第17話 海風
アリシアが目覚めてから三日が経過した。まだ体力が回復しきらない彼女はベッドの中で朝食をとっている。そのそばにはラインハルト王子の姿もあった。お互いに微笑みを交換し合いながら、朝の食事を済ませていく。そんな客間に、ワイエンマイアー伯爵が姿を見せる。
「失礼します、殿下。国王陛下がお見えになるそうです」
ラインハルト王子が怪訝な顔で振り向いて答える。
「父上が? なぜだ」
「殿下が中々、王都に戻られないからではないですか?」
微笑むワイエンマイアー伯爵に、ラインハルト王子がニコリと答える。
「私がアリシア嬢から離れるわけがないだろう。父上からの使者にも、『アリシア嬢が回復してから戻る』と伝えていたはずだが」
伯爵が楽し気な笑い声をあげた。
「それが待ちきれなかったのでしょう。私からもアリシア嬢の養子縁組の手続きを進めておりますが、まだ陛下の承認を頂けていない状態です。せっかくですので、今日のうちに話を詰めてしまいましょう」
アリシアが小首をかしげてワイエンマイアー伯爵に尋ねる。
「何か、問題があるのでしょうか」
「あなたはローゼンガルテン公爵家のご令嬢。亡命を『はいそうですか』と受け入れるわけには参りません。ゴルテンファル王国との調整を行う必要がある、と陛下はお考えなのでしょう。あの国からは、あまり良くない噂も流れてきております。陛下なら、私より情報をお持ちかもしれません」
アリシアが眉をひそめて伯爵に答える。
「良くないこと、ですか?」
「あなたは何も心配する必要はありませんよ。あとは我々が何とか致します――それでよろしいですかな? ラインハルト殿下」
ラインハルト王子が小さく頷いた。
「ああ、もちろんだとも。父上はいつ頃来られるのだ?」
「もう間もなくお出でかと。私は応接間で陛下をお待ちします。殿下もご準備をなさってください」
頷いたラインハルト王子が立ち上がり、アリシアの目を見つめて告げる。
「では少し席を外します。くれぐれも無理をなさいませんように」
「もう! 病人じゃありませんわよ? 立ち上がれないわけでもありませんのに、殿下は大げさですわ」
軽妙な笑い声をあげながら、ラインハルト王子はワイエンマイアー伯爵と共にアリシアの部屋から退出した。
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応接間のソファで待つラインハルト王子とワイエンマイアー伯爵の前に、ヴィンタークローネ国王が姿を見せた。国王は感慨深げにラインハルト王子を見つめると、ゆっくりとした足取りで近づいていく。ラインハルト王子もソファから立ち上がり、国王を迎えて敬礼で応える。
「父上、ただいま戻りました。ご報告が遅れ、大変申し訳ありません」
国王はそのまま無言でラインハルト王子を抱きしめたあと、その両肩に手を置いて身体を離した。
「……よい。すべて聞いている。おまえがこの場を離れられない理由もな。三年に及ぶ魔王討伐の旅、よくぞ生きて戻ってきてくれた。魔王を倒したことより、生還してくれたことの方が何倍も嬉しく、誇らしい」
「父上……それで、今日はなんの御用でしょうか」
国王はラインハルト王子から離れ、向かいのソファに腰を下ろしてから答える。
「ゴルテンファルのローゼンガルテン公爵令嬢を婚約者にしたい、そう言っていたな」
ソファに腰を下ろしたラインハルト王子が、小さく頷いた。
「はい、私の命の恩人である彼女を、人生の支えとして伴侶にしたく思っております。我が国に亡命してきた彼女をワイエンマイアー伯爵の養女とし、そのまま縁談を組むと聞いていますが……なにか、問題が?」
国王が微笑みながら小さく息をついた。
「それなんだが、ゴルテンファルの国王が死んだらしい。噂では王子二人も相次いで命を落としたそうだ。詳細を確認する使者は出したが、その返事がまだ届かん。だがゴルテンファル王家の直系が全滅したとなると、あの王家は終わりだろう」
ラインハルト王子が眉をひそめて国王の笑顔を見つめた。
「クラウス王子が……死んだ? どの程度確かな情報ですか?」
「国境付近に展開していたゴルテンファル王国軍が、攻め入ることなく退いていった。様子を窺っていた斥候の話では、演説を行っていた王子に異変があったということだけ分かっている。彼の国にはおまえを謀殺しようとした罪科もある。その件も問い質すように指示を出してある」
「そう……ですか。魔王の呪いを、聖女アネットは解呪しなかったのでしょうか」
国王は給仕された紅茶に口をつけてから答える。
「おまえの報告にあった件か。魔王の呪いをゴルテンファル王家に呪詛返したという。それが間違いなければ、聖女は仕事を果たさなかったということだろうな」
ワイエンマイアー伯爵が国王に尋ねる。
「それで、彼女の身柄はどうなさるおつもりで?」
国王は落ち着いた笑みで頷いて答える。
