筑摩警部の訪問
翌日の朝九時過ぎに末永刑事から電話があった。
「これからお伺いしたいのですがが、大丈夫ですか?」と相変わらず丁寧な申し入れで、沙流は何となくこの日もそんなことがありそうなので、午後に帰ることにしていたので、二人で訪問を受けることにした。三十分ほど後に警察車両が二台、昨日矢島が駐車したのと同じ場所に駐車した。リビングから様子を見ると、予想に反して四人の男が玄関に歩いてきた。チャイムが鳴り、ドアを開けた。清水刑事と末永刑事の他の刑事には見覚えがなく、玄関で彼らは自分から名を名乗った。警察手帳を提示しながら、かなり甲高い声だが不思議に落ち着いた声で
「長野県警捜査一課の筑摩と申します。ご主人の件の捜査を担当しております。少し、お話をお聞きしたく伺いました」と丁寧な挨拶をしてきた。見た目は中肉中背でスーツを着ており、年はまだ四十代に見えた。髪を丁寧に分けて黒縁のメガネをかけて、その奥に知的好奇心の塊のような目を光らせた、不思議な感じのする刑事だった。もう一人の刑事も
「同じく、捜査一課の富樫です」と名乗った。この刑事はいかにも叩き上げの迫力のある少し小太りの刑事だった。李祐はリビングに四人を案内すると、ソファに座るように勧め、姉妹は食卓から椅子を持ってきて座った。
筑摩は見た目とは異なり、丁寧にお悔やみの言葉を述べた後に、
「ご主人がお亡くなりになり、ご心中をお察しするとお聞きしにくいのですが・・」と言いながら、「奥様もお妹様も拓真様の死因に関して、警察の当初の見立てに不服であるとのことですね?」
「はい、自殺であるとのご判断のようですが、夫は自殺をするような人ではありませんし、自殺をする理由がありません」と李祐はキッパリと宣言した。これに、筑摩という刑事は大きく頷いた。
「わかりました。それでは正直に申し上げます。我々もご主人が自殺ではない可能性も大いにあると睨んで捜査を始めております」とこれまた、キッパリと言い切った。これには周りの刑事も少し驚いた反応を示したが、すぐに筑摩に同意する仕草も見せた。姉妹はこれにはある意味嬉しさも感じ、そして、犯人への怒りと恐怖を感じた。筑摩は話しを続けた。
「お二人はとてもクレバーな方たちだと聞いておりますので、さらに申し上げますと、ご主人である沢渡拓真さんはある重大な事に関わっていて、その関係で危うい立場であったようです」と普通なら何の事だか分からない筈だが、昨日、例の男から事前に聞かされていたので姉妹は「やはり」と、得心した様子だった。筑摩はこの表情を見て、メガネを人差し指で持ち上げて
「あれ、もしかして昨日誰かがこちらをお尋ねしましたかな?」と探りを入れてきたが、素人なりに姉妹は「いいえ」と答え、しらばっくれた。これには、筑摩以外は表情を険しくしたが、筑摩は澄ました顔で頷きながら「そうですか」と流した。この受け答えに姉妹はこの刑事は“只者”ではないと恐れを感じたが、敵ではないとも感じていた。
「まだ、捜査の途中ですのでこれ以上のお話はできないのですが、一つだけお願いがあります」
少し間をおいて、筑摩は
「決して、自分たちで何かを調べるようなことはしないで下さい。良いですか?」と急に鋭い視線を二人に送りながら忠告をしてきた。姉妹はビクッとして、思わず声を合わせて
「分かりました」と答えたので、筑摩は今まで以上の笑みを見せながら頷いた。そして、客間の拓真の仏壇の位牌に向かい手を合わせて、何かをぼそっと呟いてから、玄関で丁寧に頭を下げて帰っていった。姉妹は、筑摩という刑事は見た目よりも優しい人のように感じていた。
その夜、八時に清水から再度電話があった。
もし、何か不審なことがあれば、自分か末永か、筑摩警部に電話してくれという内容で、それぞれの携帯番号を教えてくれた。あのちょっと風変わりな刑事は警部だったのだ。
翌日の午前中に今度は山形が李祐の家を訪れた。事前に電話で連絡があったが、姉妹は目的に関して訝しんだ。研究所のメンバーが拓真の死に関係していると、矢島から通告があったからだ。李祐は以前より知己のある山形だけはある程度信用できる、と思っていたが油断は禁物だった。
