第16話 応報
それまでアリシアたちの会話を見守っていたワイエンマイアー伯爵が優しい笑みで告げる。
「殿下、アリシア嬢の心、その願いをどうか受け止めてはいただけませんか」
困惑した様子のラインハルト王子は、アリシアの目を見つめたまま答える。
「しかし! 私の命の代わりに彼女の命が失われたら、意味がないではないか!」
アリシアがニコリと微笑んで告げる。
「それは、私の気持ちを受け取ってくださる、というお言葉として受け止めても構わなくて?」
「そうでは――ああくそっ! なぜ私は魔王の呪いに抗えないのだ! 脆弱な己の精神が恨めしい! 私の精神がもっとしっかりしていれば、アリシア嬢にここまでさせる必要もなかったというのに!」
アリシアの手が、そっとラインハルト王子の手を握った。
「ですから、そのお手伝いを私にさせてくださいませ。共に生き、共に死ぬ――それではいけませんか?」
眉をひそめてアリシアを見つめるラインハルト王子に、ワイエンマイアー伯爵が笑って告げる。
「殿下の負けですよ。淑女にここまで言わせて、恥をかかせるおつもりですか?」
「……わかりました。ですが! 命の危険を感じたら即座に中断してください! それを約束いただけるなら、今回は応じます」
アリシアはしたたかな笑みを浮かべ、黙って頷いた。
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ワイエンマイアー伯爵が応接間の中央に木椅子を置き、そこにラインハルト王子が大剣を抱え腰を下ろした。困惑するラインハルト王子がアリシアに尋ねる。
「なぜ、この剣を抱えなければならないのですか」
ラインハルト王子の前に立つアリシアが、聖神への祈りを捧げながら答える。
「その剣はあなたに悪い影響を与えています。呪いと共に処分してしまった方がいいはずです――では、いきます」
祈りを終えたアリシアが、ラインハルト王子の醜くただれた顔に顔を近づけていく。
「……聖神様、どうかこの人をお救いください」
アリシアは祈りを込めて、ラインハルト王子と唇を重ねた。二人の身体を眩い光が包み込み、パキリ、パキリと魔王の剣にひびが入り、零れ落ちていく。光が強まっていく中、ラインハルト王子の顔の痣も、見る間に小さくなっていった。彼の身体から黒い霧が吹きだすと、それがアリシアの身体へと吸い込まれていった。魔剣が砕け散るまで二人の口づけが続き、ついに跡形もなく砕け散ると、アリシアの身体がぐらりと傾いで光が薄れていった。ラインハルト王子は慌ててアリシアを抱き留め、声をかける。
「――アリシア嬢!」
アリシアに意識がないことに気づくと、ラインハルト王子が切迫した声を上げる。
「ワイエンマイアー伯爵! 彼女を部屋に!」
伯爵も深刻な顔で頷くと、すぐさま立ち上がって部屋の外へ従者を呼びに行った。
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ゴルテンファル王国とヴィンタークローネ王国の国境前、そこには一万の軍勢が布陣し、命令を待っていた。騎乗したクラウス王子が、勇ましい鎧姿で声を張り上げる。
「これより、ヴィンタークローネ攻略戦に入る! 諸君には我ら魔王討伐を果たした私と、聖女アネットがついている! かの国の王子、ラインハルトは魔王との戦いの中、私の命を狙ってきた姑息な男だ! そんな男の国を、これより攻め落とす!」
兵士たちは士気を上げ、勇ましい声で応じた。
「クラウス殿下、万歳! ゴルテンファル王国、万歳!」
その様子を遠くから見守っていたローゼンガルテン公爵が呆れたように息をついた。
「まったく……兵士を鼓舞する能力だけはあるようだが。殿下が陣頭指揮するでもなく、後方で差配する状態でいつまで維持できるやら」
聖女アネットがクラウス王子と相乗りしながら、兵士たちに手を挙げて微笑む。兵士たちの士気が最高潮に達しようとした瞬間、それは起こった。クラウス王子の身体が突然漆黒の霧に包まれると、彼の苦悶の絶叫が辺りに響き渡る。