「ゴルテンファル王家が断絶したなら、次の王統はおそらくローゼンガルテン公爵家が継ぐことになるだろう。そうなると、アリシアの亡命を受け入れるのは難しいかもしれん。ローゼンガルテン王家樹立を待ち、新しい国王と調整する必要があるだろう。おまえも公爵令嬢を伴侶とするより、王女を伴侶とする方が後々有利になる。婚約の件は、それまで待てるか」
不満げなラインハルト王子が小さく息をついた。
「……アリシア嬢が大切に扱われるのであれば、私は構いませんが」
楽しげな笑い声をあげた国王が、ラインハルト王子に答える。
「『不満です』と顔に書いてあるぞ? なに、悪いようにはせん。ローゼンガルテン公爵は、話が分かる男に見えた。ゴルテンファル国王に代わりあの男が国王になるなら、両国にとっても益がある。今後の両国のためにも、今は耐えてくれ。遅くとも来年には結論が出る。婚姻はそれからとなる」
ため息をついたラインハルト王子が渋々と頷いた。
「わかりました、父上。ですが王宮に戻るのは、アリシア嬢が回復してからで構いませんか」
「構わんよ。こちらも情報を整理する時間が必要だ。王宮にアリシアを受け入れる準備も必要だろうしな。しばらくは客人として迎え入れる。ゴルテンファルとの調整が終われば、王子妃として受け入れられるように準備も進めておく――それで不満はあるまい?」
ラインハルト王子が綻んだ笑顔で頷いた。
「はい、よろしくお願いいたします」
その顔をまじまじと見つめた国王が、目を細めて告げる。
「……おまえがそんな顔をするようになるとはな。今は病床の身と聞く。今日は顔を見るのを我慢しておくとしよう。王宮に顔を見せるのを、待っているよ」
立ち上がった国王がワイエンマイアー伯爵と目くばせをした後、伯爵も立ち上がって国王と歩き出す。二人の姿が応接間から消えると、ラインハルト王子はカップを傾けて喉を潤した。
「……あの父上があっさりとお認めになられた。これは夢ではないだろうな?」
ラインハルト王子の背後で、従者から小さな笑い声がこぼれる。その声を聞いたラインハルト王子は、少しほほを赤く染めながら応接間を後にした。
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年を越してすぐ、ゴルテンファル王国はローゼンガルテン王家を樹立した。同時にローゼンガルテン王女アリシアとヴィンタークローネ王子ラインハルトとの婚約も周辺国に知らされていた。ゴルテンファル新国王は前国王の不祥事を認め、ヴィンタークローネ王国に謝罪、ヴィンタークローネはその謝罪を受け入れた。やがて春が訪れ、夏も間近になったころ。王宮の執務室にアリシアの姿があった。精力的に政務をこなすアリシアのそばには、ラインハルトの優しい笑顔があった。
「アリシア、もうこの国にもだいぶ慣れたようだね」
「婚約してから半年ですわよ? これだけ時間があれば、このくらいはできますわ」
アリシアを見つめながらソファに腰掛けるラインハルトが、カップを傾けながら告げる。
「いつか、おそらく数百年後には再び魔王が復活するだろう。その時までに、魔王に立ち向かえる国家に我が国を育てておかねばならないな」
アリシアは書類を書き終わると、ペンを置いてゆっくりと伸びをした。
「私と殿下の子孫ですわよ? きっと強く優しく、賢い王子が魔王に立ち向かってくれるはずですわ。ゴルテンファル王国も、弟の子孫が魔王に立ち向かっていく。今度こそ、手と手を取り合って魔王を打倒してくれますわよ」
ラインハルト王子がクスリと笑みをこぼした。
「アリシアの子孫なら、きっと謀略だろうと屈せずに跳ね返すのだろうな」
「あら? それはどういう意味でして?」
アリシアが頬を膨らませて抗議の意を示すと、ラインハルト王子は立ち上がって彼女の頬に口づけを落とした。
「お前の強さを受け継ぐ子供を作らねばな、という話だよ」
「もう! ごまかされませんわよ!」
軽やかな笑い声を上げるラインハルト王子が、窓の外に見える海に視線を向けた。海からの風がラインハルト王子のプラチナブロンドを揺らす。つられるようにアリシアも海に視線を移し、ラインハルトに告げる。
「ねぇ殿下、今日も海に出かけてみませんか?」
「また海かい? アリシアは海が気に入ったのだな」
「だって! 殿下と過ごせなかった三年間、その分を取り戻さなければ嘘というものでしょう? 今日は公務も一区切りつきましたし、少しくらい遊びに行っても大丈夫ではなくて?」
ラインハルト王子がアリシアの手を取り、その甲に唇を落とした。
「もちろんだとも、我が愛しのアリシア。今の私があるのは、すべて君のおかげだ。君が望むことなら、私は全力で叶えよう」
アリシアが椅子から立ち上がり、二人は明るい笑い声を響かせながら執務室を後にした。
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