第4話 決意
応接間のソファで泣くアリシアを見つめるエドガーが、静かに口を開く。
「俺はエドガー・トラントフ、旅の剣士だ。一カ月前に魔王が討伐されたと聞き、魔王城に向かった。辺りに魔物の姿は無く、俺はあっさりと魔王城の玉座まで辿り着いた」
涙を拭うアリシアが、嗚咽を堪えながら手で先を促した。頷いたエドガーが告げる。
「周囲を警戒しながら玉座に近寄ると、床に光る物があるのに気が付いた。近づいてみると、傍には若い剣士の死体が転がっていた。ひび割れた床には血文字で『耳飾りをゴルテンファルの公爵令嬢アリシアへ返して欲しい』と記されていた」
――このイヤリングを、そんな思いで最後まで持っていてくださったの?!
アリシアが再び泣きそうになるのを、エドガーが手で制する。アリシアの視線がエドガーのフードの奥を覗き込んだ。
「……なにか?」
「話はこれでは終わらん。遺言はまだある。それを聞く勇気が、あんたにあるか」
アリシアはきょとんとした顔でエドガーのフードの奥を見つめた。
「勇気? なにか事情があるの?」
「これを知れば、あんたはこの国にいられなくなるかもしれん。その覚悟があるか」
アリシアが眉をひそめて首をかしげる。
「いったい、ラインハルト殿下の死にどんな秘密があるというの? 教えて頂戴。私にはそれを知る義務があるわ」
エドガーが小さく息をつき、うつむき気味に答える。
「ラインハルト王子は仲間に裏切られ、殺された。この国はヴィンタークローネ王国を攻め落とす算段だ。その前に王子を謀殺し、あの国の戦力を落とそうと企んだようだ。近いうちにこの国は開戦する。あんたも、このままこの国にいれば無事ではすまんかもしれん」
アリシアの瞳が大きく見開かれ、エドガーの言葉をかみしめるように小さく頷いていた。
「そう……クラウス王子たちに殺されたのね、ラインハルト殿下は」
「正確には、殺したのは魔王だろう。直接手は下していないはずだ。だが見殺しにはした。そういうことだと思う。少なくとも、人間の手で命を落とした痕跡がなかった」
「見殺しなら、手を下したも同然です! しかもヴィンタークローネ王国に攻め入る?! ラインハルト殿下を失って、失意の中にあるヴィンタークローネを?!」
「それが狙いだろう。兵士の士気の差は歴然、そうなれば互角の戦力でも勝ち目は薄くなる。この国は大した消耗もせずにあの国を手に入れられる――まったく、したたかな連中だ」
エドガーが嘲るように口角を上げた。アリシアは手の中の耳飾りを握りしめ、エドガーに尋ねる。
「それで、私はどうしたらいいと思う? 私に何ができるかしら」
「あんた一人じゃ何もできんさ。おそらく国王は開戦準備を始めてるはずだ。もう間もなく戦争になる。その前に逃げた方が身のためだ。ヴィンタークローネ王国にだって意地がある。むざむざと無傷で勝利などさせんだろう。この国の王が思うほど、楽な戦争にはならん」
――このままこの国に身を捧げても、マティアス殿下との婚約を迫られる。それから逃げる力は、お父様にはないかもしれない。
眉をひそめ、目を伏せて悩むアリシアに、エドガーが告げる。
「逃げ出したいなら、隣国くらいまでは見送ってやれる。その後は自力で生きていけ。まだ場が動いていない。逃げ出すなら監視の目が薄い今の内だ」
アリシアは混乱する頭で必死に事態を整理していった。帰還したクラウス第一王子は立太子が噂されていた。その彼と婚約している聖女アネット。この二人を信用はできないだろう。筆頭宮廷魔導士に引き立てられたルーカス、彼もまた宮廷で強い影響力を持つ。魔王討伐に成功した彼ら英雄に対する国民人気も高い。ローゼンガルテン公爵一人で対抗する力は、おそらくない。
――私がいなくなっても、弟のエリックがいてくれる。あの子ならお父様を支えてこの家を守れるかもしれない。私にもっと力があればよかったのに。どうして私は女として生まれたのかしら。
「どうするんだ? 貴族の地位を捨てて薄汚れた国から逃げるか、この国の穢れと共に身を滅ぼすか」
「……このままでは、国が亡ぶというの?」
エドガーの口がニヤリと歪んだ。
