刑事達
二人が車を降りると、季節を一気に先送りしたような涼しい風が音もなく正面から吹いてきたが、顔に当たるのを感じながら警察署の玄関を入ると、スーツ姿の刑事が現れた。田所と言う名前だった。ちょっと冷たい感じのする痩せた中年の男だった。
部屋に案内されると、田所はすぐに話し始めた。事故後の現場検証をした結果、拓真の倒れていた研究室に七輪が持ち込まれ、拓真は一酸化炭素中毒を起こしたようだと話した。守衛の報告では倒れているのを発見した二時間ほど前に、拓真が研究室に一人でいたのを確認しており、七輪は自分で持ち込んだのではないかと言っているようだ。つまり、警察は拓馬は“事故”ではなく“自殺”だと思っているということだ。高井沢は高地であり、初秋のこの時期に暖房を入れ始める頃だが、仕事場の研究室にわざわざ七輪を持ち込むのは異常だろう。それまで悲しみ以外の感情を全く無くしていた李祐はすぐに、
「夫が自殺をしたと言うのですか?そんなことは絶対にありません!」と大きな声でその報告を否定した。その刑事は困った顔をしながら
「守衛の報告と監視カメラの映像も確認したのですが、誰かが研究室を訪れたことは確認できませんので、状況から見て他の誰かが持ち込んだとは思えません」と素人の見解をさらりと否定した。
「もっと良く調べて下さい!」と今度は妹の沙流が怒りの声をあげた。さらに
「もし、主人が持ち込んだのではなく、七輪を誰か他の人が持ち込んだとしたら、殺人ですよね?」と李祐が叫ぶような声で刑事に抗議する。聴取用の部屋の空気は一変した。
ムッとした表情を隠そうとせずに田所は李祐に
「ご主人は殺されるような何かをされているのですか?」と失礼な質問を投げかけた。意気消沈をしていた李祐は本来の姿に戻ったように、
「私の主人は人に恨まれるような事などしていません。真面目な研究者です」毅然として断言した。
「では、なぜ殺人だなどと物騒なことを言うのですかね」と田所は夫を亡くしたばかりの妻に皮肉な言い方をして、早くこの無駄な時間を終わらせようとしている気配だった。
「あなたが主人が自殺だなんて言うからです。自殺したという証拠や理由は何だと言うですか?」と李祐が憤まんやる方ない様子で質問すると、
「それは私には分かりません。奥さんの方が詳しいんじゃないですか?」と、とんでもないことを言い出した。これにはまたも妹の沙流が
「刑事さん、あなたは自分が言っていることの意味がわかってますか?」これには田所は鼻で笑うような仕草で、さらに失礼な何かを言おうとしたがやめて、
「いずれにしても、私は初動捜査が仕事なので、この後は所轄の刑事が担当します。少し経ったらこちらに来ますので、それまでここでお待ちください」と言って、さっさと部屋を出て行った。ドアの閉まる空虚で心のない音だけが余韻として部屋に残った。姉妹は警察に来てあの忌まわしい刑事に会うまでは悲しみに暮れていたのだが、拓真の死が七輪での一酸化炭素中毒による自殺だという見立てと、無礼な刑事の発言を聞いて、悲しんでばかりはいられない心境に一変した。李祐も沙流も何か不測の事故が起きたと思っていたのに、
「よりによって、あの拓真が自殺をするなんて!あり得ない!」ことを警察に強く訴えないといけないと興奮状態にあった。その興奮状態に水を刺すように、失礼な刑事が部屋を出てから、一時間近くの時間がたった。
その時間が二人の興奮を少し治めさせてくれた。姉妹は愛する夫であり義兄の死という悲しみと、死因に関する疑惑という、二つの苦しみに喘ぐ事となった。そして、亡くなった拓真には”自死”という疑いをかけられたようなものであり、そうではないとなると、誰かが拓真を死に追いやったという、恐ろしい事実に向き合うことになるのだ。悲しみと苦しみと恐怖を同時に感じ、興奮を上回る感情の渦の中で二人とも溺れそうになっている。何の音もしていないのに、“ゴウゴウ”と水の渦の中に巻き込まれて、湖の底に引き込まれている感覚だった。
その渦の中から姉妹を救い出すようなタイミングで、二人の刑事が部屋のドアをノックして入ってきた。一人は柔和な印象の小太りの中年男で名前は清水、もう一人はガッチリとした体型の若い男で名前は末永。二人とも高井沢警察署の刑事課の刑事だと名乗った。
「田所から状況は聞いております。今後は我々が担当します」と話し出した。姉妹も少し落ち着きを取り戻し、名前を名乗り、関係を説明した。この刑事たちからは、初動捜査にあたったのは県警の機動捜査隊の田所たちで、清水たちは地域の刑事事件担当だと説明を受けた。随分対応は丁寧になっていた。しかし、結局は拓真に自殺するような理由はないかを確認するような質問を始めた。
