第3話
桜の花びらが校庭に舞い散る中、聖エルミア学園は新学期の活気で満ちあふれていた。
校門をくぐる生徒たちの笑い声が、春風に混じって響き渡る。
制服のスカートが翻り、男子たちの鞄が肩に揺れる中、誰もが新しい出会いを期待した表情を浮かべていた。
校舎の廊下では、友達同士が肩を叩き合いながら、春休みの思い出を競うように語り合う。
教室に入ると、黒板の前に立つ担任の先生が、にこやかに生徒たちを迎え入れていた。
窓辺では女子生徒が花びらを指さして囃し立て、男子がスマホを片手に昨夜のゲームのスコアを自慢げに披露する。
机の上には新しい教科書が積み重ねられ、鉛筆の音が軽やかに響いていた。
和気あいあいとした空気の中で、誰かが声を上げた。
「今年の文化祭、何やる?」
すると、周囲から次々とアイデアが飛び交う。
「バンド!」
「お化け屋敷!」
教室は一瞬にして大賑わいになった。
そんな中、担任の先生が手を叩いて注意を引いた。
「みんな、静かに! 今日は転校生が二人来るんだ。みんなで温かく迎えてあげてくれよ」
生徒たちが好奇心に満ちた顔を扉に向けた。
誰かが小声で囁いた。
「男? 女?」
隣の生徒が肩を小突いて笑う。
扉がゆっくり開き、二つの影が教室に滑り込むように現れた。
ヒビキとルル――それが二人の名前だった。
彼は黒いブレザーをぴしっと着こなし、ネクタイをきっちり締めていたが、表情は硬く、目線を床に落としている。
隣のルルは対照的に、セーラー服の襟を少し緩め、銀色の髪をおさげにまとめ、にこにこと周囲を見回す。
その瞳がキラリと光り、教室の空気を一気に明るくするようだった。
担任が紹介を始める。
「まずはこちら、ヒビキ君。よろしくな」
彼は一歩前に出て、短く頭を下げる。
声は低く、抑揚がない。
「終夜ヒビキです。よろしくお願いします」
教室がざわつく。
女子の一人が手を挙げて声を上げる。
「ヒビキ君、どこから来たの? 部活は何が得意?」
彼が淡々と答える。
「東京近郊からです。部活は……まだ決めてません」
男子の一人が笑いながら続ける。
「サッカーとかやってそう! 今度練習来いよ!」
彼は小さく頷くだけ。
ざわめきが少し収まり、ルルが少年の袖を軽く引いて、合図を送る。
次にルルが前に出る。
彼女はくるりと一回転し、スカートの裾を翻して笑顔を振りまく。
「ルルです! みんなと仲良くなりたいな~。趣味はスイーツ作りと、星空観察! よろしくねっ!」
その明るさに、教室中から拍手と歓声が沸き起こる。
女子たちが手を挙げて質問を飛ばす。
「ルルちゃん、転校ってどんなきっかけ? お菓子作りのおすすめレシピ教えて!」
彼女がウィンクを返し、軽やかに答える。
「田舎の小さな町からよ~。レシピは後でおしゃべりしようね! チョコチップクッキー、超簡単だよ!」
男子の一人が冗談めかして手を挙げた。
「隣の席空いてるぜ!」
クラスに笑いが広がった。
ルルも笑い、担任の先生さえ苦笑いを浮かべる。
――前日。
ヒビキは自室の鏡の前に立ち、ぎこちなくブレザーの袖を通す。
ネクタイを何度も結び直し、鏡に映る自分の姿を睨む。
襟元が曲がり、ボタンが一つずれている。
ため息をつき、指で直そうとする。
「俺がまともな学校生活か……考えられないな。こんなもん、着たことねえよ」
背後から、柔らかな声が響く。
「そんなことないわよ。似合ってるじゃない。クールで、ちょっとミステリアス。カッコ良すぎちゃってモテモテよっ」
少年がハッとして鏡を凝視する。
そこに、ぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。
銀髪の女――大天使の姿だ。
彼女は微笑み、鏡面を指でなぞる。
「お前……嘘だろ」