山形は拓真の遺族手当に関する相談での訪問だったので、沙流には席を外してもらった。これが研究所長のできる限りの支援の意味だと思ったが、さらに特別手当を出すというので李祐は驚いた。その額は生命保険並みとは言わないが、破格の金額だった。当分はこれで困らない筈だと、山形は言ったがその通りの金額だった。そのことに心から感謝した。それで話は終わりかと思ったら、山形は沙流の同席を求めてきた。沙流は真剣な表情で同席したが、山形の話は警察での質問と同じ話から始まった。
「沢渡さんは、何か最近おかしくはありませんでしたか?」という質問で、李祐は警察に話したことをそのまま話した。すると山形はさらにこちらの事を探るように、
「海堂君は沢渡さんの部下ですが、何か特別な関係はありませんでしたか?」と聞いてきた。姉妹は山形が何か知っている事があるのかもしれないので、
「特に聞いたことはありませんが、それが何か?」と反対に聞くと、慌てて
「いいえ、特に意味はないのですが・・沢渡さんがお亡くなりになった日の退出記録がないので・・」と極めて気になる事を言いかけるので、
「誰のですか?」と沙流が聞き直すと
「あのう、海堂君のです」と山形は暴露した。李祐は驚いて
「その話は警察には言ったのですか?」と責める口調になって問いただすと
「ええ、実は今日になって今までとは違う刑事さんが来て、“つい”話しました」と白状した。
「“つい”とは?」と問いただすと、山形は手で頭の後ろをさすりがら、
「いや、何か海堂君が事故に関与しているように思われると良くないと思って、黙っていました。これまで特に警察から聞かれていなかったので・・」と姉妹にとっては驚くほど重要なことをこの男は隠していたのだと思うと、腹が立って大きな声で
「山形さん、あなたは今回のことは拓真が自分で死を選んだと思っているのですか?」と詰め寄るように李祐が言い放つと、山形は
「すいません」と項垂れてしまった。
「山形さんがそのお話しをしたのは、筑摩警部ですね?」と沙流が聞くと山形は驚いて
「あ、はい、そうです」と親に怒られている子供のように答えた。姉妹はお互いの顔を見合うと、李祐が
「山形さん、わざわざお越しいただいたのに、つい声を荒げてしまって申し訳ありません。お許し下さい。それと、今日、この話を私たちにしたことは内緒にしていただけますか?特に海堂さんたちには」と意味深な事を要求すると、山形はその意味はわかるようで
「はい、それだけは何があっても漏らしません。私の首も、本当の意味での首が危ないので、ええ、わかっていますとも!」と答えて、深刻な表情で李祐の目を見返した。沙流が彼を睨むような目つきで彼を玄関まで見送ると、気の弱そうなこの男はその視線から逃げるように、“そそくさ”と帰っていった。玄関のドアをくぐり、駐車場までのアプローチの砂利を踏みながら歩く彼の足音は、忍者のような早足だった。
姉妹はリビングに戻り、李祐が
「私たち、地獄を見ているのかもしれないね」と言って抱き合った。沙流は
「お姉ちゃん、私、暫く一緒にいるからね」と言ってさらに強く抱き合った。二人がこうするのは、李祐が結婚する時に家を出た時以来だった。姉妹には愛する夫であり義兄の死という悲しみと、死因に関する疑惑という、二つの苦しみがさらに重くのし掛かってきた。
拓真が自殺したという事は、特に李祐にとってはありえない疑いをかけられたようなものだったが、自殺ではないと言うことはつまり誰かに殺されたという、もっと恐ろしい事実に向き合うことになるのだ。
その日の午後に、姉妹はこれまでに分った事をPCでExcelを使って整理した。李祐は夫が殺されたかもしれない恐怖と、これから何があるのかという不安に押しつぶされそうな気持ちと、少しずつ部分部分が見えてくると疑問がますます増えてきて、頭が変になりそうだった。一方、沙流は昔から推理小説が好きで、良く小説を読みながらノートに推理を整理したりしていたので、慣れたものだった。李祐も一緒に整理しているうちに、だんだん落ち着いてきた。結局はこの事件を解明しないと、夫の死も報われないのだ。普段は優しいが正義感の強かった夫が、無念を抱えたままこの世を去ったかも知れないのだ。何とかその無念を晴らしてあげたいとの思いを強くした。