「奥様、ご主人は最近何か悩みがあるような事は言っておられませんでしたか?」
「いいえ、特にはありません。昨日も朝元気に出かけましたし、私には何もそのような悩みは言っておりません。あの人は自殺なんてしていないと思います。何かの事故にあったと思ったのですが、違うんですか?」中年の刑事清水は
「ご主人の研究室には数名の研究員がいて、昨日はノー残業デイで他のメンバーは定時で帰宅したようです。主任研究員であるご主人だけはそのまま残り、守衛が見回りに行った午後五時には部屋にはご主人が一人でいるのを確認したそうです。その後、七時に見回りに行った時に部屋の蛍光灯はついているのに、ご主人が席にいない様子だったので、守衛は部屋に入った。すると、ムッとする嫌な空気に思わず咳き込んだそうです。空気が相当澱んでいることに気がついて、慌てて息を止めて部屋の窓を開けるために、ご主人のデスクの脇まで行くと、そこにご主人が倒れている事に気がついたそうです」そこまで話すと、姉妹の驚いた様子を見て、
「このまま続けて宜しいですか?」と思わず尋ねた。姉妹は
「はい、大丈夫です」と何とか答えたが、拓真が室内で倒れていた様子を詳細に聞いてかなり動揺し、部屋の酸素が薄くなったような気になって、二人とも呼吸が速くなっていた。その様子に気を使ったのか少し間を空けた後、刑事は話を続けた。
「守衛は、慌てて窓を開けてから、ご主人に声をかけたのですが返事はなく、うつ伏せに倒れていたので肩を揺すっても反応はなかった。呼吸もしていなかったそうです。それで、すぐに近くのデスクの固定電話から119番に通報した。その時には窓からの空気を吸えたそうですが、状況を話した後に救急司令の指示に従い、ご主人を仰向けにして心臓マッサージをした。かなりの回数を実施したけど、蘇生はせずに救急隊を迎えに管理センターに行ったようです。研究所の門を開ける操作は、定時以降は管理センターからしかできないので、救急隊が到着するまで数分間は管理センターに居て、研究所総務の山形さんと警備会社に連絡をした。そして、七時半には救急隊が到着した。ここからは、病院でお聞きになっていてご存じですよね?」と一旦話を終わらせた。
姉妹は話を聞いて、すぐに同じような質問をした。
「七輪はもともとあったのですか?」と李祐が質問すると、中年の刑事は捜査上の機密なので言えないとは言わずに教えてくれた。何か彼女たちとのやり取りの中に意義があるのではと思っているようだ。
「七輪はもともとは研究室には置いて無く、守衛が拓真さんが倒れているのを発見した際は、研究室の真ん中あたりに置いてあったようです」
李祐は以前研究室で拓真と同僚が撮ったスマホの写真を見たことがあるので、大体の検討はついた。確か所員が七、八名いて、夫はその部屋の責任者だ。
「守衛さんが最初に見回りに来た時には、七輪はもう置いてあったのですか?」と沙流が質問すると、
「守衛は、気づかなかったと言ってます」
「誰かがその後持ち込んだのでしょうか?」とさらに沙流が聞き
「それは分かりません」
「指紋はあったのですか?」とさらに沙流が聞くと、清水は少し驚いた表情で
「救急隊が訪れた時に守衛が気づいて、邪魔だろうと思い廊下に移動したのですが、熱を持っていたので近くにあった雑巾で持って運んだようで、その汚れはついていましたが、指紋は検出されていません」
「先ほどの刑事さんは、監視カメラには誰も研究室には近づいていないと言っていましたが、そうなんですか?」この質問には流石に中年の刑事も即答はせず、逆に尋ねた。
「お二人は、誰かが研究室に七輪を持ち込み、ご主人に一酸化炭素中毒を起こさせたと思っているようですね?」この問いかけに、姉妹はじっと刑事を見返すことで意思表示をした。このやりとりを若い刑事は真剣な眼差しで注意深く様子を伺っていた。一分ほど沈黙が続いた。つまり、家族側は自殺する要因が不明で、誰かが何らかの関与をしたと思っているし、警察側としては拓真が殺害された証拠も理由も見つかっていないのだ。
この日の刑事とのやりとりはこれで終わり、別れ際に清水は二人に今後の事に関して確実な事は言わなかったが、捜査を続けるようなニュアンスを匂わせた。
末永は二人を警察署の受付まで見送った後に、聴取を行った部屋に戻り清水に尋ねた。
「あの姉妹は完全に事件性を疑っていますね」