彼が勢いよく振り返る。
部屋の中央に、ぽつんと立っているのは、制服姿の彼女。
セーラー服のスカーフがふんわりと揺れ、膝下のソックスが白く輝く。
銀髪をおさげにまとめ、青い瞳をキラキラさせている。
少年の目が見開く。
思わず一歩後ずさり、壁に背中をぶつける。
「その格好……まさか。お前、何のつもりだ」
彼女がくるりと回り、ポーズを決める。
スカートの裾がふわりと広がり、部屋に甘い花の香りが広がる。
「どうも、ルルでーす! 今日から転校してきましたぁ~。スリーサイズは上からひゃく……」
「俺だけでいいだろ! なんでお前まで来るんだよ!」
「えー、だって一人じゃ心細いでしょ? それに、私がいないとターゲット見つけた時、即対応できないかもよ?」
「いや、それくらい俺だけでもできるだろ……」
ヒビキが額を押さえ、ため息をつく。
「……それに、その格好……目立つだけだろ。絶対浮くぞ」
ルルが頰を膨らませ、唇を尖らせる。
彼女は少年の隣にちょこんと座り、膝を寄せて上目遣いに見上げる。
「えー、でもターゲットがいつ確定するか分からないしぃ。一緒の方がなにかと効率良いと思うよぉ。それとも、保護者同伴だと恥ずかしいのかなぁ? ふふ、照れてるの?」
「……いや、その見た目で高校生ってのも嘘だろ」
ルルが立ち上がり、少年に近づく。
彼女の指が、そっと肩に触れる。
鏡に向かって二人並び、彼女は自分の姿を指さす。
「みんなからは普通の高校生に見えるから大丈夫だもーん」
少年は慌てて手を振り払い、ベッドに倒れ込むように座る。
「ったく……せめて、目立たないようにしろよ」
ルルがベッドに飛び乗り、彼の隣に転がる。
彼女の髪が少年の頰をくすぐり、笑い声が部屋に満ちる。
「やったぁ! 一緒に学園ライフだぁ!」
「学園ライフって……お前……。あぁ、胃が痛くなってきた」
ルルが肘で軽く突き、目を細めて囁く。
「ふふ、ヒビキのそういうとこ、好きよ」
彼が無言でルルの頭を軽く叩く。
彼女の笑顔に、部屋の空気が柔らかくなる。
――ということで、今に至る。
みんなの席はすでに決まっており、空いているのが教室の一番左後端――窓から桜が見える、静かな一角だけだった。
ヒビキが先に歩み出し、鞄を机に置く。
ルルが隣にぴったりと寄り添い、椅子を引きながら小声で囁く。
「ここいいね! 桜がよく見えるし」
彼が周囲を素早く見回す。
「そうだな……。静かで助かる」
ルルが席に腰を下ろす。
彼女の指が、テーブルの下で少年の膝を軽く突く。
「ふふ。ほら、窓開けてみて。風、気持ちいいよ」
少年は渋々窓の取っ手を回す。
柔らかな風が吹き込み、桜の花びらが一枚、教室に舞い込む。
ルルがそれを指で受け止め、掌で転がす。
「見て見て、このピンク。運命の色みたいじゃない? ヒビキ、触ってみなよ」
彼が手を伸ばし、花びらを摘む。
柔らかい感触に、指先がわずかに止まる。
ルルの視線が、優しく寄り添う。
「学校って、こんな感じか……」
ルルが頰杖をつき、少年の横顔を覗き込む。
彼女の息が、耳元にかすかに触れる。
「そうだよ。毎日こんな風に、二人で過ごそうね」
少年は窓辺に肘を乗せる。
外の桜並木が、穏やかに揺れる。
ルルの笑顔が、教室の喧騒を遠ざける。
チャイムが鳴るまで、二人は言葉少なに、ただ桜の影を追いかける。
学園の春は、そんなささやかなひと時を、優しく包み込んでいた。
「これから楽しみだねっ、ヒビキッ! 最初のターゲット、誰かな?」
「誰でもいいさ。うまくやるよ」
少年の態度はそっけなかったが、口元に微かな笑みが浮かぶ。
ルルはその表情を横目に、指を唇に当て、ふふッと小さく笑った。
窓の外で、桜がさらに一枚、舞い落ちる。
学園の春は、静かに、二人の新たな戦いを見守っていた。




