フリーライター矢島
矢島は半年ほど前に、中東諸国への定期訪問中にある空港で、顔見知りの某総合商社の駐在員が日本人の中年の男とレストランで食事をしているのを見かけた。矢島はふとその中年男のことをどこかで見たことがある気がして気になったが、思い出せずにいた。彼もこの後、長い付き合いの日本の友人とホテルでリモート会議をする予定だったので、目的のホテルへ急いだ。
矢島はホテルにチェックインし、部屋に入るとすぐにPCとスマホでWiFi環境をテストし、セキュリティチェックを行った。そのシステムは外部からの不正アクセスを遮断する機能を持っており、彼は必ずそのチェックをするようにしていた。チェックの結果にはリスクはないようだったので、部屋にセットされているコーヒーメーカーで、コーヒーを淹れて暫しの休憩をした。
約束の時間となったので、ヘッドフォンとピンマイクをPCに繋げ、友人が送って来たURLを入力し、リモート会議を立ち上げると、すでに会議の相手は待機状態となっていた。
「どうも大熊中佐、ご無沙汰です!」と矢島が口元を緩めて挨拶をすると、画面に映っていた大熊と呼ばれた男が微かに笑顔を浮かべ、すぐに
「どうもどうも、矢島、元気そうだな。それにしても相変わらずだな、髪も伸ばし放題、ボサボサで」と大熊は矢島の様子を見てストレートに批判したが、矢島は外見には全くこだわりがない様子で、にやっと笑うだけで返事をしなかった。大熊はその話題は諦めて、
「どうやらホテルの予約は無事取れたようだね」
「ああ、おかげさまで、電話で支配人を呼び出して君の名前を出したら、すぐに良い部屋を押さえてくれたよ」と嬉しそうに話すと
「おう、それなら良かった。矢島の定宿ではネットの環境も悪そうだし、セキュリティも心配なので良かったよ」
「ははあ、そんなにセキュリティを気にしているところを見ると、結構やばい話かな?」
「すまん、そうなんだ。あまり時間もないので、すぐ始めても大丈かな?」
「ああ、良いよ。念の為こちらの環境を見せるよ」と矢島は言って、PCの内蔵カメラで部屋の中を写した。
「OK!矢島、確認できたよ。こちらはこんな感じだ」と同じように大熊も自分の周りの環境を見せてくれた。
「大熊、凄いな!個室じゃないか?」
「ああ、色々とあってね。じゃあ、始めさせてもらうよ」と言って大熊は矢島に”ある話”を説明し始めた。矢島は途中少しだけ質問をしたが、ほぼ大熊が説明するのを黙って聞くこととなった。黙ってと言うより、部屋の温度が乱高下したような気分になる程、かなりの衝撃を受けながら話に聞き入った。
そして、大熊の話が終わると矢島は
「驚いたよ、あの会社がそんな事を受けるなんて!実は、俺は別の事もあって、今、冷や汗をかいているよ。ちょっと別の画面を見せたいので、見てくれるか?」と言って、別ブラウザである企業のHPを検索し、その企業のある役員の顔写真をズームして画面に表示させた。それは、先ほど空港のレストランで見かけた名前を思い出せなかった男の顔だった。大熊は何も言わずに矢島の発言を待った。
「実は、今日空港のレストランでまさにこの男と、某商社の顔見知りが一緒に食事をしているところに遭遇したんだ」との矢島の発言に大熊は
「本当か!お前、顔は見られたか?」
「いや、見られていないよ」
「そうか、それなら良いけど、ものすごい偶然だな!でも、やはりこちらの調査は間違っていなかったようだな。矢島、お前すぐに帰国できるか?」
「ああ、明後日以降なら、戻れるよ」
「悪いが、全てを内密にしてくれないか。そして、もう少し詳しいことを伝えるので、こちらで対応を終えた後にはスクープにしてくれて構わない」
「おお、それなら協力するよ。スクープは三度の飯より大事なんでね」
