嵐の訪問者
海堂たちの訪問があった日の午後に、沙流は一旦自分の家に帰ることにしていたが、怪しい訪問者があり李祐と一緒に面会した。李祐の家の駐車スペースには二台の車を駐車出来るが、それ以上は駐車できないので、李祐夫婦の乗用車と沙流の軽自動車が既に駐車していたので、三台目は木製の門柱の前の舗装されていない道路端に、“路駐”に近い形で駐車する事になる。リビングからは家の敷地の前に車が停車するのはよく見えるので、二人は誰かが尋ねてきたのは分かった。ジーンズに白い長袖のシャツ姿の髪の長い男が、周りを観察しながら玄関に向かってきたのを、二人は訝しみながら観察した。警察関係者ではなさそうだし、研究所の関係者でもなさそうだったので、玄関のチャイムを鳴らすまでをじっくりと見つめた。
男がチャイムを鳴らしたので、インターフォンで顔の確認と用件の確認をした。
「あのう、AB海外通信社の矢島と申します。沢渡拓真さんの奥様に用事があって伺いました。奥様の李祐さんはいらっしゃいますか?」と案外きちんとした話しっぷりだった。
「私が李祐ですが、どのようなご用件でしょうか?」
「あ、はい、ご主人がお亡くなりになった事は知っております。そのご主人の研究に関する大事なご報告があって伺いました」とかなり“おかしなこと”を言い出した。李祐は流石に警戒して、
「変なお話でしたら、警察の人を通じてして頂けないでしょうか?」と話すと、
「多分、まだ警察の方でも半信半疑の対応をしていると思いますが、私は真相につながることを知っているので、直接奥様にお話をする方が良いと思い伺いました」と続けるので、李祐はすぐ横にいる沙流の顔を見て、お互いに頷きあって、
「分かりました。今ドアを開けます」と言ってから開錠した。
玄関のドアの前に立っていた男は、大柄で髪はボサボサで、肩から大きなバッグを下げていたが、目は澄んでいて見かけより真面目そうな人相であった。すぐに名刺を出して
「矢島亨と言います。AB海外通信社で中東地区に駐在して仕事をしています。見た通りちょっと崩れてますが、決して悪人ではありませんので、ご安心ください」とジョークのつもりだろうが、あまり笑えない風体だった。とりあえず、姉妹はこの男をリビングに案内した。一応、名刺に記載されているのは有名な報道機関だし、まともな挨拶は出来るようである。
矢島と名乗る男はリビングで席に座ると、袖で汗を拭い、目の前に出されたコップの水をゴクゴクと飲み干して、「ふぁー」と息を吐いた。李祐は
「そんなに急いでいらっしゃたのですか?」
「はい、緊急帰国して、お堅い仕事の人二人に会った後に、急いで来ましたので」とよく分からない理由を行った後で、思い出したように
「ああ、この度は本当にご愁傷様でした。お葬式にもお邪魔したのですが、見も知らぬ男の弔問は変かと思い、お線香も挙げずに失礼しました」李祐は
「あのう、主人とはどんなご関係ですか?」と最大の疑問を投げつけた。
「ご主人とは直接関係も面識もありません。単刀直入に申し上げます。ご主人の研究内容に関心があり、国の防衛機関のある人と調査をしていました」姉妹はこの発言に“きょとん”としていた。矢島はそれを予測していたように、
「簡単に申し上げますと、ご主人の勤める研究所のトップが中東のある国から依頼を受けて、ご主人が内密に研究をしていたようです」とスパイ映画のような事をさらりと言うので、姉妹はこの男を家に入れたのを後悔し始めた。しかし、この男はこの後、さらに驚くべきこともさらりと言ったのだ。
「ご主人は昨年からその研究に関わるようになって、今年、急に昇進しませんでしたか?」と言うので、李祐は
「ええ、昇進はしましたが、その研究とは何のことですか?主人は音響設備の研究者ですが・・」
「はい、知っています。実は依頼をしてきた国は、その研究成果を兵器に利用しようとしているのです。いきなりなので信用できないと思いますが、私はその筋の情報収集が専門で、国防機関の研究者と懇意にしています。詳しく言えませんが、ここに来る前に会ってきたお堅い仕事の一人はその人です。そして、もう一人はご主人の死の原因を捜査してくれるはずの関係の人です」もう、姉妹にとっては無茶苦茶な話にしか聞こえなくなっていた。矢島はそれを察して、
