいいか。俺が魔王を倒したことにせねばな」
ルーカスがうなずいて答える。
「はい、当然そのようにしてください。殿下には『魔王を倒した英雄』であってもらわねばなりません。そして我が国の兵士たちの士気を鼓舞していただかねば」
「ラインハルト王子の訃報はどうするんだ? さすがに封殺はできんだろう?」
「しばらくは伏せます。いずれは噂が漏れるかもしれませんが、ヴィンタークローネにはギリギリまで伝えずにおきます。そして侵攻の際に戦場で宣言する――これで、ヴィンタークローネの士気は激減するでしょう。士気の差で我が軍は優位に立ち、そのままヴィンタークローネ南部まで攻め込みます。時期が間に合えば、王都まで攻め込むことも可能でしょう」
クラウスが呆れたように答える。
「そんな都合よく運ぶか? ……まぁ、あとは父上の仕事だ。俺たちは兵を鼓舞して戦場の後ろに居ればいい」
聖女アネットが笑みをこぼして告げる。
「ヴィンタークローネを手に入れれば、ゴルテンファルはもっと豊かになるのでしょう? 私もどんな贅沢ができるか楽しみよ! ――あ、ほら! ラインハルトの動きが止まったわ」
クラウス王子たちが目を凝らすと、ラインハルト王子は倒れ伏したまま目をつぶっていた。三人は視線を交わすとラインハルト王子に背を向け、そのまま楽しそうに笑い声をあげながら魔王城謁見の間を後にした。
薄れゆく意識の中、彼らの笑い声だけがラインハルトの心に沁み込んでいた。
――我が祖国を陥落させるための……謀略だったのか!
ラインハルト王子の心に憎しみが強く広がっていく。だが彼にはもう、呪いに抗う力が残っていなかった。体を動かせないラインハルト王子は苦痛の中、残った意識の糸を必死に握りしめ続けた。
――死んでたまるものか! あんな姑息な奴らに屈服など、絶対にするものか!
ラインハルト王子の精神力が魔王の呪いに抗い続ける。徐々に精神が押し負けていくのを実感したラインハルト王子は、ついに己の最期を観念した。
――無理か。なんと無様な。ああ、せめて彼らの謀略を誰かに託せれば……。最後に、もう一目会いたかった――アリシア嬢。
ふと、ラインハルト王子の脳裏にシロツメクサの風景が蘇る。無垢な笑顔を自分に向け、屈託なく微笑む一人の少女の笑顔。彼女から預かった銀の耳飾り。それを思い出した途端、ラインハルト王子の身体に力が戻っていった。震える指が自分の右耳に嵌る耳飾りに届くと、それを握りしめた。
――必ず返しに戻ると、彼女に誓った。私は、生きて戻らねばならない。この身がどうなろうと、この約束だけは果たさねば……。
長い戦いが続いた。魔王の呪いにラインハルト王子は抗い続け、やがて夜が明けた。かがり火が落ちた謁見の間で、ラインハルト王子がふらつきながら立ち上がる。
「……生き、延びたのか。私は」
小さな声が辺りに響き渡る。その顔に広がる紫色の痣は、首筋からわずかに広がっていた。その呪いが解けていないことは、ラインハルト王子にも感じられていた。いつまた呪いがラインハルト王子の命を蝕むか、それは誰にもわからなかった。
ラインハルト王子の脳裏にクラウス王子たちの面影がよぎり、その目に憎しみが宿る。
「必ず……必ず後悔させてやる!」
自分の剣を辺りから探すが、魔王の呪いに侵され砕け散っていた。だがその傍らには魔王が残した大剣が転がっている。ラインハルト王子は迷わず魔王の剣を手に取り、その刃を覗き込む。
「……外道どもには、外道の剣で充分か。奴らの命を奪うのにふさわしいだろう」
大剣の鞘を拾い上げ、刀身を納めて背中に背負った。そのままクラウス王子たちの後を追うように、ラインハルト王子も弱々しい足取りで魔王城を後にした。
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エドガーが朝の森の中で跳ね起きた。汗をびっしょりとかいたエドガーが、慌てて周囲を見回す。そばにはアリシアが静かに寝息を立てている。それを見たエドガーの心に、春風が吹き込んでいた。無垢な少女は優しい心を持ったまま、強く美しい女性になっていた。この女性の命運は今、エドガーが握っているも同然だった。
寝息を立てるアリシアを見つめ、エドガーが呟く。
「……必ず、必ず守ります。我が身に代えても、必ず」
固く誓うエドガーは、汗を手拭いで拭き取ると、背中を木に預けて息を吐いた。
――クラウスたちへの憎悪を思い出すほど、自分が別の何かになっていく気がする。こんな私がアリシア嬢のそばになど、いるべきではないのかもしれない。
それでも、ヴィンタークローネまで送り届けなければならない。このゴルテンファル王国内に、もはやアリシアの安全はないのだから。
固く拳を握ったエドガーは周囲の気配を確認したあと、近くの川に顔を洗いに向かった。