その後矢島は数回に渡り、日本と中東の某国を往復し、某商社の駐在員の周辺や、例の研究所の調査を秘密裏に行った。彼は海外情報の収集・調査力には定評のある『AB海外通信社』の正社員ではなかったが、フリージャーナリストとして中東情勢に関する情報提供や取材に関する専属契約を結んでいた。過去に多くのスクープ実績があるので、通信社内でも一目を置かれる立場で、編集局長クラスとも”差し”で面談できる立場だった。この件に関しても、編集局長に直接相談して、取材に関する費用の承認をもらっていた。編集局長としても、ネタ元のレアさと案件の重大さを考慮し、社内でもほとんど秘密裏に活動を支援していた。
数ヶ月にわたる矢島の調査の結果、関係者の割り出しと研究内容の中身がほぼ見えてきて、その具体的な証拠を掴む段階になっていた。ただ、大熊の組織はあくまで国防機関の調査部門なので直接捜査はできないので、大熊の所属する組織のトップから警察庁への捜査要請を出した。警察庁はすぐに支援体制を組む合意と、所轄警察組織への捜査要請を下した。その結果、信濃県警の捜査一・二課に捜査要請が降りてきていた。そして、活動が始まろうとした矢先に捜査対象にもなっていた沢渡拓真が、所属する研究所で死亡する事故が発生したのだ。
当初、捜査二課がリードして、外為法(外国為替及び外国貿易法)違反として捜査をする予定であったが、死亡者が出たこともあり、捜査一課の筑摩が主管することに変更された。捜査対象者の一人であった研究所員の拓真の事件の全容解明により、事故か自殺か他殺かも含めた捜査が優先することとなった。
そして、警察にとってのネタ元はジャーナリストの矢島と、そのバックにいる大熊の所属する国防機関の調査組織だ。すぐに、筑摩と矢島のファースト・コンタクトは実現し、背景や現場に関する情報は共有された。筑摩は現地の所轄の刑事から、捜査対象になっていた拓真の遺族の情報も入手していたが、拓真は被疑者というより事件に巻き込まれた被害者の位置付けであるように思っていた。また、矢島とは協業関係を築くことが有利であるとも推測していた。
さて、信濃県警の変人こと筑摩は、見た目は堅く冷たいイメージの刑事だが、数々の事件を解決してきている有能な刑事であった。将棋でいう数手先を読み、理詰めで捜査を進めていく冷徹さと、見かけからは想像できない被害者への気配りや、関係者を巻き込み解決に最短距離で行き着くことで定評があった。ただ、無表情で、地声が甲高く丁寧な物言いと、重要な事を発見したり話すときに、黒縁のメガネを触る仕草が不思議な印象を与えるので、県警内ではちょっとした変人としても見られていて、『チクマ先生』と呼ばれる事もあった。
捜査二課の最終ターゲットは、国防に関わる外為法違反の捜査だったが、捜査一課の筑摩としては拓真の死に関する事実解明が優先されるので、研究所関係者と拓真の周辺からの聴取をする予定だった。そのため拓真の葬式の際に会場を訪れ様子を伺うとともに、所轄刑事の清水からの現場の報告も受けた。
筑摩は矢島からの情報を頭に入れた上で拓真の妻と妹に会い、拓真の死因には研究所に関係する者の影響を強く感じ、その背後に海堂親子がいることを念頭に置き捜査を始めた。
もともと研究所での死亡事件の前には、県警の隣の捜査二課には国防関係の某研究所から警察庁経由で捜査要請が入っており、今回の事件の事件性の判断の後には主管部課が変わる可能性があった。筑摩は捜査二課とも連携を取りながら捜査を進めていたが、まずは他殺の証拠と犯人の絞り込みを優先させることを主張して、県警内では承認を無理やり取っていた。彼の主張は次の犠牲者の発生を防ぐことが何よりも優先するという主張だった。