「多分、近いうちに警察のある人からコンタクトがあると思います。その人は私のような背景の話はしないと思いますが、私は彼らと協力して全容解明を目指しますので、ご理解ください。ただし、私がここで話した内容は、警察には極力内緒にしてください」と話すと、勝手に
「最後に一つだけお伝えします。先日のお葬式の際に観察していて感じた事です。きっとお二人はご主人の自殺に疑問を感じていると思いますが、私も同じです。ご主人が勤めていた研究所の中に怪しい人が数人います。はっきり言います。研究所長の海堂玄とご主人の同僚の海堂虎次です。二人以外にもいるかもしれません。私は警察官ではないので、正式に捜査をする事もお二人を警護することはできませんが、注意して下さい」と、とんでもない話を一気に話した。理解も咀嚼も出来ない話だったが、姉妹は何故かある程度は共感出来る気がした。
「私がここにお邪魔していることがバレれば、お二人に良いのか、悪いのかが分かりませんので、これで帰りますが、名刺の裏に携帯の番号を記入しましたので、何かお困りのことがあればご連絡いただいて構いません。この件が片付くまで日本にいると思いますので」と言って、席を立とうとした。あまりに突飛な話だったので姉妹は何の反応も出来ずにいたが、この男は敵ではないように感じていた。彼がそそくさと帰り支度を始めるので、引き止めることも、追い出すこともせずに見守った。彼は、少し暗くなった玄関で深くお辞儀をして、門柱前に駐車していた白い小型車に乗って帰った。“ビュー”と軽快な音をさせて嵐のように去っていった。
結局、沙流はもう一晩泊まる事となった。不可解な事を告げに来た男の訪問を受けて、姉のことがさらに心配になったからだ。それも当然で、矢島の衝撃的と言うのか、荒唐無稽と言うのか、良く識別できない話に二人は暫く呆然としていた。無言で夕飯の支度をしながら、二人は矢島の話を反芻しながら、ぽつりぽつりと、話のポイントを確認し合った。結局は矢島の言った警察からのコンタクトを待つことにしたが、話が本当であるように感じていた。そうなると、拓真が李祐には内緒にしていた“大きな秘密”があったことになる。
食後に姉妹はリビングで音響設備の犯罪や兵器利用についてネットで調べた。確かにその可能性はあるが、拓真は通常の研究の延長線での研究をしていただけで、武器利用の研究だとは知らなかったのでは?との結論にいたった。しかし、それは事実を知っている関係者に確認するしかないが、それは危険なことであるように感じた。なぜなら、拓真が殺されたとしたら、同じ目に遭う可能性があるからだ。つまり、矢島が注意しろと名指しした、海堂親子にたどり着くからだ。そのことを考えると、背筋がゾッとし、胸が震えるような恐怖を感じた。さらに、姉妹は“一酸化炭素中毒”に関しても調べた。本当に“七輪”などで中毒になり、心肺停止する事などあるのだろうかと疑問を持っていたが、濃度が強いと三十分で意識を失う事もあるようだ。その後発見されるまでに一時間もあれば、完全に心肺停止することはありうるのだ。
「でも、いつ、誰が、どうやって室内に七輪を持ち込んだのだろう?」と二人は出口の無い難問に立ち往生していた。最も知りたいのは、
「何故、拓真が殺されるようなことになったのか?」であり、そのことに行き着いてしまうと、暗闇の中で立ち竦んでいる自分たちに気付かされていたが、今日の矢島の話によって、その暗闇の先に出口があるように感じることが出来た。
このところ姉妹は夫婦が寝ていた寝室で、一緒に寝るようになっていたが、時折、木々が揺れてザワザワという音や、風がヒューヒューと吹く音に敏感になっていた。樹木が彼女らに何かを囁いているような、あるいは樹木たち同士で噂話をしているようにも感じるし、家に誰かが近づいているような気配にも思えたが、二人でいると何となく落ち着けた。子供の頃から姉妹はいつも仲良く並んで寝ていたのだ。ただ、李祐は風の音が止むと、なぜか数年前の同じ高井沢のペンションに泊まった時に、湖の辺りで拓真が口に出した。
「死ぬならここが良い」と言った言葉が思い出された。