「ぐあああああああっ?! なんだこれは!」
黒い霧に包まれたクラウス王子は、驚く聖女アネットと共に落馬し、地面の上でもだえ苦しみ続けた。倒れ込んだ聖女アネットが、思わず声を上げる。
「――これは、魔王の呪い?! なぜこんなものが?!」
クラウス王子が弱々しい手を、聖女アネットに伸ばす。
「アネ……ット、解呪、を」
聖女アネットは顔をしかめ、首を横に振りながら答える。
「無理よ、こんな凶悪な呪い! 私に死ねと言うの?!」
ローゼンガルテン公爵は側近たちを連れてクラウス王子に駆け寄るが、黒い霧を見た瞬間に顔をしかめた。
「なんと邪悪な魔力……アネット王子妃! 解呪をなさってください!」
アネットは霧の向こうに見える、紫色にただれたクラウスの顔を見て絶叫した。
「いやよ! あんな気持ち悪いものに口づけなんてできないわ!」
「ご自分の夫でしょう?! アネット王子妃、早く処置を!」
聖女アネットはクラウス王子に背を向けると、逃げ出すように駆け出した。ローゼンガルテン公爵が素早く兵士たちに指示を飛ばす。
「――アネット王子妃を捕縛せよ! クラウス王子は天幕へお運びしろ! なんとしても呪いを解呪してもらわねばならん! ヴィンタークローネ攻略戦は中止! これより王都へ帰還する!」
聖女アネットはあっさりと兵士に囲まれ、身柄を拘束されていく。兵士たちは手で触れないよう慎重に、クラウス王子を布で運んでいった。騒動を見守っていた兵士たちは、騒然としながら指揮官の指示に従い、隊列を組みなおしていった。
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天幕に運び込まれたクラウスからは、黒い霧が消えていた。代わりに残されたのは、全身が紫色にただれた男の姿だ。肌が生きながら腐り落ちているその姿を見て、兵士に拘束された聖女アネットの顔が歪む。
「――放して! 私は死にたくないわ!」
あとから天幕に入ってきたローゼンガルテン公爵が、聖女アネットの肩を激しく掴んだ。
「何をわがままなことを言っておいでか! 夫の命を救おうとは思わないのですか!」
「こんな男、もう夫でもなんでもないわ!」
暴れる聖女アネットを、兵士たちが力ずくで抑え込む。困惑する副官が、ローゼンガルテン公爵に尋ねる。
「どうしますか、閣下。殿下は移動に耐えられるでしょうか」
「……わからん。だがお運びするしかない。何が起こったのか、それも調査せねばならん」
ローゼンガルテン公爵が、慎重にクラウス王子に近寄り、声をかける。
「殿下、意識はおありですか――殿下?」
公爵は目を見開き、ピクリともしないクラウス王子を静かに見つめた。やがてゆっくりと立ち上がると、聖女アネットに厳しい目を向ける。
「……殿下はお亡くなりになった。殿下の命を救える力を持ちながら、その務めを果たさなかったアネット王子妃には、王族殺害の疑いがある。決して逃がすな! 急いで王都に戻る! 殿下のご遺体は丁重にお運びしろ!」
そう言い残すと、公爵は天幕を後にした。
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王宮でも、前線と同じ光景が繰り返されていた。黒い霧に包まれたゴルテンファル国王とマティアス第二王子が、立て続けに命を落としていた。何が起こったのか理解できない臣下たちは、王妃に懇願するような眼差しを向ける。ゴルテンファルの王妃は、涙を流しながら口を開く。
「残るはクラウスだけですね。あの子の身にも、何かが起こっているかもしれません。早急に戻ってくるように伝えなさい。何が起こったのか、迅速に調査するのです」
それだけを伝えると、王妃は国王の亡骸を見つめ、呆然と涙を流し続けた。
王妃を囲む臣下たちが集まる国王の寝室から、一人だけ抜け出す姿があった。筆頭宮廷魔導士、ルーカスだ。
――あれは、魔王の呪い?! なぜ今さら、あんな厄介なものが?!