「次の王はクラウス王子なのだろう? 仲間を謀殺するような男が王では、この国の命運も長続きはせんさ」
――今は、マティアス殿下の求婚から身を守るのが先ね。その後は国外からお父様をお助けする方法を模索する。となると、ヴィンタークローネ王国でラインハルト殿下の最期を私が伝えるのがいいのかもしれない。弔い合戦となれば、士気をあげることができるかも。
顔を上げたアリシアが、凛々しい眼差しで告げる。
「わかったわ。私は北のヴィンタークローネ王国へ亡命します。エドガーあなた、あの国は知ってらして?」
エドガーが眉をひそめてアリシアを見つめた。
「なぜヴィンタークローネなんだ? これから戦争になる国に、なぜ行こうとする」
「元公爵家の私が殿下の最期を伝えれば、きっとあの国の力になります。ラインハルト殿下の祖国まで、むざむざと卑しい人たちに蹂躙させるわけにはいかないわ」
しばらくアリシアの瞳を見つめていたエドガーが、小さくため息をついた。
「……わかった、オーケイ。あの国は多少なら土地勘がある。道中の安全は俺が守ってやる。ラインハルト王子の分まで、必ずな」
アリシアはハンカチで目元を拭ってから、エドガーに告げる。
「決まりね。よろしく頼むわ、エドガー。私はお父様と出立の相談をしてきます。準備が整うまで、この屋敷でくつろいでいて」
アリシアがソファから立ち上がり、応接間のドアを開けた。外で待機していたイザベルにアリシアが告げる。
「お客様よ。客室を一室用意して。彼を丁重に案内してあげて頂戴。私はお父様の元へ行きます」
恭しく頭を下げる侍女たちの前を通り過ぎ、アリシアは公爵の執務室へ足を向けた。
****
執務室でローゼンガルテン公爵は、一通の手紙を前にため息をついていた。そこには派兵命令が記してある。魔王軍への警戒に当たらせていた兵力を、そのまま北方へと向ける命令だ。
――まさか陛下は、ヴィンタークローネを? なぜ、そんなことを。
ゴルテンファルは豊かな国で、隣国を攻め落とさなければならない理由などない。せっかく魔王軍との戦争が終わったというのに、新たな戦争が始まるのでは、領民への課税を抑えることが難しくなる。徴兵された農民たちも戻らず、収穫も回復しない。この国にとって、いいことなど見当たりはしなかった。
椅子の背もたれに体重を預けた公爵が天井を見上げていると、ドアがノックされてアリシアの声が響く。
「お父様、失礼してもよろしいでしょうか」
「――入りなさい」
公爵は急いで手紙を引き出しにしまい、椅子に座り直して笑顔を浮かべた。入室してきたアリシアは、決意を目に湛えて公爵を見つめた。
「お父様、ご相談があります。人払いをお願いします」
アリシアのただならぬ様子を見て、公爵が手を挙げて侍従たちを部屋から追い出していく。ドアが閉められ、室内に二人きりになった公爵がアリシアに尋ねる。
「……何があった?」
「私はこの国を出て、ヴィンタークローネへ亡命しようと思っています」
眉をひそめた公爵が、アリシアの強い眼差しをまっすぐ受け止めていた。
「……本気、なんだね?」
「はい、このままマティアス殿下との婚姻を飲むわけには参りません。ですがそれでは、お父様にご迷惑をかけることになります。エリックには申し訳ないと思いますが、このまま国内にいてはこの家も命運が尽きかねません。国外からお父様をお助けする道を探りたいと思います」
公爵が眉間を指で挟みこみ、固く目をつぶった。可愛い娘の亡命。だがこのままでは王家に取り込まれ、アリシアの不幸が約束されてしまう予感がした。亡命先に不安はある。だが開戦になれば、さらに他国へ逃げることも不可能ではないだろう。
「……わかった。おまえの好きにしなさい。私も国内でできる限りあがいてみせよう」
「はい、ありがとうございます」
アリシアは深々と公爵に頭を下げ、「失礼しました」と部屋から去っていった。
一人きりになった公爵は、背もたれに再び体重を預けて天井に息を吐きつけた。
「……不甲斐ない父ですまんな、アリシア。苦労を掛ける」
立ち上がった公爵は棚からワインボトルを取り出すと、グラスに注いで一息で呷った。