「ああ、そうだな。確かに、何の理由も予兆もなく自殺するのはおかしいな。しかも、自分の職場に七輪を持ち込んでこっそりとは・・」と清水は天を仰ぐように頸を天井にむけて、さらにその部屋の空調からの吹き出し口に気付き、
「空調は効いてなかったのかな?」と疑問を呈した。末永の方も同じような仕草で、
「職場で自殺するのは、よっぽど職場に恨みがあれば、ありえますよね?」
「そうだな、でも“ガイシャ”は昇進したばっかりだと総務課長は言っていたな」
「やっぱり、ガイシャですか・・」と末永がつぶやくと、清水はそれを聞き流し、
「二人とも美人でよく似ていたな。髪が長くて少し痩せているのがガイシャの妻で姉の李祐さん、髪の短い方が妹の沙流さんだったな。ちょっと変わった名前だな」と突然思い出しように言い出し、すぐに元の話に戻り
「やはり、職場の関係者の線を洗い直す必要があるな。“ホシ”がいるかもしれない」とりあえずの踏ん切りをつけるように刑事部屋に戻るべく席をたった。部屋のドアを開けて、廊下を歩く二人の靴音が気のせいかやや“リズミカル”に響いた。
姉妹は翌日からは拓真の葬儀の準備に入り、その後一週間ほどはそのことに忙殺された。沙流の夫も手伝いで急遽駆けつけてくれ、三人で手分けをして父母、義父母、親戚への連絡、研究所の関係者と拓真の学生時代の友人、そして葬儀場との調整を行なった。一様に死因を聞かれたが、仕事中の事故だと伝えた。
その間、清水刑事と末永刑事から二度ずつ連絡や訪問を受けた。清水刑事からは仕事先での人間関係に関することで、末永刑事からは拓真の交友関係に関することだった。担当を分担しているようだったが、真相解明を願う姉妹にとっては、あまり進展につながる内容ではなかったが、田所に比べるとはるかに親身になった捜査をしてくれているように思えた。
拓真の葬儀の前日に、研究所長の海堂玄とその息子で夫の同僚の海堂虎次親子の弔問を受けた。海堂玄は背丈は普通だがかなり太っていて、髪には白髪が交じり、黒い縁のメガネをしていた。息子の虎次は中肉中背で、顔つきは父親とよく似ていて、やはり銀縁のメガネをかけていた。メガネの奥の目つきが鋭い感じだった。二人は「本当に残念だ」というが、李祐には何か違和感が残った。死因にあまり疑問を持っていないのではと見受けられた。“事故”ではなく、警察の初期の見立てである“自殺”を疑っていない様子だった。なぜ、事故ではないのか?と李祐は不思議に感じていた。
葬儀は火葬場に併設された会場で行い、無事に最後のお見送りをしたが、お墓の準備はもちろんしていなかったので、火葬場から李祐が遺骨を持ち、沙流が位牌を持って家に帰った。客間に急遽準備した仏壇に遺骨を位牌と共に安置することにした。李祐はつい先日まで元気にしていた拓真が、こんな壺の中に入ってしまう事など想像もしていなかったし、あまりに儚いと思い涙が止まらなくなった。沙流は姉のあまりに悲しそうな姿に、人生にこれほどの“無常迅速”を感じた事はなく、全身に痛みを感じた。手伝いで駆けつけた沙流の夫は、義兄の突然の死と姉妹の悲嘆を目の当たりにして、正になす術が無い様子でただただ見守るばかりだった。葬儀の日の夜には、義姉を妻沙流に任せ、自らの家がある信濃市へ最終の新幹線で帰って行った。別れ際、妻沙流に「当分、無理して家に帰ってこなくて良いよ。お姉さんのそばにいてあげて」と告げていた。
また、葬儀には清水刑事と末永刑事も弔問に訪れ、沙流は彼らが研究所のメンバーから聞き取りをしているのを目撃した。普通なら「葬儀の日に捜査を?」と反感を持つのだが、沙流はむしろ好感を持った。きっと、事件性の判断をするために、捜査を続けてくれているのだろうと予想したのだ。
そして、火葬が終わりトイレに行った李祐は、男子トイレの外で見慣れぬ男が清水刑事と立ち話をしているのを見た。清水が何度も頭を下げるのを不思議に感じた。
そして、もう一人見知らぬ男が李祐と沙流たちを観察していた。その男は受付のそばに立ち、弔問に来た人たちに時折、視線を向けていた。ただ、この怪しい男の存在に気がついた受付担当者はおらず、皆が関係者の一人だと思っていたようだ。
葬式の翌々日に、李祐はまた海堂所長の個別弔問を受けた。総務の山形が同行しており、海堂は出来る限りの面倒を見ると言ってくれるので、丁寧に感謝の言葉を伝えた。山形は海堂の横でそわそわしている感じで、もともと痩せ型で気の弱そうな男だが、今日は輪をかけて居心地の悪そうな雰囲気だった。だが、李祐は「この人たちは何かを知っている」ような気がしてならなかった。根拠はないが、なぜかそう思えるのだ。