ルーカスは足早に廊下を歩いていくと、自室に戻り高価な品々を懐に詰め込んでいく。宝飾品で身体を重くしたルーカスが部屋を出ようと振り返ると、その入り口は近衛兵たちによって塞がれていた。前にいる近衛騎士がルーカスに告げる。
「どちらへお逃げですかな? 筆頭宮廷魔導士殿」
「くっ、何用かっ!」
「それはこちらのセリフです。王妃殿下から、貴殿には原因究明に当たるよう命が下りました。それがかなわぬなら、地位を剥奪しても構わないと仰せです――そしてルーカス殿、なぜ逃げようとなさっているのか、お教え願えますか」
ルーカスの顔が険しく歪む。
「――これより私は、陛下の命を奪った魔王の呪いについて調査を行ってくる! その邪魔をするのか!」
騎士の片眉が跳ね上がり、ルーカスを静かに見つめた。
「……『魔王の呪い』と仰いましたね。貴殿は国王陛下とマティアス殿下の命を奪った力をご存じのようだ。その情報、すべて吐いていただく――捕縛せよ!」
身構えるルーカスの周囲を、近衛兵たちが固め剣を突きつけた。近衛騎士の指示によりルーカスの身体は拘束され、乱暴に連行されていく。ルーカスを連行する近衛騎士は、迷いなく拷問室へ続く廊下を歩いていった。
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アリシアが倒れてから一週間が経過した。倒れたアリシアの姿は、ワイエンマイアー伯爵邸の客室にあった。毎日看病を続けるラインハルト王子が、ベッドで眠る彼女のまだ温かい手を握りしめ、切実な声で祈る。
「聖神よ……どうか、アリシア嬢の命だけはお救いください……私の命で贖えるなら、いくら持っていってくれてもいい……どうか、この人だけは……」
背後で見守る侍女たちが、痛ましそうに眉をひそめた。七日間、こうして朝から晩までラインハルト王子の祈りは続いていた。今朝の様子を見ても、目覚める気配はない。彼女の命が危ういことは、従者たちにも薄々理解できていた。
ワイエンマイアー伯爵がラインハルト王子に近づいていき、そっと肩に手を置いた。
「殿下、食事の時間です。あなたが身体を損ねれば、アリシア嬢の想いが報われません。今は殿下も疲れ切った身なのを、どうかお忘れなきように」
「……わかった。アリシア嬢、すぐ戻ります」
ゆっくりと名残惜しそうに手を放しかけたラインハルト王子の手が、ピタリと停止した。
「アリシア嬢?」
ラインハルト王子の手の中にあるアリシアの手が、返事の代わりにわずかに握り返される。弾かれるように動いたラインハルト王子の手が、素早くアリシアの身体を抱きかかえた。
「――アリシア嬢! 気がつかれましたか!」
ゆっくりと開かれた目が、ラインハルト王子の顔を探してさまよう。やがて焦点が定まった視線が、ラインハルトに向けられて彼女が微笑んだ。
「……ええ、おはようございます。ラインハルト殿下」
その弱々しい声を聞き、ラインハルト王子は涙ぐみながら何度も頷いた。そのままアリシアの身体はラインハルトに強く抱きしめられていく。
「よかった……あなたが助かって……本当に!」
アリシアは、静かな微笑みを湛えながらラインハルト王子に身を任せていた。
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午後になり、聖神教会から派遣された司祭の聖魔法で回復したアリシアは、ベッドの上ですっかり元気になっていた。ベッドサイドには、変わらず彼女の手を握るラインハルト王子の姿がある。
「アリシア嬢、何が起こったのか、教えていただけますか。あの呪いをあなたが解呪することは不可能だったはず。どうやって呪いを私から取り除いたのですか」
アリシアは眩しそうに、痣が消えたラインハルト王子の顔を見つめて答える。
「ふふ……私はゴルテンファル王家の傍系、ローゼンガルテン公爵家の娘ですわ。その血筋を辿り、魔王の呪いをゴルテンファル王家の方々にお返ししたのです。≪呪詛返し≫という、聖魔法の一つですわ。魔王の呪いは分散され、弱まった呪いは聖女アネットが解呪することでしょう。ですがしばらくは戦争を行える状態にはならないと思いますわ」
呆気に取られたラインハルト王子が、アリシアの微笑む顔を見つめた。
「あなたは三年の間に、なんとも恐ろしい女性に育ったのですね」
アリシアが上目遣いでラインハルト王子を見つめ返した。
「幻滅、させてしまったかしら。でも殿下の命を顧みなかった方々に、少しでも殿下の苦難を思い知ってほしかったのです。殿下は立派な方です。たとえ孤独でも戦い抜き、魔王すら打倒した。そんなあなたの命こそが尊いのだと、彼らに知ってほしかったのです」
ラインハルト王子が戸惑う様子で尋ねる。
「なぜ、そこまでして私などを救ったのですか」
アリシアはニコリと微笑んで答える。
「お気づきになられなかったの? 三年前、お会いしたときから私の心はあなただけのもの。殿下が魔王討伐からお帰りになったら、クラウス王子との婚約を破棄して、殿下に婚約を申し込むつもりでしたの。少し予定が変わってしまいましたけれど、私のこの願い……叶えて、くださるかしら?」
ラインハルト王子はしばらくアリシアを見つめたあと、微笑んでその額に唇を落とした。
「……アリシア嬢、愛しています。心から」
「ええ! 私もですわ、愛しいラインハルト殿下!」
アリシアは会心の笑みを浮かべ、ラインハルト王子の胸に身体を預けた。




