第12話 涼やかな風
ゴルテンファル王国の北東部に、街道を進軍する兵士たちの隊列があった。その後方に位置する馬車の中から、外まで響くような金切り声が上がった。
「どういうことなの?! 私たちの結婚式が先送りだなんて!」
馬車の中で興奮する聖女アネットが、顔をしかめてクラウス王子の胸ぐらをつかんでいた。クラウス王子はその手を払いのけ、不満げに鼻を鳴らす。
「仕方あるまい。これからのヴィンタークローネ攻略戦に俺たちは参加しなければならん。あの国が雪で閉ざされる前に、奪えるだけ領地を奪ってこいというのが父上の命だ。結婚式は冬になってから――入籍は済ませてある。アネットも王子妃としてふさわしい態度をとれ」
「身分が王族になったからって、また戦場に行かされてたら魔王討伐の三年間と何も変わらないじゃない! 私は王宮でゆっくりとしたいのに!」
クラウス王子が深いため息をついて答える。
「そんなもん、俺だって同じだ。だが父上が『やれ』と言った以上、覆ることはない。なに、今回の戦いは楽勝だとルーカスが言っていたし、俺たちは後方で兵士たちを鼓舞するだけだ。危険はない」
アネットは歯ぎしりをしながらクラウスを睨み付けたあと、勢いよく顔を背けて窓の外を見た。晴天の中、進軍するのは先遣隊五千。その規模を見て、アネットがこぼす。
「……兵士の数が少ないんじゃないの? こんなんで楽勝なの?」
「ローゼンガルテン公爵が最後まで派兵に反対していてな。他にも同調して反対する貴族たちが現れて、そいつらの兵が後詰めで到着する。合わせれば一万、ルーカスの策が巧く運べば、充分に戦える数だ」
アネットがため息をついて窓枠に頭をもたれさせた。
「楽勝なら、早く終わらせて欲しいわね」
「問題ないだろ。ルーカスの指示で失敗したことは、今までない」
ピリピリと張り詰めた車内で、クラウス王子はくつろいで足を崩していた。御者は気まずそうに馬を操りながら、進軍に合わせて馬車を進めた。
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王宮ではマティアス第二王子が自室で金切り声を上げていた。
「まだアリシアは見つからんのか! ローゼンガルテン公爵は何をしている!」
捜索報告を告げていた兵士が、首をすくめながら答える。
「恐れながら、公爵も戦場に向かっておられます。今後は捜索の手も足りなくなるかと……」
「ええい、南にも西にも痕跡がないとはどういうことか! まさか、北に行ったのではあるまいな?!」
「それは考えにくいかと……ローゼンガルテン公爵令嬢に、ヴィンタークローネとのつながりはなかったと伺っております」
マティアス王子が机に拳を叩きつけて声を上げる。
「それでも候補に入れろ! 捜索隊を北にも派遣させるのだ!」
兵士が首をさらに引っ込め、恐る恐る答える。
「……北部は間もなく開戦となります。公爵令嬢捜索隊を派遣する余地はないかと」
マティアス王子が机の上を薙ぎ払うように腕を振るい、ティーカップや花瓶が叩き落とされた。控えていた侍女たちも首をすくめ、眉をひそめて王子を見守る。
「なぜこうも巧くいかんのだ! あと一歩でアリシアが私の物になっていたところを!」
癇癪を続けるマティアス王子を見ながら、周囲のそば仕えたちは沈黙を守っていた。
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ヴィンタークローネに入国してから二日目、アリシアたちの姿は小さな村にあった。のどかな空気の中、町を歩くアリシアが目を輝かせながら周囲を観察していく。
「隣国というだけで、こんなにも雰囲気が変わるのね! 服飾や建物の様子も、ゴルテンファルとは少しだけ違うわ! 空気の味まで違って感じるくらいよ!」
エドガーがフッと笑みをこぼして答える。
「実際、ゴルテンファルとヴィンタークローネは匂いが変わるからな。食い物が違うし、飲み物も変わる。それが匂いを変えるんだ」
アリシアがエドガーの背を見つめて尋ねる。
「食事が違うと仰ったの? それはどんな物なのでしょうか」
「緑風草といってな。特産品の香草がある。ゴルテンファルでも、北部には流通してたはずだが、少し癖があってな。ゴルテンファルの王都で見かけることはなかったな――食ってみるか?」
「ええ! もちろんよ! どんな食べ物なのかしら! 楽しみね!」
花開くような笑顔のアリシアに振り返ったエドガーが、フードの奥で優しい眼差しを向けた。
「じゃあ食堂に立ち寄ろう。夏に食うのが一番美味いが、秋に食う緑風草も悪くないもんさ」
歩みを緩め、近くの食堂へと道を逸れていくエドガーの隣にアリシアが並ぶ。二人は笑顔で会話を交わしながら、村の食堂へと入っていった。
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食堂の席に座ったエドガーが、カウンターに向かって声を上げる。
「緑風草のパンと茶を二人分だ!」
食堂の主人が笑顔で頷き、厨房へと引っ込んでいく。しばらくすると厨房から戻ってきて、パン籠とコップをアリシアたちの前に置いていった。湯気が立つコップを見つめ、アリシアが呟く。
「なんだかとても強い香りね……清涼感があるのに温かいなんて、不思議な気分」
エドガーがコップに口をつけて告げる。
「試しに一口飲んでみろ。合わない奴には飲めん。無理に飲もうとしない方がいいぞ」
アリシアは小さく頷いて、恐る恐るコップに口をつけた。
「――まぁ! 美味しい! このお茶、甘いのね! 鼻に抜ける香りがとても心地いいわ!」
そのままアリシアは美味しそうにお茶を飲んでいき、コップを置くとパンを口に運んでいく。
「……パンも甘いのね。こっちの方が香りが強いわ。お茶とも少し違う風味なのね」
エドガーもパンをかみ切りながら答える。
「パン生地に香草を練り込んで焼くからな。香ばしさが加わって緑風草本来の風味から少しずれるんだ。その香りは甘みと相性がいいから、甘味も加えるのが通例だ――どうだ? 癖が強いだろう」
パンひとつをあっという間に食べ終わったアリシアが笑顔で頷く。
「癖は強いと思うけど、こんなに美味しいパンがヴィンタークローネにあったなんて知らなかったわ! 私、今までもったいない人生を送ってきたのね……ラインハルト殿下も、このパンを食べてお育ちになられたのかしら」
「王宮のことは知らん。だがヴィンタークローネでパンと言ったら、だいたいこれになる。だからおそらく、同じもんを食って育ったんじゃないか」
アリシアはニコニコとエドガーを見つめると、カップを両手で包んで残ったお茶を飲んでいく。エドガーもパンを平らげたあと、一気にカップを呷った。
「休憩はそろそろいいだろう。伯爵領までもう数日、今日は次の町まで行くぞ」
「ねぇエドガー、不思議だったのだけれど……なぜ野宿をやめてしまったの? ゴルテンファルでは夜通し歩いていたのに」
エドガーがため息をついてカップを机に置いた。
「あんたみたいな女に、ヴィンタークローネで野宿なんてさせられるか。この土地の夜を舐めない方がいい。冷え込みが身体を損なうだけで、いいことがない」
「……それだけのために? 毛布を買い込めば済む話ではなくて?」
「それで防げる寒さなら、そうしてる。もうすぐ秋も終わる。この国の冬は冷えるぞ」
アリシアが小さく首を傾げてエドガーに尋ねる。
「それはわかったのだけれど、馬を使わないのはどうしてなの? 道中、私たちを何度も馬が通り過ぎたわ。私たちも馬を使えば、早く目的地にたどり着けるのではなくて?」
「……あんた、馬に乗れるのか?」
アリシアが満開の笑顔で答える。
「乗れるわけがないわ。だからエドガー、相乗りしましょう?」
エドガーが額を押さえてため息をついた。
「あのな……相乗りなんぞして呪いが移ったらどうするつもりだ。そんな真似、俺にはできん」
「大丈夫よ、心配性ね! あなたから呪いが漏れてくる様子は、ここまで一度もなかったわ! 相乗りくらい、問題ないわよ」
「……あんた、本気か?」
アリシアはニコニコと微笑みながら、エドガーの目を見つめていた。彼女の視線を受け止めたエドガーが、疲れたように息をつく。
「……オーケイ、わかった。だが呪いが移る兆候が見えたら、その場で馬は放棄する。それで構わんのなら、この村で馬を調達しよう」
「やったわ! これで徒歩の旅から解放されるのね!」
両手を握って喜ぶアリシアを見て、エドガーは再びため息をついた。
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村の牧場から馬を買い取ったエドガーが、身軽に馬にまたがった。アリシアに手を差し出して告げる。
「ほれ、この手が恐ろしくないなら手を――」
エドガーがすべてを言い終わる前に、台に乗ったアリシアがエドガーの手を取り、あぶみに足をかけた。そのまま勢いよく馬の背に腰を下ろし、勢い余って反対側に身体が倒れていく。エドガーは慌ててその身体を支え、腕にアリシアを抱え込んだ。
「――危ないっ! ふぅ、無事か、あんた」
エドガーの腕の中にいるアリシアが、彼を見上げながら微笑む。
「ええ、ありがとうエドガー。ちゃんと支えてくださいね? 私、馬にこうして乗るのは初めてなの」
「なら馬のたてがみにしっかり掴まってな」
「あら、エドガーがこうして支えてくだされば、大丈夫よ」
エドガーの胸に体重を預けたアリシアが、その手をエドガーの腰に回した。エドガーは深いため息をついて答える。
「……何を言っても無駄な気がする。仕方ねぇ、しっかり掴まってろよ」
「ええ、わかってるわ!」
馬を操るエドガーが、そのままゆっくりと道を進ませていく。やがて早足になった馬が、村を通る街道を風を切って駆け出した。
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